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hasunoha 問答検索結果 : 「私 死 」
検索結果: 5461件

この苦しみは前世の罰?

愛する人を喪いました。 私は今年で30歳、相手は29歳でした。 その方と今後の人生を歩んでいくことがまさに私の生きる目標であり、糧でした。 いまは生きる意味を見いだせず、目標も何もありません。 愛する人を喪った方は私だけではないことはわかっています。人が生きていく以上、死別に必ず直面することも理解しています。 しかし、順当に寿命で大往生した方と死別する場合と、急に大切な方を喪ってしまうことでは、やはり苦しみの大きさは違うと思っています。 なぜ、私はこの経験をしなければならなかったのでしょうか。前世でよほど悪いことをしでかしたからですか? 私の人生がこのような波瀾を含んだ人生となっていた為に、私の大切な方は亡くなってしまったのでしょうか。 周りにはまだ若いからと、他の人を探すよう勧められますが、愛する人というのは探して見つかるものなのでしょうか。 仮に別の愛する人を見つけることができたら、この苦しみは減るのでしょうか。それは故人への裏切りにあたるのではないでしょうか。 文章がまとまらず申し訳ありません。 これから先を生きていく意味、目標、何もわからなくなってしまいました。

有り難し有り難し 34
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2022/07/17

疲れました。満たされない

よろしくお願い致します 子供の頃は軽いネグレクトで、ここにいるのに誰も私を見てないような生活をしていました。姉は友達の家に行き家にいないことが多く、一緒になにかを遊んだ・楽しんだような記憶はありません。今思えば、私は物心つく前から堪らなく家族の愛情に飢えていました そんな状態のまま、大人になった姉は引き続き奔放で、早い段階で家出をした挙げ句、お金にも性にもだらしなく自業自得としか言えない借金を背負いました しかし家出に対する悪態をつきながらも、親は何かと姉の面倒を見ていました。自分達の老後のために貯めたお金を切り崩してまで補填したり。姉の離婚時に姉の生活保護の手続きを代行したり、日用品や食糧の買い物の金銭的な手伝いや面倒な送り迎えをかって出たり 勝手に家出した姉にショックを受けたと言っていたにも関わらず、随分と必死に手厚いサポートをしていました 一方同時期、私は姉の件で相当な苦労と無理をした親を見ていたので親を心配させないように金銭的余裕を持つとか、なるべく親の側にいるとか、異性との交際に慎重になるとか、こまめに近況を伝える等私なりに親に気を遣い、仕事も頑張ってきました。が、人付き合いの下手さと仕事の出来なさが災いし、私は精神の病にかかり連鎖的に体の持病が悪化し、社会からドロップアウトしました 子供の頃から人見知りで人付き合いがとても苦手だったので、相談者や友達は勿論いません… 何度も自殺を考えて、その度に思いとどまりましたが10年経った今でも希死念慮は消えません 父も姉も、私が精神的にも肉体的にも病気になっても、私が苛まれてる病気が一体どんなものなのか、知識として調べようとすらしてくれません まるで私なんか最初からいなかったかのよう 私にはもう、生きていくのが辛すぎます。ベッドから起き上がるのも困難なくらいです。楽に死ねるのなら、明日死んでも良いと思っています 恐らく私が死んだりいなくなったとしても、姉や父はなんとも思わないのでしょうが… 親に助けてもらっているのに、「人生なんとかなる!」「理由をつけてやりたいことをやらない人生は勿体ない!」が口癖の姉が憎いです 親の愛情が欲しかった嫉妬なのかもしれません。疲れてしまいました 私はこの家庭に生まれて、今までここに生きている意味があったのでしょうか とりとめがなくすみません。長々と失礼しました

有り難し有り難し 15
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末期癌の父の余命宣告

64歳の父が、去年の3月に胆管癌レベル4の手術を受けて、すぐに再発をして、抗がん剤や放射線今まで色々やってきました。 胆管癌には、抗がん剤があまりなくて、最後の砦とも言われる飲む抗がん剤の治療は、ダルさが強くて… それと、伴って癌の進行も進んでいて転移して、しこりも出てきてて… 先日から入院しをして、検査でまた放射線を当てることになり。 その時に、父が、飲む抗がん剤の治療はもうやめたいと、主治医の先生に言っていて。 その時に、ノドもなんだか変な感じで食事もほとんど通らない時が多くなってきてと言っていて。 主治医の先生からは、このままだと、食事ができなくなってしまって、流動食になってしまうからと言われて。 放射線をやってみますか? という話で部屋に戻ってご飯の時間で、やはりノドを通らなくて。母の前で涙をこぼしていたみたいで。 先生からは、3ヶ月から半年でしょうと告げられました。 ですが、家族みんな本当に涙しながらどうしようもない感覚に襲われて。 まだまだ、痩せてきてはいるものの、疲れやすいものの、元気は元気なんです。 私は、結婚していてこれから先ずっと一緒にいるという事もなかなか難しいですが。 なるべく私は、一緒に居たいと思い病院には毎日行ってますが。 父も、自分が死ぬという事が迫ってきている事を知っていると思います、 だけど、そんなそぶりもみせずに、早く治らないかなといつも言っています、 私達も、大丈夫だよとしか言えません、 幸せだったと思ってもらえるにはどうしたらいいのか? 私達も、余命宣告されてから悲しくて悲しくて 心がぽかっと空いたような。 心がそわそわしてしまい。 どうしたらいいかわかりません うまく言えませんが。 父を亡くす事がすごく怖いです。 母も、みんな同じです。 今の状況を乗り越えていける心構えというか どうしたらいいのでしょう? 父も自分の身体について、心がツライ。 なんでこんな病気になってしまったのかと その事をすごく不安に思ってるみたいです。 希望を捨てずに頑張ってもらえるためには、どうしたらいいのでしょう?! 長くなってしまい、すみません。

有り難し有り難し 11
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事件などに一喜一憂してしまい生活がままなりません

昨今テロなどが増え、そういった類いの報道を目にすることが増えてから、私は急に人が亡くなる事件や出来事に過剰に反応するようになってしまいました。 亡くなった方々がどれほど怖い思いをしたのか、具体的に想像してしまい堪らなくなります。 そして、それがもし自分の身に起こったらと考え、恐怖でパニックになってしまいます。 悪いことを考える人が怖くて仕方ありません。 怖いなら見なければ良いと頭では考えるのですが、好奇心などではなく知らなければならないという義務感の様なものに苛まれ自ら随時チェックしてしまいます。 一時期はその日に亡くなった方々の数を計算したりしていました。 そういった行為が生活にまで影響し、外に出られなくなってしまい、ついに病院にも行きました。 ダラダラと書いてしまいましたが、ここからが相談内容になります。 私は両親・恋人といる時が比較的安心することができ、なんとか頑張っています。 しかし最近、その唯一安心できる人たちもいずれ死んでしまうと改めて気が付いてしまいました。特に両親です。 そしてこれまで「自分の身に起こったら…」で止まっていた思考が、「大切な人たちの身に…」まで拡大し、気を張る範囲が増えてしまいました。 私は今抱える恐怖心にいつかひとりぼっちで向き合う日が来るのか、と絶望してしまいました。 今20代なのでうまく行けば後何十年かは生きることになります。 恐怖する1日1日がこんなにも長いのに、まだ何十年もあるのかとまた絶望してしまいます。 こういった気持ちとどのように向き合えば良いでしょうか? また、世の中で起きた悲しい出来事にみなさんはどの様に折り合いをつけておられるのでしょうか? 私は強くなりたいです。 長々と失礼致しました。 お返事頂けますと幸いです。

有り難し有り難し 6
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「尊厳」ってなんですか?

父85歳が脳梗塞で倒れて8ヶ月ほどたちました。要介護5がつき、左半身麻痺で寝たきり、全介助です。食事は口から摂ることができます(もちろん介助が必要ですが)。 現在療養病棟に入院していますが「アー」「ウー」と常時声を出します。独特な発声の声は同室の患者さんの療養を妨げています。医師から「奇声を発するのは後遺症だからしかたがない」と言われました。奇声を抑えるため(感情を抑制するため)薬を使用しましたが、効きすぎて眠りの時間が長くなってしまい、中止されました。 寝たきりにするのは簡単だけどそれは治療ではない。口から食事が取れる機能を奪うことは、尊厳を奪うことだといわれました。以前から父には「寝たきりになるようなことがあったら何もしないで死なせてくれ」と言われていました。その願いを引き裂くように救急車を呼び、緊急の手術に同意したのは私です。今の状態を作り出したのは私です。 会話もままならない父の尊厳とはなんなのでしょうか。 奇声に混じる雑言を浴びる母もまた倒れそうです。 後遺症を薬で抑制することはお父さんの尊厳を奪うことだということがわかりません。尊厳ってなんなんですか。寝たきりで再起不能の父の尊厳ってなんなんですか。食事が口から取れることが、父にとってそんなに大切なことなんでしょうか。 奇声が止まらない父は3度めの転院を提案されています。病院側になんの儲けもない患者だからとも言われました。そんな父の尊厳を守ることの重大さがわかりません。薬を投与して寝させて緩やかな死を目指すことは罪なのでしょうか。 私は自分の身の回りを整理してから、父を引き取り殺めようと考えています。その前に「尊厳」とはなんなのか教えて下さい。

有り難し有り難し 26
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主人の義理の家族への扱いが辛い

主人との関係に悩んでいます。 私には両親がおらず、高齢の祖母、障害者の姉妹がいます。 幼い頃から祖母と私の家族は同居してましたが、私の結婚、主人の異動に伴い、私だけ遠方に転居しました。 私の転居後、祖母の息子(私からみて叔父)が買い物等面倒みてくれていましが、闘病中となりできなくなりました。そのため近所の方と祖母の姪が代わりに対応してくれています。 祖母自身は大きな持病もなく、身の回りの世話と姉妹の世話までできるので施設への入居を希望していません。 そんな中、祖母が大きなケガをしました。幸い意識があり、近所の方に祖母自身が連絡できたため大事には至りませんでした。この連絡を受け、万が一対応が遅れ亡くなっていたらと考えるといてもたってもいられなくなりました。 祖母を孤独死させてくないから近くに転居したいと主人に相談しましたが、祖母の住む地域が限界集落に近く、子供の教育、自分のキャリアを犠牲にできない、 そもそもなぜ孫の私とその家族(主人)がそんな負担をしないといけないのかと言われました。 祖母という続柄ですが、幼い頃から同居し、両親亡き後も支えてくれたのは祖母です。それを知った上で結婚したのに、そのような言われ方をされとてもショックでした。 叔父の子供が対応したらいいともいいますが、祖母と私の希望は長年一緒に暮らしてきた者同士で安心して暮らすことです。 結婚した以上、これは祖母と私の我儘なのでしょうか。嫌がる祖母に施設への入居を説得するなどの方向を考えるしかないのでしょうか。 正直、このような言われ方をして主人と暮らす意味が感じられなくなりました。 主人の両親はお元気で、なんとか通勤圏内なので、主人と子供はそこで暮らし、私だけ祖母の元に戻るといっても、そんなのおかしいと言われます。 また話し合いをしないといけません。 ご意見いただけますでしょうか。

有り難し有り難し 24
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2022/01/05

レット症候群の妹、試練?何のために?

よろしくお願いします。昨年78歳でバレンタインデーに母が父の元に旅立ちました。レット症候群という女の子になる障害があります。50歳です。母の死を理解しているのかしていないのかは意思疎通が普通にできないのでわかりません。私は妹の介護をするために離婚して現在都営住宅で2人で暮らしています。そんな中昨年11月に妹が総胆管炎をおこし、断られた大きい病院もありましたがなんとかうけいれてくださった大学病院に入院しました。手術はしてもらえませんでした。私はレット症候群は珍しい病気なので先生達もこういう人もいるということで勉強してよく調べ治療にあたってくれるとおもいました。けど、点滴のみで食事も制限なしと退院の紙にかいてありました。胆石は胆嚢にあったそうです。あー意思疎通のできない障害者は極力みたくないんだなぁとつくづく感じました。詳しく看護師さんからも入院中のことは聞いてもあまりはっきりとこたえてはもらえませんでした。そして、年の明けた今日1/5、通所施設より熱があるので迎えにきてくださいといわれ行ってきました。なぜこんなに次から次に辛いことがおこるのか、大切な家族のわんちゃんも心臓が悪いのがみつかり、肺炎もおこしていることもわかり…今度はどんな辛いことがおこるのか、エンドレスでこんなことがくりかえされるのか…私が厄を引き寄せているのではないかとすら今では感じています。母が亡くなった時妹、わんちゃん2匹を連れて後追いしたかったです。そのために薬を沢山残しておきました。(精神科に私はかよっています)けど、妹と暮らして母が残してくれたこの妹の命を私が勝手に終わりを決めてはいけないとおもうようになったのにこんなことばかりで。娘息子も私にはいますがそれぞれ自分の生活があるし、私の母に対してほど私の妹に心配するという感情はもちあわせていないようで、ただただ毎日不安、怖さ、楽にみんなでなった方が…など考えてしまいます。お祓いでもした方がいいのではないかとすら思ってしまいます。

有り難し有り難し 22
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生きる意味はあるのでしょうか?

旦那が亡くなり5ヶ月です。 旦那の死によって大きな衝撃と苦しみは未だにありますが、それ以外のこともたくさん変わりました。 中でも人とうまく付き合えなくなりました。 それは、あれ以来私の情緒はとても不安定で、機嫌よく過ごせる日もあれば、友達に会うことすら緊張してしまう日もあります。 そんな中で、私の態度がよくないこともあったと思います。 人といても楽しく出来なかったり、怒りや悲しみをそのままぶつけてしまったり。そういうことがあったと思います。 そして何よりもの問題は空いた穴を誰かに埋めてもらおうとしたことのように思います。 その結果、近い人から距離を置かれているのがわかります。 ただ原因はわかるし、いけないのは自分だし、距離をおかれてもしょうがないなと諦めています。 また自分は人を傷つけるのに、自分は今、風が吹いても傷ついてしまうようなメンタルなため、自分から改善の努力も早々に人との距離を置くようにしています。 ただ、ひとりでいると気が紛れることも少なく、私も早く死にたい。私もそちらに行きたいと考えてしまいます。 なんとなくですが、たぶん私が死んでもきっとみんな「よかったよね。向こうで会えたよね。」と納得してくれるような気がします。 そしてやっぱり自分はこの残りの人生に価値などもうほとんど無いような気がしています。 楽しむために生まれてきた。ずっとそう思っていました。楽しい人生でした。 旦那に出会ってからは本当に楽しい人生でした。旦那は最高の友人でもあり、私の一番の味方でした。 味方が一人でもいたからこそ、大胆に出来たことはたくさんありました。 もう私にはその支えがなくなりました。 もうあの時のような幸せは二度と無いです。 苦しく辛く寂しいだけの人生に意味なんてあるのでしょうか? 旦那はあの日一瞬で死んでしまいました。 私は生きたままジワジワと毎日絞め殺されているような気がします。 まとまり無いですが、もう本当にわからないです。 ただ死ぬ勇気もなく生きているだけです。 それでも生きなくてはならないでしょうか?

有り難し有り難し 13
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どう考えればプラスになるのでしょうか

何故私は巻き込まれ続けるのかがわかりません。 たまたま入ったお店にたまたま強盗が押し入り、店員を刃物で脅し、居合わせた私も人質。 たまたま前を歩いていた男性がバンに跳ねられた上に2発発砲され唯一の一部始終目撃者。 仕事帰路中、いきなりカッーターを腹部に突きつけられ脅され、たまたま巡回中のパトカーにその場を発見される。 バス待ち中にドスンと音がし後ろを振り向くとすぐ後ろに飛び降り自殺をはかった女。 早朝薄暗い中マラソンをしていたら何かをふみ、よくみると飛び降り自殺女の飛び散った脳ミソ。 他にも多々ありますし、全てが当然ながら警察をとうし済みなものばかりで、 1度警察官から、嫌みや悪い意味ではなく、単純な口からでた感情で、よく理性たもてるね💦ということを言われたこともあります。 突き付けられたカッーターや人質の類いは、自分からその道を選び、その店に入ったという不運で納得できますが、 私の場合そのほとんどが他人がたまたま飛び降りたとか、他人が目の前でたまたま事故にあうという私には不可抗力的な、災害に巻き込まれたのと同じような、引きこもるでもしない限り防ぎようのないものにやたら巻き込まれますし、面倒なのが唯一の目撃者だったり第一発見者であること。 理性たもてる理由はあまりに遭遇しすぎて馴れたのと、腹が立つから。 特に自殺者、死ぬなら外で飛び降り飛び込みや首吊りをせず、自宅で死ねよ💢赤の他人を巻き込むな💢としか思えないから。 これらを抜いたただの普通の人生の中の苦痛であるなら、親からの虐待による施設暮らしやいじめを受けたりの経験からも、必ず雨はあがり、陽はまたのぼるを信じている私には糧にできるし、試練の1つだとプラスに思える経験なのですが、 これらのものは正直不必要で、せいぜい1度の経験で十分にしかおもえない腹立たしいもの…。 しかも死ぬか身動きとれない身体になるまで雨はやまず陽はのぼらないとしか思えないもの…。 当然他人の事故や死から、残された者からも学べるものはあっても、根本的に人の抱く心は同じようなものだと既に知っている私に繰り返されてもまたかよと怒りが積もるだけなのです。 何故そうなったかを理解したり理由を知り共感した所でこうも繰り返されても私には苦痛しかのこらないのは私のあり方が間違っているから? だとするならどう心のあり方をすべきですか?

有り難し有り難し 5
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2023/03/05

妹との関係が苦しい

私と妹はとても仲良しでした。 休日にはよく食事やショッピングに出かけて過ごし、一緒にいると楽しくて、家族でありながら親しい友人でもありました。 しかし、留学を経て帰って来た妹は別人のようでした。 あくまで私の主観ですが、家族をないがしろにし、身内を便利に使って他と関わるようになりました。 私は『家族離れしているのだろう』と捉え、寂しく感じつつも妹と距離を置くことにしていました。 ひどくなったと感じたのは、妹に恋人ができてからです。 恋人優先で家族と過ごす事は極端に減りました。家族をないがしろにするばかりでなく、非難するような言動をとるようになりました。 妹が恋人やその家族と過ごす度に、私と母は辛い思いをする事が何度かありました。 やがて、妹は結婚し家を出ました。 妹が物理的に離れれば辛い思いをしなくて済むと思いましたが、そう簡単でもありませんでした。 私と妹には共通の知人が多いのです。 知人から『(妹の)結婚のお祝いに行ったよ』『おめでとう』と声をかけられる度、私はひどい罪悪感に苦しみました。 『なぜ私は妹を愛せなくなったのか』 『皆の様に妹の幸せを祝えないのか』 ひどい罪悪感に号泣し、過呼吸や希死念慮に悩まされました。 現在母は、妹と仲良くしています。 私は、妹を赦すことができず遠ざけたままです。 ほとんど会うこともなく、会っても目を合わせず、あまり喋る事もありません。 前のように仲良くできたらと考えた時期もありました。 しかし妹に関わるとまた辛い目に遭うかもしれない、死にたくなるかもしれないと怖くてできません。 2年近く経った今でも、思い出すと涙が出るほど苦しいです。 妹との関係や出来事をどう咀嚼したらいいか解らずにいます。 あまりに辛く、誰かに相談したいと考えた事がありました。 しかし友人に相談しようにも、友人は妹の事もよく知っている人ばかりで、妹の悪評を広めるような真似はできません。 家族にも同じような思いから、相談できません。 ネットの相談掲示板に投稿した事もありました。しかし『妹に対する歪んだ愛情』『妹に対する嫉妬』と評され、やはり自分がおかしいのかと確認して終わりました。 お坊様なら、この気持ちとどう向き合えばいいかご存知かもしれないと思い、質問させていただきました。 長文で申し訳ありませんが、お返事いただければ幸いです。

有り難し有り難し 23
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母が亡くなり、後悔がある。謝りたい。

先日、母が50歳と若くして亡くなりました。 タイトルの通り、母の死に後悔があり、謝りたいです。 母は脳にガンの転移があり、4ヶ月ほど前から、日常生活全てにおいて介護が必要な状態になりました。 まず、母の介護に関して、私はよくやったと思っています。 オムツの交換や、服薬、食事の補助、病院への付き添いや運転など、ほとんど私が行っていました。 客観的に見ても、介護や家事の負担は、私が大部分を負っていました。 他の身内には介護に時間を裂けない事情がありましたし、私にも長男としての責任がありましたので、そのことに不満は全くありませんでした。 母は、よく「感謝している」「申し訳ない」と言っていました。 他の身内や、医療関係者の方も、私はよくやっていると言ってくださっていました。 そのことは誇りに思っています。 本題になりますが、私の後悔は、母が亡くなる1ヶ月ほど前からの私の振る舞いのことです。 その頃から、母の体調が悪くなり、助けを求められる回数が多くなりました。 夜に起こされることも多々あり、最終的には丸一日側にいなければならないような状態でした。 そのストレスから、私の介護がどんどん荒っぽくなりました。 冷たくあしらったり、適当に介護したり、言動が荒くなったりしました。 特に、母が亡くなる2週間前には、かなり高圧的な態度で話してしまいました。 その時に、母に「だったら死なせて欲しい」と言わせてしまいました。 同時に、「私を愛している」とも言ってくれていたのですが、つまらない意地を張り、「私も愛している」と伝えられませんでした。 その次の日から、母がうまく話せなくなってしまい、その喧嘩が母との最後のまともな会話です。 また、その次の日から母の姉が介護に来てくださったので、私はあまり介護に関わらなくなりました。 そして、母の容態が急変し、亡くなってしまいました。 あの喧嘩のせいで、母は喋れなくなったのではないか。容態が急変したのではないか。 なぜ最後の最後で介護に関われなかったのか。 なぜ最後の会話があんなものになってしまったのか。 後悔が溢れます。 母の遺体に謝罪し、「愛している」と語りかけましたが、母は死ぬ前に聞きたかったはずです。届いたのかも分かりません。 私はどう懺悔すれば良いのでしょうか。 また、どうすれば母に謝れるのでしょうか。

有り難し有り難し 30
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自分は人間的価値がないです

私は身体にしか価値がないのでは、ダッチワイフなのではという思い込みが消えなくて苦しんでいます。 私は27歳独身なのですが、ちゃんとした恋人がいたことがありません。ですが2年ほど前に行きつけの店で出会った人に告白されて付き合ったことがあります。 当時私は、友人達が恋人と親友のように、人間同士の付き合いをしている話をよく聞いていて、私もそんな男女というよりも人間としての恋愛をしてみたいという強い憧れを抱いていました。この人とそういう関係を築いていけたらいいな、とその告白を受けました。 しかし、初デートで「君以外の人間はどうでもいい」「女は大事だけど男はどうでもいい」等の発言をされ、食事の際もお酒を断ってるのに勧めてきたりで、日が暮れて帰るかというときに「今日ずっとこうしたかった」とホテルに連れて行かれそうになり、全てが気持ち悪く感じすぐ別れました。 そして「みんなは人間として大事にされてるのに、私は女であること、穴にしか価値がないんだ」という考えが頭を過ぎり、心がガラガラと崩れていき、一年以上躁鬱の状態が続きました。 それからは、精神科で薬を貰ったり好きな音楽を聴いたり、趣味に集中したり、荒れてた部屋の掃除をしたりとどうにか回復に努めました。 趣味の場では紅一点ですが、メンバーの皆は私のことを女扱いせず私個人として接してくれて、練習も手を抜くことなく相手してくれてその環境が涙が出るほど有難く救われているのですが、ふと「何人間になった気でいるんだよ、お前は人間性に価値のないダッチワイフだ」という考えが過ぎってしまいます。 趣味をしていても、好きなことをしていても、お前は価値がないんだという考えが頭の片隅にあります。 それなのにまだ、人間として分かり合いたいと色々なコミュニティに飛び出してしまいます もう一生人間として分かり合えるパートナーはできないなと諦めて、将来はビニールシートを引いて孤独死をする未来を想像していますが、どこかで親友のように肩を組んで行ける人が現れるのではないかという希望も捨てれません。 拗らせすぎてもう色々とダメだなと思いますが、せめてこの思い込みを消して楽しく生きていきたいです。

有り難し有り難し 15
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2021/11/17

夢を叶え死ねるでしょうか

私の姉は今年、自ら死を選びました。 姉の持っていた病気の重さを理解してあげられず、今となっては後悔してもし切れない。 あの時、姉の気持ちに寄り添うことが出来ていればと悔やみ続けています。 姉が亡くなってから約1ヶ月が経ち、 休んでいたお仕事を復帰しました。 ですが、お仕事中も気を抜くと姉の事を思い出し、涙が出そうになって慌てて上を向くことが何回もありました。 そんな私の姿を見て先輩から「そんなに毎日辛そうな顔をして、こっちが余計に気を遣うでしょ?長い期間のお休みを貰っていたのにちゃんとしなさい。攻めても仕事来たら気持ち切り替えなさいよ」と注意されてしまいました。 仕事が終わり疲れて家に帰っても家族皆が下を向いているので、休む暇もなく口角をあげ、家族皆を笑わせます。 でも、疲れたんです。 仕事場、友人、家族、誰にも相談出来ない。 私だって毎日笑える訳じゃない。私だって泣きたい。辛くて苦しくて会いたくて叫びたくて。死にたい。 私はここまでよく頑張ったと思います。 神様から生きるために頂いた力、全て出し尽くしたと思います。 私の小さい頃の夢は鳥になる事。 鳥になって大空を飛んで広い世界を優雅に泳ぎたい。 そしてその夢を叶えられる自信があります。 死んだ時、神様は私の夢を叶えてくれるでしょうか よく頑張ったねと言ってくれるでしょうか もう死ぬ以外、この夢を叶える以外 何も出てこないんです。 内容がまとめらないまま書いてしまったので分かりにくいかもしれません。 これから生きる為の質問ではなく 死ぬ為の質問になってしまった事も申し訳ないです。 ですが、家族の辛がっている顔でさえ何とも思わなくなり、楽しい気持ちや嬉しい気持ちを忘れてしまった自分を嫌いになってしまう日が必ず来る。そうなる前に早く、早く死にたいんです。早く。

有り難し有り難し 14
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2022/06/25

宗派は一つに絞らなければいけませんか?

嫁ぎ先の父が亡くなり、お葬式をするにあたって本家から浄土真宗本願寺派である事を教えてもらいました。私は今まで特定の宗教を信じたことはありませんが、父が阿弥陀様の後光の一部となり、苦しみなくいられるのであればそれに勝る事はないと思っています。 さて、タイトルについての質問です。 ご縁があったのか偶然なのか、不動明王様と倶利伽羅龍王について知る機会がありました。不動明王様、その化身である倶利伽羅龍王には全ての煩悩や怒りを鎮め、消滅させる力があるという所まで調べることができました。 お不動さんという単語には耳馴染みがあります。真言宗や天台宗等幅広く信仰されているらしい所まで分かりましたが、浄土真宗の教えとは大きく異なる印象を受けました。 父の死をきっかけに、浄土真宗本願寺派の菩提寺とのご縁を結んで頂きましたが、現在、私が抱えている(幼少時から続いた虐待、高卒で就職後も続いた人格否定やコントロールに)怒り、悔しさ、悲しみ、苦しさ、等々が薄れません。 自分が被虐児であった事実を飲み下し、せめて炊事洗濯だけでもできるようになりたいと(現在も取りかかろうとすると体が竦み、パニック状態になります)精神科の先生や主人と話し合い『出来る事を出来る時に出来る分だけ』等を目標に掲げて日々を過ごしています。 治療の開始から、10年近くが経ちました。先生や主人に支えられながら手探りで進み、戻り、日常の精神状態もフラットでいられる日も多くなりました。 しかし凪いだ日が続くと、あの地獄のような頃が夢に出てきます。二度と会う事も声を聞く必要もなくなったというのに。 目覚めた時からフラッシュバックに苛まれ、怒りの感情が暴走します。幸い自分以外を傷つける事はありませんが、のたうち回る苦しみは言葉で言い表せません。 先述の通り、我が家の菩提寺は浄土真宗です。しかし私は自分の身の内にある怒りや悲しみ、悔しさ等々を消化していきたいのです。 月参りに来て下さっている菩提寺様とは異なる宗派へ、救いを求めていいのでしょうか?双方へ失礼ではないのでしょうか?

有り難し有り難し 11
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死にたいと思い続けています。

こんばんは。 私は19年前に、長女を不慮の事故で亡くしました。主人とお風呂に入っていて、目を離したのか、その一瞬で溺れてしまったのです。1歳になったばかりのとても可愛い時期でした。 私は娘の死を受け止められずらにいました。お葬式の日に泣いてばかりいました。そんな私に主人の親戚達が言いました。 泣いていたら、主人を責めてるみたい。 誰も悪くない、事故なんだ。運命なんだ。 泣くのはやめなさいと。 運命?こんな可愛い小さなこの子が死んでしまうのが運命?私は泣き喚いて叫びたかったのですが、できませんでした。 暗く閉ざした部屋で、泣きながら死にたいと思っていましたが、私には4歳の長男も亡くした長女と双子の次男もいて、この子達の為にも頑張る、頑張らなきゃと前を向いたつもりでした。 次男の1歳半検診の日に話しをした、保健婦さんに「ちょっと心が疲れているようだし、頑張り過ぎてるみたい。気持ちを押し込めてるでしょ?」と言われ、専門医に主人と行くといいとアドバイスをして頂きました。 私は、勇気を出して長女を亡くした日から自分の心が辛いって叫んでいる。無理して頑張っている。本当は、あなたのせいで、あなたが目を離したからって責めている。何であの子が死んで私が生きているのかわかない。私も本当は死にたいの。 今後の為にも一緒に受診して欲しいって話しました。答えは無理でした。そんな時間はないと言われました。行きたいなら1人で行ってと。それから、19年間私は心の奥底で主人を責めているのです。そんな自分が嫌で嫌で、その更に上から自分を責めて貶しているのです。死にたい気持ちで心が溢れているのです。時々、そんな自分が崩れて、過呼吸を起こしたり、死にたいと口にしたりするのです。そんな私を主人や子供達は面倒くさそうに、遠くからみているのです。 生きるってなんだろう?19年も経つのに、心が前に向かない私は家族が思うように面倒な人間なんでしょうか?死にたい気持ちが消える日は来るのでしょうか?

有り難し有り難し 22
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やはり後悔の繰り返し

また、来てしまいました。私はあの日、主人が、長男が死んだ、と言ってた日からやはり動けずに居ます。繰り返し繰り返し思うのは、警察署で会った棺の中で眠っている私の可愛い息子。そしてやっと帰って来た霊柩車に乗った息子、葬儀会場で静かに眠っている息子、最後に触れた冷たくなった息子。…ふとした瞬間繰り返し眼の前に現れ、頭の中で息子が最後に見たであろう最後の夜空。痛かっただろう。一人で淋しかっただろう。繰り返し思います。何故、何故、ばかりを繰り返しながら。もっと早くに会いに行っていれば、もっと早くに悩みを聞いてやれば、けど、あの子は、私にはいつも大丈夫だよ。と、嘘ばかり。…わかってたのに。自分が情けなくて、悔しくて。私にはまだ次男が居ますが、次男に何もしてやれていない。情けないです。こんな自分が親で申し訳なくて。私でなくて、もっとしっかり見ていてくれるお母さんの元に生まれていたら、長男も次男も今よりもっと幸せだったのに。長男には、一人で苦しませてしまい申し訳なく、次男にはたった一人の兄弟を奪ってしまい申し訳なくて。悔しいです。何で私が親になってしまったのか。私が親でごめんなさいと、ずっと思っています。私が親じゃなかったら、長男は自分で命を落とすことなど選ばなかったはず。次男も兄弟を失う苦しさを味わなかったはず。全て私がだめな親だから。自分の周りの人に迷惑ばかりかけて、私はまだ生きている意味が無い。ずっとあの日から、一人思います。最後にした長男との約束…守れそうにないです。自分が情けないです。長くなりすいません。

有り難し有り難し 9
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ごめんなさい。それでも世界が恐いんです。

最早毎度のこととなってしまいますが、頂いた御回答について上手く飲み込めず、新規質問として失礼させて頂きます。誠に申し訳御座いません。 絶望に閉じた精神状況は少々落ち着きましたが、戦争や災害の恐怖は未だ現実的な雑念としてあり、収まりません。 未来は見えない、その時まではわからないから「今、ここ」に集中する。希望が見えないのは自分が見ていないからである。色眼鏡をかけている自覚はあります。少しずつ、外そうと試みています。 しかし、危険性は「現実」のものとして存在しているとも思ってしまいます。 これまで、数々の凄惨な「現実」がありました。私が恐れているのはその繰り返し、あるいはそれ以上の悲劇です。 これまで沢山の人々が、悲劇を避ける為に、被害を抑える為に懸命に生きて来ました。それでも災害、戦争、テロ行為による犠牲は無くなりません。私もいずれそのような死を迎えることを覚悟しなければならないような気がします。 私はただただ、あらゆる痛みが恐ろしいのです。痛みを恐れて生きることを拒絶しようとしました。懸命に生きていても、唐突に何かによって命や健康が奪われる。それがあまりに恐ろしく、悲しいのです。 本当はこの世界は安心してして生きていられる場所であると信じたいのです。どうにかなる、大丈夫だと。しかしその根拠は見つからず、むしろ絶望的な根拠ばかりが目立ちます。恐らくはこれも色眼鏡。 内臓が破裂し、鼓膜が破け、眼球が潰れ、絶えず血を吐き、全身が焼け爛れる痛みを、今日と同じ明日が奪われる悲しみをある日突然もたらされたとしても、自分の気持ち次第で極楽といえるでしょうか。今いる場所が突然焼け野原となるという前提で、今の仮初めの平穏に感謝しながら、今できることに集中すれば良いのでしょうか。それが恐いと、ここに吐き出してしまっても許されるのでしょうか。 通り過ぎれば下らないことで苦しんでいたのだと思う日が来ると思います。害されることなく生きて、無事にその日が迎えられることを願います。

有り難し有り難し 16
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