自分の冷たさ
私は、母親の死によって自分自身の冷たさについて考えるようになりました。
母親が苦しんでいる時、私はとても冷たかったです。
例えば私は母親が病気で苦しんでいる時に初詣に行きました。
私は、その時トートバッグが欲しかった
初詣に行く前にトートバッグを買いました。
今思うと、私は母との時間よりも物欲・・を優先したんだろうと・・
もちろん、その時はタイムリミットが近づいてる事は
分かってはいなかったけれど、
あんなに苦しんでいた母より、私はそっちを選んだ
最初はどうして初詣を断れなかったんだろうと・・そう悔やんでいました
でも、よく考えると私は断れなかったのもあるけれども、結局はトートバッグが欲しくてそっちを優先したんだろうと思います。
苦しんでいる母を横目に私は何か言葉をかけるでもなく
パソコンやっていた事もありました
母が亡くなって気づきました
パソコンとか物欲とか母との時間に比べたらどうでも
いい事だったと・・
母が自分の死をもって私の持ってる冷たさを教えてくれたのだろうか・・と考える時があります。
あんなに苦しんでいたのに、自分の物欲、自分の時間ばかりを優先して母の事を顧みようともしなかった
私はおかしいのではないだろうか・・
と今思い出しても自分の冷たさについてやるせなくなります
私はずっと、自分中心に生きてきた
自分の中にある冷たさ、冷酷さと、どう向き合ったらいいのでしょうか?
有り難し 29
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