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検索結果: 718件

死んだ後、地獄へ行かないために。

40代、無職、独身、天涯孤独(両親は母親はがんで病死、父親は借金苦で自殺)彼氏も友達もおりません。 学生時代もいじめられて孤独、会社も仕事もできずくびになって以来 引きこもりです。 どこをどうひっくり返しても、幸せだって思えた瞬間もありませんし 体験も皆無です。 無理に幸せと思おうとして生きてきましたがもう ネタ切れです。幸せは考え方次第、ともいいますが本当に、全く ないんです。もし死んだとしても、(孤独死か餓死でしょう、全く相談できる人も理解者もいませんので、たった独りの自分だけの力でどこまでできるかわからないので)悲しんでくれる人もおりません。 この辺信じてもらえないことが多いですけど、本当です!! 餓死=自殺扱いですよね? このサイトで必ず自殺者は地獄へ行く訳で ないというのを読んで少し心が軽くなりましたが、私でも大丈夫でしょうか、、、。必ず地獄送りでないのなら、精一杯できることやって みようかなという気持ちになってきました。 死ぬこと自体は全く怖くないし、この世に未練もありません。 ただ死んだ後まで、もう苦しみたくないだけなのです。 生まれ変わることにも抵抗ありません。 今の自分が消えてくれるなら万々歳ですから。

有り難し有り難し 88
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面識の無い方の自殺を目撃しました

初めて質問させていただきます よろしくお願いいたします 私は集合住宅に住んで居ます 高い建物のせいか 飛び降り自殺が後を絶ちません 住民であったり ただ死に場所を求めて来られた方だったり 年に1度かそれ以上おきています 家はリラックスする場所 仕事から帰って安心できる場所なのですが そんな自宅が自殺の名所のようになっています これまでも 遺体を見てしまうことが数回ありました 見ていなくとも 「また死んだんだって」と親切な方が教えてくれて知らされることも多々あります その度に とても重苦しい、嫌な気持ちになります 友人と遊びに出かけ夜に帰宅すると やはり転落した現場を歩くことや 最期に掴んだ手型をのこして 飛び降りた手すりの横を歩くことが苦痛です 同じ建物の住人で 人となりを知っていたら少しは どう生きて悩み命を絶ったのだと思うことができるのですが 全く見ず知らずの どこのどなたかわからない方がやって来て 自宅の玄関前から飛び降りて その下で身体が壊れ飛び散っている姿を目の当たりにするのは とても嫌なのです 電車の人身事故で 運転見合わせの度に怒り 舌打ちする人に冷酷さや嫌悪感を抱くくせに 自宅の前で自殺されると 「なんで家の前から飛び降りるの」だとか 「死にたいなら自分の家で…」などと思ってしまい そんな自分にも非情さを感じます とても薄気味悪い 嫌な気持ちでいます 落ち着くはずの家で 色々な出かける予定があっても 自殺の起きたあとは夜の外出が嫌で断ったこともあります 数年前に母が亡くなったときや 仏壇を選ぶときに 死とは忌み嫌うことではないと 住職さまのお話を聴きました その直後に起きた自殺のときは 何故か 怖いだとか気味が悪いという感情がなく 「あの方は精一杯生き、自分を守りたいがゆえに命を絶った、それほど苦しみながら生ききったのだ」という感覚でした 挨拶を交わしていた住民の方だったからかもしれません それなのに この度の 自宅前からの頭の無いご遺体の姿が 焼き付いてはなれません 迷惑だという憤りより 地縛霊などと噂され心を乱されること 夜の外出が嫌になる感覚や恐怖心 生活や日常があるのに ままならなくなることが苦痛です この先も それを止めることはできないでしょうが 心がざわつくのを どうしたら良いでしょうか

有り難し有り難し 77
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人生の決着をつける

私は今死ぬことについて悩んでいます。というのも、ある本を読んで「人は確実に死ぬにもかかわらず、その恐怖から逃げる為に死を連想する物事を日常から遠ざけてきた。本当によりよく生きるなら、自身の納得のいく終わらせ方を考えるべき。」という旨の文章に感銘を受けて、それ以来自身のやるべきことを放ったらかして自分で自身の息の根を断つことばかり考えるようになったからです。 私がなぜここで相談しようと思ったかと言いますと、身近な人に相談しようものなら確実に反対されることが目に見えているからです。 私は、今のところ他人から見て不自由な生活はしていないと思っていますが、これまでただ死ぬのが怖いという理由だけで勉強を頑張ったり体を鍛えたりするばかりで、夢のない生活を延々と続けています。そんな中先述の文章に出会った、「死の権利を自由に行使する」という人生で初めての夢が出来て、しかも運良く自身の満足のいく死に方を見つけたことで今すごく充実した気分で生きています。 ‥ただ一つ気がかりなのが、両親や数少ない友人といった私が死んだ時に残された人たちの気持ちです。 私の満足のいく死に方というのはぶっちゃけ自殺の一種にあたるやり方で、一応人に迷惑をかけるつもりはないのですが、それでも私が事情を説明せずに突然死ぬと両親や友人に影響を及ぼしてしまいます。かといって、馬鹿正直に自分の夢について説明したら、絶対反対されるとも思っています。だからといって、他人の為に興味ない生き方をするのは生殺しにされているようで凄く嫌です。でもでも自身の夢だからって人に迷惑かけていいのかなぁ‥ こんな感じで中途半端に人の心が残っているせいか、自身の夢と他人への影響のジレンマで悩んでいます。 一応自身の見解としては、「生殺与奪の権利を握られるくらいなら、自身で決着をつけたい。たとえその為に人が死ぬとも、例え地獄で残酷に裁かれようとも。自分の意思を貫くなら今じゃあないのか。」といった自己中の極みみたいな結論に至ったのですが、一応取り返しのつかない事なので相談してみたいと思い、文章をしたためることになりました。 あまりにも生物として気の違ったような質問で申し訳ないですが、何卒ご返事の程宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 9
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最後の課題にアドバイスをください

尊敬する大好きな恩師が亡くなって2年。 病気と余命宣告を同時にされる3ヶ月前まで夢を語っていた恩師。半年後に亡くなりました。この現実を受け入れることは出来ません。人はいつか死ぬと分かっていたし、元々敏感な方でした。でも、病気と余命宣告を同時にされる3ヶ月前まで恩師は夢を語っていました。なのに3ヶ月後には夢を諦め死に備えて身辺整理。恩師は自ら余命を聞き、身辺整理をし弁護士に遺言の立ち上げを頼みました。そしてもし自分が死んだらあなに貰った手紙を棺に入れるよう息子に頼んでいいかと聞かれました。妊娠中の私は、促進剤を入れる前に恩師に会いに行ってから出産しました。恩師の危ない状況を聞き、2日退院を早め、その足で恩師の元へ行きました。意識が朦朧としていたけど、頷いてくれました。そしてその日に亡くなりました。産後2日目のことで、痛みを抑えながらお葬式へ行き、自分の手で手紙を入れました。それからは子育ての日々。衝撃的な事で、受け入れる時間もなく今日まできました。あんなに夢を語っていた恩師が亡くなったことで、人の死は無条件に突然訪れるものなんだと初めて強く実感しました。普段は忘れているけどいつも死と隣り合わせなんだと。それから生きるのが怖くて、家族を失うのではないかと不安です。だから後悔しないために、常に最悪の状態を考えています。今車が突っ込んできたらこの位置は危ないとか、もしあの看板が落ちてきたら危ないから走ろうとか。父の癌を早期発見したのも私で私が家族の命を守りたいという気持ちに苛まれています。もし家族の誰かが倒れたら誰に119番を頼んでAEDを誰にどこから持ってきてもらうかなど常に頭でシュミレーションしています。それでも人は死ぬのでこの行動が全て結果になるとは思いません。もっと楽しく生きれる人が生まれたらよかったのに。死の恐怖に潰されるくらいなら最初から無でよかったのにと考えてしまいます。でも、恩師とこの世で出会えた事、恩師と過ごした時間は私にとって最高の宝物です。今までもこれからもずっと私の大切なかけがえのない時間です。恩師が亡くなってから悩んだりしても、自己解決できるようになりました。恩師の教えがあるからです。でも恩師が亡くなったことや受け入れられないこと死の恐怖に関しては悩んだままです。きっと恩師の死は私に与えてくれた最後の課題なのです。どうかアドバイスいただけませんか。

有り難し有り難し 15
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私が死んだとき成仏できるのでしょうか?

私は人が怖いです。 この話をすると全員決まってしたり顔でこう言います。 「自分だって人が怖い。怖くない人なんていない。」 自分の恐怖心が伝わっていないのです。 私にとって人は、野犬や狼の群れです。飢えていなければむやみに襲ってくることはないですがそれでも怖いものは怖いのです。 彼らが野犬の群れの中に平気で入っていけるというのであれば納得しますがそのような人は一人もいないでしょう。 私は、いじめを受け人が怖くなりました。その恐怖の対象は家族にも及びます。 そんな風に人に恐怖を感じている自分が情けなくまた、恐怖心を植え付けた者が幸せに暮らしているのが妬ましく感じます。 もちろん、今の自分をきちんと見て評価してくれる会社の上司や頼ってくれる後輩がいます。 しかし、彼らとの間に壁を感じてしまうのです。もちろん、その壁を作っているのは自分だとわかっています。 いままで、このままではいけないと頑張ったことがあります。それこそ数えきれないほど。 それでも、壁を破ることはできませんでした。 多分、私はこのまま孤独に生き死ぬのだと思います。 (別に今すぐ死にたいとかそういうことではありません。生きれるだけ生きるつもりです。ただ、死がやってきても逃げはしないのだと思います。) そんな人と壁を作り孤独を続けている私が死んだとき、善良な「人」が成仏した先に行けるのでしょうか? やはり、妬みを持ったまま地獄に行くか怨霊になるのでしょうか?

有り難し有り難し 15
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未来はすでに決まっている?生きて死ぬとは

よく当たると噂の鑑定士がいます。 配偶者の5年先が見えないと言われて現役だったのに3年後突然病で亡くなったり、死期が近い人は死臭がしてきついとか3年先の未来までは見えるそうです。一応鑑定で食べていっているけどお金は設定されておらず気持ち程度でいいし、人の人生を見るから不安だけを残せないと言う理由から制限時間なしです。私はお会いした事ないですが友達や家族が見てもらっています。四柱推命やその人が前に座るだけである程度わかるそうです。私は、大切な恩師を亡くしてから自分で切り開いて生きてきました。周りの人のおかげで今は元気に過ごせています。恩師は占いは一切信じず見たものだけ信じていました。でも、その恩師すら実は未来は既に決まっていて自分で切り開いて生きてきたつもりでも実はもう定められた中で生きていたのかなと思うと怖くなります。四柱推命も然りです。その方は当たりすぎてテレビにも呼ばれていますが断っているそうです。私は白黒はっきりした性格で、占いや運命、宿命などつかみどころのない物事に弱く不安になる傾向があります。私は人が生まれてきた意味はなく、ただ生まれて死んでいくだけと思っています。 そこに意味も価値もないです。ただ生きてきた以上は人の役に立ちたいし意味や価値は自分で見出したいと思っています。あくまでも自分の人生は自分で切り開き、一つ一つの選択次第でいつでも人生を豊かにすることができると信じています。私は不安や恐怖を抱きやすいのですが、生まれてきたことや死んでいくことをもっと自分なりに噛み砕いて理解したいし、いつか死ぬのに死に対して恐怖があるので、死を受け入れて恐怖を無くしたいとも思っています。せっかくこの世に生まれてきて、大切な人たちに出会えて恵まれて、人生の困難も学びとして捉え、今日より明日が充実しているように、生きていることをもっと心から楽しくなれるようにしたいのに鑑定士の話を聞いて恐怖に思う自分がいます。恩師の死も既に決まっていて、私も自分で切り開いて生きているようで決められた枠の中で生きているのかと思うと、怖くてたまりません。ロボットのようにあることなすこと受け入れて定められたように生きるのが人生なのでしょうか?勇気を持って出した答えも決断も、生まれた時から決まっていたのでしょうか?人は、そんな風に生まれて死んでいく人生なのでしょうか。

有り難し有り難し 25
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苦しいです

生きる事も死ぬ事も出来ずにいて屈辱で苦しいです。 たった今自殺しようとしていました。過去に一度ありますが、未遂で終わったためその事もあり怖くてなかなか出来ずにいました。死ぬ事が自分の使命だと言い聞かせやるつもりでいたのにいざとなると、怖くて不安で。かと言って生きる事も出来ずにいます。 何度も自分を変え自分なりの努力はしました。ですが根本的な家庭環境の悪さは変わらず、1番の元凶である親から離れられずに今まで耐えて来ました。 去年辺りから鬱病だとされるのも悪化し、自分自身心も体も蝕まれ考え方が極端に変わり自問自答の日々で耐え過ごして来ました。 人間自体が嫌いになり、世の中お金が全てで自分中心で平気で傷つけるような人間だけがいい思いをして生きている…そんな人間ばかりだと思うようになりました。 だから生きたくないのです。病院に行っても良くならず、結局は人間だからと…人間のせいでこうなってしまい治るのも生きるのも出来ないのだと。 でも準備までしても死ぬ事も出来ない…そんな自分に嫌気がさすばかりで情けないです。 そんな時にここを見つけ質問をしてみました。上手く言葉もまとめられず、ざっと要点を長々と書きすいません。 ですが自分一人で抱えきれず苦しいです。周りには理解してくれる人も話を聞いてくれる人すらおらず自分一人だけです。今までずっと一人で抱え耐えて我慢してきました。 ご回答よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 22
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2023/10/15

親が死ぬ時、どう受け入れればいいのか

私25歳、妹23歳、両親64歳です。 社会人で一人暮らしを初めて両親の有難さに気づきました。 長年の不妊治療の後産まれた私は何の取り柄もなく、今までの迷惑と心配をかけてきた申し訳なさもいっぱいで、日々両親の健康と幸せを願うばかりです。 実家に帰るたびに、両親の白髪の多さや縮んだ背丈など、老いに気づく場面が多くなりました。ぱっと思い浮かぶ両親の姿は、背が高くて見た目も声も若い昔の姿です。ランニングが趣味だった父も「すぐ疲れる」と外出が少なくなりました。「私が死んだら食器あげるわ」「次元号変わるときはもう生きてないわ」と笑顔で話す両親の会話でも泣きそうになります。そうやって老いて死に近づいていく状態をみるのが辛いです。 昨年祖母が亡くなりました。身内の死は初めてです。 今でも祖母に会いたいと一人で泣くこともあり、祖母も祖母の家もなくなって悲しく寂しいです。 恥ずかしながら、祖母の死で改めて家族の大切さや感謝を感じました。 祖母が亡くなってこんなに悲しいなら両親が亡くなる時、受け止められる覚悟はできるのか?もし結婚して自分の家庭を持っても両親のいない長い人生を生きないといけないのか?と思ってしまいます。 「誰も死んでほしくない。健康のままずっと生きてほしい」と子供みたいに、大切な人が死ぬという現実から逃げたい気持ちでいっぱいです。 命に終わりがあるのはわかってますが、家族の死にどう向き合って立ち直ればいいかわかりませんし、受け止められる覚悟ができません。 両親が死んだらきっと悲しみで気が狂うだろうから自殺したい。でも大好きな妹のことを思うと自殺もできません。 また、介護施設で認知症の方の対応をしていたのを思い出し、両親が認知症になって私や妹ものことを忘れたら…という怖い気持ちもあります。 どうやって大切な人の死を受け入れて乗り越えたらいいのでしょうか。

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遺伝性疾患との付き合い方

こんにちは。遺伝子診断や尊厳死について、考えたいです。  先日父が神経変性疾患の一種で入院しました。体が不自由になり、精神も壊れ暴言、暴力を振るうようになり、10年くらいで餓死、窒息、肺炎等で亡くなる病気です。  父は病状が進み暴力問題もあり入院となりました。父は車椅子に縛り付けられ(病気の性質上、ずっと付きっきりで見てあげられない病院では仕方のない処置です)罵声をあげていました。  この病気は何割かの確率で遺伝し、遺伝していた場合には100%発症します。この病気について、母は発症するまで伝える気がなかったのですが、1年ほど前に実家に遊びに行った時に父から告げられました。  その時私は結婚したばかりで、混乱しました。金銭的不安、パートナーにかける迷惑、人格がゆっくり変わっていって父のように暴言、罵声を毎日のように言うようになるかもしれない、それが病気との線引きが難しく治療法もないこと、子供を持てるかどうか、遺伝子診断をするかどうか。沢山の悩みが湧いて出てきました。  そして父の入院を目の当たりにして、ますます怖くなりました。  遺伝子診断をしたいのですが、母からは反対され、医療関係者も自殺の恐れなどあるので消極的です。  尊厳死についても考えますが、心配させるのでとても口にはできません。父も意識のはっきりしている時は寿命が長くたってなにもいいことはない、体も辛い、早く死にたいと言っていました。しかし当たり前ですがそんなことを言っても聞き入れられず、病人の危ない考えだと黙殺され、今父は病院で椅子かベッドで縛り付けられて苦しんでいると思います。退院できるかも分かりません。  遺伝子診断はして欲しくない、出生前診断は法的に認められてない、尊厳死もありえない。 病気の人の存在理由とかを考えすぎて、死はいけない、命の選別はいけない、そこから話が進んでいかないように思います。やさしい母ですが病気の話をすると目をそらして見ないフリをして生きろと言われている気がして憎いです。ついつい、この家に来ると落ち込む、とか嫌味な言葉を掛けてしまいます。それに怖くて目を晒せません。治療法がどんどん研究されている病気でもあり、積極的に関わっていくことで恐怖と付き合いたいです。  とりとめのない文章になってしまいすみません。尊厳死や遺伝子診断はなぜいけないのでしょうか。とても苦しいです。

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本人に余命を知らせないこと

いつも親身に聴いて下さりありがとうございます。 私の忘れられない患者さんについて、相談させてください。長文になります、申し訳ありません。 私がまだ新人の看護師一年目の時の話です。 婦人科系のガンを患い、一通り治療をしましたが、状態が悪くもう抗がん剤は使えないといった終末期の方でした。 医師より、 これ以上の積極的な治療はかえって寿命を縮めるため勧められない。との説明がありましたが、 ・本人は状態が回復したらまた抗がん剤をやりたい。自身が終末期だとは思ってもいなかったような感じでした。 ・家族は『今後の余命については本人に知らせないでください』 とのことでした。 日々状態は悪化し、全身に回ったガンの痛みと闘う日々となっていきました。もう余命1ヶ月もつかどうかといったところでした。 最初は内服だった鎮痛剤も注射薬になり、それでも痛みが取れず医療麻薬の貼付剤から麻薬の注射に変わっていきました。 最期に使う麻薬の薬は鎮静剤もはいっているので打ち始めると眠たくなって、眠ったまま逝くような形になります。 ある日先生から本人に『痛みがだいぶ辛いところまで来ていると思うのですこし眠くして痛みを和らげる薬をしますね』と告げられる日がありました。先生の話の後部屋で足浴をしながら2人きりになった時、その方は苦しそうな表情で 『私は...もうすぐ死ぬの?』 と問いかけられました。私は答えに詰まってしまい、何も答えられませんでした。 その後鎮静が始まりそのまま起きることもなく1週間ほどでお亡くなりになりました。 『私はもうすぐ死ぬの?』 の問いにどうかえせば良かったのだろう。 本人もわかっていたと思うんです。日々重くなる体、正常に作動しない思考、象の足のように浮腫んだ足、パンパンにたまった腹水でうまく呼吸ができなくなる、おしっこが出なくなる、ごはんが食べられなくなる、本人が1番自身が死に向かっていることをわかっていた気がするのです。なら私はなんて言葉を返したら良かったんだろう。 余命も分からず、状態が良くなるのかもわからず、でも自分の体は朽ちていくのは怖かったんだろうなと色々思い馳せてはあれこれと考えてしまいます。 今でもあの方の 『私はもうすぐ死ぬの?』 の問いに答えが返せません。 僧侶の皆様はどのように返しますか?ご助言よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 36
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自殺して体験した恐ろしいこと

20年以上昔ですが、死のうと思い沢山薬を飲みました。 気がつくと暗い暗い真っ暗な1畳もない狭いところにいて、何も見えないんです。 自殺した罪で、ここに何十年も身動き取れず地縛霊になるか、これまでの人生よりずっと辛いけど現世に戻るかと、閻魔さまに聞かれて、 泣きながら、こんな暗い誰もいない怖いとこにいるぐらいなら現世に戻ると言いました。 結果、現世に戻ってきて生きています。 辛いことも方が多いけど、良いこともたまーにありました。嫌なことばかりではなかったです。 死のうとした原因は、ある人達に騙されて、絶望したからです。 今、思うと、別の解決法があったのに、無駄に大変怖い思いをしたと後悔してます。治療費もかかりました。治療費より弁護士にお金を払って解決したほうが、怖い思いも、時間を無駄にすることもなかったのになあと今になってはそう思います。 死のうと思っている方々へ。 自殺するより、他に絶対解決策があります。 まず、誰でもいいので「助けて!」のサインを出してください。 きっと、なにか解決策はあります。 話、戻りますが、 辛いことがあると「死のうとした罰なのかな」と落ち込みます。単に、あの恐ろしい体験は、幻覚とか夢だったのでしょうか。それとも地獄の閻魔様だったのでしょうか。 自殺したら、真っ暗な1畳しかない箱みたいな地下室のようなところで地縛霊になって苦しむのでしょうか? 人を自殺に追い込んだ人たちが地獄にいくべきなのに、間違った判断だったかもしれないけど自死してしまった人が、さらに苦しまないといけないのか凄く不条理でなりません。 私の場合は、その当時若くて判断力がなく、弁護士に相談することもできませんでした。 死ぬぐらいなら誰かに相談して欲しい。死ぬんだったら、福祉受けても生き延びて欲しいと、私は痛烈に感じます。 最近、嫌なこと続きで、もしかして自殺の罰なのかと落ち込んでいます。罰なんてあるのでしょうか? 思い出して怖くなります。あと、心を落ち着かせる考え方があったら教えてください。

有り難し有り難し 37
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何もかも諦めようとする自分を変えたい

現在修士2年の者です。   私は今、就活も、研究も、何もかもがめんどうで、やりたくなくて、投げたしたくて仕方がありません。   昔から大人になることが怖くて、ずっと子どものままでいたい。そんな気持ちを心の奥に抱えて過ごしてきました。   何故なら、私は死ぬことが怖く、大人になる=歳をとる=死に近づく、というイメージをもっているからです。   しかし、ここから先、就職し、社会人になれば否が応でも大人にならざるをえません。   全てを投げ出してフリーターなりニートなりになれば、もう少しだけ現実逃避出来るかもしれませんが、しかし親は確実に私より先に亡くなりますし、いつか必ず一人で生きていかないといけない日が来ます。   なにより、そんな何もしない日々はたとえ楽でもつまらない。後で絶対に後悔する。その確信があります。   だから私は諦めてはいけませんし、投げ出してもいけない。奨学金の返済もありますし、親不孝なことは出来ない。   そう頭では理解しているのですが、しかしこれまで頑張ってこなかった自分の身体が、心が、諦めよう、楽になろうと足を引っ張ってきます。   また、大人になりたくないという自分の気持ちにはまだ整理がつけられていませんから、結局、やりたくないけどやらなきゃいけない、という後ろ向きなモチベーションしかない状況です。   そんな弱いモチベーションでは続くものも続かず、やらなきゃ、やらなきゃ、と思いつつ、一日中頭を抱えて時間だけが過ぎていきます。   就活も研究も、頑張った先にあるもの(社会)は私が一番逃げ出したいものです。故に、働くことに、大人として生きていくことに希望をもつことが出来ません。   何とかして将来に希望を持ちたい。   もしくは、希望がなくても、行動だけは出来るようにしたい。   何もかも投げ出して諦めようとする怠惰な自分に、打ち勝つ方法を見つけたいです。

有り難し有り難し 3
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乗り越え方

家族の死をどうやって乗り越えたらいいのでしょうか、、、 昨年、家族の病気が進行し、治す術もなく看取り優先での生活を告知され、そばで看取りをしました。 最後の瞬間まで看取り、人の死ぬまでのその一瞬も逃さず、他の家族と一緒に静かに見守り、泣きながらありがとうと伝えました。 私にとって一番の応援者であり、師であり、父であり、時には喧嘩相手でもありました。 看取りは母が一番そばで行っており、私は死が近づくのを見てられなくて父に対して素っ気ない態度で接したり、話さなかったりと酷いことをしてしまったなと後悔しています、、、 毎日、父とメッセージのやり取りをしていました。父は亡くなる前まで応援や励まし、アドバイス、いつもの冗談をメッセージに残して送ってくれていました。 私は、父に対して親孝行ができなかったと、かなり後悔しています。 結婚して子どもがいたら孫を見せられたかもしれない、花嫁姿なんて見てくれたかもしれない、母との食事のプレゼントもできたかもしれない、一緒に旅行もたくさん連れて行けたかもしれない、、、 そんなことばかり、頭に浮かびます。 最後まで心配させてしまったし、素っ気ない態度で話してしまったり、、、 もっと心温まる言葉とか、優しさとか、そういうのを以て対話していたらよかったのに、とずっと後悔ばかりです。 もう二度と、父からメッセージは来ないし、会話もできない、父が大好きだった旅行もできないし、二度とそういう時間は来ないのだと思うと、どうしていいのか分からない程の悲しみと虚無感と後悔とで苦しいです。 でも乗り越えなければならないし、家族を支えなければならないと自覚しています。その中で、一人にしないで、という残りの家族に対する自分自身の寂しさと甘えとが一気に上がってきます、、、 自分自身もいつかは死ぬというのは分かっているんですが、今目の前にあるこの虚無感と怖さとどう対峙すればいいのか、分からないのです。 お叱りでも大丈夫です、お忙しい中この文を見ていただいてありがとうございます。

有り難し有り難し 23
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