生まれたことを呪ってしまう
なぜ生まれて(産まれて)しまったのか、幸せ・喜びもいらないから、しんどさも味わいたくなかった、と、呪わしく思う気持ちに支配されてしまっています。
親との関係は良好で、いざというときに頼れる友人もいる。お金も仕事も今も不安はなく、健康で、ひとりの時間も持てて、「恵まれている」と思います(人生で三回くらいいじめに遭い不登校にもなりましたが今は人にも恵まれています)。
こんな身で「苦しい」なんて、どう思われるのかと怖く誰にも言えません。親への恨みでもなく、呪っても詮無いのもわかっています。
それでも、私にとっては本当に絶望的で苦しく、相談させてください。
たぶん、しんどい一番の要因は、「自分の思考回路の癖・受け取り方が苦しい」かつ「どう努めても一向にそれ(自分)を変えることができない」という点です。
すぐに不安になる癖(見捨てられ不安)、物事をネガティブに取る反射などが、自分で自分を生きづらくしている要素だと気付き、いろんなことに取り組んできました。
「三週間続けると効果が見えてくる」というような取組を三年以上積み上げて、「しんどいことも学び・成長の糧」「このしんどさにも何か意味がある」「こんな自分だからできることもある」と見方も変えて、何とか日々を凌いできました。
けれど、日々の中にはプラスもあれど、眺めてみればどんどん悪化する現実に加えて、積み上げてきたものの成果が見えず、極めつけは数か月前に「あなたの努力が他者を追い詰めている」とカウンセラーに指摘されたこともあり、気力が底をついたように、「もう、とにかくしんどい。存在しているのが嫌だ」というところに行きついてしまいました。
学んで成長しなくたっていい。存在しなければ苦しまなかったのに。
かといって死ぬのは怖い。一度生まれてしまった「この考える私」は、死後が楽であることの保証がないことも気づいてしまった。
そう思うともう生まれたこと自体が苦しく、考えても詮無いことに囚われていることにも嫌気がさします。
趣味らしいものがなく、そのくせ自分のことばかり悲嘆して手いっぱいであることも恥じ入っていて、それなのに頑張ることもできず、いっそ、体の使える部品をすべてほしい方に差し上げて、人の助けになれれば許されないだろうか、と夢想してしまっています。
お忙しいところ申し訳ありません。どうか、凌ぎ方のお知恵をお貸しください。
有り難し 10
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