死に対する矛盾と疑問
私は家計的に仏教とは縁があり。
お坊さんの思想をとても信頼していまして、以前からこのサイトを自分自身の励みとしています。
まず私の人生を話しさせていただきます、以前縁あって地下アイドルをしていました、某AKBなんてメジャーな運営ではないので、日の目を見ることはほとんどありませんでした、それでも僅かなファンを大事にしてまいりました。
その活動の傍ら私は男になりたいう性同一性障害に苦しむようになりました、自分の求める容姿になれない、輪郭も骨格も、男になり切るには無理があると周りから言われても諦めず叶わぬ夢を追い、そのストレスの反動でたくさん親やメンバーに悪態を吐きました。
性別を変えるためには膨大な費用がかかり我が家の財産では到底無理でした、毎日苦い思いに泣く日々、鏡を割ったり死のうとするのは日常茶飯事でした。
学校もろくに行かずに3年程アイドルを続けて、そろそろ将来やべぇ、って思いました。
アイドルを辞めて、高校受験をしました、今では無事入学し、文学と生物学の勉強をしてそれなりに充実しております、見た目も男と女の中間だって、半端だってそれが自分なのだから受け入れよう、妥協したっていいじゃないかと思うようになりました。
そんなある日、何気なく死後について考えました。
死んだ後はどうなるんだろう。
思い出の服、大切な友達や家族との記憶、大好きな歌、憧れの人のことを全て忘れてしまうのかな。
やってきたこと全て無駄になるの?。
死にたくない、生きたい、ずっと生きたい。
あれだけ死ぬことばかり考えていたけれど、今度は生き続けるために画策しなければならないなんて、あぁ、なんて皮肉。
記憶は脳が作ってるから死んで脳が焼かれたらおしまい、あの世って考え方は死への恐怖をなくすための御伽話なのかな。
あの世があっても転生して魚や牛になって食われるのは勘弁だよ。
そのために今は自分なりの徳を積んでいます、散々私がいじめた親に恩返しをしています。
死への恐怖、なくなりますかね?
あと人は死んだらどうなるのですか?
人格が変わってしまいました、興味と欲望と生きる気力がなくなりました、かと言って死にたくもないのでただ存在しています、死を気にしない溌剌とした自分に戻りたいです。
死という概念に囚われずに輝く同年代が少し羨ましく思えます。
今私が見えているものは灰色の世界です。
有り難し 4
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