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hasunoha 問答検索結果 : 「 死 怖い」

検索結果: 1296件
2024/07/15

考えない方が楽だけどこれで良いのか

いつもお世話になっております。 以前から死の恐怖について相談させていただいておりました。 最近は仕事もプライベートもそれなりに忙しく充実しております。体力的にも時間的にも死の恐怖に囚われている時間は少なくなり、心安らかに過ごしていました。 ですがふと、 やっぱりこの世は諸行無常で、今の幸せや充実もいつか無になり、私は私を自覚できなくなり、死んだあとは未知でしかなく、「死」という未来が待っている以上この先の人生のエンディングは絶対的な絶望なのだ、と 以前と同じ恐怖が強くよみがえりました。 日々の幸せに夢中で死を考えなくなり、「まあでも、これが今の私なりの死への向き合い方なのだろう」と甘く捉えていましたが、 結局、恐怖は忘れていただけで、死ぬ事実も絶望感も変わらずに私の中に存在します。 たくさんのお坊さんにご回答をいただき積極的に「心安らかに死んでいける心持ち」を探し求めても、知識だけが増え頭でっかちなまま、結局は恐怖も絶望感も拭えぬまま、不安な心のままです。 お坊さん方の視点から、私は今後、どのように死と向き合ってゆくのが良いと思われますか。 積極的に怖さに向き合い死を学ぶショック療法のような形か(ただ、もう死の恐怖に面と向かって辛い思いはしたくないという甘えも自分の中に今はあります)、 それとも自然の流れに身を任せて死を忘れたような日々を過ごすのか(そのうち死を自然と受け入れられると信じて)、 はたまた仏様に全てを任せ不安な心持ちのまま生きてゆくならば、まだ心の底から仏様を信じられない愚かな私の、実在する「不安な気持ち」をその都度「大丈夫」と躱していけばそのうち信心が得られるのか、など。 もちろん最終的に何を選択するのかは私が決めるべき問題と思っておりますが、 なんだかもう、自分でもどうしたら良いのか分からなくなってしまったため、アドバイスをいただけたらと思います。 お忙しいところ大変恐縮ですが、よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 9
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皆さんは。

お坊さんの皆さんは、人生を、日々を、どのようなモチベーションで生きていますか? 死ぬことは怖いですか? 私は、思います。世の中や人はとても儚いものだと。その儚さを、どう前向きにとらえればいいよいでしょうか。 命の終わり方は、いろいろあって、 自分もいつかはなくなるんだと。 時々不安になります。私は、リタイアせずにゴールまでいきることができるのか。 私は、シャボン玉くらい心が脆いです。 だから、生と死が隣り合わせのこの世界でこんな自分はこのままやっていけるのだうか。 私の周りの友達のように、生きることに関してあまり重度には考えず、無関心で無意識に生きて、勉強に集中したい。 考え過ぎだよ。 暇なんだね。 悩むことは悪いことじゃない。 みんなそうだよ。 その言葉に私は少なからず傷ついてきました。 私の考えてることは間違ってるのか。悪いことなのか。 事実から論理立てて考えて出した私の考えは、そう簡単には覆せないと心では思ってます。例えば、生まれてこなければよかったとか。(理由を話せば長くなるので)でも、誰か、私を覆す人がいないかなと探してます。めんどくさいですよね、こんな人。 そういう自分が嫌なんです。 このままではさらにエスカレートしていってしまいます。 いつか、悩んで泣いた時間が役に立つときが来ればいいなと思っていますが、それはまだ先の話で、とりあえず今、何かがずっと辛いんです。 生き方、道標を教えてください。

有り難し有り難し 27
回答数回答 2

他我がこわい

高校二年生です。 質問のカテゴリが少しズレているかもしれません、すみません。 相談というよりも、誰かに分かってほしいという思いの投稿です。 突然ですが、私たちは各々『自我』をもって、それぞれ自分の見る世界があって、色々なことを考えたり感じながら生活しています。よね。 自分以外の人がもつ自我を『他我』と呼びますが、私はこれがすごくこわいです。 うまく説明ができません。 友達に理解してもらうこともできませんでした。 ネットで調べてもそれらしい答えは見つかりませんでした。 例えの1つなのですが、 ごくたまに、一緒に生活している親のことを、『他人』と認識してしまうことがあります。 「あ、この人も私と同じ時間で別の人生を生きている1人の人間で、」 「私から見た『親』は親には分からない、そして同じように 今このとき、親から見た『私』がたしかに存在しているんだ」 そう思って、親のことを何か得体の知れない生き物のように、生々しいものに感じて怖くなってしまいます。 何を言っているかわからない自覚はあります。 私は、私のまわりのひと全部、なにかRPGのキャラクターのように認識しているのかもしれません。 それぞれにそれぞれの意識や感情や人生があることが、こわいんです。 自分でも、どうしてこんなに心の中で他人のことを怖がってしまうのか分かりません。 死んだ後の世界や自分の行く末がわからないことが怖いように、人の意識や心なんて絶対にわからないことだから、それが怖いのでしょうか。 どちらにせよ私は私のことを寂しい人間だと思っています。

有り難し有り難し 6
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2023/09/22

今を生きる=悩む暇がないこと?

以前より、死の恐怖についてご相談させていただいております。いつもありがとうございます。 今年から仕事をはじめ、毎日必死に慣れない仕事をこなしています。以前と違って少なくなった休日は、友人との交友や趣味を詰め込んでいます。 そのような生活をしばらく続けていましたら、以前悩んでいた「死の恐怖」について悩む物理的な時間が殆どなくなっている事に気が付きました。 しかし、死の恐怖がなくなった訳ではなく、今でも偶に恐怖で叫び出してしまう事はありますし、将来のこと(今後のキャリアやライフプラン)について考える時にも、「死ぬ時、恐怖に震えながら死ぬのだろう」ととても悲しく、またとても恐ろしくなります。 これは、「今を生きている」のでしょうか?確かに、目の前のことに必死で、死について考える時間がないので精神は健全です。以前より充実していると思います。 ですが、人生の本質のようなものを蔑ろにしている気もします。今の生活はなんとなく、さまざまな問題から逃げている現実逃避のように感じます。人生は死からの逃避、という言葉をどこかでみました。私の人生は今、逃避なのでしょうか。 そこで、「今を生きること」と「現実逃避」の違い、「今を生きること」と「何かに夢中になり、悩む余裕がない」ことの違いが知りたいです。 また私の今の様な生活は、仏教やお坊さんのお考えからはどのように思われますか? 死に怯えるだけだった過去から、今の生活になったことは進歩でしょうか?これは、私の望む「死は悪くない、怖くないと安心して死ぬこと」に近付いていますでしょうか? お忙しいところ恐れ入りますが、知恵をお貸しいただけますと幸いです。よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 3
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兄が自死したことについてです

5月2日に兄が自死しました。 何年間も連絡をとってなく、特別仲が良かったというのもないのですんなり自分の中で受け入れていたつもりですが、 死後の世界や自死だとどうなるのかが気になってしまい、ずっと調べてしまいます。 ただでさえ自死してしまうほど悩んで苦しんでいたのに、自死は地獄に堕ちるだの現世にとどまるだの救いのない事ばかりでてきて悔しいです。 もちろん、良いことではないですし親不孝者だというのもわかります。 ですが『生きていればいいことがある』『生きてさえいてくれればそれでいい』なんて綺麗事だと思ってしまいます。 兄の人生を歩むのは兄自身です。 その兄が一生懸命たたかって、考えて、悩んで苦しんでだした答えが自死なのに、そんなに間違っていることなんでしょうか? 自死してしまった人にこれ以上、苦しんで欲しくないと願ってしまうのは贅沢ですか? 話は変わってしまいますが、夜や鏡が怖くなってしまい、眠るのが難しくなってしまいました。 兄がみえてしまうんじゃないか、なにか心霊現象なるものが起きるんじゃないかと思ってしまいます。 きちんと心からお祈りして成仏してほしい気持ちと、兄が怖くて怖くてたまらない気持ちが入り交じってしまいます… 火葬場が空いていないため、お経も火葬もまだですが、兄はいまどういった状況にあるのでしょうか? 何が聞きたいのか、なにが言いたいのかまとまってなくてすみません。 とにかく、兄には成仏してもらい、楽になってほしいと願っていますが実際はどうなんでしょうか? また、なぜこんなにも怖いと思ってしまうのかなにかご存知であれば教えていただきたいです。

有り難し有り難し 18
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生きているのがこわい

死が怖いです。大切な人や自分がこの世からいなくなる、どうなるか分からないことへの不安と恐怖で毎日ぐるぐる考えては1日を無為に過ごしてしまいます。 こんなに怖いなら生まれなきゃよかったと思うし、自我が芽生える前にしんでればよかったと考えてしまいます。 二十数年間生きてきて、大切なものも増えてしまいました。それらを失うことも怖いです。 朝目が覚めるだろうか、この車は私の元に突っ込んでこないだろうか、大きな事件や災害が数秒後に起きるかもしれない、目を離したとき愛犬が倒れたらなど不安が多くて、家から出られません。 事件事故のニュースを見ることも出来ませんが、何も知らずに生きることも怖いのでネットニュースを読むことはできるように頑張っています。 街中で妊婦さんやお子さんをお見かけすると、この人たちはとても幸せそうに見えるけど次の瞬間には…と恐ろしい事態を想像してしまい、素直に祝福できなくて自己嫌悪します。 50を過ぎた母が、「私はもう死んでもいい」「あと5年で逝くからあんたそろそろ自立しなさい」などと口にすることも私の不安を駆り立てます。(母は現時点で健康体です) 不安や恐怖を解消するまでにいかなくても、上手に向き合う?付き合っていく?方法はないのでしょうか

有り難し有り難し 10
回答数回答 1

相談出来る人がいない。

過去の歴史を振り返っても世界は常に様々な事がある。 争いや災害などなくなる事など決して無い世界で、その時代時代で、人は悩んで、苦しんで、喜んで、楽しんで、悲しんで、嘆いて、様々な感情を抱えながら、それでも人は今を生きている。生かされている。生きていけない。生きるのをやめる。生かしてくれない。様々な状況がある。 生きる事が怖いです。 死ぬのはもっと怖いです。 大切なものを無くす不安、恐怖、悲しみを味わいたくないです。 自分は死にたい訳でもありません。 大切な人に悲しみを与えたくないから。 だけど、いつも、、、。わからないです。 他人を羨んだり、自分を自慢したりもしません。 何かを望んでいる訳でもなく、いつも自分の心は真ん中にあってほしい。 なぜなら様々な出来事に自分の感情が揺れるのが怖いから日々を精一杯生きてるだけです。 それでも年齢を重ねて感動が薄れていく気がします。 けどいつか必ず来る悲しみを味わうのはもう嫌です。 今の世の中は物が溢れているところもあれば、その日その日を食い凌ぐので精一杯のところもあります。 あればあるほどいいとは思いません。 無ければ無いでこした事はないけれど、全く無いのは虚しいです。 モノや感情も同じ事で、自分にとってちょうどいいを見つけて、探して、見失ってその繰り返しです。 豊かとは何か?頭で考え、心で感じ、身体で実感する。 人生はそれの繰り返しで、過去の思い出をふと振り返り愛され、悩み葛藤し、肩を寄せ合って生きてたあの頃が懐かしく愛おしく思います。 今が不幸せという事ではありません。 十分に幸せだと思っています。 救いの言葉を下さい。 自分はどうやって生きていけばいいでしょうか? よろしくお願いします。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

私の恐怖

私は死ぬのが怖いです これは、7月位から始まりました。 「がんかも?」と思い Googleで症状と合わせてたくさん検索しました いい結果(ガンじゃないと思う)が出たら すごく元気になれて、人生を楽しめます でも悪い結果(ガンかも、病院に行っては?など)が出ると 吐き気、寒気、微熱、血の気が引く感じ、倒れそうになる といった症状が出ます そして今ものすごく怖いんです この前、死ぬのが怖くなって(死ぬ気がして?) 「死ぬ前 症状」で検索したら やすこの顔占い、死相、というページにたどり着きました そのページには 「死ぬ数ヶ月前の人は口から黒い線が出る。私が見たこの死相の人は2ヶ月後に死んだ」というようなことが書いてありました 昨日の夜、、、私には書いてあったような症状が出ました 13歳なのでほうれい線などはないです でもなんか、 黒い線が右端から頬にかけて流れてる?んです 確実に死ぬんですか?死にたくないです 死ぬのが怖いわけじゃないんです ただ、死んだ後のことを考えると怖いです 「お母さんはどうするのかな、寂しいだろうな」とか。 Yahoo知恵袋や、Googleの質問コーナーでも質問しました。 それで、「釣り乙、占いなんか当たるわけないだろ、気のせい」など たくさんの事を言われて・・・ ここにたどり着きました ダメ元で質問してます。 お願いします。 今はお母さんのアカウントを使ってます まだ中学1年生です 死にたくないです 80さいまで生きたいです お坊さんは死相を信じますか? 私は死ぬんでしょうか?

有り難し有り難し 128
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自殺することは罪なのでしょうか

ハッキリ言うと 死にたいです。 自分には悪い性格というのがあって、我慢が出来ない 正直に本当のことを言ってしまう(相手にとって嫌なことでも) その性格が子供のころからず~と続いていて、あるとき ADHDという言葉を見かけて検索してみると 自分の悩んでいた問題がそれに当てはまることを知りました。 頭がいい訳でもなく、人とトラブルになりやすいです。 友達もハッキリ言うと自分の悪い性格のせいでいません 仕事をしていても 人との会話が苦手で問題ばかりで辞めてしまう どうしてもうまくいきません ハッキリ言って致命的なくらいに 人は自殺をすると罪という言葉が根強くあって死にたいという気持ちの反面 死ぬと地獄に落ちるのではと怖くてなかなか出来ないでいます。 自分は死後の世界について インターネットを利用して沢山調べました。 臨死体験、前世さまざまな事例について 今では人は死んでも魂というものがあると関心はしていますが今悩んでいる死にたい気持ち(自殺)がどうしても怖くて仕方ないです。 かといって自分の生まれ持った悩みは一生変えられません どうしたらいいのかという答えは間違いなくないでしょう 死んで人生をもう一度生まれ変わりでやり直したいのに どうしていいのかまったく分かりません 世の中を見てみると 戦争、貧困と不幸な人、そうでない人がいますが 動物の世界は喰うか喰われるかの命にかかわる世界 自分はそれを見ると、まだ不幸じゃないんだと思う時期もありました。 だけど自分の持つ悩みが自分を苦しめている現実からは逃げることは出来ません

有り難し有り難し 148
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