高校生です。 最近病気にかかってしまい、家でずっと過ごしていて、母親に看病されるような形になっています。 そしてずっと寝ていると、次第にその母親がいつか亡くなってしまうのかと考えてしまい、動悸が収まらなくなります。自分が死ぬことも怖くて恐ろしいです。 まだ身近な人が亡くなっていないのにこんなことを考えてしまう自分も嫌です。 そんな風に悩んでいると、自分の人生がとても短いもののように感じて怖くなります。何も手がつかなくなる時があります。 どうしたら悩まないで毎日楽しく生きられますか?
私は春から大学生になった女子です。 突然ですが死が怖いです。コロナウイルスが怖いです。自分があのウイルスにかかっている気がするかかって死んでします。家族や親戚がかかったら死んでしまう。その恐怖で毎日夜泣いて眠れません。もしこのまま眠ったまま死んでいたらどうしよう。と思うとさらに眠れません。とても辛いです。 死が怖いと考えたのが小学6年生くらいでした。夜寝る時にふと考え大号泣しました。それからあまんまり深く考えていませんでしたが、今回のコロナウイルスで更に怖くなりました。あの頃はまだ幼かったのであまり深いところまでは考えれなかったのですが今は悪い方悪い方にしか考えれずにインターネットで調べてはまた泣く毎日です。
死への恐怖について。 こんにちわ現在中学3年生の男子です。 まだまだ人生経験が浅いのに対してこんな事を言うのもあれなんですが、、、 いずれ自分にも必ず訪れる「死」がとても怖いのです。 この恐怖については色々なタイプな恐怖があるそうですが、自分の場合は「自我の喪失」など「永遠の無」への恐怖です。 まだまだ何も分からないのですが本来仏教では浄土も輪廻も釈迦は無記と称していると耳にしたことがあります。 とは言ってもまだ何の証明もされていないので死後がある可能性も0%ではないと思います。 まだこのように思い今後の人生を生きていけたら良いのですが、 「何時か科学で死後は永遠の無だと証明されてしまったらどうしよう。もしそうなってしまったのなら僕はもう生きていけない。」 と思うことがあります。 この原因は自分自身にあります。 死が怖いと言って、心の中だけで留めておいたら良かったもののネットで色々(科学や哲学など)調べてしまったりしたので、余計こういった恐怖が煽られてしまったのかもしれません。 つまり簡潔にまとめると ・永遠の無、自我の消失への恐怖 ・いつか科学などで死後が永遠の無だと証明されてしまうかもしれない恐怖 ・生きる意味がみつからない です。 長い文章になってしまって大変申し訳ございません。 そして質問はどうしたらこの恐怖を取り除くことができますか?です。 ご回答よろしくお願い致します。
中学生男子です。 コロナウイルスの影響で学校が休みになってから、死を意識してしまい、食欲がなくなったりしています。他にも、母が死んだらどうしよう...、死んだらどうなるのだろう?などを考えてしまいます。 その事をインターネットで調べると、「大人になりたくないのでは?」と書いてありました。 ここで質問なんですが、死を怖がるのは考えすぎでしょうか?それとも、大人になりたくないと考えすぎなのでしょうか? 後、浄土宗では死んだ後、極楽浄土に行くと言いますが、念仏を唱えていなかったら絶対地獄行きなのでしょうか? 長文すみません。
成人した頃から死がとても怖くなってきました。 私には大好きな夫と息子がいます。 息子はまだ小さいです。 高齢出産です。 息子のためにも元気に長生きしたいと思うのですが、時々体調を崩すと怖い気持ちに包まれます。 病院で検査など受けていますが、自律神経の乱れからくるもので特に重篤なものはありません。 出産の時は出血多量で死にかけました。今こうして生きてることに感謝してもいるのですが、ふと怖い気持ちに包まれます。 息子が成人したら旦那と私とカウンターで3人でお酒を飲みたいと言うのが夢です。 あと17年、あっという間かもしれませんが生きられるか不安です。 親も2人とも持病がありそれも心配です。 春から旦那は単身赴任、子供は幼稚園、私も職探しと環境がどんどん変わっていきます。 死が怖いというか環境が変わるのが怖いのかもしれません。 どうしたらいいか分からず毎日混乱しています。
私は今19歳です。1ヶ月前からずっと死について考えて頭から離れません。 考えすぎて、気持ち悪くなって、ご飯も食べれず夜も寝れなく、寝れたとしても、あー私はいつか死ぬんだと思って起きます。 長くなりますが、よろしくお願いします。 小さい頃から死が怖くて考えただけでもパニックになっていました。いつもなら考えないと言い聞かせて考えないようにしていました。ですが、ここ1ヶ月死んだら私はどうなるのだろうか、どうして死ななければならないのだろうか、いつか私がいたことさえも忘れられてしまうのではないだろうか、この世界はこの先どうなっていくのだろうか、とか色々考えてしまいます。 あと、私は80歳まで生きるとして60年しか時間がない、1年はあっという間に過ぎていくから私はすぐ死ぬだとか、生まれてこなければこんな苦しむことも無かったのにとか、本当に死が怖くて怖くて仕方がありません。 家族は、そんな私のためにいろんなところに連れて行ってくれます。母は話をたくさん聞いてくれます。でも、そんな母にも会えなくなる日が来ると考えてしまい、もっと怖くなってしまいます。 人間だから死ぬのは当然です。でも、どうしても怖くて仕方がありません。自分が消えてしまう、自分がいなくなってしまう。最近では、人間を見るとこの人達は200年後生きてないんだなと思ってしまいます。 不老不死になれるならなりたい。 なにをしていても死が頭の中に出てきてしまいます。突然死んでしまったらどうしよう。生きているのに火葬されてしまったらどうしよう。そんな不安も押し寄せてきます。 どうしたらいいでしょうか?受け入れるしかないのでしょうか?吐き気が止まりません。 人生あっという間に過ぎるといいます。こんなことを考えながら過ごしていくのは時間がもったいないと言い聞かせています。ほんとうに人生あっという間に過ぎてしまうのでしょうか?そう考えると死が怖いです。受け入れることができません。 私の苦しみをどうか助けてくれないでしょうか。 よろしくお願いします。
いつもありがとうございます。 考えても仕方のない事だとわかりながりも、 動悸や気持ち悪さが収まらないため、失礼します。 私は幼少期から死に対する恐怖がありました。 それはいつの間にか、よそへと追いやられていた恐怖だったのですが、 昨晩突然のように発作のように起こりました。 先日若くして突然死で亡くなられた親戚のことを考えていると、 私自身や、両親の死を考えてしまいます。 (昨晩まではだからこそ、毎日を精一杯過ごそう。 彼女の分もしっかり生きようと思っていた筈なのですが) 更にそこから波紋のように思考が広がって、 天災、事故、戦争。 更には数億年後に地球や太陽がなくなるですとか 宇宙でどうの。といった情報を見ると、 輪廻転生を繰り返し、いつか私の魂はその瞬間に 居合わせねばならないのかと思ってしまい、 このような恐怖は味わいたくない。 と、考えてしまいます。 全ては私の中の想像。 誰にもわからない世界の話だとわかっているのですが、 この思考が突如発作のように起こり 抜け出せず、自分自身の頭で刷り込んでいる イメージから抜け出せません。 特に最後に書いた終末の恐怖が強く 苦しくて仕方がありません。 頭に心が付いてきてくれません。
健康診断で不安な結果が出てしまい、その後精密検査の結果は大丈夫だったものの死への恐怖だけが残りました。 もとから死への恐怖が出ることが良くありましたが、今までは一晩寝たり何度か深呼吸すれば収まっていました。 しかし、上記の事があり「自分もいつか死ぬ」と言う事実がより具体的に見えてしまったのをきっかけに、病気への不安からは解放されるやいなや死への恐怖がついて回るようになりました。涙を流すほどつらいです。 こんな精神状態になる前はいろんなことが楽しかった→死ぬと全て無になるのが悲しい・怖い&いつか死ぬから全て無意味なのではないか→この恐怖と悲しみの中で生きたくはない→楽しいことをしたい→最初に戻る と言う思考のループに一日中陥ってしまっています。 今までの自分を演じている空っぽな自分がいて普段はそいつが前に出てるが、常に上記の事を考え泣いている自分がもう一人いて時々そっちが表に出てくる、血の気が引き現実感が無くなっていく、どちらが自分なのかわからない、そんな状態です。 今までを思い返せば親がいて友達がいて、普通に仕事をしてお金も貰っていて、好き嫌いはほとんどなくてご飯は全部美味く感じて、ストレスはあるけど後から思えば大体「何だこんな事で悩んでたのか」で過ぎてく人生だったと考えます。 そして、なんて幸せだったんだろうか、何でこれが永遠には続かないのか、永遠も辛いとは言うがこれなら永遠に続いて欲しい、何で幸せだったことに気づいてしまったのかと考えてしまいます。 そして、最近一年の体感がものすごく早く感じ、時間なんてあっと言う間に過ぎてしまうと考えまた悲しくなります。 宗教を学ぼうともしましたが、ここに質問しておいてなんですがやはり死後の世界や魂は無く感情は脳の現象であり死後は無である、と言う変に唯物的な考えがついてまわります。 祖父が亡くなったとき「爺さんいまどこ行ってんだろうなぁ、畑とか家の様子とか見てんのかなぁ」とかのんきに謎の宗教観を持っていたくせに今ではそんな考えしか持てません。 そして怖いという事すら感じなくなるのが怖く悲しく、無になるならすべて無意味に感じます。 精神科に行くことにもしましたがそれとは別視点で、何か考え方を変えるヒントをもらえたらと思い、文字数いっぱいのとりとめのない文章になってしまいましたが書き込ませていただきました。
タイトル通り、死や病気がとても恐くてたまりません。 その原因として、3年前に愛犬が病気で亡くなった頃からではないかと思います。 ネットで病気を検索してしまったり、 人の死をテレビで見たときにもとても悲しくなります。 いずれは誰だって死が来るのは当然ですし、どうやってもあらがえませんが、 そのさだめに涙してしまうことがあります。 早くお迎えに来てほしいわ〜と笑顔で言っていたり、私はもう満足したからいつでも死んでもいい。と言っている人が 凄いと思う半分不思議です。 もっと前向きに生きていきたいのですがどうすれば良いでしょうか? ご回答よろしくお願いします。
初めて相談させていただきます。 自己紹介に記載させていただいた通り、難病指定を受けました。 医師から病気に対する説明を受け、1つ間違えると死ぬことがあると聞かされてから毎日が怖いです。 常に病気のことで頭がいっぱいいっぱいになってしまっています。 このまま死んでしまうのではないか 今、死んでしまうと....... と、死ぬことがすごく怖いです。 家族や友人には、病気になっても明るく元気な子。と思ってもらえているため、病気が受け入れれないこと、毎日怖くて寝れないこと等怖くて伝えれないです。 大丈夫が口癖になってしまい、しかし最近は大丈夫と人に言うことも辛くなり外に出ることも減りました。 上手くまとめられず、読みにくい文章で申し訳ないのですが、少しでも救われたく相談させていただきました。よろしくお願いします。
人間は死んだらどうなるか誰も知りません。僕は死後の世界があり、生前親しかった人達と共に死後を過ごすと考えています。 しかし死後の世界があるとは限りません。だからもしかしたら死んだら無で家族や友達と一生会えないだけではなく自分自身、もう地上に戻れないという不安が湧いてしまいます。 僕自身1ヶ月前のように死の怖さを考えることなく生活していきたいです。回答よろしくお願い申し上げます。
長文で失礼いたします。はじめまして。 去年の8月頃から、死ぬということに対して過敏に恐怖を感じるようになりました。 ふと、母親がいなくなったら恐ろしいと感じ、そこから、いつか誰もが死を迎えるということに気がつき、自分もいつかそうなるのだと強く感じて、「死んだら自分はどうなってしまうの?」といった恐怖で常にいっぱいになるような状態になっていました。 怖がるだけではどうしようもないと感じ、友人や母に打ち明けて相談に乗ってもらい、一時的に恐怖から離れられることもありましたが、安心できる状態がしばらく続いた後、ふっと思い出し、どうにもならないという思考になってまた怖くなるような状態の繰り返しになってしまいました。 忙しくすれば忘れられるという親の意見を元にアルバイトを始めてみたりもしましたが、バイト中に恐怖心が押し寄せてくることもあります。 不安のあまり、SNSで同じような悩みを持つ人たちの投稿を見た時に、そこで「産まれなければよかった」など不安を掻き立てるような言葉ばかりの人を見てしまい、恐怖が押し寄せてくるような事もありました。 産まれることは自分の意思で選べないことであり、この世へ産まれた以上は死を迎えるまでは懸命に、楽しく生きたいと思っています。就職も迫っているので尚更この考え方が大事だと思います。それなのに、まだ死が恐ろしいと感じてしまう自分がいることが不甲斐ないです。 こんな状態が続いて苦しいです。私はどうすればいいのでしょうか?
初めまして。優子と申します。 私は幼い頃から『人は死んだらどうなるんだろ。死んだあと残された家族が悲しんでいる姿を見るのは怖いな…』等良く考えていたのですが、数年前に頭の手術をしてからその思いが強くなりました。 月に数回なのですが、たまたま息苦しさを感じたり頭痛感じたり些細なことで 『寝ている間に死んでしまうのでは…』 と、ほぼありえないのはわかっているのですが不安になり考え込んでしまう事があります。 家族に相談しても『考えすぎ』と言われて終わりです。 このような気持ちになったときどうやって気持ちを切り替えれば良いのか教えて頂ければ幸いです。
私は現在生後4ヶ月の娘を育てている新米ママです。 妊娠中の悪阻は産後の今も治ることなく毎日苦しいです。つわりが苦しすぎで馬鹿な考えだと思いますが、自殺を考えてしまう程です。 精神疾患もあり、どうしても1度悩み始めると抜け出せず、自殺を考えてしまうのです。 また、なにかこの悪阻は本当は病気なのではないかと考えると私はその病気にちゃんと立ち向かえる自信がありません。毎日辛い治療はいやです。 なにもかも辛いこと考えると自殺を考えてしまいがちなのですが、死ぬのが怖くてたまりません。 死後の世界はホントにあるのでしょうか。 虚言癖が私にはあり、地獄行きだと考えると怖くて仕方ありません。 最近、大切な叔父さんがなくなり余計に死後の世界に不安を抱いています。 言葉にまとまりがなく申し訳ありません。
何度も失礼します。 最近生活していてやはり、死が怖くなりました。 感染症の影響で多くの人が亡くなり そのことが、あたかも自然なように 連日報道され、人の死が生活の中で より身近(不謹慎ですみません。) に当たり前のようになってきていて いつ死ぬかわからない、まだ自分はやるべきことができてない という負の感情がブクブクと浮かび上がってきてしまいます。 また、これは先ほどのものと違うのですが、 9月3日の夜に見た夢で、夕方に 一人で習い事(文化系)の練習をしていると、 習い事の先生(故人)が先生の住む母屋から出てきて、 自分の隣に座って話すという夢を見ました。 先生にいくらかの自分の悩み事を聞いてもらった後、 「向こうでは、どうしているのですか」 と聞いたところで先生が答える前に 目が覚めてしまって、そこから 「先生が何を言おうとしていたのだろう」と モヤモヤが続いています。 以前の質問で死と向き合って、 そこから生きていく意味を見つける というお知恵をいただいてとても参考になったですが、 自分自身が死と向き合うことができなくて 生きていく意味の追求も止まってしまっている気がします。 お坊さんの思う死の恐怖と向き合う、よける、折り合う方法や お坊さんが普段それと付き合う方法を教えていただきたいです。 先生がどのようなことを言おうとしていたと思われるのか、 ということもできれば教えていただけると嬉しいです。 お忙しい中申し訳ありませんが、よろしくお願いします。 乱文失礼しました。
何度もお世話になっております。よろしくお願いします。母が、介護施設でお世話になり、5年過ぎました。施設内でコロナがクラスターとなり(2回目)連絡ありました。介護士さんの中にも、コロナ陽性者が出たので、母親にも可能性があります。介護度5ですので、お世話にならなければ、ならないことも十二分に承知であります。その数日後に、昨日から発熱があり、検査受けに行ってきました。との連絡ありました。人は必ず死を迎えます。しかし、コロナにかかって亡くなった最期は、いつも通りに見送ってあげられない。ずっと頑張って生きているのに、最期まで辛い思いをしなければならないかも知れない。もちろんそうなったわけでもないのに、考えれば考えるほどおかしくなります。私はいい娘ではなかったし。いちばん辛い思いをしているのも、母親です。死を迎えたら、楽になるのかな。とも考えた時もあるけれど、今はとてつもなく母親の死が怖いです。人は必ず死を迎える。父も母の姉妹も、たくさんの大好きな人たちを見送っているのに。なぜにこんなに怖いのか。私も死ぬよね。どうなるかなんて分からないし。でも、死んでしまったら、母や妹、父はじめ供養してあげられなくなってしまうから。それが今の生きる糧なのですが。なぜにこんなに母の死を恐れるのか。辛くて仕方ありません。お言葉頂きたいです。よろしくお願いします。
私は人は死んだら無になると思っています。しかし無になるということを考えるだけで怖いです。私たちに生まれる前の記憶がないように、その頃の状態になるのかな?などと考えてしまいます。 私がまだ幼稚園か小学生低学年だった頃、NHKのニュースを見ていて「北朝鮮と日本がいつか戦争になるかも。そしたら自分も家族も死んでしまうかも。」などと幼いながらに考えてしまい、死が怖くなって、夜な夜な布団の中で泣いてしまい怖くて朝まで眠れなくなってしまったことがありました。それから月日が経ち、死を考えすぎてしまうことは無くなりました。 しかし最近夜になると死を考えて泣いてしまい眠れなくなってしまうことが再び増えてきました。1度考え出すと怖くて3時間は泣いてしまい気づくと眠れないまま朝を迎えています。 輪廻転生という考え方が好きで、その言葉を支えにしたいのですが、輪廻転生も所詮は生きている人が考えた言葉にすぎない。死んだら思考回路すら無くなるんだから、輪廻転生して再び自我が目覚めたとしても、それは新しい自分であって、昔の自分は消えてなくなる。結局人は無になるんだ。という結論にたどり着いてしまいます。 私の父は69歳、母は63歳、祖母は91歳。比較的高齢の家族ですが凄く元気です。ですがふと、この家族で過ごせる幸せな時間は永遠ではないんだと考え「あと何年?」と考え辛くなります。 最近は高齢な家族故に両親と過ごせる時間より、両親がいなくなった後の時間の方が長いのかもと考えて泣いてしまいます。私は両親のことが大好きなので、2人がいつかいなくなってしまう。「無」になってしまう。そんな日がくるのがとても怖いです。 そして今見ている景色、大切にしている物、現世で学んだ知識、死ぬ時は全て手放さなくてはならない、私も死んだら無になる、家族と家族だったことも無くなる、もうこの家族には会えない…どこまでもそのように突き詰めていってしまいます。 よく「(死を考えるくらいなら)今を楽しく生きよう」という言葉を聞きますが、そのような考え方に自分が対応できず、ただ死が怖いです。 本当に最近このような考え方に陥って泣いて眠れなくなることが多くて困っています。 何か少しでも心が軽くなるお言葉、そして仏教では「死」に対してどのような考え方を持っているのか、お話を聞かせていただきたいです。 よろしくお願いします。
弟のことでいつも支えてくださってありがとうございます。 人間は必ず死ぬということはわかっています。 私は自分の死が怖いというよりも大切な人がこの世からいなくなってしまうことが耐えられません。 先日も弟がある日突然亡くなりました。病死でした。 仕方がないということはわかっています。 だれでもいつかはなくなるのですから。。。。。 でも、大切な人がこの世からいなくなってしまい、会えないつらさということに耐える自信がありません。 弟も、頻繁に会っていたわけではありませんが、本当につらいです。 時間が解決するかもしれませんが、どうやって乗り越えていくべきでしょうか。 今は普通の日常を送れていることに感謝しながら、突然襲ってくる悲しみに耐えながら生きています。
6月に父が急死しました。 前日、普通に電話で話をしていたのに。 健康面では特に問題もなかったし、何の前触れもなく、突然死でした。 そんな父の死がトラウマとなってしまっています。ふとした瞬間に思い出し、恐怖や悲しみが頭から離れなくなり寝られなくなります。 母が、旦那が、娘が、弟が……身近に居る大好きな家族が「もし父と同じように急に居なくなったら」という不安が、父が亡くなってから今でもずっと続いてしまうのです。 いつかは来ることと分かっていても、本当に怖いです。頭では理解しようと頑張っても、心の中が追いつきません。 急に居なくなったら私はどうしたら良いのだろうと、自分の不安な気持ちのことばかり優先させた考えで情けないですが、そんなことをずっと夜中じゅう考えて朝になってしまうこともあります。 どうやってこのトラウマを乗り越えたら良いのか未だに分かりません。ずっと私につきまとってくるのです。 私はどうしたら良いのでしょうか。 久しぶりに不安でたまらなくなったので、こちらで相談させてもらいました。
はじめまして。やまと申します。 死ぬのが怖いという思いがあります。 そして、ある妄想にとらわれております。 自分の住んでいる所が北朝鮮からの核ミサイル攻撃をうけるというものです。 世界は何か見えない大きな力に動かされていて、私たちは戦争をさせられているような気がしてならないのです。 ここ二三日、一晩中上空からヘリの飛んでいるような音が聞こえています。 ニュースやネットなどを見、妄想に妄想を重ね怯えてしまいます。 少しの物音にも怯え、サイレンが鳴るのではないかと気にしたり、核兵器が上空で爆発する様子や土地が汚染され誰も助けには来ない様子などを妄想したりしてしまいます。 このサイトで、戦争について怖れている方が他にもいらっしゃることを知りました。戦争を怖れるよりも、今できることをやるしかないということは頭では分かっているつもりですが、やはり怖れ、迷ってしまいます。 今できることというのは、この場所(今住んでいる県または国)から逃げることなのか。普段の生活を続けることなのか。それとも、死を怖れないようになることなのか。どうすればいいのか分かりません。 いったい、どうすればいいのでしょうか。 まとまりの無い文章で申し訳ありません。 お忙しいとは思いますが、 ご回答いただけたら幸いです。