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hasunoha 問答検索結果 : 「 仕事 辞めたい」
検索結果: 4953件

死後の世界観

 初めまして。  私は、横浜で会社員をしている伊藤と申します。先日、テレビでこちらのサイトが紹介されていまして、仏教の教理に関して長年疑問に思っていたことがありましたので、質問させて頂こうと思い書き込みを致しました。  私は、大学生のころから仏教に興味を持っておりまして、仏教に関する本をいくつか読み、修行の真似事もさせて頂いたことがあります。仏教との出会いは、私の人生の中で非常に貴重なものでした。これからも、修行を重ねていきたいと思っています。  ただ、その中で未だに釈然としないことがあります。それは仏教の説く「死後の世界観」がなぜ宗派によってここまで大きく異なるのか、ということです。  仏教では、もともと「輪廻からの解脱」が一番の目的であったと聞いています。それが、現代の仏教では死後の世界観について「極楽浄土で仏弟子となる」といった立場や、「死後のことなど考えず、今を生きる」といった立場など、様々に分かれています。  私は、どうしても理屈っぽいので、このように死後の考え方が異なっていることに疑問を感じてしまいます。例えば、「極楽浄土に行けるなら、今は努力せず楽をしていた方が良いではないか。」と思うこともありますし、「死後の輪廻転生を否定するなら、そもそも修行する必要さえないのではないか」と思うこともあります。  先日、上座部仏教のお坊さんの著書を拝読して、私の考えに近いことが書いてあって共感を覚えました。そのお坊さんは、「死んですぐ極楽浄土に行けるのなら、どうして早く自殺しないのでしょうか。」といったことや、「輪廻転生が無いなら、どうして修行する必要があるのでしょう」といったことを述べておられました。  もし、輪廻転生があるのであれば、私もなるべく善行をしようと努力すると思います。逆に、輪廻転生がないと考えると、やる気を削がれ厭世的な気分になってしまいます。  人間がこのような気分になることを見越して、お釈迦様は死後の輪廻を説かれたのかもしれません。しかし、今の私にはそれ抜きで前向きに生きる心構えを持つこともまた難しいです。また、死後の輪廻を否定するならば、自殺を否定することもまた難しくなるのではないでしょうか。  こういった点を、お坊さんはどう考えているのか、どうしても気になったので質問させて頂きました。失礼なことを伺ってしまい申し訳ありません。

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母の死を感じて、悩んでいます

こんにちは 私は24歳の京都在住の者です。 以前から当サイトを拝見させていただいており、今回どうしようもない悩みが出来てしまったので、ご相談に伺いました。 昨年、実家に住む母に癌が見つかり治療を行っていました。 手術はしたものの、後の検査で転移が見つかり、母は延命治療はせずにゆっくり過ごそうと思うと先日私に連絡をくれました。 それを聞いて現在京都で生活している私は、即座に退職をするなど帰省の準備をして10月末ごろに引越し予定になりました。 いつかは来ると思っていた母の死を考えつつも、その先の不安が溢れ出てきてしまい、夜もあまり眠れない状態になってしまってます。 引越し準備の不安、無職になる不安(帰省次第転職活動はします)。母が亡くなるという悲しみと、親孝行してあげたい気持ち。そして、母がなくなってしまった後私は立ち直れるのか… 寡黙な父と二人で、うまくやっていけるのか…父も亡くなったら、私は一人になってしまう… 今考えてもしょうがない問題ばかりですが、夜眠るとき、ちょっと気が抜けたときに胸の底から不安がどんどん溢れ出てきてしまいます。 このような気持ちでは周りの友人や親戚に心配をかけてしまう… でも、とても辛く、涙が所構わず溢れそうになります。 文章がまとまっておらず、大変申し訳ありません。 もし助言をいただけるのであれば、皆様の意見をお聞きしたく、質問させていただきました。 是非よろしくお願い申し上げます。

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大学院について

はじめて投稿させていただきます。 大学院への進学に迷いが生じました。 私は現在、生物系の大学に通う4年生です。 高校生の時、とにかく生物の授業が楽しくてしょうがなかったことと、細菌やウイルスから人を守れるワクチンを創るということに興味をもっていたため、現在の大学に進学しました。 研究室も微生物系のところに入り、後は就職すれば自分の夢を叶えられるとおもっていました。 しかし、学部3年の夏頃から本格的に就活をおこなってみると、自分がやりたいような研究職につくためには基本的に修士以上の資格が必要であると知ったのです。 今の研究室の方針が、大学院に進学したい場合、なるべく外部に行って、新しい経験や人脈を得なさいという感じなので、その時期から他大学の生物系の院を調べ、同時に少しずつ院試に向けた勉強を始めていきました。 しかし、今回のコロナの一件で、中々誰かに相談もできず、自分で漠然と決めた志望校に向けて適当に勉強していました。 その結果、最近研究室の先生と話して、自分の志望している院の研究テーマに統一性がないことに気付かされましたし、第一志望で行きたいと決めた大学に提出する外部英語試験の点数もいい点を取ることは出来ませんでした。 また、自分の研究室の先生からそもそも大学院に入る目的って何?と聞かれた時、 私はこの質問に対して何も答えることが出来ませんでした。 勉強していて楽しいと感じていた生物分野で、自分が特に興味のあったワクチン製作に携わる。その為に院に進みたい、そう思っていたはずなのにです。 この質問をされた後、もう一度自分の将来をよく吟味しなさいと話し合いは終わりました。改めて自分の夢について考えてみると、正直自分が何をしたいのかわからないという結論に至ってしまいました。 あれだけ楽しいと感じていた生物学の分野も、大学院入試に向けて勉強していても楽しく感じず、ワクチンを創りたいという思いも、正直よく分からないけどなにか凄いことを成し遂げたい位の感覚で言っていただけだなって思ってしまったのです。 そうなってくると大学院って行く意味あるのかな?って思い始めました。 あまり本格的にはおこなわなかったのですが、就活もしていて、派遣ですが研究ができる会社での内定は出ています。 このまま院に行くべきか、内定先に行くべきか、もうわからないです。 助けてください。

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義母、義妹と関わらずに生きていく事はできますか

前回「主人が義母から跡継ぎとは思ってないと言われて……」で相談させていただいたものです。 あれから主人(長男)と私、次男夫婦、三男、義母、義妹と第三者(義父の方の親戚)一人を交えて話し合いました。 前回、主人は親と縁を切る、親戚とも縁を切ると言ったことをみんなから責められ、縁を切ると言ったことは撤回し私も謝りました。 主人と私は家を出ます。この家は三男が継ぐことになりました。主人には家族と会いたければ私に気を使わず会ってねと伝えています。でも、現段階では主人は正月お盆も顔を出さない、疎遠にはなる言っています。 私自身ですが、義母義妹とはこれから先ずっと関わりたくないと思っています。特に義妹とは。義妹がこの世からいなくなったら義母とは普通に接したいという思いはあります。義妹がいなければ義母は普通に良い人なのです。 義妹には、たいした事ではないですが何度か嫌がらせを受け、私の方が義妹を受け付けなくなりました。あちらも私を嫌っています。口が達者で立ちまわりがうまいです。 義父の法事が今度は4年後の7回忌、13回忌とあり、主人だけ出席してもらって私は行かない(義妹に会いたくないがために)……と考えていますが義父にはお世話になったし……など、これから先の事をどうしたら良いのか悩んでいます。 義母の方の親戚には、義妹が嫌で家を出たと言われ私は悪者呼ばわりされるのだろうなぁとか、義父の方の親戚には第三者が入ってくれたのでちゃんとした出ていく理由が伝わってくれたら良いのだけど、やっぱり嫁の私が悪者呼ばわりされるのかなぁなど考えてしまい精神的に参っています。 義妹は2年前に離婚しており、秋田で3人の子供と生活していますが、来年地元仙台に引っ越してくるのだそうです。 話し合いの場では「実家には入らない」と言っていましたがほんの3ヶ月位前に市の手当てが秋田より少ないので仙台では生活できないと言っていたのに……もしかしたら実家に入るのではないかと、もう出ていく身なので入ったとしても気にする必要はないとわかっているのですが考えてしまいます。 せめて私だけ義母義妹と一生関わらないで周りから悪者呼ばわりされずに過ごす方法はあるのでしょうか。 支離滅裂で申し訳ありません。よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 179
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一人っ子の結婚について

現在交際中の男性も一人っ子なのです。お互い年齢的に結婚を意識しはじめました。 私の実家は飛行機を使うほど遠くにあり、彼の実家は近県にあります。 彼は家業を継ぐので、結婚すれば彼の実家の県に住むと思います。 彼の両親は私の親に比べて年配なので、考え方も古風だそうです。 片親育ちの私のことは印象が悪い様で、長い交際期間中も会ったことはありません。彼のお母様は私のことを色々尋ね、嫉妬をして彼の回答を全て否定したり、自分の友達の娘との結婚を促したりするそうです。一人息子だし、それはそうなるだろうと思っています。 私は、彼の両親も大切に思いますので、会えばそれが伝わって時間をかけてより良い関係が築けると信じていました。 彼も、私がそういう考え方なので、前向きに考えているようです。 しかし、私は自分の考えが甘いのではないかと最近感じています。 母が遠くに一人でいて、いずれ体調を崩した時などに私は簡単に行けません。 みんなどうしているのだろう?と相談サイトを良く見るようになりました。 他サイトで姑相談を見ていると、「嫁が実家にばかり帰る」とか「嫁に来たのだから夫の親が優先」と言いたげなものが本当に多いのです。 そして、嫁側は「私は夫の妻であり、家に嫁いだつもりは無い」との主張が多いのです。 どちらの主張も本当に自己中心的で愕然としました。 けれど、自分が上記姑の主張をされたら…と考えるとさすがに「相手を大切にしていれば伝わる」とは考えられなくなりそうです。それこそ、相談サイトで見た嫁姑問題に発展するのも頷けました。 それが嫌なら、私は自分の親のそばで親とだけ生きて、一人で老後を過ごして死ぬのだろうかと、光が消えるような思いです。 どちらも同じくらい大切だから、どちらが優先というふうには考えたくありません。 けれど、彼の両親と実親が3人まとめて溺れていたと想像したら、間違いなく私は実親の手を取るだろうと思いました。そして彼が彼の両親を助け、私は実親を助けてから、彼を手伝うでしょう。 結局「同じくらい」はきれいごとで、私は実親優先でした。 助けてくれる兄弟もいない同士、彼には彼の両親が勧める女性と結婚した方が良いのではないでしょうか?

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自死に向けて期限を設定します(前世のペナルティ?)

昨夏、このサイトで相談したものです。 相談・・・というか、宣言に値してしまいますが、お目通し下されば幸いです。 今、私が病気で苦しんでいるのは、 前世、何か罪を犯したことのペナルティなのでしょうか? 治療が難しい病気(症状)と闘い、様々な医療機関にかかってきました。 期待の持てる療法もいくつか試し、治癒への期待もかけましたが、少しも改善せず、日々症状の悪化にひたすら耐える日々です。 でも、その症状自体は死に至るものではなく、文字通りの生き地獄をさまよっています。 これまでは治る見込みにむけて頑張る気持ちがありましたが、もうその気力が果ててしまいました。 医学的にはあらゆる検査をしても異常が見つからないのです。 自律神経のアンバランスとか、ひいては精神的な事によるもの・・・と、 かたづけられてしまいますが、そんなことが原因ではありません。 物事に対する優先順位などに対しての冷静な判断など、症状さえなければ 至って理性は働いているので、鬱でもメンタルトラブルでもありません。 むしろ難病指定されたり、余命宣告を受ける方がよっぽど割り切れます。 身内を始め、関わってくれるドクターなどは親身になって対応してくれます。でも、もうこれ以上は無理です。 できるだけ廻りの人には迷惑をかけないように段取りたいと思っています。 一般的には自殺自体が周りに迷惑をかけると言われますし、私もずっとそう考えてきました。 でも、病気が治らない事で、心労や金銭的に家族に迷惑をかけている事の方が辛いです。 そろそろ期限を設定しようと思っています。

有り難し有り難し 55
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日本仏教とは何なのか?

 初めてこちらで質問させていただきます。よろしくお願いします。  私は現在、大学院で社会学を専攻しているのですが、同時に仏教に対しても強い関心を持っております。今後の人生は仏道を中心に据えて歩んでいきたいと思っております。  現代の日本の政情を私なりに研究した結果、日本の将来には期待できるものがほとんどないという結論に至りました。日本の政治・経済・文化における凋落は民主主義・資本主義体制が崩壊するまで続くだろうと予測しております。  この現状を踏まえて、私が歩むべき道は仏道以外に見出せないと思いました。しかし、日本仏教を信仰するにはいくつかの問題点があるとも感じております。  まず、第一に宗派があまりにも多くどの宗派を信仰して良いか分かりません。様々な宗派の本を読んでは見ましたが、どの教えにも深く納得することができず、悩み続けている状況です。(最近では、禅とテーラワーダ仏教の教えに惹かれております。)  第二に、日本仏教はもはやその求心力を失ってしまっているのではないかという問題です。鎌倉時代など、社会状況が大きく変化した時代には仏教は多大な求心力を持っていましたが、現代では賞味期限が切れた宗派もいくつか存在していると思うのです。(例えば、私の家の宗旨は浄土真宗ですが、個人的には信仰することに困難を覚えます。もちろん、歎異抄などの著作には深い感動を覚えます。)それが、さまざまな新興宗教を生み出す原因になっていると思うのです。  これらの点を踏まえて、私は禅かテーラワーダの教えを学んでいきたいと考えているのですが、同時に躊躇もあります。その教えに賭けて救われなかった時のことが怖いのです。ここに非常な葛藤があります。  結局、私がお尋ねしたいのは「私はどう生きるべきか?どの宗派を信仰すればよいか?」ということです。何かアドバイスがありましたら、どうかご回答下さい。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 439
回答数回答 12