善く生きるには。
はじめまして。
私は某国立大学に通う大学生です。主に西洋哲学と言語学を勉強しております。
よろしくお願いします。
人には、怒り、むかつき、嫉妬、悪戯心、など様々な負・悪の感情があるかと思います。時にはそんな感情が体や口を出て、理由もなく物や人を傷つけたり悲しませる例も少なからずあります。
たとえば病に苦しむ人を嘲ったり、無為に他人を罵ったり、煽り運転や信号無視、列を乱したり……など、生活の上で明らかに「よくない」行動全般と、その結果のことです。
私はそのような行いをする"悪い"人間になるのが嫌で、特に高校生以来"善い"人間になろうと、つとめてそれらを行わないよう生きてきました。
他人を尊重し、多くの考えを深め、ルールは守り、条件に反しない限りで遊び、生きてきました。
負・悪の感情を抑え、コントロールし、あわよくばそれを善い方向へと導くのが真の意味でおとなな人間であると信じているからです。
しかしながら、ふと、思うのです。
多くの人々は"悪い"人間なのではないかと。そしてそれこそが人の本来であり、圧倒的多数ではないのかと。
東京や大阪など都会に行けば、誰もが小さな信号なら無視していますし、運転は乱暴、振る舞いも横暴な人が多いです。またインターネット上では傷つけ合いや意味不明な罵倒が横行しており、悪い例には枚挙に暇がありません。テレビや雑誌でさえ無実の人をなじったり、不要なプライベートを暴いたりと、倫理観を疑うようなことさえ普通にします。
そういう光景を目にした時。たとえば、皆が赤信号を前に渡っている中、自分だけがただぼおっと誰も守らない信号の前に突っ立っているのが、ひどく馬鹿馬鹿しく思えてなりません。
我慢して寡黙を通している中、べらべらと楽しそうに悪口や悪評を流す人を前に、自分も乗っかりたくなってしまいます。
誰もが考えない感情のコントロールやルールを自分だけがやたらと直視し、善い人間になりたいと思うことすら、むしろそれ自体が社会のしくみを無視した悪い行いにすら思えてくるのです。
そもそもそれは”善い”ですらないのかもしれません。
悪い面への憧憬にも似た感情を殺し、いままでの善の信念を通して生きていくには一体、どんなふうに心を持てば良いのでしょうか。
何か良いアドバイスをいただければ幸いです。
長くなってしまいましたが、よろしくお願いします。
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有り難し 15
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