仏教徒に対する疑問パート4
それではさっそく質問です
この世の最初の最初にあった無明それはなんの原因と結果で生まれたんですか?
無明を作った原因と結果それを作った原因と結果それすらも作った原因と結果
そうやって全ての原因を作った犯人を永遠と見つけれないでただ結果だけあったら
因果の法則というより因を無視した果の法則じゃないんですかね
そしてその無明が業を作り出しこの娑婆の世界を作ったそして自分の存在も
最初の最初だった頃は自分は何の業も作ってないのに無明が勝手に業を作り
業の濡れ衣を着せられた自分はこの娑婆の世界へ落とされた
これも因を無視した果の法則じゃないですか?
ホントに最初の最初の状態
そこには原因の犯人がわからない結果だけがただ無明としてあり
その無明は業を作り続けて
勝手に自分も業を作ったことにされるなら
悟りを開いても勝手に業を作らされれるんじゃないですか
無明は因果なんて無関係に悟りにも襲ってくると思います
無明は因果の法則というより因を無視した果の法則として
無明は最初の最初に始まりの原因と終わりの結果の全てを作ってしまった
この世の法として襲ってくるからですよ
まるで神のような速さで煩悩として悟りに追いつくと思います
それなのになんで悟りはそこからも解脱できるんですか?
毒矢のたとえでそんなこと考えないで修行しろと説いた
お釈迦様は無明からも解脱した根拠はなんですか?
人前で誰にも出来ない奇跡を起こしたりしたんですか?
なぜお釈迦様は周りの娑婆僧とは完全に違うと周りは気ずいて
その人の言うことが真理だとして宗教にしようとしたのですか?
もしも何の根拠もないなら
そこらへんの神を妄信するカルト宗教と大して変わらないですよね
有り難し 37
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