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hasunoha 問答検索結果 : 「お坊さん できない 」
検索結果: 7722件

気持ちの解決法

私は今、相談する相手が居ない事に寂しさを感じております。 今までは悩んだり苦しくても、誰かに相談したり話したところで、結局は自分と同じ状況の人は居らず 解決するよりは余計に苦しくなるだけだと、 自分の中で消化する努力をしてきました。 布団の中で何時間も寝れず、ただ無性に涙が流れる事も多々ありましたが 朝になれば 悩んだところでどうにもならず、苦しんでも変わらず、すーっと息を吐き 何処かへ流すかの様に消す。 その繰り返しだった気がします。 自身が母子家庭に育ち、年の離れた妹を面倒みる生活から 自分の家庭を持つ事に憧れ、早く自分の子供が欲しいと望みました。 結果、子供を授けて頂きましたが愛する人との生活は許されませんでした。 子の父が他界し、それでも出産した私は子供を守るも、愛するも、時には叱り、支えるも、全て自分がしなくては!と、幼い母だから身に付いて居ないんだ。と子供が思われるのも避けたかった。 子供達が親になった時に 親から教わらなかった事は我が子にも教える事が難しいであろう。と、精一杯 私なりに努力して接して来たつもりです。 あくまで自己満足の満足にもならない「つもり」です。 長男が思春期を迎えている事を感じる日々、今までとの違いを感じ、色々な事柄にどう接したら良いか考えると 私1人では答えが出ず、悲しくなる事が増えました… 初めて、この子について共感できる父親が居たら 相談できるこの子の父親が居たらどんなにか。と感じる様になりました。 子供達から小さい頃にどうして家には父親が居ないの?と聞かれる事が有りましたが 私は「家にはおばあちゃんが居るよね?だけど、おばあちゃんが居る家もあれば、居ない家もある。おじいちゃんが居る家もあれば、居ない家もある。お母ちゃんが居ない家もあるし、お父さんが居ない家もあるんだよ?だけど、どれが普通で、絶対にどの人も居る家。なんて無いんだよ。たまたま家にはお父さんが居なかっただけ。そうゆう家もあるんだよ」と話し、子供達はそれについては受け入れてくれて居る様子です。 ただ、長男の事について共感してくれる父親が居ない。 そこは子供では無くて私の悩み。 絶対にもう叶わない、どうにもならない悩みなのです。 今まで消化してきた悩みとは違い、どうにも消化できずに居ます。 これまで素直に相談できなかった私ですが、どうか助けて頂けたら…

有り難し有り難し 6
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お通夜での出来事が許せません

先日、父が亡くなり親族葬を行いました。 突然の死でしたので残された家族と共にバタバタしながらも、父や列席していただいた方々に失礼のないよう努めてまいったつもりです。 そんな中、お通夜のお焼香の時に一人ずつ順番に出て行ったところ、お坊さんのお経の方が早く終わってしまい席を立たれてしまいました。さすがに退場されることはありませんでしたが、その時にお坊さんが「もっと早く出てこなあかん!お焼香は喋るとこちゃうよ!」とお怒りになられました。 喋るというのは恐らく、親族の方々が順番が来て前後の方と「どうぞ」「ありがとうございます」とやり取りされてたことだと思います(狭い会場でしたがそれ以外に会話は聞こえませんでした)。 たしかにお焼香は一人ずつ席を立たず前の方の後ろに並んで途切れることなくすべきだったのかもしれません。お葬式に不慣れとは言え、お坊さんにとっては無作法で失礼に値することだったのかと反省するところはあります。 しかしながらお通夜にも関わらず高齢の親族へ声を荒げられたお坊さんに対し、憤りを感じてしまったのも事実です。 故人である父はこういう場面だと「皆さん足元気ぃ付けておいでください。」と親族を気遣うような人です。その父に背を向け親族を怒ったことが許せませんし、父の通夜を、列席していただいた皆様の思いを侮辱されたような気分です。 何より喪主である母が「こんなことになってお父さんに申し訳ない」と落ち込んでいるのが辛いです。 いまだに気にしてしまっていること自体、父に失礼なような気もしますし、それよりも父を思う気持ちが大事だということは分かってはいますが、この出来事がなかなか頭から離れません。 我が家はお坊さんのお寺の檀家で、これまでも長く付き合いがあり、これからも顔を合わせることはあると思います。 どうやったら落ち込む母を励まし、またこの出来事を乗り越えて、今後もお坊さんとわだかまりなく付き合えるのでしょうか。

有り難し有り難し 39
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本を読んでみて

法話集を求めて 近くの書店へ行ったときに、 読んでみたいなぁと思う本がありましたので 購入してさっそく読んだのですが、 書かれている内容は、 なるほどなぁ、ありがたいなぁ、 これからはこういう風に 生きていきたいなぁと前向きになれたり、 仏教についても理解が深まったり、 素敵な本だったのですが、 亡くなった人は仏様になったのだから 食べ物に好き嫌いはありません 故人の好物をそなえるのは 供養とは真逆の行為です、 仏様になったということを 信じていないことになります。 とか 仏様になった故人に、 手紙を書いても声は届かないし読めない 故人との思い出を綴ることは良いが 手紙を書くのはすすめない、 と言う内容のことが書いてありました。 他の内容はとても素敵なのに 自分がしている行動と違うからか、 どうしてもこの2つが気になります。 著者の方の考え方を否定しているわけではありません。 仏教の中で、このように考えるのか、 それとも著者の方が、このように考えておられるのかがわからず、混乱しています。 日本語がおかしいですかね、すみません。 わたしの理解力が足りないのかもしれません、 失礼なことを申し上げているかもしれません。 ですが、このモヤモヤをはっきりさせたいです。何かお言葉をいただけたら、と思います。 未熟ですみません。

有り難し有り難し 27
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