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hasunoha 問答検索結果 : 「 虐待 」
検索結果: 1381件

心穏やかに過ごすためには

私は唐突に破壊衝動が湧き上がる時があります。 それは大体両親のことで怒りを感じた時です。 私の両親はいわゆる「毒親」というもので、暴力はあまりないですが、精神的虐待などを受けてきました。 それでも報道されるような悲惨なことはされたことないですが… その分だけ、マシだと自分に言い聞かせてきましたが、それにも限界があります。 徐々に私はお酒とタバコに逃げるようになりました。 悪いことに、10代もはじめのうちからです。 大抵は破壊衝動が生じた時にそこに逃げます。 「破壊衝動」というと、単に物を壊したり、とイメージされるでしょうが、私の場合はそれですまないのです。 両親を殺したくなります。自分を殺したくなります。 いっそ物を本当に壊すだけの方がマシな気がします。 ちなみに両親との対話は期待できません。 なぜなら、今までに無駄だったからです。 また、あちらは「親の立場」を振りかざし、私はまともに自分の主張をきいてもらったことがありません。 だからもう、親をどうこうしようとは思っておりません。 このような考えは寂しいことで、時々その寂しさに押しつぶされそうにもなりますが、その寂しさも煩わしい。 だから私は自分の心のあり方を変えたいのです。 お知恵を貸していただけませんでしょうか?

有り難し有り難し 8
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2024/02/09

かわいそうと思ってはいけないのか

障がいのある方、被災した方、いじめられたり虐待された子ども、性被害にあった女性、パワハラを受けた男性、重い病気の方、ペットをなくした方、多頭飼育崩壊の犬猫など、私が彼らのことを思う時に、私の心に浮かぶ感情に名前をつけるなら「かわいそう」だと思います。 細かく分類すればそれぞれ少しずつ違うと思いますが、それをうまく表現できないので、総じて「かわいそう」だと思います。 (暴力でしか自己表現できないような人を「かわいそうな人」と思うことがありますが、この「かわいそう」は先の人たちのとは違うという意識はあります) ですが、当事者の方には「かわいそうと思ってほしくない、そう思うのは見下しているからだ」という意見があります。 傷ついている相手に寄り添いたい、力になりたいという思いは「かわいそう」だからだと思っていたのですが、間違いだったのでしょうか。 私のこの感情は、正すべきなのでしょうか。 それともこの感情には違う名前があるのでしょうか。 「かわいそうというのは差別だ」という意見を見て、そしてその意見が支持を集めていて、自分の中に無意識の差別意識があったこと、かつてそう思い行動したことで相手を傷つけていたかもしれないこと、自分の感情を否定されたことにショックを受けたので、質問させていただきました。

有り難し有り難し 19
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