2023/09/25高野山での祈祷と専修念仏は矛盾するか
浄土宗を信仰している僕ですが、どうしても叶えたい願いがあって、高野山の愛染明王さまに祈祷をしてもらいました。
仏さまが願いを叶えてくださるのはその現世利益によって仏の力の偉大さを実感させて信仰に導くためだと思うのですが、そうすると僕は真言密教を信仰しなければならなくなるでしょうか。
法然上人は称名とそれ以外の諸行を廃立していますが、法然上人が廃した諸行というのは往生・成仏のための行のことであって現世利益目的の祈りまでは廃していないのかどうか?(一枚起請文にも「往生極楽のためには」とわざわざ書いているので、現世利益を祈るのはセーフのような気がしますが)
もし現世利益の祈りまでも廃されているのだとしたら、例えば称名をメインとしながら密教・禅的色彩も濃いと言われている時宗を信仰すれば良いのか?(実は法然上人、親鸞聖人の教えでは納得できなかった部分が一遍上人の解釈なら納得できるという体験を何度もしているので、僕は潜在的にはすでに時宗かもしれません)
そんなことをグルグルと考えていたら、専修念仏の「専修」の部分がなんとも重たく思えてきて、専修じゃなかったら良かったのになどという思いもわいて、自分が何を信仰しているのかわからなくなってきました。本当に迷っています。助けてください。

有り難し 6

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