愛犬の死、後悔しかありません。
先日、愛犬が亡くなりました。
約1年前に糖尿病と診断され、目も見えなくなり、肺水腫や色々な合併症と戦いながらの1年間でした。
最期は体重も元の半分以下、2キロを切っていました。
骨と皮だけです。
それでも頑張ってくれてたんですよね。
それなのに私は…
糖尿病のせいで喉が渇くのでしょう。
かなり水を欲しがりました。
なのでオシッコの回数も…。
夜は約1時間から2時間おきにオシッコ。
で、その後また水を飲む。
それが朝まで繰り返されます。
オムツをしてましたが、オシッコをしたくなると寝ていてもちゃんと吠えて教えてくれました。
お利口さんです。
なので、すぐにオムツを交換してスポイトで水を飲ませてました。
しかしながら、熟睡出来ない私はイライラしてしまったり、またオシッコ?
などと思いながら、嫌々介助していた時もあります。
愛犬も気付いていたでしょうね。
今考えると、愛犬を一番には考えていなかったのだと思います。
子犬の頃そそうをした時なんかは頭を叩いてしまった事もあります。
お水もスポイトでしか飲まなくなったのは、病気で痩せ細って立って飲むのが辛くなったからなのでしょう。
それなのに私は夜中にスポイトで飲ませるのが面倒だからと、自分で飲んで!
などと言いながらお皿にお水を入れ、愛犬の口元を持って行ったり…
最低です。
最期の時も苦しかったのか、いつもとは違う吠え方をしていたのに…
異変に気付いてあげられず…
目を見開いたまま息を引き取ってました。
亡くなった今、仏壇も立派に作り毎日お線香をあげてますが、それも愛犬の為ではなく、自分の為なのかもしれません。
そうする事で自分が楽になりたいだけなのかも…。
こんな私が犬を飼ってしまった後悔、愛犬に対する懺悔、自分に対する嫌悪感、毎日そればかりです。
愛犬には全部見透かされていたでしょうね?
愛犬は成仏する事が出来るのでしょうか?
有り難し 29
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