滅するべき煩悩とはなんでしょうか
よく回転寿司に行くのでそこで気づいたことを質問です。
煩悩とは何でしょうか。
『煩悩とは苦(ドゥッカ)である』
では終わるので少し掘り下げてみたいのですが、『欲』は生存に必要なものでこれを満たさないと自分の身体の生命維持ができないもの、として『食欲』『睡眠欲』などの根本欲は煩悩ではないと仮定します。
これはブッダも否定しませんでした(否定したら弟子ができる前に死んでた。睡眠不足で目が潰れた弟子もいる)。
次に『渇愛』ですが、これは自身の生命維持には必要でない『性欲』や喜怒哀楽(動物がもっている感情)と慈悲喜捨(善行)などの心(想い)に付随するものだと考えております。
最初は『渇愛』の中に『欲』も入れていたのですが、分けて考えないと生存と平穏はないなと思うようになりました。
では、『煩悩』とは何かというところになってくるのですが、『欲』や『渇愛』に『執着』がくっ付いたものではないかなと思います。
そして煩悩はそれぞれ『貪』『瞋』『痴』に分かれる。
『執着』だけではそれに寄生にする宿主(欲or渇愛)が無ければ『煩悩』にはならない。ただ、執着は一切のものにくっつく可能性があり、一切は煩悩になりえるのではと考えています。
つまり煩悩とはいかに執着を持たないかというところにあるのかなと思うようになりました。
ここで冒頭の回転寿司の話になるのですが、
1.凄くお腹が空いたから食事をしに外に行った。回転寿司を見つけたから入って適度に食べた。
2.すごくお腹が空いたから外に出た。どうしても回転寿司が食べたかったから回転寿司を適度に食べた。
1番は食欲を満たすだけなので煩悩ではなく、2番は食欲に執着がついているので煩悩である。
同じ例えで、
1.ボランティアで被災地に救援物資を送った。
2.ボランティアで被災地に救援物資を送ったが、力足らずだと思って悲しんだ。
どちらも大悲によって行った行為ですが、2番目は足りないという執着が生じているので煩悩である。
出家者は小欲知足と、渇愛のうち動物がもっている感情を滅し、慈悲喜捨に執着が付かないようにし心を乱されることなく過ごし、在家者は欲や渇愛は滅する必要はないが執着が付かないようにする。
ちなみに、十二縁起が全く理解できなかったので、四諦と八正道から経験を踏まえて考えてみました。
アドヴァイスをお願い致します。
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