hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
問答一覧
2025/09/11回答受付中

難病のパートナーとの同居について

こんにちは。難病のパートナーとの同居と彼の介護についてご意見をお聞かせください。 3年前、パートナーと同居していた際に、彼は難病指定を受け、障害者になりました。海外でしたので頼れる親族もおらず、一人で彼の看病を約半年した結果、私も心身ともに体調を崩して共倒れした経験があります。現在彼はご実家で療養中で、別々に暮らしています。 ですが最近、また一緒に暮らそうか、という話が持ち上がってきました。 ご実家への負担軽減、そして自分専用の生活スペースがほしいという彼の希望です。 私もまた彼と一緒に暮らしてみたいなと思う反面、過去の一人看病がトラウマになっているので、彼と2人きりになる(自分が全責任を負わなければならない)のが怖いという気持ちがあります。3年前、病のせいで彼の精神面も崩壊した際、彼のご家族を頼ったのですが、結局何も手伝ってもらうことはなく、大変な事態になったので、またその状態に陥ってしまう可能性を恐れています。 ちなみに彼とは婚姻関係にはありません。かなり長い付き合いで、もう恋愛感情ではなく、情でつながっている関係です。 彼には、もしまた同居するならば、私は彼の看病や身の回りの世話はしたくない、一人ではできない、という旨を伝えました。一人の自立した人間同士としての関係で同居したいと。介護や通院サポートは、必ず外部サービスや彼の家族に担ってもらいたいと。彼がハンディキャップを負ってしまった部分を補う係には私はなりたくないし、私にはできないと伝えました。かなり冷酷な人間と思われるでしょうが、経験上これが現実です。 そこで質問です。難病のパートナーと同居するのに、看病は一切しませんという立場は、実際、社会的に通用するのでしょうか。あるいは、パートナーの看病をする気がないならば、同居をするべきではないでしょうか。 体の不自由な家族がいる場合、どこの家庭も皆が協力するのが当たり前という傾向があり、婚姻関係があればなおさら、その責任が追及されるかと思います。 ただ、私たちは婚姻関係にはなく、家族でもありません。 厳しいお言葉でも、ご意見をいただけましたらありがたいです。

有り難し有り難し 47
回答数回答 4
2025/09/11回答受付中

母の死を乗り越えられる自信がありません

最愛の母を1週間前に突然の病気で亡くしました。 どうしても現実に思えなくて毎日母の姿を探してしまいます。 昔から母には心配ばかりかけ、結婚してからも甘えて愚痴ばかりこぼしていました。 その度に母は、それは困ったねー。と優しく笑いながら私の気持ちに寄り添ってくれ頭を撫でてくれました。 母が生きていてくれたから今までやってこれたと言ってもいいくらい母が頼りで大好きでした。 子供達の前では泣かないようにしていますが、1人になると泣いてばかりいます。 母が亡くなって日が浅いので、まだ乗り越えられなくて当然だと言う人もいますが、何年経ったとしても乗り越えられる自信が私には全くありません。 実家で一人暮らしになってしまった父も同じように母の死を受け入れられないでいます。 母が倒れてから亡くなるまでの半月程の間に1日だけ母としっかり会話をすることができた日があります。 その時の会話の中で忘れられないものがあるのですが、それは母が眠っている間、閻魔大王が出てきてお前は死んだら地獄に行けと言われ、怖い怖いって言っていたと言うのです。 その時は、もう大丈夫だから安心してね。と伝えたのですが、本当に出てきたんだ。と言う母の顔が忘れられません。 私の宗派では、亡くなるとすぐに極楽浄土に導いていただけると聞きました。 その教えの通り、母は今極楽浄土で安らかでなんの苦しみもないと信じていいのでしょうか? 先に逝った祖父母が迎えにきてくれて、安心して導かれたんでしょうか? 亡くなる1週間前くらいからは毎日病院に通い、身体をさすり、ありがとうと大好きを言い続けた私の声は母に届いていたのでしょうか? もちろん今も母には、ありがとうと大好きを伝えています。 どこかで聞きながら見守ってくれてますか? 私が天寿を全うしたらまた母に会えますか? でも本当は今すぐにでも母に会って声が聞きたいです。

有り難し有り難し 13
回答数回答 2
2025/09/10回答受付中

義祖父、との関わり方が分からない

義祖父との関わり方の正解が見えず苦しんでいます。 結婚を機に、大阪に引越し今は夫と息子(0歳)の3人で生活しています。 今は私と義祖父はほぼ絶縁状態です。 事の発端は私が妊娠をした去年の夏頃に遡ります。妊娠が発覚し、それからは激しいつわりの症状に日々苦しみ、毎日吐き、喉が裂けて吐血、体重は10kg以上痩せ、水分もとれなくなったため病院で管理入院をしたところ重度妊娠悪阻と診断されました。(結局出産するまで10月10日悪阻は酷いままでした。) 妊娠する前まで義祖父と定期的に会っており、ご飯に行ったりしていました。(義祖母は他界、義父母は違う県に住んでいます。) 悪阻が酷くなり会う回数が少なくなった頃、いつものようにお誘いが来たのですが体調を理由に断ったところ、『つわりなんて涼しいところを歩いたら治る』『子供を育ててるのにそんなことを言うな、可愛い心を持つべきだ』という返信が返ってきました。その瞬間に、踏みにじられたような気持ちになり、怒りと涙が止まりませんでした。その事を夫に話し、出産まで会うことはありませんでしたが、悪阻が酷い私に旦那は付きっきりなので、沢山会ってくれてた孫(夫のこと)にまで会えなくなり、『あなたと結婚したせいで𓏸𓏸にたくさん会えなくなった』と怒りのメッセージまで来ました。 さらには、私の体調を心配して長野から大阪に来てくれた両親をご飯に誘うメッセージを送り、断られると『今まで孫のように可愛がったのだから親が俺とご飯に行くのは当たり前の行動だ!』ととても怒ったメッセージが来ました。 両親は仕事の合間を縫って4時間以上かけ長野から来て、様子を見て次の日に帰ることが多かったので当然時間が無くお断りしてました。 そしてその事で『𓏸𓏸ちゃんがこんなに意地が悪いとは思わなかった』とまで言われ、夫や義母が義祖父へ話をしたようですが、本人は自分には一切非がないと言った様子で話にならず、私は耐えきれなくなり連絡先を削除し一切の交流を断ちました。 なのでとても嫌いになってしまい、出産後に仕方なく私抜きで息子に会わせましたが、それから4ヶ月経ちましたが一切会わせておりません。 会わせたくない理由はもちろんありますが、私の感情のせいで、息子をおそらく可愛がってくれるであろう義祖父との交流をなくしていいものか、考え続けても答えが出ません。

有り難し有り難し 11
回答数回答 2
2025/08/29

この時代に子供をもうけるということ

相談しにくいことなので利用してみたくなり、初めて質問します。よろしくお願いします。 長くなるので相談内容を先に書きます。 相談したいことは、この時代に子供をもうける事が不安。そして私自身がネガティブ思考が抜けずちゃんと育てられるか、父のように子にひどいことを言うようにならないかが不安です。 以下、この相談をする経緯です。 結婚して1年になります。 夫はずっと子供が欲しいと話しており、私はどちらでもいいという考えを持っていました。 私は子供が好きです。親族の子供たちも友達の赤ちゃんもとってもかわいいし、どうしたら学びながら楽しく遊べるかな?と考えては色々準備して会いに行ったりするくらいには子供が好きです。 しかしながら自分が子をもうけるという話になると不安で不安で仕方なくなり、行為に及ぶことも拒んでしまいます。 なぜ不安なのか?自分は本当はどうありたいのか?これまでもたくさん考えてきたけど、迷子になってどうにも前に進めません。 私の中には懸念が2つあると思っています。 1つは時代背景です。少子化が進んでいること、世界情勢の不安定さ、子供を産み育てることに求められる責任感の増強。 今子供をもうけたら2050年問題と言われる頃に大人になります。大変な思いをすることが自分たちの今より多く、生きることが楽しいと思える日々を過ごせるのだろうかと、子供のことがとても心配になるのです。 生まれるからにはなるべく幸せに生きてほしいので…。 2つ目は私と父の関わりです。 父はお酒が入ると口が悪くなるタイプです。 何度か傷つくことを言われ、トドメを刺されたのは22歳の時。両親が別室で口喧嘩になっていて、父は酒が入っていました。たまたま聞こえてしまった、私の存在が邪魔だという内容の言葉。とても傷つきました。 耐えることなどできず、母にだけ相談して家を出ました。 今は関係は少し良くなりましたが、心を折られすぎてメンタルが完全に回復することはなく、自己肯定、自己受容のどちらもうまくできなくなっています。こんなメンタルで子供を育てるなんて不安で仕方ないし、父の血が流れる私が育てたらいつかひどいことを言って傷つけてしまう日が来るのではないかという怖さでいっぱいです。 長くなりすみません。 最後まで読んでいただきありがとうございます。 お言葉をいただけるとうれしいです。

有り難し有り難し 65
回答数回答 6
2025/09/09回答受付中

私は生きている価値があるのでしょうか。

ここで何度か相談させてもらっています。妻がある神道系の信仰にすがっていたのですが子供が生まれてから、指導者の方が「その子は人間じゃない。魂を入れ替えないと20歳までに死ぬか犯罪者になる」と言われ、妻がそれを信じ込むようになり関係がぎくしゃくするようになって10年以上が経過しています。一時期は妻はその信仰と関係切れたのですが、すぐに戻りました。そのような中で妻が「自分の命が危ない。」というようになり、実際に救急搬送され、集中治療室に入りました。妻が倒れている間、私は普段お参りをしているお寺にて妻の回復の祈願させていただきました。その後、妻は1週間意識をなくしていましたが、奇跡的に回復。ただ、退院後に私が妻が倒れている間に勝手にお寺で祈願したことを激怒し、また指導者に連絡を取らなかったことを怒り、責められてしまいました。妻は回復してきましたが、体調は今一つで、私の態度や対応がストレスで病気になる。ストレスを与えないでほしいといわれるようになりました。妻の信仰に私がトラウマを抱えていて私の価値観で妻を何とかしようと思っていましたが、結果としては全て裏目に出ています。私と価値観が違うところにいることを改めて確認しました。私は家族のためにも自分が耐えて一緒にいないと思っていました。しかし、最近もしかして私が家族にとって迷惑をかけているのでは、私は早く死んだほうが良いのではと思うようになってきました。妻からは「嫌がることばかりして見えないDVを受けている。」といわれて、自分はDVなんてしているつもりなかったのですが、私の価値観で強引にしていたり、妻との会話で私が余計なこと言ってまた何か言い返されたらどうしようと思い、最近は家のことに関して相談せずに自分だけで判断して決める場面も増えていてそういう風にとらえられていたのだと気づきました。私は妻を傷つけるつもりはなかったのですが結果としてはそういう行為をしていたことに気づきました。私に出会わなければ妻も苦しまなかったのではないか。私は生きる価値がない人間ではないのかと思うようになりました。妻も今は病み上がりでフォローが必要でもあり、子どものことも思うとここで投げ出すの無責任だと思ったり、自分はもう少し耐えたほうがいいのかと思ったり迷っています。ただ、それも自己保身なだけで自分は人間として偽善で非道なのかと思ってしまいます。

有り難し有り難し 27
回答数回答 2
2025/08/29

大切な人を傷つけた償い

現在19歳の専門学生で、22歳の社会人の姉がいる女子です。 私はいわゆる愛玩子で、姉が搾取子でした。 私は軽い発達障害を持っており、鈍臭く怠け癖のある性格で、大人にはあまり反抗しない従順な性格でした。一方で姉は努力家で要領も良く真面目で、それでいて親や先生相手でも納得できない時は徹底的に反抗する、自立心が強い性格でした。 母は私には甘く過保護気味で、姉には厳しく放任気味という具合でした。人が普通にできる事が私には普通にできないせいか、私のどんな小さな成長も母には大きく感じられたようで、テストの点が少し上がっただけで大げさなほど褒められました。一方で姉はどれだけ努力して学年1位になっても、軽くあしらわれていました。 この母の態度の差はかなり昔からあり、自分ばかりが贔屓されている事に子供ながらに気づいていました。それなのに、私は姉に寄り添う事も母に反抗する事もできませんでした。 SNSで偶然姉のアカウントを見つけたのですが、そこには自分ばかり厳しくされて嫌だった事や、そのせいで自己肯定感が今でも低い事など姉の赤裸々な思いが綴られていて、申し訳なさで胸が張り裂けそうでした。 そして歳を重ねるにつれ、母が最初から本当の私など見ていなかった事に気づいてしまいました。母が愛していたのは「いい子の私」だったのです。 母の価値観から外れたことをしようとしたら「みっともない」「恥ずかしい」と、気にするのは世間体や自分の立場ばかり。 私がバイで、男性も女性も恋愛対象である事をカミングアウトしたら「一時の気の迷いだ」と決めつけられ。 おかしいと思った事に意見すれば、一方的に罵詈雑言を浴びせられ。 今の姉との関係は良好で、私がバイである事も知っていて、母に言えない事も話せるような仲ですが、その優しさが辛いです。 私が障害を持って生まれたせいで、姉やたくさんの人を傷つけました。私が生まれなければ誰も不幸にならずに済みました。 だから私は、できるだけ人を(姉も含めて)傷つけないように、優しく誠実であろうと努めています。幸せになるのが怖くて、自分から不幸を被りに行ってしまいます。それが私なりの「生まれた」という罪の償い方なんだと思います。 幸せになる権利も愛される価値も生まれた意味も、姉を傷つけた私には何一つありません。でも、この償いは一体いつまで続けたらいいのですか?

有り難し有り難し 23
回答数回答 3
2025/09/09回答受付中

心身の健康と自死の不安について

私は、俗に言う社会的ひきこもりでしたが、一方では10年間以上祖母宅で介護をしていました。間違いばかりで、本人も私の性格など含め苦労したでしょうが、祖母の介護や二人三脚で過ごす日々は生きがいと喜びあふれる時間でした。しかし、過干渉する別宅の両親やケアマネの介護現場や、私や祖母の意思尊厳を壊す態度等で、私の生活と介護は混乱し、生活にならなくなり、家庭崩壊し、私は疲れ切り、リハビリを必死に頑張ってきた元気だった祖母は私の疲れに合わせるようにあっと言う間に他界しました。 私や妹をたくさん可愛がってくれ、たくさんの方々を明るくお世話をしてガンだったずっと前に亡くした祖父を全身全霊で看病した、人を大切にしてきた努力家て思いやり深いが不安や寂しさがすごく強く、いつも皆と仲良く過ごすことを求めてきた祖母でしたが、大混乱の中で誰にも看取られず最後は一人で旅立ちました。寂しすぎ本当に済まなさすぎます。両親を激しく責めましたが、寂しすぎる終末期を私が作り介錯したようなものです。人生を終わらせた後悔と、もう祖母をお互い笑いながら介護して過ごせない悲しみ、徒労感に包まれ、人生に意味を感じなくなりました。祖母の亡き後は体調を壊し、家族からは介護していた私が問題児役となり、介護していた祖母宅を両親から退去命令も出されています。将来への絶望、家族親戚世間からの、偏見と悲しみ苦しみで自信もなくなり、仕事に出るタイミングもあったのですが、親戚の無責任な行動や生活制限が両親からかけられたりしたことで掴みきれず逃し、アルコール依存や躁うつ、不安に益々襲われ、死をもとめています。身体も異変が生じています。家族や親戚に自立のためにやっているだの、新興宗教の方々に前を向けとか、逆に放任されることもあり、それらにも疲れました。生活費は今は、障害年金と貯金を取崩し何とか生活していますが、退去命令で途方に暮れています。 今一番求めているのは、誰かに気持ちを聴いてほしいことですが、とにもかくにも今どんな気持ちを大切にしたら、人生を切り拓ける第一歩になりますでしょうか?どうかよろしくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1