子は母のなんですか?
私の母は、宗教に入ってます。
とても熱心な信者です。
私は宗教に熱心な母を良く思いませんでした。
なぜかというと、
学校で頑張った事、良い事を母に報告すると、
必ず
‘‘宗教のお陰だね。’’
や、
‘‘○○様(その宗教の創始者)に感謝しなくちゃね。’’
と言われ、私自身の頑張りや、感情が流されていたからです。
また、母の頑張りさえも母からいわせると宗教のお陰なのです。
以来、私はその宗教に拒否反応を示すようになり、学生時代(※特に小中学校時代)はよく母と宗教の事で喧嘩していました。
一時期は母を軽蔑してました。
が、私も大人になり働き出してから、少しずつ母と会話をするうちに気付いてきました。
母は炊事洗濯料理…家事全般が苦手だったこと、私達(※三姉妹です)を育てている時は、特に情緒不安定で、朝起きる度に死にたいと思ってた事、うつになりかけるくらい悩み、苦しんでた事…
驚きでした。母はお母さんの前に"一人の人間"だという事を思い知りました。
同時に何故、母はあんなにも宗教に熱心だったのか…宗教は母が"お母さん"である為の支えだったという事がはっきり分かりました。
こうゆうのを因果っていうんですかね、
私が嫌っていた宗教に母が熱心だったのは、
私達の為に"立派な母親"であろうとしてくれていた為でした。
私はなんにも母の事を分かってませんでした。
それから、少しずつ母に歩みよれるようになってきました。宗教に関しても理解しています。
同時に、母にとって宗教はあまりにも大切過ぎる存在だという事も思い知らされました。
母から宗教をとってしまえば、多分母は崩れてしまいます。
それ程、母の心には宗教が根付いています。
当たり前です。私が頑張っている母を軽蔑していた時にいつも支えてくれていたのはその宗教だったのですから。
比べるのもおこがましいくらいです。
今さら、後悔しても遅いですが、
私は、母の心の支えにはなれません。
私が死んでも母は悲しんでくれると思いますが、宗教が助けてくれると思います。
しかし、宗教がなくなったとき、
私は、母の心を支える事は出来ないと思います。
私は母が大好きです、心から尊敬しています。
母が私達を愛してくれている事も分かります。
ただ、自分を納得させるためにも、
違う解釈の仕方があるなならば、教えて頂きたいです。
有り難し 8
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