2023/03/14後悔と自己嫌悪で気が狂いそうな毎日です
長年に渡り取り返しのつかない過ちを犯し、文字通り「お墓まで持って行く」と決めている事があります(犯罪に当たるものではありません)。
都度そのような事をおこなってしまった当時なりの理由はありますが、何を言っても全て言い訳と自分の弱さです。今となっては愚かとしか思えず、当時の自分を理解できません。社会的な制裁や天罰が降ることなくここまできてしまいました。
このような私ですが、一般的には真面目と言われ続け、損な役回りや利用されたり裏切られたりサンドバッグにされがちなタイプでした。
その出来事と決別して7年ほどになります。事の最中も思い悩み、これまでも後悔・反省・懺悔…押しつぶされそうになりながらも周囲のためにも狡い自分の保身のためにも何とか心の平静を保ってきました。
ところが最近、その出来事の頃から巣食っていたのでは?という病の疑いがわかり、自分自身や過去ついて考える時間が増えたことにより、気が狂いそうになっています。
検査結果が出るまで生きた心地がしませんでしたが、結果何事もなく安堵する反面、これは罰ではなかったのか…私はいつどんな罰を受けるのだろうと。
病や事故、災害等に遭われる方々が何かの罰だとは思いません。ただ、善良な方々がそういったことにみまわれる中、何故私は安穏と生きて生活していられるのだろうと。この先何があるのだろうと。私個人で完結する罰ならば良いのですが、周囲の大切な人々に影響が出たり心労を与える事は何としても避けたいのです。
私はお墓まで持っていくつもりですが、関係者もいることなので将来明るみになる可能性はゼロではありません。そのことに怯えて続けることも辛いですが、自業自得故に罰としては軽すぎると思います。
将来明るみになるのなら今いっそのこと…と一瞬考えますが、自分可愛さ弱さで決断できません。大切な家族や身内にとってはどちらが良いのでしょう。
せめてせめて、今ある環境を大切にして周囲に感謝しつつ優しく生きて行こうと心新たに努力中です。
ただ、何をしていても後悔と自己嫌悪、将来への不安にとらわれ苦しくてたまりません。過去は消すことができません。自業自得です。わかっています。全ては私の愚かさが招いたことです。
せめて私個人で完結する罰を、また仮に償えるのならば、私ははどのように生きたらよいのでしょうか。
有り難し 9
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