生きることは苦しです。
急に考えてみたくなりました。「光と闇」それは万物の全ての形。別の言葉で例えれば「表裏」「白黒」「喜怒」他にも色々とある。でもこれは人間が捉えた感情であったり、また二次元的・三次元的な視覚によるものである。人間の欲望は底知れなく何でも欲しがる。人の持つ五感で捉えられるもの以外の、一般にいう第六感的な世界にまで人間の欲望は広がっていく。しかしそこは闇の世界。限られた人間にしか垣間見ることが出来ず、パンドラの箱のように一度蓋を開ければ、閉めることが出来ない。その世界を垣間見た人からみれば「光」の世界で、その世界を見ることが出来ない人から見れば「闇」の世界である。多くの人は見ることがない世界。そういう意味では一般的には闇とは、知識のなさを喩えるのにも用いられるので、「闇」という表現にもなる。「善悪」の表現のように、どちらが善くて、どちらが悪いではなく「個性」とか「宿命」とか「因縁」とかそういう表現に近く、自分の意思に関係なく一方的にあるものであり、生まれながらそれを感じて成長する人もいれば、人生の何かのタイミングで急に花開くが如く現れる場合もあり、その場合花開いてから以後、見るものが自身の道徳、正義と向き合うこととなる。そして次に、それが実は歪んだものなのではないかと揺さぶりをかけてくる恐ろしい衝動に幾度となく襲われ苛立ち、その苛立ちは人を精神的に追い込み、かろうじて保たれていた秩序が崩壊する。そして、人間の醜いエゴや悪意といった闇の部分が表に出はじめる。とにかく、ひたすら、誰にも分かってもらえない自身の苦悩や心の闇にもがき苦しんでいる姿をある意味、別の視覚で捉えながら孤独感や罪悪感を埋めるかのようにさらに刺激を求めるというループにはまり、人の心はどんどん心の暗闇の底に向かって落ちていくかのように思える。ただ命を繋ぐ物資だけに頼って生という時間を過ごす不条理さは、目を覆いたくなる。だから人は何かに価値を求め、何かに意味を求め、何かに証を求め、そしていつしかそのループから脱出する手立てを得る。
離婚を経験して1年が経ちました。この1年間考えてきたことが生きる事の意味でした。まだ苦しんでいます。これからも苦しんでいくのでしょうか。生きることは苦しです。生きることも生への執着だからある意味煩悩ですよね。矛盾していませんか。どうでしょうか。
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