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hasunoha 問答検索結果 : 「 生きる 」

検索結果: 32107件

もう全てを終わらせたい気持ちが強いです

わたしは、女性初の金属オペレーターとして工場に5年間正社員で誇りをもって務めておりました。 ところが女性を現場にと動いていた上司が不当な左遷や定年で会社を去り、 新しい上司にミスを擦り付けられた等ったのでそれは違うのではないかと物申したところ、 とても危なく、より男性色の強い現場に移動になりました。 そこでは男性と話していたら「アイツらできている」化粧をすれば「男を誘ってる」と言われ仕事をすれば、「またアイツうんこしてるよ」(うんこ=仕事)と言われる環境でした。その頃はストレスで過食嘔吐をしており、ある時糸が切れたように実家で自分を殴る等して傷つけるまでに至り、上司に相談しましたが移動はさせない、と言われ退職しました。 その後接客業につきましたが、店長には仕事をろくに教えて貰えず、聞いてもは?わかるでしょ、見よう未真似でやってもは?違うんだけど?? といつまでも仕事を覚えられず、同期の方からは嫌味を言われ続け、仕事内容も合っていなかった事もあり会社にいけなくなり退職しました。 今はお暇期間を経て派遣で工場勤務になりました。 そうしたら今度はお金の心配がやって来て、やっぱり我慢してでも前の工場にいたら良かったのか。 また、支えたいと言ってくれていた彼氏に同棲して支えて欲しいといったところ同棲はしない。 結婚についてはその場しのぎに来年と言われてしまい何も言えなくなってしまいました。 思えば前前職の工場で移動があった1年半年前から性格がガラリと変わってしまって、 昔は明るく元気で周りに人もいたのに今では休みの日や仕事が終わってからすぐ真っ暗の中ベッドに入り「死ぬ方法」、「人生終わらせたい」 と検索しています。 生きる意味が分からないし、生きていたくもないんです。 もう全て終わらせたい。 いいことなんて何も無く、この先も辛い事ばかり。 でも死ぬ勇気はない。 どこまでも中途半端であり、どうしたら良いのかわかりません。 つらいです

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義父との関わり方

義父はギャンブルが好きで、夫が小さい頃からギャンブル依存・借金問題があり、それが原因で離婚しています。 子供の世話はせず、夫は祖父母に育てられました。 その後、かなり年下の中国人と結婚し、妹が生まれました。それからもギャンブルで借金問題を起こし、夫も異母妹も大分泣かされたそうです。 私が夫と結婚してからは少し落ち着いていたようで、年に数回会い息子も可愛がってくれていました。そんな中、先日義母が突然病死しました。 義父は今60代後半、無年金・無貯金の状態で、家事などは全く出来ず生活能力はありません。義母が亡くなってから、義母の親族に10年以上前から数百万の借金をしており、一切返さずにいたことがわかりました。 義父母は、それぞれ働いており、月の収入は50〜60万あったにもかかわらず、それを全て使いきる生活を送っていたそうです。さらにローンも残っています。 そして義父の両親は健在ですがお世話は妹に丸投げ状態です。 自己中で、ギャンブル依存、無年金・無貯金・借金まみれ、親の世話をせず、お世話になっている親族や子供たちにも感謝の言葉もありません。年齢は親族の中でも上の方なので、自分を敬わない事に不満があるようで、偉そうな事ばかり言い、そのくせ中身が伴っていません。 今、義父の今後の生活について親族で話をしているところですが、義父の計画では数年働いたら私達に世話になる予定だそうです。 夫と共に派手な生活はせず、コツコツ働き貯蓄もし、子供には老後負担をかけないように頑張っている私達には、義父の生き方は受け入れ難く、暖かく迎え入れる気持ちには到底なれません。同居は拒否したい。 アリとキリギリスのお話のように、キリギリスの生き方をした人は寒い冬を外で過ごすのが道理だと思います。なぜ、キリギリスの生活を保障してあげなければならないのか、真面目に生きてバカをみるような状況がとても辛いです。 私は、自分の家庭を守りたいです。 今まで自分勝手に好きなように生きてきた義父と今後どう関わるべきなのか、とても悩んでいます。

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2023/03/08

どうしていくら努力しても苦しいのか

他人と比べるなとはよく言いますが、人より努力が足りなかったことはないと思います。 かつて自分が慢心していたことに気づいて、それを改める努力をしたり、足りない部分は補うように努めてきました。 それでも、世の中や友人だった人たちの中には 己の傲慢さを知ることもなく、改善する気もなくむしろ私や優しい友人をいじめたり加害してその場から去るまで痛めつける人が何人もいて、私は毎度そういう人と巡り合ってしまいます。 生まれた家庭は、父が事実婚のお嫁さんがおり、その人は家族を捨て離婚してきた人 私の母は、その事実婚で同居していた2人の仲を引き裂いて私を産み、いわゆる不倫の末のデキ婚というものです。 幼い頃ずっと、(他人には信じてもらえないので話しませんが)大人の女性の声で「お前のせいだ、お前さえいなければ」という怨念がましい声が聞こえていました。 19歳の頃、父から私の生まれとその女性(もともと父の彼女さんだった人)の話を聞いてからぴたりとその声はなくなりました。 明らかに両親は良くないことをしていると思います。このような場合、私は生まれながらに業を背負っているのでしょうか? どんなに努力しても報われず、女性から酷いいじめを受けたり、味方してくれる男性が出てくるとその人を別な女性に取られることがあまりにも多いです。 もう頑張る気力が尽きてしまいました。 具体的には、いじめ、パワハラ、親からの理不尽な過干渉と管理、再びいじめ、等です。 最近では、インターネットで助けを求めてもなぜか辛く当たられることも増えました。 医療職や専門家の人にも八つ当たりをされます。もう限界です。 どうしたら、頑張りが報われますか。それとも、まだ何か足りないのですか。できるだけ傷つきたくないです。休みたい。そして安心して生きたいだけです。多くは望んでいません。 世の中の人は自然ともっと強欲に見えます。私はその半分も求めていないです。それでも世間の人は幸せそうです。 ようやく生きていきたい、自分の人生だからよくしたいとまた思えるようになったのに、苦しさで潰れそうです

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家族の死、自分の死が怖いです。

私は人は死んだら無になると思っています。しかし無になるということを考えるだけで怖いです。私たちに生まれる前の記憶がないように、その頃の状態になるのかな?などと考えてしまいます。 私がまだ幼稚園か小学生低学年だった頃、NHKのニュースを見ていて「北朝鮮と日本がいつか戦争になるかも。そしたら自分も家族も死んでしまうかも。」などと幼いながらに考えてしまい、死が怖くなって、夜な夜な布団の中で泣いてしまい怖くて朝まで眠れなくなってしまったことがありました。それから月日が経ち、死を考えすぎてしまうことは無くなりました。 しかし最近夜になると死を考えて泣いてしまい眠れなくなってしまうことが再び増えてきました。1度考え出すと怖くて3時間は泣いてしまい気づくと眠れないまま朝を迎えています。 輪廻転生という考え方が好きで、その言葉を支えにしたいのですが、輪廻転生も所詮は生きている人が考えた言葉にすぎない。死んだら思考回路すら無くなるんだから、輪廻転生して再び自我が目覚めたとしても、それは新しい自分であって、昔の自分は消えてなくなる。結局人は無になるんだ。という結論にたどり着いてしまいます。 私の父は69歳、母は63歳、祖母は91歳。比較的高齢の家族ですが凄く元気です。ですがふと、この家族で過ごせる幸せな時間は永遠ではないんだと考え「あと何年?」と考え辛くなります。 最近は高齢な家族故に両親と過ごせる時間より、両親がいなくなった後の時間の方が長いのかもと考えて泣いてしまいます。私は両親のことが大好きなので、2人がいつかいなくなってしまう。「無」になってしまう。そんな日がくるのがとても怖いです。 そして今見ている景色、大切にしている物、現世で学んだ知識、死ぬ時は全て手放さなくてはならない、私も死んだら無になる、家族と家族だったことも無くなる、もうこの家族には会えない…どこまでもそのように突き詰めていってしまいます。 よく「(死を考えるくらいなら)今を楽しく生きよう」という言葉を聞きますが、そのような考え方に自分が対応できず、ただ死が怖いです。 本当に最近このような考え方に陥って泣いて眠れなくなることが多くて困っています。 何か少しでも心が軽くなるお言葉、そして仏教では「死」に対してどのような考え方を持っているのか、お話を聞かせていただきたいです。 よろしくお願いします。

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祖父の死と身近な人の死への恐怖

こんばんは、夜分遅くに失礼します。 27歳女、一人っ子として生まれました。 父母ともに初孫で躾は厳しかったですが私立中高一貫校へ行かせてくれたりとかなり愛されて育ったように思います。 現在は医療従事者として病院に勤務しており、そのため疾病や病態の知識は一通りあり、また死やそれに関するご家族の反応などにもとても身近な毎日を送っております。   本題になりますが、祖父の死をきっかけに身近な人の死が恐ろしくてたまりません。 数年前に最愛の祖父を亡くしました。 遠方に住んでいた祖父、私は当時専門学校に在学中でしたが、中高の不登校が再発、単位をかなり落としておりこれ以上はほぼ休めない、というタイミングで祖父の急性増悪を知りました。間質性肺炎と言い、不可逆性で致死率の高い持病が元々あったこともその時に知りました。今ならその事がわかるので、学校側に何と言ってでも祖父の最後に立ち会いに行っていたと思います。   ですが当時の私はとにかく卒業しなければとの一心で、この土日になったら会いに行こう、と少し予定を先延ばしにしてしまい、祖父の死に目に立ち会えませんでした。もともと厳しい祖父、高校生から少し苦手意識が芽生えてしまいあまり会いに行けていませんでした。 亡くなる前日に先に見舞いに向かっていた母の携帯を通じてテレビ電話をほんの一瞬 おじいちゃん大好きだよ、早く良くなってね、と伝えたのが最後になってしまいました。 なぜ無理を言ってでも会いに行かなかったのか、ずっと頭にこびりついて離れません。祖父には私の言葉は聞こえていたでしょうか。   この日から大好きな両親の死、遺された祖母の死が恐ろしくてたまりません。毎日夜泣いてしまいます。 いずれ必ず絶対に訪れる事ですが、特に両親がいなくなった世界で生きていくビジョンが見えません。 両親ともにもう60歳前後、特に父は糖尿病も患っており、あと二十数年ほど生きられれば良い方である、と自分で認識できてしまうのが本当に辛いです。 仕事中に何かあったら、また死に目に会えなかったらどうするのか、、   27歳にもなってこのようなことで泣く自分が情けないです。まだ恩返しもできていないのに、時間が足りると到底思えないです。 どのように考えれば心の整理がつくでしょうか。 どう過ごせばその時を後悔なく迎える事ができるでしょうか。よろしくお願い致します。

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