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hasunoha 問答検索結果 : 「私 縁 」
検索結果: 12785件

ペットの犬に対しての後悔

こんばんは。初めて相談させていただきます。8才の犬が末期の癌だと診断されました。 余命1ヶ月、現在ターミナルケアです。8年前まだ幼かった息子の相棒になればとお迎えしました。 とても穏やかで可愛らしい子です。 元気な頃は日中は祖父の家に連れていってました。祖父と一緒に散歩に行きのびのび遊び私が仕事終わりに迎えに行くという毎日でした。 ですが家に戻ると粗相を繰り返すという理由でゲージの中に閉じ込めていました。 ゲージを開ける時はご飯・おやつの時間、トイレシートの交換時、朝祖父の家に連れていくときのみでした。 土日は夫が散歩に連れていきましたが基本ゲージの中のみ。 粗相をしたりうんちを踏みぐちゃぐちゃになったシートを見たときなどイライラしてしまって「もういらない!」など大声で叱ったり叩いたりもしていました。 そんな数年が過ぎ、先月体調の変化に気付き病院に連れて行くとヘルニアかもしれないと言われゲージ内で安静という事で2週間様子を見ていました。 どうもおかしくて再度連れていったら末期の悪性腫瘍と…。痛みを緩和するしか道は無く余命も告知され頭真っ白の状態です。 もっと気にしてあげていたら、もっと構ってあげていたら、あの時身体を舐めていたのは具合の悪いサインだったのでは…そんなタラレバばかりです。なにより具合が悪くなってから大切に思うなんてどうかしてる、と。 元気な頃は抱っこもろくにしてあげず寂しい思いをさせ具合が悪くなったからといって急に抱っこをする飼い主をあの子はどう感じているだろうか、なんでもっと大事にしてあげられなかったのかと毎日激しく後悔しています。 今懸命に生きているあの子に最期までしてあげられることは全てしてあげたい。心底思うと同時に今更何してももう遅いんだよ!と思います。 うちの子にならなければもっと長生きし、もっと幸せに暮らせただろうに、と後悔で胸が苦しくて張り裂けそうです。纏まりのない文章で申し訳ありません。

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2023/05/20

性善と仏性、性悪と救い

ずっと日蓮聖人と法然上人、親鸞上人のことが頭から離れず、キリスト教を勉強しながらも反芻していました。 人の本質を仏性とすることを日蓮聖人は言われてたと思うし、窮地に追い込まれても 法華経を支持する神仏を信じることで内に起こる恐怖や不安からくるお気持ちと闘われたと思います。法然上人、親鸞上人は、法華経を目指しても自分の力ではなれない悪人と悟ることで仏の光が差し、念仏によって阿弥陀様に救われる。とされた気持ちもわかります。 悩んだあげくキリスト教を勉強し始め、生きる軸としようと生きています。 キリスト教は、自分の悪を知り、弱さを知り、懺悔を、神の御心とキリストを通して贖罪をし、罪を作らない知恵を学び祈りとするのだと思います。父が学会員だったり、祖父が浄土真宗ということで里心があるのかもしれません。地獄は人間が作った観念だと思います。神仏は地獄を作ってないと思います。時々、御布施や献金のお願いばかりして、本当に神仏を必要とした老後や病気や貧困になった時は自己責任と見放すのがお寺や教会かなって思い、まあ神仏は見放しませんよって説かれても そうだよねって思う。ちょっと信仰心も冷静になる。書いてる内に落ち着いてきました。結局、介護士になり、人の生き死に寄り添いケアをする仕事に神仏をおき、自分の命をつなげるお金をいただいていることに感謝と献身することを神仏に導かれたと思います。いろいろ悩んでいた頃の以前の履歴を恥ずかしく懐かしく想いながら、自己の命と介護させて頂く命が神仏に救われていくように祈り、頑張りたいと思います。相談したかったことは、私は許され生きていけるのかということでした。 大失恋をしたような気持ちでしたが書いている内に救われていると思えてきました。ありがとうございました。

有り難し有り難し 9
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2023/07/18

寺の長男は後を継いで当然なのでしょうか?

兼業の寺院の長男です。 姉が一人いますが私が跡継ぎとして育てられました。 子供の頃に跡を継ぐかは将来考えると親に言ったら叱られたのが衝撃で、以来、自分が必ず寺を継ぐものと思って生きてきました。 祖父も父親も僧侶として素晴らしいと思った事もなく、僧侶資格を取る為の過程で出会った講師の方達の話もポジショントークばかりの様に感じて僧侶に良い印象はありませんでしたが、経典や宗祖の残した言葉は興味深い部分もありましたし、継ぐ事で世話になった親の肩の荷を下ろしてあげられて、檀家さんの役に立つなら継ぐのも悪くないと納得していました。 しかし私が結婚してから、私達夫婦は寺と仕事を両立する為に両親とは異なる生活の仕方を計画している事を話すと、両親は話し合うまでもなく「寺をやる気がないのか」「そんなに寺を軽視していたのか」等と不快感を示しました。私達は詳しく説明して、話も聞かず頭ごなしに否定するのはおかしいと両親に抗議すると「お前達の考えを知らなかっただけ。自分達の態度は悪くない」と、話し合いもせず不快感をぶつけた自分達の失礼な態度を認めません。 両親は私が成人しても寺について何の話し合いもしませんでしたが、両親は私達が両親の気持ちを察して両親の思い通りに暮らすものと勝手に信じていたようです。 挙句の果てに私が跡取りである事や両親の寺のやり方は「祖父が決めた事であって自分達に責任はない」とさえ言いだしました。 もちろん私の人生選択に責任を負うのは私自身ですが、間違いなく私に影響を及ぼしてきた親なのに、恥ずかしげもなくそんな事がよく言えるなと思います。 姉は姉で結婚して家を出る時も、寺の事など気にもかけなかったくせに、両親の肩を持ち、後継ぎなら両親のやり方を踏襲するのが当たり前だと私達を責めます。 私が「貴方が私の立場なら今の時代でも両親のやり方を黙って引き継ぐ事を受け入れるのか?」と聞くと姉は「自分が跡取り?意味が分からない」という様子で、姉にとって跡取りとは私以外であるはずがなく、姉が私の代わりになる事を想像するどころか、私が継ぐ事をありがたいと思った事さえなかったようです。 私は寺や家族の事を思って選択の幅を狭めてまで生きてきたのに、家族にその人生を軽く見られてなお継ぎたいとは思わなくなり跡取りは辞退したのですが、寺族の跡取りへの思いというのは一般的にこの程度なのでしょうか。

有り難し有り難し 24
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お盆について。

いつもご相談を聞いて頂き、ありがとうございます。今回は、お盆の事について教えて頂きたいのですが…. 我が家は本家の為、仏壇があります。 お盆は、12日夕方にお墓参りに行き15日にご先祖様を送って行きます。 お盆の間は、朝に精進料理を作りお供えします。 おちゃと?茶湯をしに、親戚の人も必ず我が家に来られます。 このおちゃとが、私には嫁いでからの経験でした。主人の祖母が言うには、おちゃとをすればする程良い。お盆は、おちゃとを何回も何回もするのだと… 祖母が生きていた時は、皆のおちゃとの回数をチェックしていました。あの子は、今回はおちゃとが足りないとか。 私にも、あんたのおちゃとの回数は、少なすぎる!とか… 祖母が亡くなってからは、親戚の人も、お盆中に一度程度おちゃとをしにくらいになりましたが… そんな事もあり、私はおちゃとが苦手で好きではありません… 長男嫁の私は、お盆は本当に忙しく、ゆっくりおちゃとなどしている時間はないのです。 しかし、義父や主人は、おちゃとをしない私を罵ります。今にバチが当たる!と。 本当に私はバチが当たるのでしょうか?笑笑 また、お盆中はずっと精進です。肉魚を口にしてはいけません。若い食べ盛りの子供がいるので、正直精進は無理です。 愚痴っても仕方ありませんが、毎年お盆が苦痛です。ご先祖様には申し訳ありませんが、私なりに出来る事をする事で供養になりませんか? やはり、最後には、バチが当たるのでしょうか…

有り難し有り難し 27
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2023/01/17

過去の不倫について

私は過去に不倫経験があります 相手は職場の先輩です 「このまま継続していても幸せを壊すし私の身勝手で皆が傷付く様な事を私はしている」と罪悪感などを日々感じる様になりました。 そして、別れを告げました。 仕事上の接触はありますが、今は職場の先輩として接しています。 誰にも発覚せずに関係は解消しました。 別れてからは、自分のした事に対し後悔や自責の日々が続きました。 今も、 「私はたくさんの人を裏切ってきたんだ。こんな最低な私が普通の生活を送れている。こんなに幸せでよいのか」 「もし、何かの拍子に発覚して全てが崩れたらどうしよう。慰謝料とか言われたらどうしよう」 等と考える日々です。 とてつもない自責の念、不安や恐怖が襲い、 「発覚したら生きていられないかもしれない」 と思ったりしてしまいます。 勿論2度と同じことはしません。 このことは墓場に持ってくつもりです。 関係を解消してからは、仕事に没頭し、自分の周りの人達に些細な事でも手伝い、罪滅ぼし出来たらと考えて生きてます。 今の職場は、転職は考えていません。 こんな私でも普通の生活や職場で、皆と笑って過ごして良いのでしょうか。 これは、私への罰だと思っていますが、 凄まじい自責の念、不安な気持ち。 苦しいです。 何かアドバイスをよろしくお願い致します。

有り難し有り難し 28
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2024/04/08

たまに思い出す母の言葉がやっぱり辛い

数年前に健診で甲状腺の病気が分かり、それを何気なく母親に打ち明けた時に返された言葉をたまに思い出して辛くて泣けてきます。 今は実家を出て離れて暮らしていますが実家を出てから家庭環境がちょっとおかしいことに気付き、両親のことはもう諦めてそういう人(たち)なんだと思って割り切っていたつもりでした。 帰省したタイミングでこんな病気だった、緊急性はないけど一生付き合っていく病気なんだよね~と軽く報告程度にしたら、どうしてそんな風になるの?!自分は(母)何もないのに!と責められる言葉を掛けられました。同席していた兄弟もびっくりしていました。私もびっくりしました。 慰めてほしい訳でも寄り添ってほしい訳でも優しい言葉がほしかった訳でもないんです。だってそういうことを求めるような相手じゃないのは今までで理解していたから。 でもまさかこんな言葉をかけられるとは思っていませんでした。 数年経ちましたがたまーに思い出します。別にもう諦めているんです、子どもであろうと誰かに寄り添えるような人じゃないってことは。 でも娘にそんな風に言うんだ、期待してないし諦めていたけどこんなことを言えちゃうんだ。 そう思い返してやっぱり悲しくなります。

有り難し有り難し 8
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2024/08/05

悩みを聞くことは趣味なのですか?

質問があります。 私は悩んでいる人から「〇〇さんなら聞いてくれるから」と言ってもらえ、今まで悩んでいる人の言葉を否定せず聞いてあげ、その方から状況が改善されたときには 聞いてもらえてよかった、居てくれてよかったと言ってもらえます。もちろん私も相手がよい状況になり私も誰かの役に立ててうれしいのですが それって 「自己満足」やそういう「単なる聞く趣味」なのでしょうか? 聞いてあげているときは、勿論見返りを求めている訳ではなく、きっと相手も他の誰かに話してダメだったから、聞いてくれそうな人に打ち明けているのだと思うし私まで否定したらきっとこの人は何処にもはけ口がなく辛いのだと理解しているためです 相手が少しでも改善できれば良いなと思って聞いているのですが それを趣味と言われて戸惑ってしまいました 悩みを聞くことって そういう趣味になるのでしょうか? 世の中の悩み相談をされているカウンセラーなどは趣味でやっているのでしょうか? そうしたら、このサイトで全国の悩みに答えているお坊さんたちも「自己満足」や「趣味」で聞いているのでしょうか? 言われたとき、そんなつもりでやっていたなんて考えもしていなかったので もう前に進めなくなっています どうかよろしくお願いします。

有り難し有り難し 46
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2023/02/04

頭が動かない苦しみ

こんにちは。 私は軽い発達障害の傾向があります。 学生時代から学校が辛くて度々部屋に引きこもり現実逃避してきました。 逃げるかのように眠り続け、その途中でより頭が回らなくなり動作をすることも会話をすることも困難があります。 お風呂に入るとか決まった時間に起きてくるとかも苦手で、女性らしくふるまうみたいなのも苦手です。人間らしくなりたくて私なりにたくさん、人ほどではなくても勉強してきました。 でも周りが望むほど人間らしくはなれません。 極端に言えば布団の中でしか自由になれません。 最近パソコンで在宅ワークの仕事を探してきました。私でも出来そうな簡単な作業です。 しかし、3日かけて250円をやっと稼ぐような小さな報酬です。これではとても生きていけないと思いうなだれてしまいます。 世の中に出回っているたくさんの物がありますが、ほとんど稼げないと何も買うことができません。私も年頃なので可愛い服とか憧れますがなに一つ買えないのです。私はそういう切なさに涙がこぼれる時があります。 苦労を今までたくさんしてきました、理不尽な差別やいじめにもあいました。 けれど私はなにもいまだに手に入れることができません。頭がおかしいせいだと考えるのも疲れたし、母のせいにすると気に病むのでそれもできません。 母も苦労人で精神に問題を抱えています。幼い頃は度々手をあげられました。 産まなければよかったとも言われました。 だけど私はなぜか明るくふるまってしまいます。母が私の機嫌に左右されやすいことを知っているからです。 それに私は稼げないから逆らうことができません。 私は他所へ行ってもよく差別をされるので居場所も作れないです。 恋愛もできないです。身だしなみを整えるのに困難があり会話も難しいからです。 私は、なぜ生まれてきたのでしょう。 私はせっかくもらった命なのだからと一人遊びみたいになっても人生を楽しもうとしてきました。私なりにこの世界を味わいたかったからです。けれど生きる苦しみのほうがじわじわと追いかけてきて私を捕まえようとします。 心身が若いのに衰えて乾燥していくのを感じますが誰にもそれを言えません。 そんな人間は魅力的ではないと表面からは思われます。 私は無力で人生に抗えません。 私に何か気持ちを和らげるような助言を頂ければと思います。 どうぞよろしくお願いします。

有り難し有り難し 7
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死の苦痛が怖くて仕方ありません

死の間際に感じているであろう苦痛が怖くて仕方ないです。 最近、ときどき「死ぬ間際の苦痛」がどうしようもなく恐ろしくなってしまうことがあります。 多くはフィクション作品やドキュメンタリーを鑑賞している際に感じています。「死」や「病」に関する描写が出てくると、ふと「死ぬ間際にはどのような感覚なのだろう」と想像してしまうのです。 例えば病であれば、病床で満足に動くこともできず逃げられないまま病による苦痛を味わい続ける日々を想像し、気分が悪くなってしまいます。 フランス革命の話題であれば、「ギロチンにかけられた場合でも間髪入れずに死ぬのではなく、一瞬は生きているだろうから、その際に激痛を感じているのだろうな」などと考えてしまいます。 それ以外にも、例を挙げれば枚挙に暇がありません。 調べてみれば、やはり「苦しまない死」を享受できる可能性はそれほど高くないとのこと。 私はこの、「人生の終わり間際に大きな苦痛が予約されている」という状況そのものに耐えがたい恐怖を感じてしまいます。 思えば、私は「予定された苦痛」というものが非常に苦手です。 以前、微熱と悪寒があり「もしかしてインフルエンザかも」と思った瞬間に、来たる高熱での苦痛への恐怖で血の気が失せて吐きそうになったこともありました(ただの体調不良でした)。 コロナウイルスのワクチンを接種した際も、注射そのものではなく、ほぼ確実に発生するという副反応へかなりの恐怖を覚えていました。 死の苦痛も、私の中では同じです。 死ぬことそのものにはそこまでの恐怖を感じてはいません。 ですが、そこに至る過程である「苦痛」の存在が、私は恐ろしくてなりません。 夜遅くや、朝起きたとき、ふと浮かぶその恐怖に押しつぶされそうになってしまいます。 こうした「来ることが確約されている痛み」への恐怖を和らげるためには、いったいどのような心構えでいればいいのでしょうか?

有り難し有り難し 11
回答数回答 2