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hasunoha 問答検索結果 : 「 生きる 」

検索結果: 32117件
2025/02/13

仏様や天女様が暴力を受けたら

お世話になります。物騒な タイトルで申し訳ありません。 今、お寺に行くため電車で 移動中です。 席に座っていたら、向かいに 座っていた精神もしくは知的 の障害の男が、私の隣の席が 空いた途端、座ってきました。 怖かったので移動しました。 移動した先の席で、隣の席の 旦那様が 「ははは、大丈夫かい?」 と声をかけてくれました。 私は 「驚いてしまって。申し訳 ありません」 と答えました。 そこでふと疑問に思ったのが、 (仏様や天女様は、あらゆる 暴力を受けた際、どのように 対処するか?) という事です。 ここでは特に、性の暴力に 対して思います。 私は実際、お寺で出会った人 から性暴力を振るわれたことが あります。そのときは、警察 さんの力を借りて解決しました。 たとえば仏様や天女様が、 電車の中で痴漢被害に遭ったら? 路上で付きまとわれたら? 突然暴漢に襲われて、レイプ されたら? どうするのでしょうか? 毅然とした態度で相手を悔い改め させるか、甘んじて受け入れるか。 私は、戒を授かった身として、 どのように振る舞えばいいの でしょうか? 実質、仏になることが約束 されているようなものですから。 それに私には不動明王という 想い人がいます。やすやすと 彼らを受け入れるわけには いきません。

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不細工なので人に顔を見せたくありません

そろそろ見た目へのコンプレックスで鬱になりそうなので、何か希望の持てるお言葉か、もしくは説教していただきたいです。 不細工な顔が嫌で、一年中マスクをしています。特に顎が後退しているのが一番のコンプレックスで、アデノイド顔貌のようであり、人に横顔を見られたくなく、横に立たれることも嫌です。 せめて歯を引っ込めればマシになるかと思い、先日から歯列矯正を始めましたが、不安で仕方ありません。もし日本が整形手術に関してもっと寛容だったらおそらく顎の整形をしていただろうと思うほど、今の顔が嫌です。 外に出ても私と同じように顎の無い人は全く見ず、みんな綺麗な顔をしていて羨ましいなあと落ち込みます。私もああいうマトモな顔をしていたらマスクなんかせず、もっと社交的な人間になれただろうと思い、更に落ち込みます。 母も父も美形な方なので、どうして私はこうなんだろうと悲しくなります。 じき大学を卒業して社会人になるので、もう一日中マスクをしているわけにはいきません。不細工でも堂々としていればいい話なのですが、人の目が恥ずかしくて耐えられません。 どうか希望の持てるお言葉か、もしくは厳しいご意見をお願いいたします。こんな自分がもう嫌です。

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この現実から逃げたいです

逃げるには死ぬしかないのかと、愚かだと思いながらも気づくと常にその考えに行き着いています。 子供ができてしまい、急展開に人生が決まってしまいました。 順序を間違い、結果このように鬱々とする羽目になり、自分の人生は下る一方だと思うと、 後悔しきれず生きていくのか嫌で仕方がなくなります。 叔母も10歳近く歳上の旦那さんだったので、私は34歳で結婚相手が13歳上であることに対して、『男は老いるのが早いよ。相手が60の時、あなたは47でまだ、若いでしょ。』『耐えられる?』と言われて、顔合わせした後にも言われて、やはり経験談に勝るものはないのかと、歳の差の事実に不安と後悔で逃げ出したくなっています。年上の大人の意見はやはり聞いておくべきだと言われますし。 彼が、あと5歳でも若ければ、完璧なのに、やはり同い年の元彼と結婚するべきだったかもしれません。 元彼とは、彼の家の宗教が受け入れられず結婚を先延ばしにしていましたが、今思えば、小さいことだったような気がしてきています。 もう、取り返しがつきません。 愚か者です。自ら最悪な人生にしてしまいました。先々を考えると怖いです。 この不安や後悔から逃げたいです。

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死後の世界観

 初めまして。  私は、横浜で会社員をしている伊藤と申します。先日、テレビでこちらのサイトが紹介されていまして、仏教の教理に関して長年疑問に思っていたことがありましたので、質問させて頂こうと思い書き込みを致しました。  私は、大学生のころから仏教に興味を持っておりまして、仏教に関する本をいくつか読み、修行の真似事もさせて頂いたことがあります。仏教との出会いは、私の人生の中で非常に貴重なものでした。これからも、修行を重ねていきたいと思っています。  ただ、その中で未だに釈然としないことがあります。それは仏教の説く「死後の世界観」がなぜ宗派によってここまで大きく異なるのか、ということです。  仏教では、もともと「輪廻からの解脱」が一番の目的であったと聞いています。それが、現代の仏教では死後の世界観について「極楽浄土で仏弟子となる」といった立場や、「死後のことなど考えず、今を生きる」といった立場など、様々に分かれています。  私は、どうしても理屈っぽいので、このように死後の考え方が異なっていることに疑問を感じてしまいます。例えば、「極楽浄土に行けるなら、今は努力せず楽をしていた方が良いではないか。」と思うこともありますし、「死後の輪廻転生を否定するなら、そもそも修行する必要さえないのではないか」と思うこともあります。  先日、上座部仏教のお坊さんの著書を拝読して、私の考えに近いことが書いてあって共感を覚えました。そのお坊さんは、「死んですぐ極楽浄土に行けるのなら、どうして早く自殺しないのでしょうか。」といったことや、「輪廻転生が無いなら、どうして修行する必要があるのでしょう」といったことを述べておられました。  もし、輪廻転生があるのであれば、私もなるべく善行をしようと努力すると思います。逆に、輪廻転生がないと考えると、やる気を削がれ厭世的な気分になってしまいます。  人間がこのような気分になることを見越して、お釈迦様は死後の輪廻を説かれたのかもしれません。しかし、今の私にはそれ抜きで前向きに生きる心構えを持つこともまた難しいです。また、死後の輪廻を否定するならば、自殺を否定することもまた難しくなるのではないでしょうか。  こういった点を、お坊さんはどう考えているのか、どうしても気になったので質問させて頂きました。失礼なことを伺ってしまい申し訳ありません。

有り難し有り難し 78
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