“我”の存在が辛い
いつも回答ありがとうございます。
うまく文章にまとめる自信がないのですが、聞いてください。
もともと私は、自分の意見を持つこと、気持ちを言葉にすること、それを他人に伝えることが好きだと感じていました。友達の相談に乗ったり、ネットに文章を載せたりしていました。周りからの評価は、『(正しいかはさておき)意志を持って行動できる人物』です。これは仕事で昇進するにあたって上司や顧客から頂いた評価です。
自分の意見を発信することで、存在を認めてもらいたい、という気持ちが根底にあるのかもしれません。ある時、私は「自分のことが好き」なだけであって「相手の気持ちへの配慮が欠けている」のではないか、と気が付きました。例えば、友人の相談に乗っている時です。相手の気持ちに寄り添うことは大事と分かっていながらも、自分が感じた意見と指摘をズバッと言ってしまいます。
意識しなければ、相手への配慮より自分の気持ちが先に出てしまうのです。ここまでの文章でも、「自分」という単語がたくさん出てきてしまっています。
ここからが悩みの本題です。
上記の問題に気が付いて以降、会話や文章を書く場面で、“我”の存在を感じて辛くなることが多くなりました。誰かと話していても、あぁ、私は今、近況報告と題して自慢を言ってしまった。と感じるし、ネットに投稿するにも、私は今、すごいねって感じてもらいたがってるんだ。だからこの内容を書こうとしてるんだ、と辛くなり消してしまいます。誰かへのアドバイスも、偉そうに言う権利なんて自分にはないのではないかと感じます。
また、下手の横好きなりにネット小説を書くのが数年前から一番没頭できる趣味だったのですが、登場人物を通して自己の主張を映そうとしている自分に気付き、執筆もできなくなりました。本当は書きたいのに。
ある程度は、他人の目線なんて気にしないほうが生きやすいだろうと思います。しかし元来の性格上、他人への意識を持たなければ私は自己主張が強くなるでしょう。
二つの折り合いをつけられず、今はただ“我”の存在が辛いです。そして根本的原因である、自分を認めてもらいたい欲求との付き合い方について、アドバイス頂けると嬉しいです。
有り難し 37
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