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hasunoha 問答検索結果 : 「 供養 」
検索結果: 4581件

苦しみから解放されたいです。

こんばんは。 私事ですが、質問させていただきます。 つい2ヶ月前にも、愛犬の事故死を乗り越えられない…という悩みでこちらに質問させていただきました。 その時はありがたいお言葉を多数いただきまして、なんとか前を向いて家族皆で頑張って行こうと歩み始めようとしておりました。 ですが最近になって、残されたもう一匹の方の愛犬が…急に病を患い、最悪もって10日の命と言われました。 どうしてなのでしょうか。私はなにか悪いことをしたのでしょうか。 もう心に負荷をかけすぎて、立ち上がれそうにありません。 明日なんて来なくてもいいとすら思います。 諦めるのはまだ早いと、愛犬はまだ生きていると、自分でも思うのですが、 あまりにも辛い出来事のスパンが短すぎて…もう心が壊れそうなのです。 これからどうこの気持ちと付き合っていけば良いのでしょうか。 負の連鎖を断ち切り、苦しみから解放されたいです。 そして悲しみに満ちた世界だとしても、生きていく、その意味を教えてください。 長々と申し訳ありません。 お忙しいとは存じますが、 どうかアドバイスなど頂けたらありがたく思います。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 24
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怖いです。

私は父親がとても甘く、環境もとても悪い中で育ち、因果応報なんてあることを知らずに、仏教とはほど遠い生き方をしてきてしまいました。 高校生の頃からジワジワと羽目を外して行き、人生ってこんなんでいいのだろうか?といいの思いながら派手な格好をして周りもしているしいいのかな…と、因果応報なんて全くしらず、生き方がわからなくなりそこからドンドンと生き方が羽出になり、自分の欲望のままに生きることに、何の躊躇いもなく、何だったらそれ以外の生き方がわからずにいました。当時は本を読んで調べたりしましまが、仏教まではたどりつかず、人の生き方のようなものばかりを読んでいました。しかし私は正解を求めてしまったので、何が正解かさ迷ってしまっただけで、結局どう生きたら良いのかわかりませんでした。そのように生き方を求める一方で、整形をしたり派手な生活や彼氏への依存に流されていきました。 中絶もし、中絶に対して病院の先生からは「一日も早く忘れなさい」と、親からは「まぁ、長い人生色々あるよ」と。結果ここでしっかりと悔い改めて生き直すことをせず、「え?そんなんでいいの?」となかったことにしてしまいました。周りにも何人か中絶していたので、私だけがそんな重く考えていたのかな?もうよくわからない。もうそれならいいや!と、開き直ってしまいました。子供を殺したまま反省せず放棄すると、しっかりと生きるという気力がなくなり、人生どうでもよくなり、狂ったように毎日遊びまくり、人生を捨てて生きていました。すると、生きているのか死んでいるのかわからず、生きているという実感がなくなり、感情さえもなくなり、何が自分に起こっているのかもわからないまま、何かおかしい、と病院に行ってもどこも悪くなく、感情がないと訴えてもこれといった病名は与えられず…そこから、二度ほど懺悔をしても、もはやどの仏様に二度もしません!と反省をしても、今さら何を言っているの?もうしらないよ。そのような声しか聞こえず罪に溺れ死んだように動くことができません!あまりの長年のため自分の人生を引き受ける事がもはやできません。本当に生き直すのは手遅れだと思っています。子供を殺したことで生きる気力がありません。今さら因果応報なんて言われたら本当に死ぬしかありません。こんなにも長い間格闘し無理なら今まで通り好き勝手生き延びるしか本当に道はない思っています。

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合祀について

母が他界しました。 生前より、自分の死後についてエンディングノートに記していたり、口頭で話すこともたくさんありました。 エンディングノートには、自分(母)の遺骨は結婚当初に買ったお墓に納めること、但しお墓は遠いので、(大変だろうから)一切の墓参りはいりません、心の中で思っていてくれれば充分です、と書かれていました。 正直な所、本当にお墓は遠く、新幹線と車を使って3時間はかかります。交通費だけでもかなりかかります。 時間もお金もかかるから、納骨さえ済ませてくれれば無理してお墓参りに来なくてよい、と何度も母は話していました。 そして今回、母の遺品を片付けていたら、近くのお寺での永代供養も考えていたようで、いくつもの資料やパンフレットが出てきました。 そこで合祀という、骨壺から遺骨を出し、他の方の遺骨と一緒に仏様に納めてもらい、供養してもらうというものを知りました。 そのような方法に驚きはありましたが、もし私達子どもに万が一の事があっても、母のお墓が永代供養ならば安心だな、とも思ったのですが、この合祀という方法は一般的なものですか? 死後の世界は分かりませんが、他人同士が一箇所に供養されているというのは問題無いものですか? 母はどのように思うかな、と悩んでいます。遠くのお墓で中々お墓参りが出来ないよりは、合祀という形でも、いつでもお参り出来る方が、私は寂しくないなと思ってしまうのです。  ちなみに、母は自死でした。 成仏、というものができているのかも心配です。 ご回答宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 6
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