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hasunoha 問答検索結果 : 「自分 死 わからない」
検索結果: 2630件

罪、また道を踏み外し続けた結果

何度も相談をしてすみません。 今まで何度かご相談にのっていただき、そのお言葉を力にと思い、今まで何とか生きて参りました。 しかし、やはりどうしても表題に記載した通り、今までのあまりにも多い罪の数、自分で自分の責任を取ることが出来ずに、押し潰されています。 今まで長い間道を踏み外してしまったこと、またその罪の重さに、押し潰され今後どのように生きて行けば良いのかわかりません。 罪を償わないといけないのはわかりますが、その気力がありません。何をするにしても、「人生終わった」と言う思いが頭から抜けず、人生を立て直す力がありません。今までの間違いに潰されて身動きがとれず、自分の人生なのにどうすることもできません。 反省をすることなく、途中人生なんてどうでもいい!と投げ捨ててしまったこともあり、悪に悪を重ね続けてしまった結果が今だとは思いますが、私にはもう「死」しか待ってないのだと本気で思っています。 自分の罪と向き合うと死への恐怖がありありと私に押し寄せてきます。恐怖のあまり手足はしびれ、とにかく怖く、怯え続けています。償いもせず今まで長い間道を踏み外し続け、神仏もあるものか!と自分の好き勝手したい放題、欲望のままに生きてきてしまったツケだとは思いますが、何とか生きたいです。 通常であれば懺悔をし、二度としないと心に誓い、道を正して進むのだと思いますが、あまりの長い間、間違って生き続けた人生に、「二度としない」と言うことができません。誓いたいのですが「もう手遅れ…」と言う思いが頭から離れず、誓えず人生を立て直すことが出来ません。 どうか自らの命を断つことなく、生き抜くにはどのようにしたらよいでしょうか?このような者にはやはり死しかないのでしょうか。本気で長い間悩んでいます。 何とか生き延びたいです。 まとまりのない文章で申し訳ございませんが、何卒よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 26
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ストレスを取り除く声かけ、行動とは?

父が63歳で亡くなりました。 再発した脳出血が原因でした。 1度目の脳出血は私が中学3年の時。 思春期真っ只中で、親がいなくなる恐怖を味わいました。 その恐怖は私の心に大きな影響を与えました。 当時の父は血圧正常、喫煙飲酒も並で、医師からはハッキリした脳出血の原因はわからないと言われたものの、その時の父は仕事のストレスが大きく、ストレスからではと言われたそうです。 私が社会人になって3年目、父2度目の脳出血。 出血した部位が悪く、入院生活1年半で、父は亡くなりました。 父にとっては苦しい1年半…でも、私たちにとっては貴重な1年半でした。 父がいなくなる心の準備ができた1年半。 最後まで家族の為に頑張ってくれた父でした。 現在、私は結婚し、生後半年の娘がいます。 中学から身内の死を身近に感じたからか、いつも旦那が先に亡くなったらどうしよう、1人になったらどうしようという不安があります。 特に最近、旦那は仕事が大変でストレスを溜め込み、暴飲暴食が目立ちます。 仕事の話はしたくない旦那なので、あえて私からは聞きません。 暴飲暴食も心配ですが、それが旦那のストレス発散だと思うと止めることもできず、「体を大事にしてね」と一言言うだけしかできません。 しかし、私の心の中では、この暴飲暴食が原因で病気になったら、止めなかった私の責任だと葛藤しています。 「仕事しんどかったら辞めてええんよ、自分の体を第一にね」と言うものの、その言葉が彼の心の負担を和らげられているのかどうか…。 親の死を見送るのは子どもとして当然、でも旦那の死は受け入れられない! だから私よりも長生きして欲しい! ストレスで病気になった父。 旦那もストレスで病気にならぬよう、少しでもストレスをとってあげられるような声かけ、行動などあればアドバイス下さい。

有り難し有り難し 21
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他宗の御僧侶のお話を聞いて前に進みたい

物心ついた時からある宗教団体に属し現在はその対立する宗派に籍があります。 幼い頃両親が離婚し兄弟は離れ離れに。 高校生の時弟が事故死しました。 母親は離婚後外泊を繰り返しお金だけ置いて帰らない事もしばしばでした。その後再婚して弟が生まれました。母は溺愛し私も弟は可愛かったけど居心地はよくありませんでした。 父親は息子の死後すぐに再婚。一緒に暮らしていた次男は新しい環境に馴染めず辛い日々を送っていました。 両親に対しては心の底では恨みばかりでしたがいつか愛情がもらえると期待して寄り添いましたが父親はそれを望みませんでした。 母親には本当に愛されたいと願い宗教活動も一所懸命しましたが、子供と宗教の二択なら迷わず宗教を取ると言われ母親とは縁を切り信仰からも離れました。今思えば弟の供養こそすれ、母に喜んで欲しい気持ちからの活動であったと思います。 しかしこの宗派は完全な排他主義であり、謗法という名目であらゆる事を禁止し恐怖で支配して信徒をつなぎとめていた様に思われます。 親の愛情を求めても叶わず自分らしさを失いパニック障害で今は心療内科で治療を受けています。 親と信仰と縁を切ったことで今まで許されなかった神社や寺院、教会などの世界遺産を見て回りたく夫と出かけるようになりましたが頭のどこかでまだ恐怖支配から逃れられずに苦しむ事があります。 宗教に関する宗門の試験も受けた事もあり最上級の試験に合格しています。お釈迦様の事から学び始めますが試験の大半は宗門に関する事で、しまいにはお釈迦様の教えまでもが宗門の教義を説くための嘘であったというものでした。 私は勉強しながらもその理屈には心底納得できず、また他宗を信仰する事の恐ろしさから全て排除してしまう考え方を受け入れてはいませんでした。 今ではそういうものから全て解放されて自分らしく残りの人生を生きたいと切に願い、他宗の御僧侶のお考えに背中を押していただきたいと思っています。 実弟は私とも縁を切りました。彼も悩んでいたし仕方ないと思います。 幸い私にはこの決断を理解してくれた家族がおり、家庭がありこの上なく幸せです。しかし私がこの先宗門の恐怖支配から完全に解放される日は本当に来るのでしょうか? ご本尊は家にあり亡き弟の為に手を合わせはしますが返すべきかもわかりません。寺院に組織の脱退届けは出していません。 ご意見を伺えると幸いです

有り難し有り難し 18
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人を殺して自殺しようと考えています

『発達障害』と診断され、苦しんでいた頃に出逢った人がいます。 自分の障害を理解してくれ、仕事は『発達障害を持っている子供達を教える元教師の塾講師』です。 独りぼっちの生活に寂しがり屋の自分は、その人の言葉を信じました。 『家族になろう』 しかし、それは自分を無給で働かせ、奴隷にするためでした。 自分はその人のために貯蓄を渡し、名義を貸して借金をし、全てを信じ引っ越しまでしました。 しかし、全て嘘だったのです。 色々な人達の力を借りて、その人から逃げ出し、現在また別の所に引っ越しました。 現在は労基と弁護士がついていますが、ついに債券会社(借金が自分名義のため)から自分が告訴されてしまいました。 精神的にツラく、仕事は見つかったものの月に約8万程しか稼ぐことが出来ない仕事で(障害者用の作業所)、収入より支出が多い状態になっております。 弁護士に言ったそうです。 『結婚する気は無かった』 自分はその人を殺して、自殺しようと考えています。 現在精神的に疲れていて、告訴までされ、生きていることに疲れてしまいました。 しかし、自分だけが死ぬことで、自分を騙した人が喜ぶのは許せないのです。 ですから、その人を殺して自殺しようと考えています。 自分は狂っているのでしょうか? 自分の考えはオカシイのでしょうか? 自分の誕生日(今月)に実行しようと考えています。 今まで自分の誕生日に嬉しかったことはありませんでした。 最期の誕生日にその人を滅茶苦茶にして、自分自身も居なくなろうと考えています。 『被疑者死亡』で裁判になっても結審するでしょうし…。 証拠がなく、詐欺では訴えられないことも弁護士から言われております。 法で裁けないなら自分が裁きたいです。 こんな考えをする自分は普通ではないのでしょうか? 逃げ出したのは冬ですが、今でもその人が乗っている車種を見たり同じ苗字を聞くだけで、ツラさ、恐怖、憎しみ、悲しみ等色々な感情が湧き上がってくる状態です。 自分では普通だと思っているのですが…、御意見をお伺いしたいと思います。 お忙しい中くだらない事で申し訳ありませんが、よろしくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 22
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このまま別れてしまうでしょうか

7歳年下の彼と、1年半付き合っていました。たぶん、別れてしまったと思います。 出会いは趣味で、友人期間が3年あったのち、彼の魅力に気が付いてわたしからアタックし交際が始まりました。 側から見ても仲のいいカップルだったと思います。 しかしわたしは年齢のために焦りがあり、彼に結婚を迫るようになりました。 最終的には今年に入ってから彼からプロポーズをうけ(ほぼ言わせた形ですね。笑)先日わたしの両親へ挨拶。 来週には彼の両親へ挨拶に行く予定でした。 が、彼は両親に「彼女を紹介する」としか言っておらず、まだご両親は彼が結婚するつもりであると思っていません。 そのことや、今後の生活(彼の給与の低さや奨学金の返済について)の不安もあり、彼を責めるような言い方をしてしまいました。 私自身、彼がそういう人だとわかった上で交際を続け、結婚を決意したのですが、やはり自信がなかったのだと思います。 最終的に「結婚はしない」とだけ連絡が来て、その後音信不通です。 音信不通にして話し合いができない部分も、今後生活して行く上で不安ですし、 ダメになってよかったのかもしれません。 でもこんなに趣味があって一緒にいて楽しいひとと、今後出会えるのかわかりません。 素晴らしい縁だと思っていたのですが、違ったのでしょうか。 彼のことはとても好きです。でもこうなってしまってはもう無理でしょうか。 別れてホッとしている部分もありますが、後悔している部分もあります。どうしたらいいのかわかりません。

有り難し有り難し 3
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死にたいと思いながら生きるのは罪ですか?

先日母親と何気ない会話をしていた際に人間なんていつ死ぬかわからないし、未来なんかないと思って生きてかなきゃいけないと言ったら、後日母に「あんたよく死ぬことについて話すけど、死にたいわけじゃないよね?」と言われたので、重い話のつもりでもなく毎日死にたいと思いながら生きてるけど皆そんなものでしょ?と言ったら泣かれてしまいました。 自分は物心ついた時から毎日死にたかったし、毎朝目覚める度に今日も生きなきゃいけないと思っていました。 唯一生きなくてはと思う理由はペットがいたからですが、そのペットが死んだ時からもう生きる意味もなければいつでも死ねると思って生きてきました。 18歳の時に家を出た際、我慢できなくなって自殺を実行しましたが、助かってしまった時も嬉しくもなかったし死ねなかったとしか思いませんでした。 (自殺のことは親は知りません) 好きな仕事をして、夢を追っているのに、なんでそんな気持ちになるの?と聞かれて、好きなことができたら死にたくなくなるの?と聞き返したら、病院に行けと言われました。 飢えることも凍えることもなく育ててくれた両親に恩もあれば感謝もあります。 愛してくれているのは痛いほどわかります。 しかし、自分は血縁者というものは感じても、孤独感を感じなかった日は1日もありませんでした。 子供の時からいつも1人で誰とも繋がりがあると思えた日はありません。 逆に自殺を罪のように言う世界を見ていると、なんで生きることは良くて死がダメなのかがわかりません。 何かで人から認められることがあっても虚無感は消えないし、むしろ年々虚無感が大きくなっています。 人が死んでも困ることは強いて言うなら税金や火葬代がかかることくらいだと思っています。 なので20歳になった時に自身の火葬代と遺書を用意しましたし、後片付けの面倒をかけたくないので物も増やさないようにしています。 友達も私が死んでも誰も気が付かないまま生きていくでしょう。私が死んではいけない理由が何一つみつかりません。 世界にこれだけの人間がいるのに、ずっと1人だとしか思えない自分にとっては生きることはただただつらいです。どうしようもなくなったら死ねばいい…という希望だけが唯一の救いにしか思えません。 死にたいと思いながら生きるのはそんなにいけないことで、おかしいことなのでしょうか。

有り難し有り難し 12
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存在しているという事実が怖い

お世話になっております。毎回暖かいご回答を頂き、心から感謝しております。ありがとうございます。 私は日常生活の中で、「今ここに私が存在している」と実感すると、怖いと思うことが頻繁にあります。 どうして今、事実としてここに存在して、世界を五感で感じているのか?と思うと深みに嵌り、宇宙が何故存在するのかわからない事や死、消滅の恐怖と連動してより怖くなります。 今あるものは全ていつか無くなる。その時私はどうなるのでしょう。体も心もバラバラになって、生きていたことも忘れ、家族とも離れ離れになり、今後文字通り永遠に元(私)に戻る事なく、その後どうなるかもわからないなんて、これ以上に怖い事はありません。 それなら、今の私はなんなのでしょう。 私も宇宙も消えてしまうという強烈な事実を前に、恐怖に慄くことしかできません。 存在に関する根源的な疑問が、絶対に解決されない事が怖いです。結局、誰も本当のことは知らないまま、生まれたから生きて、死ななきゃいけないから死ぬ。絶対的な力に翻弄され、絶対に逃げられない。それが、凄く怖いです。 以前、縁起と空についてご教示頂き、大変勉強になりました。本当にありがとうございます。 頭では分かるのですが、どうしても「何故か今存在しそのうち消滅する恐怖」が理屈を上回ってしまいます。 私は、欲を言えば、このような恐怖や不安をなくす事が人生の目標です。勿論、それ以外のやりたい事をやりつつではありますが、死ぬまでに自分なりにこの疑問にケリをつけたいと考えています。 お坊さん方は、このような「生きてしまっている事実」「そのうち消滅する事実」にどんな心持ちで向き合い、どのように自分の気持ちと折り合いをつけているのでしょうか? 私は、具体的に何をすれば怖くなくなるのでしょうか。 また、もし解説として分かりやすい本などございましたら、教えて頂けると嬉しいです。 恐怖に襲われる毎日が、とても辛いです。 お時間ある時で大丈夫ですので、宜しければご回答頂けますと幸いです。よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 9
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2024/06/26

同僚の異動

いつも大変お世話になっております 今回も私にとってストレスが溜まる状況になりました 職場で何でも話せて相談しやすかった人が別の部署異動を言われて来月からいなくなります。私の身体の事を一番に理解して助けてくれた人でした 朝の早い時間の当番の時は少し他のスタッフに比べて時間がかかりますが それ以外は大変な事はやってくれました。その方も様々な手術経験があり身体のしんどい事は分かっているからだと思います 異動について断るという選択肢もあったと思いまいますが管理者からの命令で言っても無駄と思ったのだと思います。ただ私の中で心の内を話せる唯一無二の存在でした。今後は溜まっているストレスのはけ口がなくなりツラい日々になります。残ったスタッフも私の身体について重たい物を持てない事を知っているのでフォローしてくれますが心のうちまでは話せません。そして視覚障害のある方が入居が決まりその方の異常すぎる大きな声でショートステイ担当のスタッフがノイローゼになりそうと言っているのを聞きました。来てみないと分かりませんが私自身も精神疾患を抱えているのでどうなるか分かりません 今回の同僚の異動は私の中で相当のストレスになっています。少し自死についても落ち着いてきましたがまた発作的にやってしまいそうで怖いです 家族の問題とそれらを話せた相手がいなくなるのでツラいです どうして私にはこんな出来事が多いのでしょうか?自分の性根が悪いからですか?もう、何もかもがイヤです。消えたいです。心の持ち方をどうか教えて下さい

有り難し有り難し 20
回答数回答 1

死ぬ前の話

これはもう確定で変わることは無いです。 あと1年で私は自殺で死にます。 記念にここに書いておきますが、自殺する理由は自分の顔、それから性格が嫌いなのと家族の死を考えた時にとても怖くなり 先に死ぬのがいいのではないかと思いつきこの結果に至りました。 顔で沢山いじめられ、性格で沢山損をして… 今まで他人と居て楽しかったことなんてありません。 まだ若いんだからという言葉、聞き飽きました。 歳を重ねてもきっと同じです。 2018年、保険に加入しあと3年で死のうと決意しました。 ついでに保険金入ればいいなーって。 死ぬきっかけ求めていたんですかね。 チャンスだと思いましたよ。 話変わりますがとても愛されて生きてきました。 両親の泣く姿が想像出来ます。 申し訳ない気持ちと同時に強い憎しみも生まれます。 と、まあ今はそんな事で悩んでいますが、死んでしまったら結局そんなことも気にしないでしょう。 死ぬのはとても怖く、その時になったら足が竦むと思います。 でもきっと、やめることはありません。 これまで感じてきた苦痛を思い出せば、それ以上の苦しみなどありません。 輪廻転生、大好きな四字熟語です。 そして本題なのですが、これから死ぬまで両親にできる親孝行は何があるのでしょうか。

有り難し有り難し 37
回答数回答 4
2023/04/23

仏教はその目的の実践以外何もない(1)

 「仏教の目的」とは「輪廻転生からの解脱」ですが、阿含経によれば、それだけと言う大変厳しい教えです。  従って、この説教は釈尊の予言通り、没後500年で滅亡したようです。  自己否定の説教では誰も就いていけなかったのでしょう。  現代の仏教は四苦ではなく多くは「老病死」の三苦となっていますが、滅亡した仏教では「生」が最大の問題です。  以下順を追って経典を眺めて見ます。 阿含経典 縁  (南伝 相応部経典 12.20. 縁 )  前略  「比丘たちよ、縁起とはなんであろうか。生によって老死がある、という。このことは如来が世に出ようとも、また出まいとも、定まっているものである。」(以下略)  (私見) ここで「縁起」とは「生老病死」の四苦を言い、しかもそれは仏教とは関係のない、自然の摂理であると断定しています。  自然の摂理ですから、仏教はそれを救うことは出来ないと言う意味に取れます。 生まれたら苦しみを逃れるにはひたすら死を待つだけです。死ねば四苦から解放されます。  死後が無ければ、それですべて解決しますが、身体(色)は死んでも心(受想行識)は同時には死なないようです。身体は構造が複雑ですから故障しがちですが、心はその構造もわからず、臨死体験から想像すると多分空気のように軽いでしょうから、死ぬ要素が無いのでしょう。だから仏教では「死」を死と言わず「往生」と言っています。  従って仏教の救いは死後にあると言いうことになりますが、四苦が無いですから、仏教の出番は無い筈です。  多分前世に残った欲の記憶が、再び生へのあこがれになるのでないかと思います。  これは人間に限らずすべての動物に共通の営みでしょう。  これ等を生前に理解して実践し、再び出生しないよう救うのが滅亡した仏教です。

有り難し有り難し 10
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