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hasunoha 問答検索結果 : 「 生きる 死にたい」
検索結果: 9569件

長生きしたくない、早く死にたい

 久々に投稿させていただきます。  カテゴリーに悩みましたが、今回の通りとさせていただきました。  さて、タイトルの通りですが、私には『長生きしたい』と言う願望が今のところありません。最近の世間の物騒な様相を見るに付け聞くに付け、世の中に希望が持てなくなってしまうことがしばしばあります。  いっそ、早く死んでしまえたらどんなに良いか。これからの未来を生きることに強い不安と恐怖を覚え、体が震えてしまうこともあります。 小さい頃に、手相占いで生命線が長いことを告げられ、子供心に当時はかなり喜んだのですが、今になってみると「どうして…」と言う気持ちばかりが強くなってしまいます。    最近は同じような夢を頻繁に見るようになりました。 『お前が何気なく、あるいは良かれと思ってした行動の裏側で、一体どれ程の人達や動物達が悲しい思いをしてきたのかを思い知れ』と言わんばかりに、これまでの自分の過去の行いをテレビのVTRのように見せられる、もしくは追体験させられているかのような夢です。  後者(追体験ver.)だった場合、「あれから時間をかけて経験を積んだ。そうだ、きっと違う未来にできるはずだ」と奮起するのですが、どう足掻いても結末を変えることができず、いつまで経っても自分は何も変わっていない事実に絶望して…といった内容です。 「妄想は所詮妄想に過ぎない」と言ってしまえばそれまでなのですが、夢から醒めめた直後、『もう取り返しのつかない事だろ。お前はあの時から何も変わってない。どこまで行ってもお前は逃げられない。』と自分自身から耳打ちされ、糾弾されているような錯覚を覚えています。  起きてる間も、夢を見ている間も、他人はおろか自分自身にすら嗤われて生きている気がします。  私は『死ぬ=無になる』と考えています。 人の本質的な部分である『意識』を完全に抹消してしまうことで、これまでの蟠りを全て払拭できるような、それが唯一の贖罪であり、救済措置であるかのように感じてしまうことがあります。  私が私自身をより良くしようと信じてきたものは、全て私のエゴに過ぎなかったようです。 変えられない過去に思いを巡らし、逡巡を繰り返してばかりの未熟な私に喝を入れてください。 お願いします。

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2023/12/14

生きていることが恐いです

今年の夏は、異常でした。でもあれは、今年の夏だけの異常さではないと思います。 今、南半球では、異常な夏が訪れています。私たちの住む北半球でも、30度を超える冬、魚の大量死など、異常な冬の訪れを告げるニュースがあちこちで流れています。 地球が壊れかけています。異常な暑さと、環境の変化による食糧不足、水不足、それらを起因とした人々の争い。これから先の未来を考えると、恐ろししか感じません。 そんな世界に子供を産んでしまったことが、申し訳なくて仕方がありません。自分はもう死んでしまいたいと、こんな怖ろしい世界にいるくらいなら、もういいと思います。でも、そんな恐ろしい世界に親もなく残された小さな子供たちのことを考えると、苦しくてたまりません。 必死で生きてきました。仕事も見つけ、色々ありながらも、家族を養える程度には何とかなっています。でも、これからの大きな変化の中では、そんなもの何もなりません…… 逃げ場はないですし、それでも生きていくしかないと頭ではわかっています。でも、恐怖は、変えられません……。 化石燃料を無駄に使う人を、憎む気持ちすら浮かびます。こんなもの、なくていいじゃないかと、エネルギーの無駄ではないかと思うものを見るたびに、落ち着かない気持ちになります。でも、ヒトが生きていくには、時に「無駄」に見えるものが重要なことも知っています。 こんな状況で戦争なんて、何をやっているんだと思います。個人でできることを必死で探してやろうとはしています。でも、そんなもの何もならないことも、やはり頭ではわかってしまうのです。 こうした不安を、エコ不安というようです。世界でも増えているようですが、無理からぬことだと思います。出口のない、ないことを知ってしまっている、苦しさがエコ不安の難しさだと感じています。 出口がないのなら、しのごの考えずやるべきことだけをやる。分かってはいるつもりですが……苦しいです。

有り難し有り難し 2
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2023/09/02

生きているのが辛い

先月夫の一周忌が終わりました 365日ずっと涙しておりました 夫が行くべきとこに行けないと周りに言われていましたが どうしても涙してしまいます 夫に{不幸にする為に涙しているわけではない}と謝りながら涙しております 1年たってもまだ信じられない気持ちです 遺影をみてるとただいまと帰ってきそうな感じです 最近はパートをしているのですが辞めたいと思ったり、夫のもとへ行きたいと思う気持ちが強いです 会社側には辞めたいと伝えたのですが止められてます 36年務めているのですが昨年今まで行っていた所が閉店をし、店舗が変わりました 仕事の内容は同じなのですが店舗になじめなく適応障害の診断うけました 仕事へ行くと思うと子供みたいですが吐き気したりと辛いです 夫がいない、毎日が辛いのに生きている意味があるのかと思います 夫は闘病中俺の分まで私が生きていてくれたらそれが幸せと言っていて俺の後を追うとか絶対しないでと言っておりました 死んだら終わりとも言っておりました 終わりなら夫が言っていたのも関係ないかな?と思ったりです パートが休みの日は1日も外に出ることもなく夫の遺影に向かって話す 毎日です 遺影の傍から離れたくないのです 夫に私はどうすればいい?と問いかけたりと辛いです お寺とのつながりがないので家には位牌はありません 納骨堂へ会いに行っておりますが家にはサイドボードに遺影ろうそくなどを置いて お水などをおいておりますがこのようなやり方でよろしいでしょうか? よろしくお願いいたします

有り難し有り難し 12
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2023/12/25

辛い気持ちで死にたくないです

私は現在がんの治療中です。子宮と卵巣のがんです。2022年から治療が始まり約1年になります。 がんが発覚するまでおよそ20年、人が怖くて信じられず引きこもりの状態にありました。その原因や背景には学校でのいじめ、家族からの精神的な虐待があります。解決のために精神科やカウンセリングに通っても解決にならず、余計傷つく事を言われたりもしました。誰の理解も助けも得る事なく過ごした20年でした。 昨年がんが発覚し治療が始まりましたが、とても信頼できる主治医の先生や力になってくれる病院の皆さん、入院した時出会った凄く優しい同室の患者さんのおかげで人が怖くなくなり生まれて初めて人を信じたり他の人を大切だと感じることが出来ました。人を信頼するということがどれほど自分の救いになるかを40年以上生きてきて初めて知ることができて、死ぬ前にそれが分かって良かったと思っています。 だけど病院を離れ家に戻ればそこには怖い世界が変わらずあります。誰も私を愛しません。父は私に対して平気で暴言を吐き、私の言葉と行いの全てを否定します。母はそんな父から私を守りません。口先だけの心配を述べるばかりで何の助けにもなりません。妹も母と同じで、辛い気持ちを打ち明けても自己満足的な持論を述べたり私の気持ちに寄り添う言葉は一つも言いませんでした。親族も無関心な人しかいません。そして私には友達や恋人のような親しくて自分を思い遣ってくれる間柄の人は誰もいません。 病院には主治医の先生や看護師さん、心理士さん、主治医の先生以外の先生など、力になってくれる人がいます。その人たちのことは信頼しています。特に主治医の先生は心から信頼できる良い先生です。先生のおかげで今私は生きています。でもそうした皆さんはあくまで治療関係で、普段一緒にはいられません。家にいる時、私の側には信じられる人は誰もいません。傷つける人だけがそこにはいます。怖いです。 体も病気ですが、それ以上に気持ちが辛いです。病気のときに誰も私を心から思い遣ってくれる人がいなくて傷ついても平然としている人しかいません。すごく疲れました。どうしたら良いのか分かりません。 来週診察とカウンセリングがあり、その時病院へ行けます。病院にいる時は安心です。今は家でとても辛い気持ちです。そんな時どうすればいいのか分からないので、お知恵をお借りできたなら幸いです。

有り難し有り難し 10
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仏教に生きる

先日、どなたかの質問に対するお坊さん方の答えが目の覚めるようなものでした。 実はつい最近まで原始仏教こそ仏教なのだと信じて瞑想に励んでいたのです。幸い海外の夏休みは二ヶ月以上あるので、俗世間から離れて実に充実した心の平安を保つことは容易でした。 ところがそんな調子で実生活が始まり、いつものように社会と関わって生活するようになり、欲がないのでなすこと全てが無意味に思えてきたのです。確かに、感情や欲に左右される問題は解決出来たのかもしれません。しかし、私という人間が仕事を持ってお金を稼ぎ、親として子供の健康や幸せを考えたときに、その立場を無視して一人原始仏教徒として忠実に生きてゆくことは不可能だと感じました。 そこで日本の仏教のお坊さん方の言葉を聞き、とても救われました。 生きるからには精一杯生きたい。 無責任に心の伴わない行動はしたくない。 完全とはいかないけど、仏教徒として出来るだけの努力はしつつ、人間人生を全うしたい。 人間くさく、泥臭く生きても救われる道がある、それが日本の仏教なのだ、そう理解しました。 このような理解で良いのですか? 何せ、不器用でくそ真面目な性分で、熱血にお釈迦様の教えに従おうと思うが故に行き過ぎて壁に打ち当たる、の繰り返しです。

有り難し有り難し 93
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幸せを感じると死ぬのが怖い

以前、死ぬのが怖い、そしてこの世界はなんなのかという質問をさせて頂いた者です。その度に暖かいご回答を頂き、大変感謝しております。ありがとうございます。 ご回答や仏教について、素人ながら自分で調べたり考えたりしております。その中で、やはりお釈迦様のように、この世から執着を無くすということは、死の恐怖や今生きていることの恐怖を克服する上で大切だと考えました。 しかし、この世への執着というのが、日々の小さな幸せを感じるたびに増えて行くように感じています。例えば、今日も家族と暮らせたこと。友人と話したこと。ご飯が美味しかったこと。素敵な景色を見たこと。そのような日常の幸せを噛み締めるたびに、大切な人たちと離れたく無い、なぜ永遠に一緒にいられないのか、こんなに綺麗な景色を死んだら見られない、死んだら「今ある幸せ」が消えてしまうのだ…と、死によってそれを失うという恐怖にかられます。魂を信じてみても、自分の肉体さえ今は愛おしく、離れがたく思ってしまいます。 この世への執着を手放すことと、幸せを感じることは共存できるのでしょうか?死という自己意識の消滅の恐怖は、どういう考え方をすれば克服することができるのでしょうか? 今はまだ、死ぬのが怖すぎて生まれてきたくなかったと思ってしまうことが多いのですが、願わくば、それでも生まれてきてよかったと思いたいです。いつも、どうせ死ぬのに生まれた、最悪だ、と思ってしまうので、恐怖を克服することで、本当に心から幸せだと思いたいです。 乱文で申し訳ありません。御助言を頂けると幸いです。

有り難し有り難し 15
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社会に溶け込めず死にたいです

過去は学校でもいじめられ、会社でもうまくいかない毎日が続いています。 何度か転職はしたものの、転職先になじむまで毎回とても辛く、その間は食事もできなくなります。 今回もコロナ渦で失職し、転職できたのはよかったものの、 新環境を努力して対応しようとしているのですが、うまくいかずつらい毎日を送っています。 何度チェックしても漏れるチェックミス、まだ個人が見分けのつかない社員さんとの会話、どれもうまくいきません。 いつも通り、ここの転職先でもダメな人間として見られるようになってきたようです。 仕事を終え、帰ってきてからは家族のために家事が必要です。 帰ってからぐったりしてそれも滞りつつあります。 夫も疲れて帰ってきているでしょうから気を使って接する必要があり、気が抜けるのは眠るときくらいです。 普通の社会人になりたいとおもい、10年以上ずっと努力を重ねてきました。 それでも、その会社になぜなじめないのでしょうか? 普通の社会人になれない、かといって起業もできない中途半端な人間はどうして過ごせばいいのでしょうか? 扶養はされている者の、お金の余裕はありません。 どうしても働く必要があるのに、うまくいかない事ばかりで、毎日とても辛いです。 社会に溶け込めず、家にも帰りたくないです。 誰かに相談しても今ちょっと頑張ればきっとどうにかなる、としか言われません。 ずっとどうすればいいのだろうと考えて考えて、最終的には死ぬことを思うようになりました。 この時代の、この文明は私にはあっていないのかもしれないと思うのです。 今まで自らが社会へ溶け込むことを考え、努力して生きていました。 が、この世界自体が自分とあわないのならばその努力も無駄なのではないでしょうか? 他の場所にはほかのつらいことはあるかもしれませんが、今死ねばとりあえず今の私が持っている辛さからは逃れられます。 死にさえすれば、 仕事も心配がなくなります。 夫もみなくてよくなります。 お金の心配もなくなります。 好きなこともなくなるかもしれませんが、この状態で好きなことを楽しむことは無理です。 ならば好きなことが存在してもしなくても変わりません。 死にたいです。

有り難し有り難し 42
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妹は何故死んでしまったのか?

先日から何回も相談してる者です。 妹が亡くなってから来週で早くも3ヶ月です。 まだ信じられません。 暑くなって来たので例年なら熱中症対策で水分補給に気を付けてました。 またウナギが好きでしたのでウナギをよく食べ指してました。 生きてたらこういう日々がまだまだ続くはずでした。 亡くなった日は妹は朝の薬を夜僕が帰るまで飲んでなかったのです。てんかん発作を押さえるための薬は朝9錠、昼6錠、夜8錠ととても多く本人も大変そうでしたが、何とか飲んでました。 ところが亡くなる半年前くらい前からまた飲めなくなってきて、病院に行って相談して、お薬ゼリーなるものを紹介してもらいそれを使ったり、また飲みにくい大きめの錠剤は僕がハサミで切ったりしてました。最後の方はその薬を切るのが僕の日課みたいにもなってました。 だんだん朝の薬飲むのが遅くなり朝のを夕方に飲んで昼を飛ばしたり、昼と夜も飲めない時もあったり、僕が夕方に帰って来たとき薬全然飲んでないときもあり、慌てて飲ましたりもしてました。昔はにそこまでしなくても、本人が勝手に飲んでくれてたのですが、何故かだんだん飲めなくなってました。 で最後の日は朝御飯も夕方まで食べず、朝御飯は僕が仕事行ってからは食べてました。ただ大事な朝の薬を何故か飲んでなかったのです。薬の袋すら開けてなかったのです。 ヘルパーさんは夕方までいてくれたのですが、その間にも飲んでなかったのです。いつもなら連絡ノートに朝の薬を先ず飲ませてくださいと赤字で僕が書いてヘルパーさんに伝えてたのに、その日だけは朝まだですしか書いてなかったのです。ヘルパーさんに直接言うことも出来たのに面倒くさがって何も伝えずに仕事に行ってしまったのです。 ちゃんと伝えるか、または僕が仕事行くまでに朝の薬だけでも飲ませとけばまだ生きてたはずなのです。 この朝の薬を飲んでなかったことが妹の死因だと思います。 原因がはっきりしてるので、ここさえ何とかしてればまだ生きてたはずなのです。 この事が一番未だに僕を苦しめてます。 この日死ぬのが運命だとか寿命とか言われることもありますが、僕はそうは思えません。人が死ぬには何か原因があると思います。何も問題無いのに突然死ぬわけがないです。 僕が朝の薬を飲ませなかったことが原因です。やはり僕の責任だと思います。 もっと必死に薬を飲ませとけばと言う罪悪感しかありません。

有り難し有り難し 11
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物心ついたときからずっと死にたい。

4人兄弟(上から女女女男)の長女として産まれました。家業があり、男の子が欲しかったそうです。嫁姑関係も悪く、物心つく頃には「うちは女の子ばっかりだから貧乏(専業主婦家庭、年1回旅行していた)なの(笑顔)」「最初から男の子が産まれたらこんなに苦労しなかったの(笑顔)」と、母親に言われていました。 小学生の内から成績優秀、運動神経もよく、中学受験もしたいと言いましたが、お金がないと言われ断念。高校も母親が望む科ではなかったため、塾にも通わせてもらえませんでした。 大学進学時も、母親が望む進路ではなかったために学費を出してくれず、全額自分でローンです。免許代なども自費。 母親が望む進路だった妹2人と長男である末の弟は全額出してもらっています。 父親も酔うと暴力を振るう人で、そのたびに母親は守ってくれるでもなく「こんなお母さんでごめんね」と泣き叫び…子供ながらにさめて見ていました。低学年の内にはどうやったら死ねるのか、息を止めたら死ねるのか、頭を柱に打ち続けたら死ねるのか、3階から前の道路に飛び降りたら死ねるのか…考えて全て実行しております。飛び降りても無傷、家族は気付いていません。ぼんやりと自分はもう数年しか生きられないと思えて先が見えませんでした。 そのような状態だったので早くに今の夫と結婚をしました。仕事もプライベートも順調。海外へ新婚旅行、子供もでき、産後はパート主婦や専業主婦をしながら暮らしています。ですがずっと死にたい気持ちはありました。 子供が2歳のときにまた死にたい気持ちが強くなり、今度は首吊り。結びが弱く失敗に終わり、それで夫にも自殺願望があることが知れました。話せない、笑えないという状態だったので、そのまま精神科にかかり鬱と診断され、治療して3年になります。 先日もう薬は必要ないだろうとのことで通院も終了しました。普通に生活できるし仕事もでき、外見は幸せな家庭の明るいお母さんなのですが、死にたい気持ちはなくならず、今も涙が止まりません。パートですが私を必要としてくれる職場もありますし、子供のたった1人の母親でありしっかり寄り添ってくれる夫もいるのに、中身のない無価値な自分が嫌です。死にたいと思っていることも申し訳ない。産まれてきたこと、結婚させてしまったこと、こんな母親の元に産まれてこさせてしまったこと、全て申し訳ない。死にたい気持ちがなくなりません。

有り難し有り難し 10
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2023/05/26

夢を叶えられなければ死のうと思っています

私は、25歳までに作家として食べていけなければ死のう、と考えています。 というのも、私はこれまで周りから褒められたりしたことがなく、いじめや保育士・先生からのパワハラ、モラハラを受けた結果、人間が嫌いになりました。 一人暮らしをした後も、癇癪持ちな性格が災いして金欠にも拘らず大切な機材を壊したり、それ故に食費を削って飢えに苦しんだり、カフェインやアルコールに逃げる日々が続く憂鬱な毎日を送っています。 ただ、その中でも物を書くことだけが生きがいで、これまでも物を書くことを通じて生きながらえてきました。ですが、それも作家としてデビューしなければ、やりたくもない仕事に追われるような日々が続くのかな、と思うと怖くて仕方ありません。 世の中には優しい人もいることは知っています。しかしこの20年間、モラハラやいじめを経験した結果、人間を信じることができなくなってしまいました。もしかしたら、癇癪を起こして犯罪を犯すかもしれない。だから、本音を言うと働きたくなんかないです。 だからこそ、私は生き甲斐である物書きを生業として生きていきたい。最早、作家の道しか私にはないんです。 ですが両親は私の夢を馬鹿にして、25歳までにデビューできなければ就職しろ、と条件を出しています。今まで両親が勝手に決めたものは全て最悪な結果ばかりだったので、期待なんか到底できません。 なので、条件の25歳までに何の成果も得られなければ死ぬ。そうして自分の空虚な人生に決着を付けたい。そう考えています。 矛盾しているのは承知ですが、本当は、死ぬのは怖いです。でも、物の書けない人生を送るくらいなら、死んだ方がマシかな、と思います。だから現在、命を燃やす覚悟で長編小説などを書き続けています。 私のような生き方は、やはりよろしくないのでしょうか?

有り難し有り難し 5
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生きるのが辛いです

お坊さんこんにちは。 24歳の会社員です。 今年に入ってから、自分の死についてほぼ毎日考えています。 現在製造業に勤めて2年半なのですが、仕事のやり方や価値観が会社と合わず、ついに8月末で辞める決断をし会社とも話しました。 コロナ渦にもかかわらず仕事がたくさん舞い込んでくるのは大変ありがたい事なのでしょうが、わたしにはもう辛くて仕方がないです。 わたしのいる部署には係長が1人、休職中で入社1年目の20歳男性が1人と私しかおらず、現在は係長と私の2人で仕事を進めています。 しかし係長は視野が狭く、自分の事だけでいっぱいいっぱいなので、私が係長の仕事もカバーしつつ他の新人さんがヘルプで来た時は指導をしながら仕事を回しています。 専門的な仕事のためググっても仕事のやり方なんてわかるはずもなく、会社のごく僅かな人しか私の部署の仕事をこなせない為、私に大きな負担がかかっています。 そうすると、毎日毎日ちょっとずつ生きる気力が削られていき、最近は仕事終わりにどこかひっそり死ねそうな所を探しに行こうかなんて考えています。 俳優の三浦春馬さんがお亡くなりになられたのを知り、きっと自分が死んだ時も春馬さん程ではないが周りは悲しむし、きっと死んだ後後悔するんだろうな分かってはいるのです。 しかし、気がつけばいかに苦しまずに死ぬかばかり考えています。 誰かと一緒に居たくはないけど、1人でいるとそのことしか頭に流れ込んできません。 遠距離恋愛中の彼氏ともあまりうまくいっておらず、次の就職先もまだ見つかっていないので私には明るいニュースがありません。 このような暗い話を相談できる人が周りにおらず、もう疲れてしまいました。 今の仕事を辞める8月末まで生きられるかどうか自信がありません。 たすけてください

有り難し有り難し 26
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2024/06/27

死にたいとは思うけど、死ねない

 気持ちが酷く落ち込む時期が私にはあります。今もまさにその渦中にいるのだと思います。そのときは、生活のこと、学業のこと、将来のこと、何を考えても憂鬱な考えにしか至りません。希望が見出せなくて、このまま生きていても、大切な人たちを傷つけるだけ、がっかりさせるだけだと考えてしまいます。  私は大好きな人たちを幸せにさせられる存在になりたいんです。家族にも友達にも、恋人にも元気な私を見せて、一緒に笑っていたい。  でも病気のせいもあって、深い意味もなく泣いてしまう時があったり、弱音ばかり吐いてしまう時期があります。そんな時、周囲は大丈夫だよと、また元気になれるからと優しく声をかけてくれますが、なんだかそれが与えられてばかりで申し訳なくなってきます。有難いとも思うけれど、いつか周りの人たちが与えてばかりなことを苦に思って離れていくのではないかと不安でなりません。私も彼らに何か与えられたらいいけれど、何か彼らのためにできている自信がありません。  病気が治らなくてもいいんです、でもいつも心は強くありたい。強くなって、鬱になってもそれに抗って、人のために生きられる人間でいたいんです。  鬱の時は死にたくなるほど辛くなります。大きな理由はないけれど、もうこの先生きていても何にもいいことはない、自分の思い描くような人生にはならない、そう感じて人生を終わりにしたくなります。  でも私には有難いのか、よく分からないけど、大切な存在がたくさんいて、多分私が死んだらすごく悲しんでしまうから、それを思うと死ねないんです。私自身も捨てきれない夢もある。  でもどうしても苦しい。生き地獄にいるような苦しみ。死んだら楽になれるのに、大切なものがあるからこの苦しい状況に身を置き続けなければならないと感じてしまいます。  私はどうしたら救われますでしょうか。救われたいです。死ぬことは諦めるから、せめて救われたい。そう思わずにはいられません。

有り難し有り難し 4
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