得度を決めている者です。修行に入る前に、自分が関わっているお稽古ごとやサークルから抜けてしばらく考える時間がほしいのですが、なかなか許してもらえません。かなりきっぱりと、仏道に入門するのだと伝えていますが、なんとかならないかと、言われます。ひどく脅す指導者(文学関係です)も、います。 先輩方はどうやって諸々のきずなを断ち切られたのですか。 ちなみに、家族(娘夫婦)は後押ししてくれています。
不注意により愛猫を2匹死なせてしまいました。 朝方目が覚めると2匹がご飯を催促しにくるはずが物音ひとつなく、家の中のいつもいる場所を見ましたが見つからず、嫌な予感がしてベランダを確認すると窓が開いていました。 下を見ると1匹が、急いで降りていくと冷たくなっており、辺りを見回すともう1匹が茂みの隅にいました。 私の杜撰な育て方でなんて事をしてしまったんだろうと悔やんでも悔やみきれません。 痛い思いをさせてしまいました。 雨風にもうたれ寒かっただろうに。 怖い思いをさせてしまいました。 なんて酷い事をしてしまったんだろう。 2匹今までベランダに出たこともなく、外も知らない子達です。 網戸に登って遊ぶ事はありましたが開けれた事はなく、もし開けても雨が降っていたので嫌がって出ないだろうと、まさか落ちてはいないだろうと思っていました。 その油断がいけませんでした。 先代猫を去年病気で亡くしたばかりで、今年友人からのご縁で迎えたこの子達でしたがこの子達のために何をしてあげたら良いでしょうか。 もう動物を飼う資格はないと思っています。
死後人間の意識はどこいあるんでしょうか
出家したいです。 わがままですが、曹洞宗か天台宗のどちらかで・・・ 駒澤大学を卒業すれば僧侶になれる、と思っていたのですがそんな甘くないみたいですね。 そこで知恵をお借りしたいのですが どういう手順を踏めばいいのでしょうか? 住職になるつもりはなく、また夜勤でもして食ってく覚悟はあります。 PS 座禅会とか参加したいんですが、僧侶になるため、の下心モロ見えだと思います・・・ 皆様はこういう奴が来たらどう思いますか?
カテゴリは違いますが2度目の質問です。 昨年の2月に祖母が93歳で他界いたしました。 すごく気が強い人で、友人や近所の方々との喧嘩が多く 3人の子供たちにも煙たがれる存在でした。 長男である父(私たち家族)と同居しておりましたが共働きのため 普段は1人家で過ごしていたせいか、寂しい気持ちから 家族に我儘や文句の言い放題で、家族全員手を焼いていました。 時には、その我儘に怒鳴ってしまったり喧嘩も絶えませんでしたが 小さい頃は祖母に育てられたこともあり大好きな存在でした。 最後は病院へ入院しており会話もできない状態が何年も続き 病院からの連絡が遅く、誰も最後を看取ってあげることができませんでした。 葬儀には約200名の方が最後のお別れに参列していただき 子供・孫・多くの方が涙してくださいました。 私たちは皆さまから祖母は嫌われている存在だと思っていましたが そうではなかったことに気付きました。 それと同時に家族全員、年寄りの我儘に怒鳴ってしまったり 時には冷たい態度をとってしまったこと 謝れないままお別れになってしまったこと大変後悔しております。 お墓や仏壇に手を合わせるだけでも、その私たちの後悔や 気持ちは祖母へ届くのでしょうか? いなくなってから気付くことがたくさんあり 私たち家族は、その度に後悔することしかできないのが 大変苦しいです。 私たちはこれからどうしたら良いのでしょうか? 教えてください。
お世話になっております。 この質問と関連があるかもしれませんが https://hasunoha.jp/questions/34134 以前、修験者の方が行う護摩行に参加し、手持ちの数珠(108玉のもの)をお加持してもらったところ、数珠を結び、真ん中に大きな結び目をつくり、その結び目の左右から蝶の羽のように数珠が出る(独鈷杵のような?)形の結び方をしていただいたことがあります。 行者曰く、如何なる穢れからも守る最強の結び方といっていました。 その後、数珠はほどいて使っていましたが、結び方がわかりません。 ・この結び方の名前や意味 ・結び方 がわかれば教えてください。 よろしくお願いいたします。
私の姉が、生後8ヵ月で亡くなっていて、死後50年以上経過しています。 お墓も仏壇もありますが、死後50年以上たっていると、もうすでにそこには居ず、何か仏様の別世界に居るのでは?とか、すでに新しい命として生まれ変わっているのでは?と思ってしまいます。 今、姉はどこに居るのでしょうか?
いつもご回答ありがとうございます。 人間は人間に生まれ変われるものなのでしょうか? 私の誕生日は私の父方の祖母(祖母は父が子供の頃に亡くなりました。)の命日に生まれています。 母達から生まれ変わりだと言われてきました。 私の兄は1歳の誕生日に母方の祖父が亡くなりました。その後母からは兄は祖父に守られてると。 私は祖母の生まれ変わり何でしょうか? 兄は祖父に守られているのでしょうか?
以前、お寺で働きたい と書き込み、ご回答をいただきました。 今回は、その先の話し。 いろいろ検索して次の3ヶ所を候補にしました。 ①大田区 天台宗 寺職スタッフ アルバイト ②大田区 日蓮宗 寺管理スタッフ パート ③文京区 浄土宗 僧侶 正社員 ②③は、ハローワーク経由 ③は、剃髪加行なし、無資格未経験可能 というハードルがあります。 私としては、 通勤距離では②がよく、理想は③です。また①は、住職さまとSNSの友達申請承認済みです。 どちらも一長一短があるため、もう少し考えて応募したいと思います。 そんな私の考えは、正しいでしょうか? また、私の居住地(大田区)に近い寺院で、お仕事を募集しておりましたら教えてもらいますか? どうぞ宜しくお願いします。
再びお世話になります。 この度、居候から卒業し、一人暮らしを始めることになりました。 (今年の9月に母が急逝し、今は親族宅に居候しています) やっとゆっくり供養ができそうなのですが、なにぶん狭いワンルームであることに加え、仏壇のない家に育ったのでどうしてよいのかわかりません。 ・お水を毎日替えて、ごはんを炊いたらお供えして、お花は定期的に交換を。 以上はネットで調べてわかったのですが、他にすることはありますか? ・仏壇の扉は開けっ放しにするものですか? それとも手を合わせる時以外は閉めるものですか? ・いろんな仏壇がありますがどんなものでもよいのでしょうか?(母が好きそうだな、とかで選んでよいのか悩んでいます) 以上、質問が多くて申し訳ありません。 どれかひとつでもお答え頂けたら嬉しいです。
場違いかと思いますが、ダメ元で山梨県都留市鹿留にある曹洞宗長泉院さまについてお尋ねします。 お寺建立の由来・歴史についてどなたか分かる方がいらっしゃいましたらご回答お願いします。 本来、当ご住職に聞けばよいのですが、以前、火事に遭い、資料が焼失してしまったの事です。 また、お寺の寺紋に四割菱(武田菱)がありますが、かつての戦国大名、武田氏と何かご関係があるのでしょうか。また、甲府市にある長泉寺さんとは、何かご関係があるのでしょうか。 お忙しいところすみませんがよろしくお願いします。
こんばんは。 初めてhasunohaのお坊様達に、悩みを聞いて頂いてから、毎日様々な悩みを抱えていらっしゃる方のお話と、お坊様達の回答を拝読させて頂いている内に、自分も励まされ、時に、御叱りを受けているようで、ゆっくりゆっくりと、清々しい気持ちになれました。 10代の頃、相談できる先生(お坊様先生もいたのですが…)にも、大人にも出逢う事がなく、正直に言いますと… 「神様も仏様もいない!」などと思いながら、生きてきた人間でした。 でも、そんな私が、今までにない程の精神的落ち込みに苦しみ、心療内科を受診すべきか、カウンセリングを受けにいくべきかと、もがいている時、このhasunohaのお坊様達と出逢いました。 本当に有り難いことです。 大きく、広く、深い温かさを感じます。 お陰様で、食欲も少し戻り、家族にも、ほぼ以前と同様に接する事が出来るようになってきました。 子供達にしてみたら、「いったい何なの?」と困惑し、気分屋の母親だと思っているでしょう。 そして、主人は主人のままで変わらないですが、この面倒くさい性格の私を受け流しながら、理解してくれている唯一の存在でもあります。 ただ、実母に相対した時の辛さは強くなり、フラッシュバックがキツいです。 そして、この苦しみが、まだまだ続き、増していくのかと思うと、憂鬱で不安ではありますが、逃れられない以上、仕方ありません。 これからも、このhasunohaのお坊様達のお話を読ませて頂こうと思っていますが、悩んでしまったら、どうかまたアドバイスや御叱りを宜しくお願い致します。
千葉市内で写仏をできる、お寺はないですか。なければ、千葉市周辺でありますか?
仏教の教えを忠実に実践すると植物のような存在になるなと感じました。 しかし仏性は人間にしか無いとも知りました。 なぜ元から罪のない動物や植物は仏になれない(なっていない)のでしょうか。 「仏性の自覚」とは「罪を持っている」という自覚のことでしょうか? 切れ端のような知識で申し訳ありません。 気になったので質問させていただきました。
僧侶の方とご縁があり交際しております。 彼の人柄に惹かれ先のことではありますが将来は結婚もしたいと考えています。 しかし結婚を考える上で私には決定的に信仰心というものが足りないと思います。 実家にはお墓や仏壇はありましたが両親共にほぼ無宗教で何かを信じる、お祈りするということがわかりません。 彼とお付きあいしてから手を合わせたりお経を読むといったことを表面上はできますが彼とは違い、心の底から信じていますと自信をもって言えないのが辛いです。 お坊さんの奥さまは同じ信仰をもっていないとやはり問題でしょうか。 お寺に入れば自然と身に付くものなのでしょうか。
こんにちは。日本仏教と権力についての質問です。 時々「日本仏教は政治権力に迎合していたため堕落してしまった。」 というコメントを見かけるのですが、 日本仏教は本当に権力に迎合していたのでしょうか? また、仏教では権力や権力者は「悪」なのでしょうか? 私には権力が嫌いな特定の思想を持った人達が 大げさに言っているだけのような気がします。
成田山の見習い僧侶の求人を発見しました。現在24歳女です。僧侶になるのは大変ですか?又、過去質問で僧侶としての働き先はあまりないとの事なのですが。どうなのでしょうか?
グローバルという言葉が当たり前になった現代でも、宗教はいまだ閉鎖的であるように感じます。 中東をはじめ宗教を理由にした紛争はいつまでもなくならず、中世の時代から少しも変わっていません。 それぞれの宗教はいい教えだと思うのですが、なぜ対立という方向に走ってしまうのでしょうか。 宗教の教えはよくても、それを運用する人間に問題があるのでしょうか。 仏教会(?)は宗教を理由とした紛争について、どう考えているのですか? いまこそ一致団結し、世界平和に向けてなにか活動してもいいのではと思うのですが、人任せで無責任な考えでしょうか。 ちなみに私は神社の町で育ったので神道が好きですが、仏教も尊重しています。
私は過去ろくでもないことばかりして来ました。そして現在その影響で眠れない日々を過ごしています。万引き、イジメ、教師に対して意味のない反抗、目上の人間にたいしての小馬鹿にする態度などなど勿論いまでは反省しています。 しかし仏教に出会い自分がどれだけ酷い人間だったのか思い知らされ毎日毎日毎日くやんで眠れない日々を過ごしています。 仏教の懺悔文を読み仏壇でご先祖様 神様に謝っています。お寺のボランティア、ユニセフの様な組織に寄付金など善い事をし現世(前世?)のカルマ解消しようと努力してます。来世はお坊さんになりたいと思っています。仏教に出会うまでは格闘家かミュージシャンになりたいと思ってました。しかしいまではまるで興味がなくなりました。またアダルトビデオも二日に一度位のペースで観てましてがいまではまるで興味がなくなりました。こんな私ですが再出発出来ますか?ゆっくり眠りたいと思っています。ゆるされますか?来世ではお坊さんになれますかね? とにかく善行を積み重ねたいです。お寺、神社でのボランティア都内であればやりたいです。あれば紹介して頂けませんか? ちょっと何が言いたいのか解りづらいかも知れませんが。真剣に悩んでいますアドバイス宜しくお願い申し上げます。
年末多忙の時期、しかもコロナ禍のさなか、恐れ入ります。 かれこれ10年前、勤めていた職場をリストラで追われ、どうにか生き延びて参りました。10年をへて、その当時の慢心や、先般ついに手帳まで頂いた障害など、自分自身の上に反省すべき点も多々見い出しつつあります。 にもかかわらず、その当時、とある方から言われた言葉がやはり折に触れて脳裡に甦ります。しかも抗弁しようにも、その方は数年前に急逝なされ、いまはお浄土に。その言葉とは、 「ピンチに出くわして、すぐに救いの手が伸びて来ないのは、人徳がない証拠」 というものです。なるほどな、とも思わされますが、同時にやはり、「ちょっと待ってくださいよ!」という思いもございます。 そのかたは生前、仏教者として特色ある活動をなさった人であり、みだりに批判することは倫理的にも強く躊躇(ためら)われます。それでも、そのかたがお遺しになった会社が、今般のコロナ禍でかなり四苦八苦している様子を人づてに聞かされますと、心の中に「どうしました?人徳がないから左前になるんですよね?」という、どす黒い思いが湧いてこないと言えばウソになってしまいます。 そのかたとは私がリストラされるまで、ご縁あって、幾度か帰り道に御一緒したこともあるのですが、10年前、突然の(……会社側からすれば兼ねて計画していたとおりの)リストラで苦痛の極にあった私へ、「君の声は某宗教の布教師どもの声そっくりだ。不快きわまる!」というお言葉もいただいております。自分は声がやや甲高いので、それが不快感を与えてしまったのか…と思い余った末、喉仏に男性ホルモンか何かを注射して治してもらおうとすら考え、これは家族みんなに止められました。 さて、ようやく立ち直ろうとしている今、この疑問に対する自分なりの答えも日ましに脳裡で形をなしつつあります。このうえ回答僧諸師をお煩わせするのはいかにも申し訳ないと思いつつも、皆様の多年にわたる御回答経験の中から、大所高所に立ったお言葉を頂けたらと念じております。 もっとお苦しみのかたが沢山いらっしゃいます。でも、どなたかお手すきの折に何か無形の御守りともなりそうなお言葉を頂けたら幸甚です。以上、ここまでお読みくださいまして、誠にありがとうございます。