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hasunoha 問答検索結果 : 「私 死 」
検索結果: 5453件

親が死ぬのが怖いです。

私は今大学4年生です。親や祖母がいつか死んでしまうという事実が恐ろしく、不安で仕方ありません。ずっと思っていたことなのですが、今日両親と会って余計にその思いが強く、辛くなって相談致しました。 親は高齢出産だったもので、平均まで生きたとしてもあと20数年です。しかし、母は大病をしていて、1年や2年で死んでしまうというわけではないのですが、そう長くも生きられない可能性が高いそうです。父も生活習慣の面から長生きは難しいだろう、という感じです。 私は両親が大好きで、心の支えであり、いなくなってしまうことを考えると涙が止まりません。祖母に関しても同じで、恐らく両親よりも早く死んでしまうのだと思うと悲しくて仕方がありません。最近は、「私を置いていかないで。一緒に連れて行って」とまで思ってしまったり、いずれ来る別れが辛く、もういっそ自殺してしまおうかとも考えるのですが、その考えが最も親不孝なのは分かってはいるのです。 大学4年生つまり22才で、良い大人になって何を言っているんだ、弱い奴だ。と思われるかもしれません。しかし恐ろしいものは恐ろしくて堪らないのです。どのように考えていけば良いのでしょうか。

有り難し有り難し 86
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飼っていた猫が死にました。

初めて利用させて頂きます。どうしても、自分や周りに問うても納得できる答えが出ませんでしたので、お伺いを立てさせて頂きます。 自分が子供の頃拾った猫が、3日前に15年の生涯を閉じました。 亡くなる半日前から痙攣をし始め、痙攣と痙攣の感覚が短くなっていき、大変苦しそうで辛そうで、それを抱きながら見ていることしか出来ないことに大きな無力感を感じていました。晩年は抱かれるのが好きな猫だったので、その日は一日中ずっと抱いておりましたが、そのまま拾った私の腕の中で息絶えました。 家族を含め、周りの人たちは「あんたの腕に抱かれて幸せに逝けたよ」と言います。 ですがそれらのことについて、自分はまだ受けいれられません。 本当に、彼は幸せだったでしょうか?彼は苦しかったでしょうか?私に抱かれるよりもっと居心地のいい場所でひっそりと死にたかったでしょうか? なにか心残りはあったでしょうか?私の心からの愛は伝わっていたでしょうか?死の間際、怖がっていたでしょうか?まだ何か、彼のために出来ることがあったのではないでしょうか? そして何よりも、死後の世界はあるのでしょうか? 今まで、自分のことを無宗教、無神論者だと思っていましたが、いま、死後の世界があることを願ってやみません。 彼の時間は16日の午後10時にとまってしまいました。もう二度と、彼となにも共有できない。 できることなら、時間を征服して、また彼に会いにいきたい。 心から愛していたのに、辛すぎます。家の中には隅から隅までたくさんの思い出があるのに、彼の姿だけがありません。知らない家みたいです。 死んだらどうなるのでしょうか。気休めはいりません。 悲しくて苦しくて涙が止まりません。どうか助けて下さい。お願いします。

有り難し有り難し 24
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2022/03/14

命に対するジレンマ、疑問

看護師をしています。 私は病院で働く中で多くの患者様を見てきました。軽症から重症まで。若い人から超高齢者まで。 その中で、看護師として働くことを諦めるような悩みを抱えました。 ご高齢の方や終末期の方は、死への恐怖というより現在ある痛みや苦しみ、排泄など恥ずかしい部分を他人に見られる羞恥心などから、もう楽にしてくれという方が多くいました。殺してくれとも。 命を救う側の私たちは、目の前の命を救うという責任があります。見捨てることはできません。 しかし、それでも何度も何度も楽になりたい、あちらの世界に生きたい、今自分の意思で生きているのではなく他者に生かされてるだけだと、涙ながらに、そして時には怒りながら訴えられました。 そんな方々を多くみる中で、私は看護師として生きることを諦めないようにお話をする機会もありました。 その中で私は、ここが生き地獄だと思っている人たちを救うことが本当に人のためになるのだろうかと疑問を持ちました。 本人の意思ではないのに、多くの管で繋がれ、ベッドに縛り付けられてまで命を守ることが本当に正しいのだろうかと疑問に思いはじめました。 私はこの疑問に対する自分の中での答えが出ず、看護師を一度完全に辞めました。このような疑問を持つことは、命を救う立場の者としてあってはならないと思ったからです。 世の中には尊厳死や安楽死などの言葉が存在します。尊厳死は、延命治療を無理にせず苦痛を取り除きながら、自然に死を迎えられるようにというものですが、日本の医療の現状としてなかなか行われていないのも事実です。苦痛は痛みだけではありませんし。安楽死などもっての外です。 以上の過程があった上で相談したいことは以下の通りです。 ・生命は大切にしようとよく言われるが、そもそもその考え方はどこから生まれたのでしょうか?生き地獄だったとしても必ず守らなければならないのでしょうか? ・安楽死などの考え方について、仏教の視点からはどのような考えがあるのでしょうか? ・命の大切さという根本的なところが分からなくなっている私は医療従事者として失格でしょうか? 長文で申し訳ありません。 お時間のある際にご回答いただけると幸いです。

有り難し有り難し 30
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2023/09/22

今を生きる=悩む暇がないこと?

以前より、死の恐怖についてご相談させていただいております。いつもありがとうございます。 今年から仕事をはじめ、毎日必死に慣れない仕事をこなしています。以前と違って少なくなった休日は、友人との交友や趣味を詰め込んでいます。 そのような生活をしばらく続けていましたら、以前悩んでいた「死の恐怖」について悩む物理的な時間が殆どなくなっている事に気が付きました。 しかし、死の恐怖がなくなった訳ではなく、今でも偶に恐怖で叫び出してしまう事はありますし、将来のこと(今後のキャリアやライフプラン)について考える時にも、「死ぬ時、恐怖に震えながら死ぬのだろう」ととても悲しく、またとても恐ろしくなります。 これは、「今を生きている」のでしょうか?確かに、目の前のことに必死で、死について考える時間がないので精神は健全です。以前より充実していると思います。 ですが、人生の本質のようなものを蔑ろにしている気もします。今の生活はなんとなく、さまざまな問題から逃げている現実逃避のように感じます。人生は死からの逃避、という言葉をどこかでみました。私の人生は今、逃避なのでしょうか。 そこで、「今を生きること」と「現実逃避」の違い、「今を生きること」と「何かに夢中になり、悩む余裕がない」ことの違いが知りたいです。 また私の今の様な生活は、仏教やお坊さんのお考えからはどのように思われますか? 死に怯えるだけだった過去から、今の生活になったことは進歩でしょうか?これは、私の望む「死は悪くない、怖くないと安心して死ぬこと」に近付いていますでしょうか? お忙しいところ恐れ入りますが、知恵をお貸しいただけますと幸いです。よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 3
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妊娠16週。安定期なのに死にたい

27歳、精神疾患により退職して 今は専業主婦です。 妊娠前より不安障害、パニック障害、軽度うつを患っていました。 そんな中、旦那と待望の赤ちゃんを授かることができました。 ずっと飲んでいた薬も止めて、お酒もタバコも一切摂取しないようにして赤ちゃんを守りました。 つわりも酷く、重度妊娠悪阻という病名までついたのですが何とか母子共々生きてこれました。 つわりが一番酷いときには 「安定期が入ったら終わる」「そしたら今まで出来なかったことが全部できるようになる」と目標を持って生きてきましたが、 安定期に入った今、中途半端につわりだけが残り、頭は考えることができるほど回復してしまいました。 そうするとみるみると妊娠前の精神状況に戻ってきてしまいました。 死にたいだの、もうつわりが終わらない生きていけない、赤ちゃんも育てられない、でももう中絶も出来ない。妊婦とは思えないことばかり頭をよぎります。 せっかく授かったのに、世の中には授かりたくても授かりたくても授かれない人もいるはずなのに、情けなくてしょうがないです。 先日、旦那に気持ちの程を伝えたところ 呆れられながら それならもう諦めるか、お腹から転んだらいいとそれまた絶望な言葉が飛んできました。 普段は優しい旦那を、それほどまで追い詰めていたのかと思うと、また情けなくなります。 極め付けは、ずっと通っていた産医病院から 分娩拒否をされたことで あぁ普通の妊婦じゃないんだとまた頭にショックが走りました。 私は、私の事情でお腹の子にストレスを感じさせてる。こんなに母親から愛されなく産まれてくるなんて最高に可哀想なことをしている。 やっぱり精神疾患持ちは妊娠してはいけなかったんだ。その考えが頭から離れません。 友達と会って話したい、でもコロナのおかげで会うことも出来ない。孤独です。 一人で抱えるにはあまりに辛く こちらに書かせていただきました。 どうしたらこの考えを変えることができるでしょうか。 薬も飲めず、このままだと自死も視野に入れてしまってます。

有り難し有り難し 30
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2023/04/23

どう向き合えばいいですか?

2年半前に離婚した元夫が、昨年の夏、自死しました。 嫌いでとか、憎み合っての離婚ではありませんでした。 元夫の死後、とにかく何もする気が起きず、仕事以外は家に閉じこもることが多くなりました。もともと苦手な家事もあまりしなくなってしまいました。 何を楽しいと感じていたのかも思い出せず、長い間笑った記憶もありません。 一人娘には、両親が離婚するという辛さだけでなく、父親が自死するという耐え難い痛みを経験させてしまいました。 それでも少しずつ前を向いて歩こうとしている娘の姿に少し安堵しながらも、私自身は全く立ち直れずにいます。 元夫が亡くなる数ヵ月前から、仕事が原因でうつ状態になり、精神科に通院しています。診察やカウンセリングでは、仕事のことだけでなく、元夫のこともいつも聞いてもらっています。 それでも一向に気持ちが回復してきません。 元夫の自死のことを考えない日はありません。離婚を踏みとどまればよかったのか?と言う自責の気持ちや、私と出会って結婚しなければよかったのか?と言う後悔にずっととらわれてしまっています。 元夫の自死とどのように向き合えばいいのでしょうか。 毎日苦しいです。辛いです。いくら悔やんでも、元夫は帰って来られないのは分かっています。それでも考えてしまいます。私に何かできなかったのか?私のせいなのか? このままでも、いつか時間が経てばこの苦しさや痛みが和らぐのでしょうか? これからの半生、元夫の自死とどのように向き合っていけばいいのでしょうか? 楽しいと思える、幸せだと思える人生を望んでもいいのでしょうか?

有り難し有り難し 10
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