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hasunoha 問答検索結果 : 「お経について」
検索結果: 2994件

職場での劣等感

正社員で看護助手をしています。 最近新しく来たパートの看護士の方がブランクがあったからか、仕事が全くできていないらしく、その他の若い看護士さんや先生にすごく怒られたり煙たがられたりしています。 私は看護助手として、自分のやれることはやっていますが、物を置く場所や片付け方が違うことをそのパートの看護士さんに伝えたら、すごく軽くあしらわれムカッときました。 他の看護士さんや先生には、すいませんみたいな態度なのに、私にはタメ口で雑務などよろしく~と言う感じです。 しかし、最近思ったのは本当にその人の態度が私を馬鹿にしているのか、パートだけど看護士として処置をたくさんできる彼女に対して、正社員なのに看護助手の為補助しかできない自分に劣等感を感じ、馬鹿にされているように勝手に感じているだけなのでは、と気付きました。 劣等感からくる妬みなのだと思います。 すごく自分が嫌です。 なので、自分に自信をつけるため医療事務の資格を今勉強しています。 そのパートの看護士さんに対するイライラする気持ちは「仕事できないくせに私よりたくさんの仕事があたえられてる。悔しい。私より後から入ったくせに私よりレベルの高い仕事をしている。悔しい。」と言う劣等感なんだと自覚しています。 劣等感。 自分の心にどう対応すべきでしょう。 教えていただけますか?

有り難し有り難し 9
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乳がん検診でひっかかり、不安が強い。

これまでも、20代の頃から卵巣の病気があり、検査や手術を続けてきましたが、、そちらは長い経過の末、心配の具合が減ってきました。 とはいえ、不安が高まるとあちこちの臓器が気になり、色々病院にかかったりしています。 このたび、そのついでに乳がん検診受けたところ、予想してないしこりを指摘されました。今のところ、大丈夫そうだけど、悪性の可能性もゼロではないようで、経過観察になりました。 次の予約が1月ですが、とても気持ちがもたないくらい不安定になっています。 そうなると死ぬのは怖くないと思える証拠をさがしてみたり、40までは生きれたのだからいいと思い込もうとしたり。でも自分でコントロールできないことが起こることが怖くて怖くて、居ても立っても居られないです。 そしてこちらのサイトに辿り着きました。時間を見つけて直接のご相談もしたいですが、 まずは今のこの気持ちをどうしたらいいか。どうしたらいいのか、荒波に放り出されたかのような気分で、グラグラと心が揺れています。普通に過ごす時間もあるけれど、こんなことをしてていいのだろうか、わたしは何か現状を変えるためにしなくてはいけないのでは、と考えては、焦燥感でいっぱいになります。 わたしはどうしたらいいのでしょうか。まだ病気と決まったわけではないのにこの状態で、私は果たして今後死に向き合えるのだろうか、とも思ってしまいます。 なお、死が怖いので50まで生きれれば本望と思ったりしていました。父と義母を私の1番恐れてるガンで亡くしたのも、影響を受けやすい私にはきつかったのかもしれません。 何かお言葉いただけますと幸いです。よろしくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 5
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ヌミノース体験について

私は、今スペインの大学院で、宗教学について学んでおります。 お恥ずかしい事に、日本に住んでいるときはあまり仏教について考えた事がなかったのですが、今自分が海外にいる事で、改めて日本が仏教国であり、数々の素晴らしい文化、そしてそれにともなう言語・思想等を生み出してきたという事に気付きました。 そこで、今仏教について、スペインで本格的に研究しているのですが、どうしてもスペインにある仏教に関する本ではわからない事がございまして、ぜひお坊さんたちに答えて頂きたい質問がございます。 ドイツの宗教学者であるルドルフ・オットーが、「ヌミノース」という言葉で表している、言葉では言い表す事のできない他者では経験不可能な不思議体験・神秘体験(?)が一体どのようなものであるのかを、教えて頂きたいのです。 恐らく日本語で表すと、『見性体験』というものだと思います。ルドルフ・オットーも「聖なるもの」という著書の中で、この経験の内容に関しては体験者の唇は固く閉ざされると言っておりますが、仏教を研究している以上、私はどうしてもこの体験がどのような物なのかが知りたいのです。 もし言葉で深く説明できないのであれば、本当にキーワードだけでも良いので、どのようなものなのかを教えて頂きたいです。 難しい質問かもしれませんが、どうぞ宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 56
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罪の償いについて

数年前、私は会社で中堅となり仕事をしていました。 今思えば、休みもほとんどないことからストレスがかかっていたのだと思います。 そして、ストレスの捌け口となってしまったのが当時飼っていた猫でした。 その猫は、1歳くらいの元野良猫で、甘えん坊で人間大好きな子でした。いつも膝の上に乗ってきたり、一緒の布団で寝てくれる子でしたが、当時の私は、その子を虐待してしまったのです。 一人暮らしでしたので、私を止める人は誰もいませんでした。 しかし、その子はどんなに虐待されても膝乗りや一緒に寝ることをやめようとしませんでした。今思うと、愛情で私を止めようとしたのかもしれません。 ですが、私は虐待を止められず、挙げ句殺してしまいました。 その後にも、同じく拾った猫を殺してしまいました。 しばらくして、また猫を拾いました。メスでした。 自分でもよくわかりませんが、また虐待をしようとしたのだと思います。 しかし、拾った後に、その猫が出産をしました。 捨てようと思ったのですが、その猫が健気に子育てをする姿を見て、命の大切さを知りました。命に対する畏敬と言った方が近いかもしれません。 そして、それと同時に激しい後悔が生まれました。 今までの子の、信じていた私に殴られて、どんな気持ちだったろう、どんなに怖かったろう、どんなに悲しかったろうという気持ちを考えると、申し訳ない気持ちでいっぱいになります。 罪滅ぼしのために、動物ボランティア団体に寄付もしました。車に轢かれた猫の遺体も土に埋めて供養しました。 今いる猫、上の拾ったメス猫ですが、絶対に幸せにしたいと思い最上級の餌や環境、愛情を与えているつもりです。当然、私を救ってくれた子ですし、一度も叱ったり、手を上げてはいません。 しかし、年月が経っても、どんなことをしても一向に気持ちが少しも軽くならないのです。 謝罪したり罪滅ぼしをする相手がこの世にいないので当然です。 私はこれから何をすれば罪を少しだけでも償えるのでしょうか? どのように自分に罰を与えればよいのでしょうか?

有り難し有り難し 22
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死にたい気持ち

専門職自営、妻と小学生の子供二人あり。 長年、ストレスからアルコール依存症状態で、飲み過ぎで体調も悪く、うつ病と診断され、病院行ったり行かなかったりということを繰り返しています。 休職を勧められたこともありますが、休職イコール職を失うという立場です。 毎日憂鬱な気持ちで、なんとか仕事をこなし、疲れ果てて酔いつぶれるまで飲んで寝る。 そんな毎日です。 昔から漠然と死にたい気持ちを抱えていました。 その気持ちが日に日に強まっています。 死ねば住宅ローンがチャラになる。生命保険が入る。遺族年金が入る。妻と資格があり働ける。 死んでも大丈夫じゃないかと思います。 子供らは悲しむでしょうが。 仕事のストレス、今は経済的に困ってませんが、将来に対する不安、妻との不仲、子供の成長以外の生き甲斐のなさ、イライラを子供にもぶつけてしまっている現状(ぼうりょくはありません。).常に不機嫌で憂鬱で精神安定剤を飲んで無理矢理仕事してる状況です。 疲れてしまいました。乗り越えた先にもなんの景色見えません。 行き止まり。もう終わりにしようかと思います。 子供への影響だけが気がかりです。 楽しい気分で生きていけるならそれに越したことはありませんが、そんな見込みはありません。 何も楽しくない、全てがストレス、死ぬこと以外の選択肢が見つかりません。

有り難し有り難し 11
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出自に対する絶望にどう構えるか

私は今、休職して5カ月目になります。 上司との折り合いの悪さが原因だったため、保健師の方からは配置転換を検討しようと提案いただいており、転換先を決める参考に「やりたいことを聞かせて欲しい」と言われています。 しかし、やりたいことがさっぱり出てこないのです。 果たしてどうしてだろうと思い、カウンセラーさんと二人三脚でひとつひとつ原因を辿っていくうちに、自分の中に根深い絶望感があることに気付きました。 私のルーツは韓国系で、日本系の血は入っておりません。しかし、両親ともに在日韓国人だったため、生まれも育ちも日本で、記憶にないころに家族全員帰化したと聞いています。ルーツを知ったのは中学の頃です。しかし、世間で言われる韓国の評判に辟易しており、自分の中でのコンプレックスとなっています。 また、発達障害を抱えており、これが原因で家庭崩壊を起こしています。私一人が原因ではないと頭では理解できていても、「私が生まれてこなければ平和な家庭があったかもしれない」という気持ちがどうしてもぬぐえずにいます。 この二つを抱えている以上、あたたかな家庭を望んだり、仕事を通じて自己実現を果たすというのは(可能性は0%ではないにしろ)限りなく難しいだろうと心のどこかでずっと思っているのです。ここで気持ちがくじけてしまっているから、「やりたいことがない」「やっても無駄だから」となってしまっていると気付きました。 問題はここからで、出自というのは努力ひとつで変えられるものではないため、この絶望感にどう向き合っていけばいいのかさっぱり分からないのです。 カウンセラーさんはあくまで気持ちの整頓のお手伝いをしていく方ですし、最後にどう乗り越えるか決めるのは私自身となります。それでも、さっぱり思いつかないのです。 「いつかこの苦しみが何かの役に立つ…」と考えてみても、実に薄っぺらく、まるで意欲がわいてこない始末です。 こういった、変えられない・けれど一生付き合っていかなくてはならない苦しみを越えて希望を持つには、どう知恵を凝らせばよいか、教えていただけるとありがたいです。

有り難し有り難し 11
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勝っても負けても辛いです。

私はモノづくりが好きです。以前、一生懸命作って自分でも納得のいく作品ができたのでコンテストに出したことがありました。 ありがたいことにたくさんの方に見ていただき、たくさん感想を頂けたのですが、嬉しい言葉に混じって聞こえてきた悲しい言葉にとても動揺してしまいました。 それは以下のようなものです。 『あんなものを見せられたら自分が作ったものが恥ずかしくなる』 『努力する事が虚しくなった』 いずれも、私より知識やキャリアのある方からの言葉で、それ以来何をするにしても『自分が何かしらの成果や結果を出すことで、誰かの拠り所を奪っているのではないか』という考えが頭から離れなくなり、素直に作品を披露したり、作品について話すことが出来なくなりました。 また一方で、私自身うまくいかない時に仲間が先にスキルアップしたり、いい評価をもらっているのを見ると『自分が努力しても一生追いつけないかもしれない。』『私が頑張れる場所はもう用意されていないのかもしれない』と思い詰める事もあります。 どちらの立場も葛藤も身をもって感じているがゆえに、作ること、感じること、考えること全てが辛く窮屈です。 気持ちよくモノづくりできるようになるためにアドバイスいただければ幸いです。 どうぞよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 13
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