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検索結果: 127件
2021/09/06

母の自死への後悔

2週間前に大好きだった母が自死しました。 父と二人暮らし。父が病気をしたことで精神的に参ってしまい、不安症を発症。 不眠症・食欲減退となり、そこから自律神経失調症だということまでしか聞いていませんでしたが、結局は酷いうつ病になっていたのでしょう。 最期は自分で死を選び、この世を去ってしまいました。 精神的に病んでいることは知っていて、辛いということも漏らしていました。 眠れないのがつらい、と。 父が入院で不在の時は頻繁に電話したり手術の時は付き添ったりなどしましたが、父が家に戻ってからは少し安心していました。 人が家にいると安心する、と言っていたので、大丈夫だろう、もう少ししたらよくなるだろうと高をくくっていました。 仕事・家事・育児のことで頭がいっぱいで、母の気持ちに寄り添ってあげられていなかった。 もっと話を聞いてあげていたら、電話ではなく会いに行っていたら、抱きしめてあげていたら、私に相談できるようにゆとりをもって接していたら、、、 後悔ばかりがあふれてきて、毎朝起きるたびに、夢じゃない、現実を突きつけられて落ち込む日々です。 母は治したいと努力していました。 病院にも通っていたし、毎朝近所のお友達のところに話をしに行って元気になろうと努力していました。 そんな姿を見ていたから、徐々によくなるだろうと思ってしまっていました。 そこまで追い込まれて、そんな選択をさせてしまうなんて、、、 兄や妹も同じ気持ちだと思います。 特に一緒にいた父は一番つらいと思います。 父も病気をして不自由になったので余裕もなく、イライラしていたそうです。 母はお世話好きなので、いろいろ口を出されるのが嫌で、会話も必要最低限しかしていなかったそうです。 そんな自分の態度や発言を父は後悔して自分を責めていると思います。 父の悲しみや後悔、喪失感を考えると、私以上だと思います。 ただただ、毎日がつらい。 母のことがずっと頭から離れず、急に涙が出てきてしまう日々です。 この先もずっと消えることのない後悔とともに、あと何十年も生きていくのかと思うと、辛く悲しくなります。 お母さんに会いたい。 お母さんに謝りたい。 お母さんを抱きしめて、大丈夫だよ、大好きだよって言ってあげたい。 ただただ、後悔ばかりです。

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2021/06/26

一人暮らしの叔父の死

叔父の急逝に家族としてどのように両親をサポートし、亡くなった叔父に対してどのような事を思ってあげたら良いか整理ができません。 先週、突然母親から「叔父ちゃんが死んでるかもしれない。これからお父さんとマンションへ。」と携帯にメッセージ入りました。 叔父の上階の住人から変な匂いがすると管理人に連絡が入ったとの事でした。 私は大変驚き、急に怖くなり、とても落ち着いていられなくなり、急いで近くのお寺へ手を合わせに行きました。 しかし、その後「玄関で血を流して死んでいた」と母親から電話が入り、涙が溢れ落ちてきました。 警察と救急が駆けつけ、鑑識による捜査後、遺体は警察へ運ばれ、私の父が本人確認を行い、医師の診断により推定4日前に病死したと判りました。父がいうには、母は震えてしまって身体が硬直していたとの事でした。 人生のライフステージで毎度お祝いをしてくれた叔父の事を思うと、そのような亡くなり方がとてもとても残念で、悲しくて、その夜は一晩中眠れませんでした。 翌日、叔父の兄夫婦も新幹線で駆けつけ、私の両親と伯父夫婦と4名で小さなお葬式と告別式が執り行われ、お骨は実家のある岩手県へ移されました。その後、菩提寺で現地の近い親戚だけでお葬式をするとの事でした。 いつか落ち着いたら叔父のお墓参りに行くつもりですが(私の祖父母も一緒に眠っています)、私は今回、叔父のお参りが一度も出来ませんでした。正直にいうと、怖くて携われませんでした。 両親は今、マンションの特殊清掃、遺品整理、近隣の住人からの苦情の対応など、叔父の死後、ほぼ毎日のように叔父のマンションへ足を運んでいて大変疲れている様子です。私が両親を手伝う事ができたら、両親の心労は3分の1になるのに、私は何もできなくて酷い娘だなと思います。食事の準備や諸手続きは手伝っていますが、叔父のマンションでの作業がどうしてもできません。 叔父の鍵付き金庫を壊したら、中から大量に半世紀前の祖父母の手紙が出てきました。岩手から東京の大学に通う叔父を案ずる旨、母の結婚の事、都会人の父をきのこ狩りに連れて行った事などが書かれており、胸が熱くなりました。 家族とは遠く離れていても本来そうあるべきなのに、私は全然できていないと自分を責めました。 叔父が天国で祖父母に再会し、幸せに暮らせますようどうかお祈りさせてください。よろしくお願いします。

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父は最後に何を言いたかったのか?

父が昨年12月に83歳で他界しました。 認知症になって3年、亡くなる約1ヵ月前に肺炎になり回復することなく亡くなりました。 私は遠方に嫁いでおりましたので、年に数回帰っては父の様子を見ながら、自分なりに出来ることはしました。また認知症の知識も素人なりに勉強し、どう父と向き合ったらよいかを常に考えていました。 最後の一年くらいは、私のことを娘と理解しているのかもわからない状態でしたが、それでも普通に「お父さん」として接し、父も笑顔を見せてくれていたのでそれでよいと自分に言い聞かせ、父が少しでも現状維持で長生きしてくれることだけを願っていました。 入院する前の父は、症状は進んでいても食べることも歩くこともなんとか出来ましたが、入院してからは階段を転がり落ちるように症状が悪化し、あっという間でした。 入院したと聞いて、居てもたってもいられず、急遽帰省し4日間だけでしたが父の様子を見に行くことができました。亡くなる2週間くらい前でした。その間毎日病院に行っては父に話しかけました。もちろん父の反応は既に薄いものでしたが、目を合わせれば反応はしてくれました。 そして、一度だけ私に一生懸命何かを言おうとしたのです。こちらも一生懸命耳を傾けましたが、結局何を言いたかったのかは分かりませんでした。その時の父の顔が、病状のせいかもしれませんが、今まで見たことないような悲しいそうな泣きそうな顔でこちらを見ていました。 父が亡くなり、子供の頃から今に至るまでのことを思い出し、父には感謝の気持ちしかありません。大好きな父であり、父の子で生まれたことを誇りに思っています。元気な頃はたくさん話してたくさん遊びました。 父の死を少しずつ受け止めていこうとしていますが、どうしても最後の言葉や入院中の辛そうな顔を思い出すと、胸が苦しくなり、そこで立ち止まってしまう感覚になります。 父の最後の言葉をどう受け止めたら良いのでしょうか?

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10年以上前に他殺された母親に会いたい。

 もうかなり前のことになりますが、身内の一家心中未遂により母親を亡くしました。  事件直後からしばらくは、心から尊敬していた、加害者となってしまった身内の変わり果てた姿と、思春期特有の衝突を乗り越えてようやく人間同士として関わり始めていた最愛の母との突然の別れに頭の中がぐしゃぐしゃになりました。  それでも、両親が応援してくれていた夢に向かい立ち止まるわけには行かない一心で、また、共に強いトラウマを受けた弟の頼れる兄であり親代わりになるべく、ガムシャラにここまで走り続け、仕事の面では今ではそれなりに少年時代に思い描いていた立場になりました。  しかし仕事の性質上、どうしても日常の中で考えてしまうのです。  最愛の両親を守れなかった自分が、他人様のために昼夜問わず身を粉にしている虚しさを。その場では必死にやりながらも、どこかその姿を冷めた目で俯瞰で見ている自分がいるのです。「お母さんを死なせたくせに。この道に進まなければきっとお母さんも今は生きていたのに。結局ここまでの道のりは全て単なる自己満足でしかないじゃないか。」と。  このような日々が続いて今更、30過ぎにもなって情けなくもお母さんに会いたくて仕方がないのです。自分の頑張りを親に認めてもらいたいという幼稚で卑しい願望から来ている気持ちである事は理解しているのですが。  自らも親となったことではじめて親の愛情の深さを知り、尚更今の自分の姿、孫の姿をどうしても見てもらいたくて寂しくて切なくてたまらないです。  どれだけ人様から見て成功して見えようとも、この後悔と自責の念を抱えてあと数十年生き続ける事が辛くて恐くてならないのです。  子供たちが誇りに思える父として、この先も前向きに走り続けるために、どのようにこの深い悲しみと向き合えば良いのでしょうか。

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法事の際に受けた説法が引っ掛かっています

先日、年忌法要の為に帰省したのですが、そこで受けた説法が今も引っ掛かっています。 その説法とは『身内葬で済ますのは不幸なこと』『親族の傲慢』といった内容で、 (忘れようとしているのか)細部まで記憶していませんが、とある事情から恥ずかしながら非常に怒りを覚えました。 その事情とは、年忌の前日に別の親族が亡くなり、事情から親族だけの葬儀にしていたからです。 つまり、その説法と亡くなられた親族が被ってしまい、 『なんて身勝手なことを言うのだろうか』という怒りがあったのだと愚考します。 ただ、親族の代表として向かった手前、怒りを堪えたものの、未だにお坊さんが唱えられた話が引っ掛かっています。 身内だけの葬儀は悪いことでしょうか?確かに親族や友人、知人を呼んで大きく葬式を行うのが一般的でしょう。とはいえ、それが絶対かというと腑に落ちません。 また、説法を行ったお坊さんとは今後も顔を合わせることになるでしょう。 その時にどう顔を合わせたものかと思うと、辛いものを感じます。 (今は説法に対する怒りの感情というより、疑問が凝り固まっているような状態です。) 不躾な文ではありますが、ご教示願えればと存じます。 余談ですが、出来れば浄土真宗本願寺派のお坊さんのアドバイスを頂ければ幸いです。 もちろん他宗の方のお話もお聞きしたいです。

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