近頃、反省し修正すべきことがあっても解決しようとせずに課題から逃げてしまう、ということが続いています。 自らのせいで問題が複雑になり、周りに迷惑をかけているにも関わらず、「周りの人達の信用を失ったっていい」「ここでなくても他で成長出来ればいいじゃないか」「もうどうでもいい…」等々、無責任な言い訳をして解決を先送りにしてしまうのです。 さらに、このような状況下でも自分を変えよう、と心から思うことが出来ていません。課題のみならず、自分自身からも逃げてしまっています。 素直に自分の過ちを受け止め、正しく改められる人になりたいです。どうかお坊さん方のお力を貸してもらえないでしょうか。 よろしくお願いいたします。
いつもお世話になっています。最近疑問に思います。日本では少子化が深刻な問題でありますが、それによって墓じまい、家じまい?家系断絶が発生しております。昔の時代だと家系を絶やしてはならぬとあれだけ言っていたのに、ここにきてなぜ180度変わったみたいに家じまいを受け入れるようになったのでしょうか?経済的な問題や社会的な問題だけではないような気がしますが。お坊さんのご意見をお聞かせください。
こんにちは。今まで何人かのお坊さんに相談して少し精神状態良くなりましたけどまだ悪化し始めました… 過去の悪行(からくる悩み)、仕事の悩みなどで死にたくなります…しかし両親の介護などもあり死ぬ訳には行きません… どうすれば解決出来ますかね?ある程度眠れる様にはなりました…しかし不安になりお酒が辞められません…(今もビール飲んでます) 過去の悪行は猛反省しても逃れなれないのですかね?(毎日毎日毎日仏様とご先祖様と迷惑をかけた相手に仏教の懺悔文読み懺悔しています)少しでも良くなりたいです…宜しくお願い申し上げます。
できれば全ての宗派のお坊さんに聞きたいのですが、仏教ではどんな人が地獄に落ちるとかんがえられているのでしょうか? 以前の質問を見ていただきたいのですが、私は自転車で危険な運転をしたり、父を突き倒したりしたわけで、その時「相手が死んでしまってもいいや」と考えていたかもしれないわけですから、自分のことを人殺しかもしれないと思っています。 そんな私はやはり地獄行きなのでしょうか? また、地獄へ行くのを回避するにはどんなことをすれば良いのでしょうか?
こんにちは、仏教に興味を持って勉強をしています。まだまだの知識ですが、聞いたことやこれまでの人生で、仏教は仏様とひとつになることを目指すものだと理解しています(正しいのかな、?)その意味で、瞑想とかは分かるのですが、仏様や他の菩薩様に祈る意味、拝む意味とはなんでしょうか、お坊さん方はお経を唱えたり祈ることについてどうお考えでしょうか? また仏教でも御守りやお札があると思います。それらのものにはどういった意味があるのでしょうか? 帰依して他力を祈るということでしょうか? 初歩的な質問で申し訳ないです。 どうかお教え下さい。
私には人に好かれる才能がないと思います。おもしろいことも出来ないし、人を夢中にさせるトーク力もないです。 外見だけはいいと褒められたことはあります。だけど外見で寄ってきた人達はすぐどこかにいってしまいます。 私は友達や彼氏と話したり遊んだりするのが大好きです。だけど私と話していても楽しくないだろうと思ってしまうと、会いたくなくなってしまいます。 お坊さんは人と話すとき何を考えて話してますか?どうすれば楽しいと思って貰えるのでしょうか。どうすれば人と楽に楽しく話せるのでしょうか。
以前書き込みした「葬儀が無くて暇」の寺での話です 某有名人の葬儀をしたのがよほど嬉しかったらしく 住職がその様子をいろいろ話してくれました。 この業界で有名人の葬式を行えるのは ステータスか何かですか? 遺族の悲しみを想像すると坊さんの嬉しそうな様子の ギャップが未だに埋まりません。 とある質素な葬儀を悪い見本のように言い 盛大な葬儀を良い見本のように聞かされたこともあります。 お寺さんから見たら人の死はそのような扱いなのでしょうか? そもそも個人的なに葬儀の内容を他所で話されるのは 有りなのですか?
介護施設で働いています。認知症の強いお年寄り方や、しっかりされている方などさまざまです。 お年寄りによく『あんたはいい顔してるねぇ~』と言われます。認知症が強い方に特に言われます。 たぶん、美人とか、かわいいとか、そういう意味ではないのはわかります。褒めてくれているんでしょうけど、一体、高齢者から、特に認知症が強い方から見ての『いい顔』とは、何を意味するんでしょうか。 認知症の度合いや、高齢者と言っても幅が広いですが、お坊さんならどう思うか聞きたかったのです。よろしくお願いいたします。
初めて質問させて頂きます。 持病のこともあり、普段からネガティブな考えにはなりやすいのですが 「この世界に存在する意味とは」 がよく悩んだ末に出てきます。 何も聞きたくない、食べたくない、感じたくない、では存在しなくて良いのでは? まず、なんでこの世にいる? 幸せと感じるものは本当に幸せなのか? あんなに沢山苦しい想いをしてまで一体何を求めているんだ? それなら幸せもいらない、それでいいんじゃないか? と、書いている自分でも思いますが極端になります。 同じ想いで出家される方もいるのでしょうか? お坊さん/尼さんになって自分が求めていたものは手に入れましたか? 答えがないと生きる気力(やる気)にならない、そんな弱い存在であるのも悩みです。
このような質問が場違いでしたら申し訳ございません。 祖父母の屋根裏から墨で書かれた出納帳と思われるようなものの紙の破片が出てきました。(出納帳ではないのかもしれません)そこには「天保十一年」や「◯◯村」等が書かれており、「大小通」という文字も読めます。この「大小通」の意味については家族も周囲の方も知らずネットでも検索出来ないため、お坊さんならわかる方がいらっしゃるかと思い質問させていただきます。よろしくお願いいたします。
是非、お坊さんにこの疑問を解決してもらいたくて書きます。 ズバリ、「あの世にも人間関係は有るのか?」です。 先日、渡哲也さんがこの世を去り、石原裕次郎さんとあの世で酒を酌み交わしてるなんていってましたが、あの世って沢山の人が行く訳だから、そこにも人間関係は存在するのではと思いました。 酒を酌み交わしてる時に邪魔者でも入らないかどうか…。 そもそもあの世の概念も分かってないので、その辺も解説して頂ければ幸いです。
私は今まで碌な事を言われてきませんでした。 顔も醜く、声も気持ち悪いので理不尽にも悪口を言われています。 普通の顔でも、笑顔で接しても、気持ち悪がられる時間を過ごしてるうちに何故私は生まれてきたのか?それから、苦しみの根源は何なのか?について考えていました。 そして、わかったのです。 あくまでも私の持論ですが、苦しみの根源は生命の誕生だと、生まれて来ることが苦しみそのものなんじゃないかと思うようになり、人間は滅びるべきなんじゃないかと考えいますが、お坊さんは人間は滅びるべきだと思いますか? 公共の場で聞くべきじゃないと分かっていながらもお許しください。
会社の先輩が、最近保険の勧誘をしてくるようになりました。 あなたを心配してと言って勧誘してきます。 ある時、食事に誘われたからついていくと保険屋が待っていて、二人して保険の勧誘をしてきた次第です。 私は純粋に、心配してくれてるんだなぁと思ったのですが、私の友人にこのことを話したら、友人は「勧誘が成功したら、先輩は裏でお金をもらっているんだ」と言いました。 私はショックでした。 でも、考えれば考えるほど、私も先輩がお金をもらって勧誘しているんだと感じるようになりました。 そうして、友情をお金に換える先輩のことを思って虚しくなるのです。 淋しいとも思います。 お坊さんはどのようにお感じになりますでしょうか?
いつもお世話になっています。 きょう、学生時代の慣れない集団生活の夢を見て気分悪くしながら起きたのですが、起きた瞬間夢で安心しました。 今の現実は自由で集団生活に縛られないからです。 そこで思ったのですが、苦しみがあるおかげで幸せを感じることができるのではないでしょうか? 私は子供の頃は貧乏でアパートに住んでいたのですが、そのおかげで今は一軒家を買って住んでいるのですが凄い幸せです。 これを考えると苦しみも幸せを実感させる要素として必要なのかなと思えるのですがお坊さんの意見を聞かせていただければと思います。 いつも親切に回答していただき本当にありがとうございます。
愚痴や悪口を言わない訓練を続けているのですが、それをしていると他人が無意識のうちに愚痴や悪口を言っていることに敏感に気づくようになりました。 他人にもこの訓練を強制するつもりはありません。 ただ思ったのは、「この人は愚痴や悪口ばかりだから深く仲良くならないでおこう」と他人に合わせることなく、取捨選択できるようになったことです。 これは個人的には嬉しい変化(自分は正しい道を進んでいるんだなという感覚)なのですがお坊さん的にはどう思いますか? ここに質問すると本質的な回答がいただけて大変ありがたいです。道半ばの私にご教示くださいませ。
小学2年生の長男が最近何度も同じ事を聞いてくるのですが、うまく回答できずにいる事があります。 ①人間はなぜ生きるのか。 ②大人になったら良い事はあるのか。あるとしたらどんな良い事があるのか。 ③僕の人生は良いことがないので生まれ変わったら良いことはありますか。 だそうです。 私には難しくて分からないので、何でも知ってるお坊さんに聞いてみるね、と言うと目をキラキラさせて「うん!お願い!」と言っていたので小学2年生でも分かるようにご回答頂けたら嬉しいです。 よろしくお願いします。
お坊さんこんにちは。 仏教のことで気になっていることを教えて下さい。 僧侶だった知人いわく、「人を呪う経が存在する。しかし、その経を使うと人を呪わば穴2つ..のことわざと同じで、自分に返ってくるから気軽に使っていいものではない」とのことでした。 知人は他界しており、その後気になってネットで調べてもそれらしい答えは得られず..。 知人は私よりも年上でしたので、この話を教訓的意味で教えたのか、呪経が実在するのか....、この話の真意が未だにわかりません。 人を呪うお経は本当にあるのでしようか..?
前回の質問では 自らの生き方について相談しましたが、 今回はネルソン・マンデラ氏の名言について単純な質問です。 ネルソン・マンデラ氏は数々の名言を残しています。 「遺恨の念は、毒を飲んでおきながら、それが敵を殺してくれると期待するようなものだ。」 や 「大きな山に登ってみると、人はただ、さらに登るべきたくさんの山があることを見出す。」 などなど、 何となくではありますが、 案外考え方は仏教に近いのではないだろうか。 と、思いましたので 実際にお坊さんの声を聞いてみようと思い、質問致しました。
知らぬが仏という言葉がありますが、それでも知ってしまい負の感情(怒り・悲しみ・辛い・不安等)が何をしていても、普通に生きていても出てきてしまいます。 暇を作らない、考えない、目の前の事を淡々とやる…色々試しましたが。 約7ヵ月間続いています…息苦しいです。 お坊さんでも、そういう経験はあるのでしょうか? 負の感情を消すには、どうしたらいいのでしょうか。
紅葉の質問ありがとうございました。続いて気になってる質問です。 数年前にNHK大河ドラマで龍馬がゆくをやってましたが、その中で龍馬の許嫁?のおさなさまのお墓に歴女が殺到みたいなニュースをみましたが、歴史上有名な人のお墓めぐりをいつかしたいです。 お坊さんから見たこの有名人のお墓はおすすめというのはありますか? 京都の坂本龍馬と日光東照宮は行ったことあります。