息子からの質問でした 『心は体のどこにあるか知ってる?』 『僕知ってる』 心臓か? 『違う』 お尻か? 『違う(笑)』 息子『大脳なんだって!』 え?そうなん?ん〜 私なんか違うわぁ… 心は体の真ん中にハト時計みたいな扉の中に 米粒くらいの人がおって(笑) それが大きくなっあり小さくなったりしとる。。 それがお母さんの心な気がする(^^) 息子には笑われましたが楽しい時間でした。 お坊さんの心は体のどこにありますか?(^^)
26才です。かなり遠方の方へ就職してすぐ辞めてしまい1ヶ月で実家に戻ることになりました。原因はうつの悪化でした。母親は呆れかえっていました。引っ越しも手伝ってくれたのにふりまわされたのですから当然の反応です。私自身親にこれ以上迷惑をかけたくない為すべての手続きが終わったら静かなところで泥酔して首を吊ろうと思います。死んだ後は天国へいけるのでしょうか?私は死んだ後の世界というのは存在せず無があると思うのですがお坊さんはどう考えますか?
例えば、趣味であるゲームをしている最中 に段々とこだわりが発生してしまい、 「ああしなきゃダメ」 「こうしなきゃダメ」 となってしまい、 その通りにいかないと モヤモヤしてしまいます。 結局楽しめなくなってしまうので 違うゲームソフトで遊ぶのですが、 それでも上記の通り、こだわりが発生 してしてしまいます。 「じゃあ今度はアニメを見ようか」 と思い、自分の趣味の中の一つである アニメを視聴するのですが、 それでもこだわりが発生してしまい、 執拗に何回も巻き戻しをしたり、 何回もアニメを最初から見直したりと、 結局楽しめなくなってしまいます。 どうしたら趣味を楽しめるようになりますか? お坊さん、ご回答お願いします。
今回はお坊さんに背中を押してもらいたくて相談しにきました。 実は転職しようと思って求人を眺めていたら、数年前に面接を辞退した会社の求人を見つけました。 今はそちらの会社で働きたい気持ちが強いです。以前は面接を辞退してしまったのですが、応募した方がいいのでしょうか? ちなみに面接辞退の電話をした時には辞退した理由は話していませんでした。 辞退した理由というのは家庭の事情でした。 4年前の出来事なのですが…
よろしくお願いします。 今月に初盆&四十九日をします。 実家に母の経壇と骨があります。 骨拾いのときに私も分骨してもらいまして、一人暮らしの家に仏壇と骨を置いているのですが… 分骨の方でも提灯を用意してもいいのでしょうか? 初盆は白色の提灯を灯すことは知っているのですが…送り火迎え火の代わりだと。 実家と私の家、両方灯すと母がどちらに帰ってきていいかわからないかなと… どうするべきでしょうか? また、四十九日のお坊さんが来られる時にうちの骨も持っていくべきですか? 詳しくお教え願います。
仏教で絶対の幸福というものがありますが本、セミナーでは理解することが出来ません やはり、お坊さんとの問答で何年という時間(お金)をかけ、理解するものなのでしょうか? 時間をかける事に意味もあるのでしょうか? 楽して理解する事はやはりお釈迦様が許さないのでしょうか? 人間関係で生きずらさを日々感じています アンケートなどで生き方が180°変わった、目からウロコと言うような返事が寄せられています 絶対の幸福が理解でき これからの人生に役立てればと思います よろしくお願いいたします
中学生の息子のことです もともと学力は普通以上でしたが、中学入学後、勉強をしなくなりました 色々と悪事を行い、ただいま児童相談所のお世話になっております 児相の方いわく 息子が勉強をしないのは、勉強する意味を見いだせないからではないか、やる気になれば、学力は十分あるので、力を発揮できるはず 私自身、両親が中卒だったこともあり、学歴は大切だと親から聞かされていましたし、貧乏な家庭に育ったので将来お金の苦労はしたくたい、と思い、何の疑問もなく勉強していました しかしながら、息子自身勉強する意味が分からないと言います お坊さんは、勉強する意味とは、いかなるものだと思われますか?
お坊さんこんにちは。作法について、調べてもわからず、質問させて頂きました。 私には不慮の事故で20代で死去した友人がおり、3回忌は過ぎています。 毎年、お供えと一筆を送っていました。その度に、友人のお母様からお礼の品とお電話があり、過度に気を遣わせているような 気がしてきたのです。 そこで、今回は手紙と、手紙に文香を入れて送ろうと思っています。鎮魂をするにあたって、失礼となる香や作法はあるのでしょうか?お教えくだされば幸いです。 一般的には、3回忌の次は7回忌かと思われますが、このようなことは失礼なのでしょうか?
Twitterやってて、世の中こんなにも大変な人が多いんだなって思います。 僕は統合失調症なのですが、時々死のうと思います。 今まさに死のうと思ってます。 僕はTwitterの人に比べたら大して大変じゃないと思います。 仕事が上手く行かない、一部のインフルエンサーに嫌われた。 嫌な事だけど大した事じゃないです。 こんな事で参るぐらいなら、死のうと思います。 生きてるの辛いし。 なんだったら、ここのお坊さんに葬式やってもらおうかな。 もう生きてられない…。 僕なんか死んでも誰も何とも思わないし。 どうせ僕はバズらない。
初めまして。 生きていると、いろいろあります。なるべくなら、笑顔を絶やさず前向きに!がモットーなのですが、家庭では仮面をかぶって、潰れそうになった時に、ある人と出会いました。子供たちが自立したら、一緒になろうと、約束はしてますが… やはり、許されないでしょうね。今二人で、御朱印集めをしながら、自分の姿を見直し、懺悔しつつ、いつか…という思いをこめ、お参りしております。 そんな姿を見て、お坊さんなら、どんなカツをいれて下さるんだろうと…質問させていただきました。よろしくお願いします
先程、あげた相談を消しました。 見てしまったお坊さん方々、お目を汚してしまい申し訳ありません。 文にしてみると私がやったことは本当に最低最悪なことで自己嫌悪しかないです。 本当は自分可愛さに誰かに自分の罪を許してもらおうとしていただけだと思います。 何も知らない彼女にも自分がどれだけ汚い人間なのか伝えるべきだと思います。 でも、お世話になった家族に迷惑をかけたくないのでこのまま一生誰にも許されない罪を背負って生きていきます。 本当に辛くて今からでも死にたくても苦しくて吐きそうです。 でもこれが自分が犯した罪の代償なのでしょう 大変すみませんでした。
こんにちは。前回の『慢』についてのアドバイス有難うございました。とても参考になりました。お陰様で、慢が出たー!と気づいたら掴まず放置してみると、勝手に鎮まるようになりました。 今日教えて頂きたいことは、以下のことです。 お釈迦様は、人々が占いを生業とすることを禁じたと 或るお坊さんから聞きました。 それは本当ですか? エピソードや出典も もし可能でしたら知りたいです。 占いという不確定なもので人生左右されてしまう人もいて、可哀想に思います。 仏法を学ぶ方がはるかに良いと思っています。
いつもありがとうございます。 私は、仏教のお話しをきいて、 本当に怒りに流されてはいけないな。。 と学びました。 もっと早く気づけば友達ともケンカして別れしたりすることはなかったのかな。。お互い傷つくことを防げたのかな。。と でも過去を色々考えてもしかたがない。 結婚して出産して環境が変わり 本当に色々なことがあり、気持ちが疲れていますが、、 学んだことを生かして前にすすまなきゃ。と思う毎日です。 お坊さんも怒りを感じるときありますか?
仕事の事で苦しいです。 でも、そんな苦しさの中で「生きてる」事を実感しています。 死にたい…そう思って決行寸前の私を生かしてくれたのは、ハスノハのお坊さんや、このハスノハの相談者さんが手をさしのべてくれたから生きています。 あの日、死んでいたら、今の「苦しい」ということを知らなかった。苦しさを乗り越えたら楽しさや嬉しさがあるんじゃないか、って頑張れるんです。 本当に、あの時は有難う。 最近、投稿がなかったから心配でした。 うまく元気でやってらいいけど。そう思っていました。 私は生きていて良かった、って思っています。 これからも生きていきます。 一緒に頑張ろうよ。
現状、特に電化製品やガジェットなど、台湾、韓国、中国、米国製がほとんどです。1980年代はソニーやパナソニック、東芝、シャープなどがパソコンや電化製品、ガジェットなど豊富でした。品質もよかったと思います。なぜここまで日本製はなくなってしまったのでしょうか。なぜ日本のものづくりは衰退してしまったのでしょうか。日本の強みがなくなってしまっていると常日頃感じています。 なぜ日本のモノづくりは衰退したのか、お坊さんの見解、ご意見を聞きたいです。
私は潔癖症です。色々な意味で。 自分自身の汚い部分から目を逸らして潔癖な生き方をしてきました。 (時に周囲に厄介ごとを押し付けてきた部分もあるかもしれません。) 潔癖症であるがゆえに、己は精神的に幼く脆いと自分では考えております。 なので、なんとかしなきゃなと思う反面、自分自身の潔癖症なところも好きだと申しますか、捨てることが出来ません。 どのように折り合いをつけていくべきでしょうか。 お坊さん、お知恵をお貸しいただけると嬉しいです。
宿坊に泊まった時に、若いお坊さんたちが色々とお世話をしてくださいました。 僧侶になるにはいくつかのコースがあると思うのですが(二つくらいしか知りませんが)、朝の勤行などでお経を読めるようになるまで、何年くらい経験が必要なのでしょうか。 大体、皆さん20代くらいとお若く見えまして、年齢・経験を積むことで地位や出来るお仕事も違ってくと思いますが、ざっくりとどんな流れで僧侶と言う職を人生の中でしていくのでしょうか。 ふと、気になったので質問させて頂きました。
先日祖父の十三回忌がありました。お坊さんにお経をあげていただいている時に奇妙な景色が頭の中に流れてきました。 どこか分からない場所を、お遍路さんが持つような長杖を支えにして祖父が歩いていました。祖父の顔は遺影よりも若く、少し苦しそうでした。 死後の世界とは苦しいものなのでしょうか。それとも供養が足りないから祖父は苦しんでいるのでしょうか。ただの幻覚ならいいのですが状況が状況なので気になります。
親戚が相次いで亡くなり、浄土宗・浄土真宗のお坊さんが葬式でお経を上げてくれました。 その時に、ある部分で何故か「アメリカ アメリカ」と聞こえてしまう箇所があり…。初めて耳に入った時は、絶対に笑ってはいけない場面であるにもかかわらず思わず噴き出しそうになりました。確か、両方共初七日法要のお経の部分だったと思います。 他の親戚も複数の人が同じことを言っているので、果たして本当は何と言っているのかが、どうしても気になってしょうがありません。 変な質問で申し訳ありませんが、分かる方がいらっしゃったら教えてくれませんでしょうか。
勉強においても他の活動においても、何かで努力すればするほど、どうしても結果に結びつけたいという気持ちが強まります。 人生の中で、何が成功で失敗であるかなんて、先にならなければ分からない話ですが、現在抱いている理想と現実の差をどのように受け入れるのが良いか迷っています。 “なるようになる”“今置かれている状況の中で精一杯努力する”“失敗から得られる経験は沢山ある”“何が何でも成功してみせる”“今の理想が全てとは限らない”など、理想と現実との差の捉え方は様々だと思うのですが、お坊さん方はどのように考えておられますか?