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hasunoha 問答検索結果 : 「名前」
検索結果: 2465件

相談に対するご回答に腹が立ちました

以前、こちらでの相談に対する回答の一つに腹が立っておりました。 いま言語化できる気がしたので、怒りをぶつけさせていただけます。 質問はこちらです。 https://hasunoha.jp/questions/5942 パスタファリアニズムについて、仏教徒の方々に宣教する気はないので、詳細は割愛しますが、私が腹を立てていた、今思い出して腹が立っているのは、次の一文です。 「それだけでパスタファリアンを名乗るのは本家パスタファリアンに失礼」です。 私は、信徒であることの証明書を持っております。 ちなみに、通販で、当時40ドル程度で購入しました。 重要なのは、パスタファリアニズム(空飛ぶスパゲッティ・モンスター教)は、宗教に対するパロディであること、つまり、信仰そのものがパロディであるべきだということです。 パロディとは風刺です、風刺とはつまり批判のことです。 上記で、頂いたご回答にいかに怒りを抱いているかわかると思います。 私は預言者が一人の宗教が大嫌いです。 なぜなら、その最初の一人の考えに引っ張られるからです。 以下何人弟子がいようと、何世代続こうと、その最初の一人の考えが根幹(root)として存在するからです。 だから私は仏教徒になりたくないのです。 そんな奴らの一員にされたくないからです。 失礼なことを申し上げているのは存じていますが、この怒りは紛れもなく事実です。 だから、私は死後戒名は「絶対に」つけてほしくないし、できれば葬式も上げてほしくありません。 なぜここに相談したのかというと、日本人なら否応なしに仏教形式の葬式を挙げられ、否応なしに戒名がつけられるからです。 私の意志とは関係なく。 だから、仏教徒の方にクレームを付けたくなったのです。 そして、そのシステムを作り上げているあなた方に、回避方法を聞きに来ました。 怒りが言語化できてとても満足していますし、申し訳ない気持ちも同時にあります。 ですが、あえて怒りをぶつけさせていただきました。 十数年ぶりに、怒りという感覚を思い出せましたので、とても満足しています。 怒りを感じていなかったのは、人に期待をしていなかったからです。 なぜなら、私はちょっと人とは違う考え方をするようですので、意見が合うことが少ないようでしたので。 ありがとうございました。 失礼いたしました。

有り難し有り難し 21
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2024/09/27

現実と思い

こんにちは。 いつもお世話になっております。 先日、約2週間ほどタイとマレーシアに行ってきました。人生初の海外旅行です。渡航前にトラブルもありましたが、無事に体調も崩すことがなく日本に帰国することが出来ました。 タイに行った際、いろんな有名な寺院や博物館などに行き、お釈迦様の人生を学んだり、出家や悟りについて勉強したりしました。ある有名な寺院に行き、エメラルドグリーンに広がる屋根を見ながら坐禅を組んで眺めていました。すると、不思議と心のモヤモヤや悩みが一気に吸い込まれているようで、気づけばずっとボーッとしていました。 悩みとかがなぜかちっぽけに思えて、健康がどれだけ素晴らしいものか過去のことを思い出しました。昨年大怪我をしてしまい、毎日辛く、後悔と健康体ではない自分の体に苛立ちを感じました。でもまだ跡はあるけれど少しずつ治ってきた自分の体を見て、治る力があるということ、辛くても乗り越えることができたこと、この力があるっていうことは、怪我は健康状態でなくても、あるいみ私自身の体や心は健康だったのではないかと、坐禅を組みながら感じました。こんな気持ちになったのも初めてで、正直タイに行って、仏教に触れる度、不思議な気持ちになるというか、変な言い方になりますが、お釈迦様はいらっしゃるんだな、仏様は本当にいらっしゃるんだなと強く感じる場面が多くありました。その度にパワーをいただいたというか、僧侶の方にもご祈祷していただき、それ以来、気持ちが変わったといいますか、長旅で心も体も疲れているはずだけど、生きる力がたくさん漲った感じがします。この瞬間が本当に幸せに思え、旅行中何度も思いました。人生、様々なことがあるけれど、この旅行先での最高の幸せに出会うための備えって、健康であることなんだなと何度も感じました。 日本に帰国したあと、待っていたのは人間関係の悩み。生きる力は未だにたくさん漲り、むしろ挑戦したいことばかりでうずうずしています。だけど、友達に気を使うことが辛くて、朝も辛いなと呟きながら出発しました。 明日も会わなきゃ、大丈夫かな、何かあったのかな、ちゃんと話の輪に入れてるかな、常にある友達といると思います。 1人になると、なんでこんなこと思わなきゃいけないんだと我に返ってしんどいな、辛いなと嘆くばかりです。 こういうとき、どのような心構えで過ごしていけば良いのかと思います。

有り難し有り難し 3
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当時仲の良かった女性を思い出す

長文失礼致します。 私は2008年の6月までさいたま市に住んでいました。その後、転勤で富山市に引っ越し、現在は妻と子の3人暮らしです。 最近、12年前に仲良くさせて頂いた一つ年下の女性が頻繁に頭の中に思い浮かびます。 その子とはSNSで知り合い、約半年程のお付き合いでした。富山に転勤が決まった際は、富山のアパートにも何度か遊びに来てくれましたが、やはりお互いの距離や価値観の違いから、ケンカ別れの様な終わり方をしてしまいました。 その子と私には共通の好きなバンドがありました。 そのバンドの曲は今でもたまに聴いており、その度に過去を懐かしむ自分がいます。懐かしむことはよくあることだと思いますが、10日程前から特に気になり具合が強くなり「あの子は今元気でやっているのだろうか?」と頻繁に考えてしまう様になってしまいました。 別れた際、携帯の番号やメールアドレスは消去しましたが、当時その子が住んでいた住所と電話番号は覚えていました。気付いたら手紙を書いていました。 「あれからかなりの月日が経ちましたが、私は変わらず富山で生活しております。○○さんは元気でやっていますか?お互い、新たな生活を始めているかと思いますが、もし御迷惑でなければ久しぶりに近況報告などが出来れば幸いです」 という内容(実際はもう少し長い)で、最後に電話番号とメールアドレスを添えました。電話もしてしまいましたが、今はここにはいないと言われました。 電話に出た方から「10年以上も前ですので…手紙は結構です」と言われてしまいましたが、「捨てても構いませんので」と伝え、手紙を出しました。返事は来ないと思います。SNSでも探しましたが、facebookには登録があるものの、放置状態でした。メッセージを送りましたが、これも返事は期待できません。 半年間?と思われるかもしれません。しかしながら、私にとっては良い思い出も辛い思い出も色々ありました。10年以上経った今では全てひっくるめて大切な思い出です。あの頃の思い出話や近況報告をしたい気持ちが強くなり、頭の中がモヤモヤしています。

有り難し有り難し 18
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2024/09/07

大好きな祖父が肺炎で入院中…不安です

はじめまして。閲覧ありがとうございます。 私の祖父(74歳)は、1週間前から間質性肺炎で入院しています。 意識はハッキリしており、食事もとれているそうですが…3日ほど前からICUに入り、ステロイド治療と経過観察を行っています。予定では今日がICUを出る日だったのですが、まだICUを出るには少し時間がかかるとのことで… レントゲンの結果も入院初日より悪化しているようで、本当に心配です。 間質性肺炎についてネットで調べても、調べれば調べるほど「完治しない」「悪化すると呼吸困難に」などなど…怖い情報ばかり出てきて気持ちが辛くなります。 私自身精神疾患を持っており、祖父のことが心配で毎日気持ちが落ち着かず、ご飯も味がせず、日常生活が億劫で…私まで心身ともに参ってしまっている気がします… 祖父は気合いと体力が自慢の人間なので、20代前半の私より根性があります。きっと大丈夫…と思いつつ、それでもやはり不安で不安で、何も手につきません。 祖父は、両親が離婚して父親がいなかった私の父親代わりです。旅行が好きな人で、小さい頃から色々な所に連れて行ってもらい、それがきっかけで私は歴史が好きになり、大学の史学科に進学しました。 つい先月も、祖父母と山梨の花火大会に行ったばかりで、また秋にも旅行に行く予定です。 祖父の口癖は「100歳まで元気に生きる」です。ずっと元気でいてほしいです。また一緒に旅行に行きたいです。 どうしたら祖父は元気になるでしょうか。私に何が出来るのでしょうか。 どうか教えてください。よろしくお願い致します🙏🏻

有り難し有り難し 27
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毎日つらいです

1ヶ月前に彼氏から好きじゃなくなったと振られました。1年3ヶ月付き合っていましたが何度も彼から「好きかわからなくなった」と言われその度に話し合い、一緒にいようと言ってくれ、いつも通りの彼に戻ったらまた別れ話…の繰り返しでした。最後の方は連絡もそっけない感じで、会うのが義務的…みたいな、薄々終わるなと気付いていましたが。 別れる理由を聞くと、私は彼のためにいろいろ頑張るし、料理も上手だし一緒にいて楽しいし落ち着く、会えないと寂しいと思う、でも結婚を考えるなら元カノの方がまだ考えられたとのことでした。 私が男の人の話を出したり元彼の話をするのをものすごく嫌がる人で、そんな彼から元カノの話をするのはよほど本気なのだろうと思い別れを受け入れました。 交際当初は、長年付き合った元カノとは最終的に結婚できないと思ったから別れたと言っていたのでとてもショックでしたし、元カノに戻ることはない、未練もないと言っていたのに…気持ちが戻ったのかなと思います。 同じ職場ですが、彼は今は私を避けるようにしており近々引越しもするそうです。小さな職場なので互いの情報も耳に入ります。 私にとってほぼ初めての彼氏で、相手にとっては私が2人目でした。お互い20代後半で結婚や同棲の話も出ていたため、毎日ショックで眠れません。泣きながら寝た後に翌日出勤し、隣の席の人が彼氏の話をしているとすごくこの状況から逃げたく、消えてしまいたくなります。何をしてもその人が目につき特定の人にターゲットを当ててひたすは妬み僻むこの自分が大嫌いです。 趣味もないため気分転換も出来ず、身近に相談できる友達もいません。元々私はポジティブ思考でしたが、この先私は一生独身で、職場でも哀れな目で見られて、と思ってしまいます。ほぼ初めての彼氏ということもあり、人生初の経験に戸惑っているのかもしれません。毎日消えたくてたまりません。復縁、というワードでいろんなサイトを見てしまいます。占いサイトに課金もしました。(辞めましたが)毎日こんな感じで一喜一憂しています。ぐちゃぐちゃです。もう自分でも何がしたいかわからないです。

有り難し有り難し 13
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万人受けしない自分を認めたい。認められたいです。

「理解されない」という惨めな気持ちが、年々強くなります。 音楽をやっており、私は比較的マイナーな楽器を主に演奏します。 華やかな楽器を演奏し、いつも目立っている女性から、以前馬鹿にされたように笑われたことが、未だに傷ついて頭にこびりついています。 その人はどんどん人前に立ち、どんどんきれいに、みんなから人気を集めています。 それに比べ私はどんどん人前から遠ざかり、楽器も手にしなくなりました。 理由は自分でもハッキリとはよく分かりませんが、欝っぽくなって「どうせ私なんか」と自分を責めたり「どうせこんな人たちなんか」と周りのせいにしたり、し始めた頃からです。 なのに、昔は大学で優秀な成績だったことや、小さい頃からずっと音楽が得意で皆から褒められていたという過去の栄光に、どこかですがっています。 「私は上手なのに皆は私を理解してくれない」などと、物凄く醜く卑屈な考え方をします。 人前で演奏しないから上手かどうかなんて誰も知らないのは当然で、何も努力せず理解してもらおうなんて、甘いにもほどがある…それでこの春から気持ちを切り替え、練習を再開したりしているのですが、どうしても、華やかな人と自分を比較してしまうんです。 たぶんこのままだと、もし自分が以前のように人前で演奏するようになっても、他者と自分を比較しては惨めになる繰り返しで、一生悩まされる気がします。 みんな違ってみんないいはずと言い聞かせてみても、「でも私の周りの人は、目立つ人、万人受けする人の事しか褒めない。周りの人に認められなかったら何の意味があるのか」という思考がすぐに打ち消してしまいます。 なぜ年を経るごとに酷くなっていくのかは分かりません。 子供っぽい悩みのようで、周りの人に相談することもなかなかできず、投稿させていただきました。

有り難し有り難し 58
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努力をしても報われず、友人に嫉妬する

日々努力すること、そして結果に結び付かないことに疲労と焦り、嫉妬心を抱くようになりました。 最近Twitterから、趣味で小説を投稿しています。できる限り毎日書いて、投稿するよう努力をしています。 投稿するのだから、やはり誰かに認めてもらいたい、誰かに見て欲しいという気持ちがあり……。 けれど結果に結び付かず、自分がまるで空気のような存在に思える時があります。 最近、友人に嫉妬心を抱くようになりました。 相手は小説ではなく絵ですが、誰かに認めてもらえ、そして無邪気にそれを私に話す姿を見ていると、「私の小説なんて、書いても意味がないのでは」と思うようになりました。 それは今も続いており、日に日に強くなり、友人に対して強い嫌悪感を抱くようになりました。 「頑張って書いたところで、毎日書いたところで、誰も見てくれないのでは?」という不安な気持ちでいっぱいになります。 もうこんな嫉妬心に振り回される毎日が嫌で嫌で仕方がありません。 ですが、誰かに認めてもらいたいという気持ちを捨て去ることも出来ません。 全部が苦しいです。 どうしたら良いか分からず、毎日泣いています……。

有り難し有り難し 71
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宗派による死後の世界の違い

いつも多くのお知恵をありがとうございます。 今日は仏教のことで疑問に思う点があり、質問を失礼します。 仏教と一口に言っても、多くの宗派があるのですが、 死後すぐに仏となり極楽へ。 という宗派や、閻魔様の裁きを受ける。とする宗派もあります。 生まれてから死ぬまで、ずっと一つの宗派で、一族皆が同じ宗派であれば良いのでしょうが、 親戚であったり、知人であると宗派はどうしても変わってきてしまいます。 その際考えるのが、 私の死後に行く世界は、 相手の方のいく世界とは異なっており、 あの世で再会することは叶わないのではないか。 一方は四十九日と言わず極楽へ行かれ、一方は裁きを待ち、地獄へといくかもしれない。 などといった具合です。 実際にあった事例としては、法要の時に「今彼女は輪廻のためにあの世で修行をし、乗り越えているところです」というような説法を受けたのですが、別の宗派ではそうではないのだろうな。と、思ったような事です。 実際には死んでみないと分からないことなので、考えても仕様のないことだとは思うのですが。 お坊さまの皆さまは、こういった宗派による教えの違いにから生じる、死後の世界の違い(四十九日の捉え方、三途の川を渡る渡らない)など、どうお考えになられているのだろう。と、質問を失礼しました。

有り難し有り難し 46
回答数回答 5