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問答一覧

回答は、各僧侶の個人的な意見のため公共性を帯びたものではなく、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。

悪いやつらが幸せに生き残る時代

長文で失礼します。生きて行くなかでどうしても納得ができないことがあります。 ある大型衣料店でのこと。週末はこのお店は混雑します。 車で久しぶりに行く事になりました。駐車場は相変わらず混んでいました。 すると、大きな外車を改造したような、いかにもって感じの車が割り込み、しかもお店の目の前の障害者優先駐車場にどうどうと停めました。中からでてきたのは前頭葉が未発達の頭の悪そうな金髪ジャージ家族で子どもも金髪。タバコもその場でポイ捨て。 私たちはその後にやっと駐車でき、お店に入る事ができたのですが、障害者マークをつけた車が来て、停めれるはずの場所に大きな改造外車がどうどうと停まっているため駐車できずにいたのがなんとも心苦しく、私が駐車したばかりの場所を譲ろうとも考えましたが、お店の入り口からは遠い上に、他にも車が並んでいたので、それが困難であきらめました。私は罪悪で押しつぶされそうになりました。 なんだかんだでお店で買うものを選び、レジでならんでいたところ、例の先ほどの金髪家族がレジをしていました。すると、そのお店でキャンペーンをやっていたらしく、滅多に当たりもでないようなレジのくじに大当たりし、商品券が当たりとても喜んでいました。そうして、先ほどの障害者用にとめた車に乗って大音量の音楽で他を蹴散らし帰って行きました。 彼らには誰が罰を与えるのでしょうか。彼らは自分での罪悪も感じず、その行いすら気づきません。他人に優しくするような人は罪悪の判断ができるので、それだけ心苦しくなり、罪の意識も感じますが、彼らはそうではない。なぜならそれにすら気づかないのだから。 この一例に限らず、世の中はそういうところだと思っています。常に回りを考え道徳、譲ろうとするこころを持っている人には罰もくだり、その常識もなにもない人には罪悪もないので平気で悪い事をしても本人はしらない、もしくは他人よりもそれにより優越を感じているくらなので、幸せで仕方がない。で本人にはいいことばかり。 これが世の中でしょうか? 

有り難し有り難し 1649
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なんとなく思ったこと

いろいろと考えて思ったのですが、世の中はバランスによって成り立っているような気がします。善があり悪があり、陰があり陽がある。 そして、存在していると信じているものは実は不確実で、存在とは思考により生まれた産物なのだと思います。 例えば、絶対的に「良い」とされる行いを、「良いことをした」と考え、過去の記憶(記録)として覚えておく、誇らしく思うこと、つまり自分の現在や過去の「善」に執着することで「善」を生み出し、同時に「悪」を生み出すことに繋がるのではないか、と思うのです。 ですから、世の中を良くしたいと思うなら「善」の行いを「良いことをしている」という意識を取り払って行い、そして行った事実をできるだけ早く忘れる(執着しない)、ということで世の中が平安になれるのでしょうか? 世の中の悲しみは、「罪悪」ではなくて「罪悪感」、「喪失」ではなくて「喪失感」のように、感覚から来るものが多いような気がします。 ならば、感覚を生み出す「意識」ををコントロールすることで平和にもなれるのかなと思いました。 「以心伝心」のように、人と人の心が繋がっているなら、自分の思考を「無」にすることが、隣の人の心の平安になるかもしれない、そして、それが世界中の平安に繋がるといいなと思いました。

有り難し有り難し 987
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世の中せっかちだと感じます

はじめまして。 タイトルの通りなのですが、世の中がすごくせっかちです。 みんな、暇を毛嫌いするかのごとく、常にどこか行ったり何かしたりしています。 そして混んでいることに腹をたてたり、マナーを守らない他人に腹をたてたりしています。 休み明けの仕事がしんどいほど、体力を消耗していて、週明けから文句ばかり。 人間関係でも少し間があると、沈黙は悪といわんばかりなムードがあります。 さらに、世の中ではテンポよく簡潔にオチをつけて話すことが要求されており、 じっくり考えて言葉を選んで話すことは、他人をイライラさせるのです。 仕事もそうです。 時間いっぱいにぎゅうぎゅうと予定をつめこんで、みんなが時間に追われてイライラしています。 表向きはキレイなことを言いますが、実際はお客様どころか自分のことさえも大切にせず、お金の利益を上げなければいけないことに神経をすり減らしているように見えます。 空気を読まないといけないせいで、みんな自分を大切にしなくなった気がします。 その空気だって、直接聞いたわけでもない、誰の人格でもない謎のものです。 自分の時間を誰かのために使って、それでみんなが幸せになるなら良いのですが、 自分の時間をすり減らして、心を病んで、今の世の中はどこに向かっているのですか? もっと、空を眺めたり、風を感じたり、自然を見つめたり、ボーッとしたり、 そういうゆったりした時間があって、初めて人に優しくしたり、じっくり人の話に耳を傾けたり出来るのではないでしょうか。 けれど、そういう時間が作り出せない社会になっています。

有り難し有り難し 199
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動物虐待

こんにちは。 最近、未成年だから身元が割れないと思い未成年の子供達が力も無く生きる術も人間をたよわざる得ない小さな動物の虐待が増えて来ています。 今もSNSで安否確認して、レスキューしようとしている方が居ます。 絶対助けたい。 私は元々、動物が大好きで小さな頃から一緒に暮していました。 親達が 「犬は外!」 と捨て犬だった犬を庭に係留しようとした時に…。 私は家の中から、自分の枕とお気に入りの毛布を持って来ました。 「じゃあ、私も外!だって、この子は私の妹だもん!」 毒親の実父、初孫に甘い祖父、動物が好きではないが孫の言う事には従う祖母…絶句。 こんな行動を起こした物ですから、あの時代にミックス犬のお座敷犬になりました。 留守番が全く出来なかった私が、犬と一緒なら平気と留守番できるようになりました。 その犬も最後は、毒親の身勝手な再婚で何度も保健所行きになりましたが、私が全部阻止して親戚の叔母の家にお願いしました。 寿命を迎えて昇天してしまいましたが…。 今も私は沢山の犬猫、小動物に囲まれて暮らしております。 世話は大変ですが、それ以上に幸せと楽しみを浴びるように貰って居ます。 (たまに派手な悪戯されてしかる時も有りますが) 動物を虐待した愚者達の魂        と 動物を慈しみ可愛がり大事にして来た者の魂 これはどういう風になるのでしょうか? 天国と地獄、そんなありきたりな言葉では無く…。 詳細にどうなるかとか、魂の浄化?的な事はどうなるんでしょうか? 因果応報などと言う言葉も有るので、気になるんです。 私は動物保護(自分の出来る範囲)をしていますが、動物からの見返りなんて求めておりません。 一緒に居るだけで幸せです。 が、肉食をする人間と菜食主義の私。 色んなとこで、【殺生や虐待する他人】と違うはずと思ってお坊さんに質問を出させて頂きます。 宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 110
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スケープゴートについて。

こんにちは。いつもお世話になっております。ゆーりです。 今日は、スケープゴートについてお坊さんたちは、どう思われるか?を質問させてください。 スケープゴートというのは言わば、「仲間はずれ」だったり、「怒られ役」のことです。 Wikipediaには・・・心理学の一つの用語としても存在する。特に精神分析学や社会心理学において、人は無意識のうちに、不満や不快を覚えると、不快感やルサンチマンなどを他者に対して抱く。このような現象はあらゆる集団で発生しうるものであり、そうした不快感を押し付けられたり被られたりした個人は、その特定の集団内においてスケープゴートとなるのである。それ故、ユダヤ人の移動行動のようにスケープゴートとして犠牲になるまえに、他の地域へ移住することによって難を逃れるといった、適切な対処を行わなければならない。 とあります。 集団はストレスをその人に押し付けます。 自分が、人より優れていたい、人を蹴落としてでも、優位に立ちたいという人間の醜い一面が、見え隠れしています。 さらに一般には、スケープゴートが集団にいたほうが、集団がまとまることもあるようです。 こういう人が生まれてしまったら人間は、逃げる以外に方法はないのでしょうか? 何か、周りにできることはないでしょうか? また、こういう人が生まれないようにするには、どうしたらよいでしょうか? 今日、学科の留年してしまった友達が(一つ上)が、クラスでさらし者にされていて、自分は何もできず悔しかったです。 ぜひ、意見をお聞かせください。 人としてやはり、許せません。 また将来、教育者を目指すので、クラス経営などでも、役立つお話だと思います。 お手数をおかけしますが、宜しくお願いします。

有り難し有り難し 100
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なぜ自分が生きているということが尊いのでしょう

虐待の末に、親に子供が殺されてしまったニュースを見聞きします。 悲しい、切ない気持ちと共にいつも思うことがあります。 「幼くして散った命でも、この子にとっては幸せだったんじゃないか」と。 私は児童虐待の生き残りです。 暴力で、言葉で、態度でズタズタに傷つけられて育ちました。 幸い良い人と巡り会い、結婚し、主人の実家とも実の家族のように接してもらえています。 心療内科に通い、もう怯えたり自分を責める必要はないんだと、先生と話し合いながら、病気の治療を進めています。 怯えながら、憎みながら生活していた昔を思うと、本当に幸せな生活です。 悲しいことも悔しいことも、もう叶えられないかもしれないこともありますが、幸せなんだと思います。 ただフラッシュバックなどで苦しい時、よく思うことがあります。 「今の幸せが全部チャラになったとしても、この世に生まれてきたくはなかった」 理不尽に虐げられて生き抜いても、大人になってしまった以上、自分でなんとかしなくてはいけないという更なる理不尽。 苦しい中を生き抜いて、まだ戦わないと安らげないのなら、この命は最初からない方が良かったと感じます。 そして冒頭に戻ります。 虐待の末に命を落としても、その先に待ち受ける苦しい人生を思えば、その方が幸せなんじゃないかと。 社会は無慈悲で無理解です。 自分に責がなく精神疾患を背負っても、大人になっていればその責を本人に負わせます。 精神疾患を持っているが故に業務が滞っても、自分達と同じように仕事ができないことを責めるというケースはよく聞く話です。 「与えられた命は大事にしないといけない」そんな言葉は聞き飽きました。 望まずして与えられた命、希望の持てない、真っ暗闇な自分の未来。 なぜ、私が生きていることは尊いのですか?

有り難し有り難し 78
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いじめを無くすのは不可能

こんにちは。いつもお世話になっております。 ゆうりです。 教員採用試験の面接対策も始まり、日々あれこれと追われて、てんてこ舞いな毎日を送っております。 その面接対策で、「いじめ」について考える機会がありました。 私は、そういうのを引きつけやすい体質なのか分かりませんが、以前スケープゴートTの話を相談させて頂いた通り、それに関することについてよく遭遇してしまいます。 いじめの原因はそれぞれです。 ・むかついたから。ストレス発散のために、弱者をしばいた。 →喧嘩っ早いのは、困りものです。 ・自分を高めるより、人を蹴落とす方が楽だと気付いたとき、「お前勉強しても(努力)無駄だよ(笑)」 →成績の良くない私の、実体験です。進学校に多く見られる気がします。また、これを皮切りにスケープゴートが発生することも少なくないような気がします。学習障害がある生徒については、これに一番気を付けるべきでしょう。 いじめを無くすのは不可能。 これは、学校は社会の縮図であるからでしょうか? 誰が、作った言葉でありましょうか? 難しいこととは、確かに思いますが、それに白旗を揚げる大人(先生)が世の中に多過ぎるのではないかと思います。 先生としていじめの場に遭遇した時、その場に応じた(正攻法みたいな)対応は確かにございます。ですが、いじめは増える一方です。 いじめを無くす為の正攻法でいじめがなくならないのは、これには、なにかが足りないからだと思います。 いじめを無くすのは難しいのは言うまでもありません。それは、私たちが人間だからです。 いじめを撲滅する。 その為に心はどうあるべきか。単に教育上の単純作業の正攻法ではなく、人の上に立つ、人をつくる職に就く者としてその心はどうあるべきか?身の振り方はどうあるべきか? 質問させてください。 お手数をおかけしますが、宜しくお願いします。

有り難し有り難し 60
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「赦す」ということについての質問

宗教・宗派を超えて、聖職者・宗教指導者は異口同音に「人を赦せ」といいますよね。 私も、ここで別件で質問させていただいた際、御回答いただいた師から、やはり加害者を赦すようにと御指導いただきました。 理論上・理屈上、理解できますし、私に御指導していただいた師の御指導道理に努力します。 しかし・・・・・ ふと思いました。 犯罪・不正・いじめ・暴力・嫌がらせとかをやったヤカラを赦した際、これらのヤカラが、自身が課外をやった被害者から赦されたことによって、自分のやった悪行を自覚し、悔い改め、反省し、更生するのであれば、赦し甲斐があり、赦す意義があるというものでしょうが、反省もすることなく、まだ悪行を続けている場合は、いったいどうなんでしょうか? 仏陀は、赦しを受けても悪行を続けるガンダダ(『クモの糸」に登場する悪人」)みたいなヤカラを、どう御覧になっているのでしょうか? 以前別件で相談させていただいた、私に三年間にわたって嫌がらせ・侮辱し続けたヤカラは、いまだに私に対して一切謝罪・弁解・弁明も30年経ってもしてきませんが。 私の件はさておき、赦してやった者が、悪行を続けているということを、僧侶の師の各位は、仏教的・宗教家的見地から、いかがご覧になられているのでしょうか?

有り難し有り難し 54
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