hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

「お寺・行事・お参り」を含む問答(Q&A)一覧

僧侶の妻としてのご奉仕について

今年、別院にいる僧侶と入籍しました。 いくら正社員として働いているとはいえ僧侶の妻ですから私も出来る限りお寺のことを学びたいですしご奉仕もしたいと思っているので、坊守としてやるべきことがある時には出来る限り仕事はお休みを頂いてご奉仕させて頂いています。 しかし、最近病気で入院し、職場でもらえるお休みをほとんど使い果たしてしまいました。 冬になり、もうすぐ報恩講が始まります。 坊守としてもやるべきことがたくさんあることさ分かっているので、まだまだ全然万全ではない体に鞭を打ち少しでも参加しようと世話役の方に数時間だけでもと伝えたところ、病気は理由にならないからちゃんとご奉仕しなさいと言われてしまいました。 報恩講がどれだけ大事なものかも旦那から聞いてはいますが、ご奉仕とはお給料を頂いて働いている仕事を疎かにして、体調を崩しながらでもしなければならないことなのでしょうか? 今までの私の常識と違い、悲しさで涙が止まりません。 旦那に相談すると、『もう全部行かなくていいよそんなところ。』と言われるのですが、私としてはそういう訳にはいかないのです。 ご縁があって僧侶の妻になったわけですし、旦那が職場でうまくいくように私も坊守会で他の奥様方と仲良くしていたいのです。 私は今後、どうしたら良いのでしょうか? このままでは心も体もだめになってしまいそうです。

有り難し有り難し 34
回答数回答 2

道端のお地蔵さまへのお参り

こんばんは。 いつもお世話になっております。 昨日に引き続き連日の質問になり申し訳ございません。 今日、夕方に自転車で近くのスーパーに買い物に行きました。 自転車では滅多に行かないし、今日は向いからトラックが来たしでコースが変わり。 慌てることもなかったので銀杏の色付き具合など散策気分でゆっくりと行きました。 何気なく左側を見ると碑?らしきものが。 何だろう?と足を止めると、まだ新しい碑に子供の作文が書かれていました。 恐らく学校で書いた「家族で行ったキャンプでの楽しかった出来事」 そのキャンプの土地には私自身深い思い入れがありました。 その気持ちがあったからかどうかは定かではないのですが自転車を降りて手を合わせました。 右手には6体のお地蔵様が在られました。 買い物を済ませ、ヤクルトみたいな小さなジュースをその男の子とお地蔵にお供えしてきました。 2014年と彫られていました。 最近ですね…。 辻地蔵さんや村の入り口のお地蔵さまなら気にならなかったのかもしれませんが、全く知らない子供さんの供養塔に手を合わせお供え物をした私。 なぜなんだろう。 自然な行為でした。 そっかぁ、この土地で家族でキャンプしたんだね、楽しかったんだね、この作文はご両親が詰まる想いで選んだんだね。 ジュースだけでもお供えさせてね。 そんな感じです。 実は今まではあえて避けていました。 道端のお地蔵さまには手を合わせてはいけないと聞いていたから怖くて常に避けてました。 今日のように手を合わすことは余りしない方がよいのでしょうか? そんなに機会もないとは思いますが。 最近になり、亡くなった方には沢山の人が手を合わすほど良いとお坊さまに聞いたことや、少しでも慰めになればと思っただけでした。 ここ数年の自分の変わり様には自分自身が一番驚いているところです。 もっともっと早くに仏教を知るべきでした。 仏教について投稿されている10代20代の方々を尊敬しています。 ほんと恥ずかしい限りです。 お読みいただきありがとうございました。 上記の件につきましてお教えいただければ幸いです。

有り難し有り難し 25
回答数回答 2

理趣経を読んで感じた事。こんな解釈で良いでしょうか?

理趣経(正確には、理趣経本文を含む解説書)を初めて読んだのは 20代の頃で、その時は何が何だかチンプンカンプンでした。 でも今になって読み返し、頭の中で反芻しているうちに、 理趣経がこんな事を語りかけているように思えて来ました。 以下、長文になりますがご了承願います↓ ・・・・ 自然界には大小様々な生き物がひしめいているだろう。 与えられた命の中で無心に食を求め、子を作り、必死に生きている。 そんな生き物たちの本能が汚れてると思うか?いや、皆清浄なのだ。 そして人間も生き物だから、人間の欲望や業だって本来は清浄なんだ。 自然がありのままで美しいように、人の欲も本来ありのままで美しいんだ。 大いに食べて楽しむのも結構、性の快楽に耽るのも結構。 自分の本性を曲げる事はない。遺伝子に刻まれた生命の原理だから。 与えられた日々を存分に生き、愛し、大いに楽しみなさい。 でも決して忘れないでね。 最高の快楽は、あなた自身がまぎれもなく、この大自然・大宇宙の 一部として存在し、共に生きている事実を実感する事。 そして他者も皆、かけがえのない生命を生きている。 だから皆が楽しんで暮らせるよう、欲の力を否定せず、 むしろ利用して世間を整えるんだ。まあうまくやってくれよ。 悟りは本来深遠で説明しつくせないものだが、 私(理趣経)がナビとなって道案内しよう。 まずは車の免許を取りなさい。仕事や家庭の都合で 無理なら運転できる人に乗せてもらいなさい。 大丈夫、私(理趣経)を信じていれば、まさか地獄には墜ちないさ。 あ、でもナビの操作だけはくれぐれも間違えないようにな。 ・・・・ ・・・こんな解釈で合ってるでしょうか? やはり理趣経については、これ以上は独学よりも、 お寺の勉強会にでも参加した方が良いでしょうかね?

有り難し有り難し 36
回答数回答 2

菩提寺が「永代供養」を行っていない

また よろしくお願い致します。 私の生家は、先祖代々続いている旧家です。 生家には、年の離れた弟夫婦がおりますが、子供がいないため、 弟夫婦の代で終わることになります。 しかし菩提寺が「永代供養」を行っておりません。 今後どうするかは検討中だと言われました。 生家の、お墓は菩提寺の中に、あるのではなく 田んぼの中にポツンとあります。 昔は土葬で、火葬に代わってからは、 カロートの中に、祖母と母の、お骨が二つ入っているだけです。 本来ならば、今後の判断は弟夫婦に任せなくては いけないことですが、 私も高齢だし、いつ死ぬか分からないので、 私が、まだ元気なうちに、「永代供養」をしてくださる 同じ真言宗のお寺に、祖母と母の、お骨を移すのを 見届けたいと思っております。 母と祖母が大好きだからです。 まず、何から始めれば良いでしょうか? 現在の菩提寺(真言宗)は、とても小さな古いお寺で、 ご住職のお母様が 「貧乏寺で古くなった寺の建直しもできない状態です」 とのことです。 土地は、もうイッパイで、おそらく「永代供養塔」など 建てる場所さえないのだと思います。(予算も無い) まずは、菩提寺に、 「永代供養」が不可能なら、菩提寺を替えるしかないか 相談から始めれば良いでしょうか?

有り難し有り難し 23
回答数回答 2