hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

「冠婚葬祭・供養」を含む問答(Q&A)一覧

通夜振る舞い

おはようございます。 たびたびお世話になっております。 お通夜の後の通夜振る舞いの件です。 私が育った地域では、故人と本当に関係の濃い人間だけが参加しておりました。 一応、 通夜振る舞いの席を用意してありますので 、とお声がけはしますが、それは建前であって、実際に席に着くのは、親族、親族とも面識がある故人の友人知人。 通夜振る舞いは、遠慮して当たり前。 それが通常でした。 だって、お通夜は、故人に手を合わせに行くのだから。 しかし、嫁に来た地域は違うんです。とはいえ、お隣の市なんですが。 お通夜があるといえば、 義父の夕飯はいらない日。 しかも、がっつり飲み食いする気満々でいくのです。近所のバスに乗れない時は、義母か私が葬儀会場まで送っていくんです。 私には、故人に手を合わせにいくより、ご飯を食べに行っているようにしか思えないんです。 こんな言い方、悪いとは思うんですが、たかだか三千円か五千円のお香典で、飲み食いして香典返しまでいただいて帰って来るなんて、図々しいなぁと、感じています。 義父だけがそうなのか、義父の周りの人間みんながそうなのか。 以前、義祖母が亡くなった時、通夜振る舞い会場は人で溢れ、親族の席がなくなりました。フロアの外に急遽席を作ったのですが、それでも足りず、この家の嫁である、義母、私、義妹は席に着くことすらありませんでした。 慣れません、どうしても。 通夜に行く目的が、ずれている気がします。

有り難し有り難し 13
回答数回答 1

【ド長文】私の祖父は本当に菩薩になった?

 いつもお世話になっております。以前に恩を受けた人から今度は 洗脳に遭いそうになった、と質問しましたが実は続きがあります。  ちょうど1年経ったのでいつもの祈願寺でお札を受け直しました。 数珠と輪袈裟を外して帰ろうとすると、参道から鳶の行列が 纏を振りながら高らかな声で木遣りを歌いながら歩いて来ました。  私の家は代々鳶職を営んでおり、祖父の代でやめてしまいました が、何かお寺等で行事のあるごとに祖父も赤い模様の入った 印半纏(わかります…?)を来てお勤めに出ていました。  ちなみにやはり頭でした。  前夜、私はショックのあまり布団の中で 「クソジジイがとっとと阿弥陀様の腕引っ張って迎えに来いよ、 バーカ!!」と泣き叫んでいたので、本当に心配して見に来て くれたのかと思って輪袈裟と数珠を引っ張り出して着け、 纏に手を合わせて泣きました。  思えば、祖父は祖母の歪んだ教育に真っ向から反論してくれて いました。私が誰かを指差して囁けば、ぶっ飛ばされました。  病院の帰りにレストランでご飯を食べ、夏休みは必ず外へ 連れ出されました。  「ばあちゃんは間違ってる、間違いなく俺より先に逝くから、 そしたら一緒に色々な所に行こう」と言っていました。  ある夏の日、珍しく自分の管理しているマンションの掃除を 手伝わされてから、祖父は差別的な事を一切言わなくなりました。  それも思い出して仕事中に雑巾絞りながら泣きました。  くそ坊主とその一家が怖くて墓参りもできません。  祈願寺は宗派こそ違いますが、お墓に行けない人のために 「供養小塔婆」なるものがあります。月命日等には祈願寺で それを上げ、自分で念仏で回向しようと思っています。 問題ないでしょうか?  最近は、「会いたい、声が聞きたい」とすら思います。  ご意見をお待ちしております。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

愛猫の供養について教えてください

愛猫が亡くなり、もうすぐ4カ月が経とうとしています。 私が離れがたいのと、納骨について迷っていたために、四十九日も百カ日も納骨せぬまま今に至ります。 まず、以前何かで「いつまでも死んだ猫の骨を手元に置いたり、寂しいとか思っていると成仏できずに化け猫になってしまう」という文章を見たことがあるのですが、本当でしょうか。 今でもつい「もっとこうしていれば、今も生きてくれていたかも」と後悔したり、「●●ちゃんがいなくなって寂しいね。天国から会いに来てくれるかな」と息子と話したりしてしまいます。 離れがたくて納骨していないと言っておきながら、死後しばらく経ってからはお参りもお供えも毎日はしておらず、たまにお線香をあげて手を合わせたり、食べ物や花をお供えしたりするだけです。 供養という面では、人間が仏壇にご飯やお茶をお供えするのと同じようにするほうがよいのでしょうか。 缶詰をお皿に盛って置くこともありますが「仏さんに肉や魚というのもどうなんだろう」と考えたり、もう死んでしまったのにあげても仕方ないなと虚しく感じたりしてしまいます。 私の願いは、愛猫が次生まれ変わる時まで天国でのびのびと幸せに過ごしてほしいということ。そしてもし望んでくれるならば、生まれ変わったらまた私たちとともに、今度はもっと長く幸せに暮らしてほしいということです。 ペット供養をなさっているお寺は、近くに3軒ほどあります。合同のお墓に毎日お経をあげてくださったりはしないのかもしれませんが、それでも民間業者の霊園よりはよい気がしています。 ただ、最初から合祀のみだったり、数年間個別で納骨した後に合祀だったりで、結局合祀されることに抵抗があります。 最近は人間も樹木葬などがあり、自分自身が選択するのは全然よいと思うのですが、いざ愛猫のこととなると、他の動物たちの骨とごちゃ混ぜにされるというのが受け入れがたいのです。 また、うちには幼な子がいるのですが、合祀の場合、家族でお墓参りに行った時に、元の飼い主さんにお参りしてもらえず寂しい思いをしている動物の霊たちが、子どもたちについてこないか心配です。 どのように供養するのが、愛猫にとってベストなのでしょうか。 個別でも合祀でも死んだ側には関係ないのでしょうか。 ちなみに我が家はマンションですので、埋められません。実家は庭がありますがとても離れています。

有り難し有り難し 29
回答数回答 2

四十九日法要で導師を変えても良いですか

先日父が亡くなり、通夜と葬儀を葬儀社からの紹介である導師にお願いしました。 葬儀の直前、葬儀社の方からの連絡で導師の控え室に参りました時少しお話しさせて頂きました。導師からは供養の仕方やお寺の合同葬のパンフ等頂いたのですが、私がネガティブな言葉で導師の言葉を遮ったり話の腰を折ったとの事で導師から不愉快だと言われ、そのお言葉に総早々に退散致しました。 時間になり導師が控え室から出て来られ皆が着席し、導師は開口一番長女の方と言い合いになりましたと仰ったのです。私は耳を疑いました。導師と言い合いなんてする訳もないです。導師に不愉快と言われたので、それではと席を立ったのです。 家族や親戚には何も話していなかったので、誰も理解できず反応もなかったからでしょうか、導師はそれ以上は何も言わず読経をされました。 でも、終わってから家族にあの意味は何だと聞かれました。私は大切な父の葬儀の時に導師を不愉快にさせてしまったこと、読経の前に導師に言われてしまったことで葬儀を台無しにしてしまい亡き父にも本当に申し訳ない思いで一杯で悲しくて涙が止まりませんでした。 葬儀もせめてもの親孝行だと、金額は張りましたが大手の葬儀会社に手配を依頼して抜かりなく、気持ち良くと思っていたのに情けないです。 葬儀社とお寺の住職の奥様から、導師に何でもご相談下さいとのお言葉に甘えてしまい、結局は導師を不愉快にさせてしまった自分自身が情けなく、葬儀も気持ち良く満足にあげられなかったと後悔の日々です。 ご相談したいのは、戒名を頂いたお寺の導師だから当然四十九日も同じ導師にお願いするべきとの意見が家族にあります。一方、親族に非があっても、導師が葬儀の時に持ち出す言葉ではなかったのではないかとの意見もあります。 私にしても導師が何も仰らなければ水に流して四十九日もお願いするつもりでおりましたが、葬儀をぶち壊しにされたような思いは残りますし、不愉快と仰られたので四十九日に出席する勇気はないです。 今後は亡父の出身の地方のお寺に納骨する予定です。そのお寺に問い合わせましたら四十九日法要、開眼供養、納骨供養など引き受けてもらえるとのことです。 同じ導師にお願いして私は欠席するべきか、或いは納骨して頂く地方のお寺に四十九日法要をお願いするべきか、悩んでおります。よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 40
回答数回答 3

先祖供養の方法について

新年明けましておめでとうございます。昨年はお世話になりました。 先祖供養した方がいいなと思って、質問しました。 あまり、先祖に対して、いいイメージはありませんが、 それでも、自分の肉体や無意識の領域にあるものは、父や母から上の世代から受け継いだもので、 ご先祖様がいなければ今の自分はいないと思っています。 動物や植物からいただいている命や周りの人の感謝する気持ちを持ち、 自分の目標を宣言するために、神社にお参りし、今年神棚を設置しました。 神棚を含む住環境を整えているところです。 年賀状や手紙でも、少しずつ感謝の気持ちを伝えていけたらと思い、少しずつ実行しています。 先祖に対して供養できていないし、方法が分かりません。 父の実家とは、10年前ごろから不仲になって、お墓参りにも行けていません。 親は、「自分達がしっかり供養するから」と言っています。 しかし、「これでいいのだろうか?」と思っています。 実家が遠いところで状況は分かりませんが、これまでの状況から供養をやっているとは思えないのです。 そもそも、供養というものを理解していないのではないかとさえ感じます。 私も理解していません。なので、教えていただきたいと思っています。 供養とは「先祖の苦しみや怒り、悲しみなどを理解し、受け入れ、ゆるすこと」だと、私は考えています。 私たちは、胎内にいるときから、親戚を中心とする周囲の人の教えを受け、脳の無意識の領域に記憶していると考えています。 その教えは、家系の中で代々受け継がれていると思います。ただ、無意識なので、なぜそのような行動をするのか理解できていないのですが。 供養をするということは、最終的には自分自身を認めることになると思うのです。 だから、先祖供養が大切だと思いますが、どのようにやっていけばいいのでしょうか? 分かりづらい文章で申し訳ありません。宜しくお願いします。

有り難し有り難し 13
回答数回答 1