先日最愛の母が亡くなりました。 ずっと闘病していたので、身体が辛くなくなったことはホッとしたのですが、もう母と他愛ない話ができないこと、喧嘩もできないことが実感となって毎日毎日不安で押しつぶされそうです。 亡くなる前の3日間は付きっきりで過ごすことが出来、命の灯が消えていった瞬間もそばについていることが出来たのでそこは後悔はないんですが、ふとした時に母を思い出し無性に寂しくなります。 悲しくはないけど寂しいのです。 街で母と似た背格好の人を見ると辛いです。 あまりにもくよくよしていると母が心配するので自分を奮い立たせているのですが、泣けて仕方ない時もあり、不安定な状態だと思います。 こんな時自分を支えてくれるような言葉はありませんか?
私は最近ずっと「死」について考えています。朝起きてすぐ、 「いつかはこの生活も終わる。」 「怖い。」「何も無くなることが怖い。」 などと考え始めてしまいます。 学校に居ても同じです。授業中もずっとずっとそのことでいっぱいです。 「どうせこの人も死ぬ…」 「頭のいい人も悪い人も結局死ぬんだ…」 なんて、縁起の悪いことが頭の中をグルグルしています。 私は、具体的に「死」の何が怖いのか考えてみました。それは、死んだ後の「自分」が「無」になるのではないか、ということでした。 それが怖くてたまりません。調べてみれば「無」になったら死んだことすら気づかないとか、痛みなども感じないとか……恐怖でしかありません。 また、死んだら生まれる前の状態に戻るから何も怖くない。というのですが、私はそれを信じていません。 もうだいぶ前の記憶なのでそれが本当かも分かりませんが、 私の1番古い記憶は砂嵐のような黒い空間で、ピーという超音波のような?ものが聞こえているというものです。この時は眠っているような感覚でした。 私はこれを赤ちゃんの時の記憶だと思っています。 もし、これが生まれる前の感覚なのだとしたら……そう考えるだけで怖いです。 とにかく辛いです。 楽しいことも楽しいと思えなくなり、人が言うちょっとした言葉にさえも敏感に反応して勝手に悲しくなったり。 「明日」が来るのが怖いです。前までは休日というだけでハッピーだったのに今では1秒1秒、時が進んでいくのすら怖いです。 どうしたらこの怖さを取り除けるのでしょうか。 誰にも分からないことへの怖さはどうしたらいいのでしょうか。 後悔しないように幸せに生きろと言いますが、その、「幸せ」さえも心の底から感じなくなってしまいました。 この場合、どうしたらいいのでしょうか。 疑問が多くてすみません。 どうか、回答をお願いします。 この叫びたくなるほどの不安と恐怖が晴れるまで自分は質問していきたいと思っています…… ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
先日おばあちゃんが亡くなりました。大きな病気もせず元気でいたのでまだ長生きするんだなーと思っていたのでクモ膜下出血で急に亡くなり心の準備も出来ていませんでした。 私はおばあちゃんにたくさんのことをしてもらったのに私は何も恩返しが出来ませんでした。 最後に会った日もまた同じことを口うるさく言われ私はうんざりして怒って帰ってきました。また来いよーそう言ってくれたのにそれにも無視をしたんです。その時の悲しそうな表情が忘れられないのです。 その日がおばあちゃんと最後になってしまったかと思うと後悔でいっぱいで おばあちゃんに謝ることも今までのお礼をゆうことも出来なくなってしまいました。 亡くなってから後悔しても遅いのにおばあちゃんにしてあげたかったことがいっぱいありすぎて おばあちゃんに会いたいと願ってしまうのです。悲しみばかり溢れてしまってどうしたら乗り越えられるのでしょうか。
初めての投稿で至らない事があると思いますが宜しくお願いします。 今月の頭に母が末期癌で73歳で永眠しました。 八月の家族旅行から帰宅した数日後に調子が悪いと病院へ行ったところ大きい病院を紹介され検査入院し10月に癌と診断されてからあっと言う間でした。 もっと親孝行したかったのに、、でも母自身が一番、悔し思いをしてしてるのではと後悔ばかりで毎日、涙が流れてしまいます。 恥ずかしながら母の死を迎えるまでは初詣以外、宗教に触れる事が有りませんでした。 しかし、故人の供養、心の拠り所として必要なんだという事がわかりました。 でも、泣いてばかりでは前に進めないので初七日過ぎてから思い出とともに母の部屋を掃除していたところ、風呂敷に包まれた遺骨と遺品がクローゼットから出てきました。遺品から母の母(私の祖母)もののようです。母は結婚する際、実家から勘当されうちは短命家系の為、おばあちゃんは亡くなっていると子供頃に聞かされておりました。 しかし遺品を見た限り、14、5年前までは存命しており施設で生活していたようで写真もありました。私は一度もあった事はなく、顔も写真で初めて拝見しました。 母は何も話してくれず逝ってしまった事に自分が頼りにならなかったのか信頼されていなかったのかと悲し気持ちにもなり、また祖母のお骨がクローゼットにずっとあったかと思うと寂しかったのではとか成仏できてるのかと可哀想になってしまいました。 なので母と祖母を一緒に供養してあげたいのです。 ただ、祖母がいつ亡くなったのかわからないので、来月、母の49日を迎えるのでその際に一緒に供養して頂いて大丈夫なのでしょうか? 祖母はお骨だけで位牌はありませんでした。物心ついた時からお大師様へ毎年初詣の際に護摩札祈祷して頂いていた為、兄と相談して母は真言宗で戒名を頂きました。 今は母のお骨の横に祖母のお骨を置いて毎日、お線香をあげています。 祖母も戒名を頂いて位牌を作った方が良いですか? お墓は経済的に直ぐに用意出来ませんが出来れば母と祖母を一緒に納骨してあげたいと思います。 取り留めのない文章になりましたが、母と祖母の供養についてお知恵をお貸し願います。
文才がなく、読み難い文章で申し訳ありませんが、御教授頂ければ幸いです。 小さい頃に両親が離婚をして、祖父母に育ててもらいました。私にとって祖父母は両親以上に親だと思っています。 一昨日、大好きな祖父が亡くなりました。 10年前に末期の前立腺がんと診断され、それから懸命の治療をしてきました。昨年に末期の糖尿病を患い、今度は食事制限が始まりました。 今年に入り、血栓が見つかり、脚がぶくぶくに浮腫んで歩くこともままならなくなった祖父。 先月、いつもの抗がん剤治療のため病院へ行ったら、酸素飽和度が低くなっているため治療が出来ず、そのまま入院。酸素投与をしながら様子を見ることに。 脚の浮腫もあり、入院中も寝たきりで家族とは祖父が帰宅したら家での介護は難しいかもしれないね、と話していた矢先、祖父の容態が急変。 その時一命は取り留めたものの、間質性肺炎を患い「いつ何が起こるかわからない状態」と医師に告げられました。 入院中出来る限りお見舞いに行き、ときには病院へ泊り込み。個室だったため24時間家族の誰かしら祖父の近くにいる状態が続きました。 ある夜、祖父が私のことを呼んだので「何をしてほしい?」と聞いたら「苦しい、痛い、もうおしまい」と祖父が言いました。私はそれを聞いて祖父に隠れて泣きました。私が少しでも長く祖父の傍にいたいという気持ちは祖父にとって苦痛でしかないのだろうかと思い、とても辛かったです。 祖父の最期は家族全員で見守りました。呼吸が浅くなり、そして止まり、心臓が少しずつペースを落としていきました。 死ぬ間際まで耳は聴こえると聞いていたので、ひたすら「じじ、じじ、大好きだよ」と祖父の頭を撫でながら耳元で伝えました。 祖父はどんな気持ちで旅立ったのでしょうか? すごく苦しくて痛くて辛かったんでしょうか? 私の最後の言葉は届いていたのでしょうか? 祖父母の家から徒歩数分のところに住んでいるのに、入院する前になんでもっと会いに行かなかったんだろうととても後悔しています。 医師に言われて、私なりに覚悟をしていたのですが、今も祖父の死を受け入れられません。 入院中脚をさすってあげたり、お口の中を拭ったりしかしてあげられませんでした。もっと沢山お話をすれば良かった。ひ孫を見せたかった。 辛くて悲しくてどうしようもありません。立ち直れません。会いたいです。
もう死にたいです。ずっとがんばってきて、人生に疲れました。でも将来のこと考えると頑張らないわけにはいきません。しんどいことばっかりです。もう死にます。
今年の三月に、お一人様だった叔母がガンで亡くなりました。 彼女は海外生活が長かった為、自己主張が激しく、他人への接し方も物凄く厳しかった上に人の悪口ばかりを言う人だったので、周囲の人達から避けられていました。また、実姉である私の母とも会えば直ぐケンカになってしまう事が多かった為、彼女一人では出来ない身辺の世話は、長年私の役割になっていました。 (私が思春期に入る頃に別の病気で帰国してきた時は勉強面でこちらがお世話になることが多かったのですが、こっちもこっちで反抗期だったのでやはり喧嘩の繰り返し…。落ち着いて接し合う事が出来るようになったのは、私が大学生になって彼女への接し方を学んできた頃からだったと思います。 クリスマスにはお手製のディナーを振る舞ってくれたり、紫陽花の季節には一緒に遠出をしたりと、いい思い出もだんだん作れるようになっていました。) ですが、8年前にガンが発覚して (たまたま私が家を訪ねた時に物凄く体調を崩している姿を発見し、「このまま死にたい」という彼女を泊まり込みで1ヶ月掛けて説得して病院につれていきました) 以降、入院中はほぼ毎日病院に通い、退院しても診察の度に病院まで送り迎えをし…。彼女がだんだんと弱っていくさまを一番近くで見ていました。昨年春に余命宣告された時には涙が溢れて止まりませんでした。 病状が悪化してからも、彼女は先述の通り我が強かったので、在宅介護の方に説得されても頑なに意思を曲げず最期まで自宅にいる事を選びました。最期の日、意識のあるうちに「私の叔母さんでいてくれてありがとう。大好きよ」とお別れをしました。 そして、息を引き取ったあとは、彼女から生前言われていたとおりの手はずを整えて葬儀も終えました。 …なので、何もかもを完璧に終えたはずなんです。終えたはずなんですが、私だけがまだ、叔母の死を受け入れきれてない気がするんです。 叔母が好きそうな猫のグッズを見つけたり、よく一緒に行った場所へ行ったり、出かけるために車の運転席に座ったり…。そんな一瞬にさえも、叔母の存在を思い出してしまって、なんとも言えない気持ちになってしまうのです。 他の人はもう、彼女の死を受け入れて前へ進んでいるのに、このままでは私だけが取り残されてしまったままになってしまう様な気がして、不安でなりません。どうしたら、私も前向きになれるのでしょうか…
「年老いた親の姿は、自分の将来の姿」 某年某月某日、読売新聞の「人生案内」欄で、ある回答者が、こう書いていました。 そうであるならば、もはや私に生きる価値はありません。両親の最期も看取り、さらにその思いは強まりました。 先日、スウェーデンの元パラリンピック選手が、安楽死を選択したというニュースが、流れました。私は、考えさせられました。 11月8日の亡き父、同9日の亡き母の誕生日を前に、墓参りに行きました。お墓に問いかけましたが、答えが得られるわけがないですよね。 「定命」という言葉があります。老醜を晒すのが確実で、生きる価値がないとわかっていても、自ら死期を早めることなく、定命に従うのが筋なのでしょうか?
30代女です。 小さい頃に母を病気で亡くし、そこから死に対しての恐怖心が生まれました。小学生の時に死ぬのが怖いと感じるようになり、死ぬのは嫌だと泣いたことがありました。 そこから中学高校大学、仕事と、小学生のときのように泣くほど怖がったことはないですがうっすら漠然と死ぬのは怖いなと考えることもありました。色々と忙しかったこともあり、考える時間も少なくなってきていました。 しかし、30代になり、ずっと続けていた仕事を人間関係で揉めて、中途半端な時期に辞めました。辞めたことに後悔はなく、ずっと続いていた人間関係でのストレスも一気になくなり、最初は楽しく考えていました。しかし、暇でずっとゲームをする日々、そして自分が30代という年齢に突入したこと、周りの人は結婚をして落ち着いている中恋人もいない、次の仕事もまだ探し中、親も父のみ、そして一般的な私の年代の親よりも歳をとっていますので、父の死についても考えるようになり、父が死んだあと自分は生きていけないという考えからまた、小学生の時のような自分が死ぬことへの恐怖心が再び芽生えました。 ネットで色々調べましたがタナトフォビアだと思います、身近な人が死ぬのも恐怖ですが、自分が死ぬことへの怖さ、無になることへの恐怖が強く、突然発作のように発症し、過呼吸になったり涙が出たりととてもしんどい思いをしています。生きたくないとは思いません。死にたくないのです。しかし、不老不死のように永遠に生き続けるのも怖いです。矛盾していますが...。1度考え出すと恐怖が止まらず、夜も眠れません。今の自分の状況がこの先不安でしかなく、30代にもなってこのタイミングで結婚もしないまま死んでいくという考えしかできず、ずっと怖いです。タナトフォビアの克服など検索しましたが、読むだけで怖いです。助けてください。
先程、寒いのに蚊が飛んでいたので殺してしまいました。菩薩心を持ちながら感謝の気持ちを持ちながら申し訳ない感情で、手を洗剤で洗い手に付いていた細菌を信じられない数で殺してしまいました。しかし人生上手くいっている人は細菌など意識すらしないでしょう。感謝や申し訳ない気持ちすらなく手を洗い成功しています悟りに近いのでしょうかね。 はてさて、これらの生き物は輪廻転生するのでしょうか? 私にはお婆ちゃんがいましたが、認知症になり自分すら認識できていませんでした。 お婆ちゃんが亡くなりましたがお婆ちゃんという根底の存在?アートマン?それってなんだったのでしょうか。自分すら認識できない彼女の根底の意思とはなんだったのでしょうか? ISISというテロ組織が色々ロケットランチャーで1人を殺害する動画を作っていました。 ロケットランチャーで跡形もなく粉のようになっていました。 死んだ彼はなんだったのでしょうか?原子が組み合わさった物としか思えませんでした。 私が輪廻転生して、また再び人に生まれたとします。それは私ではないのでは?私とは?今の私というのも曖昧です。記憶を喪失したら私? もしそれも私なら今IQが高い人のみ輪廻転生できて、自分すら認識できない人間は輪廻転生してまた人間になったら自分すら認識できない存在? 少子化とは言いますが70億人に人口が膨れています。 さて、それまでの輪廻転生があるとしたら60億人ほどの魂はみんな人間界に一斉に来れたの? 死というのは、ただ肉片になるだけではないでしょうか?そうとしか思えない感情が湧いてきます。 踊って唱えるだけで悟りを得れるのなら、知能の低い人や認知症もそれができないとおかしいでしょう。 やはり救いはなく、死という拷問に近い形の苦しみを受けて全てが抹消されて苦しい気持ちを得たという事実だけが残るのではないでしょうか。 もちろん人生楽しんだ恵まれた人は生まれつき遺伝子や環境に恵まれてるので、仏教も興味なくて人生に何の疑問も持たなくてただただこの世界は楽しみだったという感情に溢れてるんじゃないですか。(それこそもはや輪廻転生のせいというか生まれつきの条件を輪廻転生側が選ぶという暴挙) まあなんであれ死んでも輪廻転生なんてないし素粒子になるだけだよね。
普段からかなりの心配性で、些細なことでクヨクヨ、ちょっとしたことをズルズル引きづります。 健康診断の血液検査などでちょっとでも異常が見つかるとネットで検索し、不安になり、落ち込みます。(腎機能の値が基準値をちょっと超え、不安が止まらないなど) 元々15年前くらいにパワハラでうつ病発症し、治まったり、また発症したりという状態です。 産後うつにもなりました。 とにかく全て悪い方向に行くかもしれないという思考に陥ります。 会社の健康診断が控えていますが、それも恐ろしくて仕方ありません。クヨクヨすると病気やガンになりやすいと聞くと余計にクヨクヨしてしまい、「これでは病気やガンになってしまう。どうしよう」と悶々としてしまいます。 心療内科で薬は出されていますが、飲んでると薬だから飲み続けると肝臓や腎臓が悪くなるかもしれない!等全てマイナスに持っていきます。 薬だけでなく、悲観的になりすぎず少しでも気持ちが前向きになる方法を探してます どなたか助けて頂けないでしょうか。
回答頂けたらありがたいです。 先日、離れて暮らす74歳の父が4ヶ月間の闘病の末亡くなりました。白血病でした。 入院後すぐに医師から余命数週間から数ヶ月と家族だけに宣告され父に悟られないように平常心で接してきました。 父は「来年は~」と未来の話をしたりして私達家族は「そうだね!早く治さないとね」と苦しくて胸が張り裂けそうになりながら嘘をついて父を励ましていました。 変に優しくしたら悟られると思い4ヵ月の間お見舞いには行くものの、いつも通りの素っ気ない態度を取ったり、車で片道1時間半の病院だったのもあり毎日はお見舞いに行けず、でも毎日行っておけば良かったとか、もっとありがとうの言葉を伝えれば良かった、お父さん大好きだよって伝えれば良かった…と後から後悔が押し寄せてきて泣いてばかりいます。 息を引き取る前に「お父さんの娘で良かったよ、ありがとう」と伝える事は出来たのですが意思疎通も出来ない中で言っても…もっと会話が出来るときに何故言わなかったんだろうとグルグル考えては泣いての繰り返しです。 父が亡くなってからテレビを見て笑うのも、美味しいご飯を食べるのも普通の生活をしている事自体、申し訳ないような罪悪感があり辛いです。 父は私の気持ちを分かってくれているでしょうか? 生きてる時と変わらず見守ってくれているでしょうか? 本当に辛いです。
今月祖母が亡くなりました。脳梗塞からの誤嚥性肺炎で、死因は急性呼吸狭窄症候群というものでした。 ここ一年は、胃ろう生活で口から食べることを一切許されない状態でした。 その状態を、不憫に思った私は、施設に往診に来てくれている主治医に、何とか口から食べさせたい旨を伝えて、なんとか、検査入院させてもらえました。結果は、やはり、難しいとのことでした。丁度、胃ろうの交換の時期に当たっていて、いつもはA病院でして貰っていた物を、今回は検査入院できる、B病院で、胃ろうの交換をすることになりました。 入院中は、意識もはっきりしていて、ハナセハしない物の、手は動かせたりしてました。しかし、胃ろうの交換の時、胃の内容物が、逆流してしまい、肺に入ってしまったと主治医からの説明がありました。極めて危ない状態であると言われました。交換から帰ってきた祖母は、とても、苦しそうな呼吸にかわっていて、私は大変なことをおばあちゃんにしてしまったと思いました。主治医は、簡単な処置だから付き添いも要らないですよ、と言われてたので、とても、納得出来ませんでした。そこから、六時間後には、もう、祖母の意識は薄れているようで、マスクタイプの人口呼吸器などを付けて貰いましたが、翌早朝、いきをひきとりました。 私が、口から食べさせたいなんて、思わなければ、相談しなければ、こんな結果にならなかったんじゃないか。おばあちゃんは、息が出来なくて、苦しみながら亡くなったんだと、母や、母のお姉さんに、申し訳ない、いろんなきもちがわっと来て、胸が苦しいです。 ネットとかで調べても、そもそも、胃ろうしてる時点で、延命治療なんだから、とか、胃ろう交換に、耐える体力がなくて、病気や老いの方が、何枚も上手なだけだったとか、でてくるのですが、いつもの、A病院で、いつも通り交換を、していたら、まだ、おばあちゃんは、生きてて、あんな苦しい死に方しなかったんじゃないかと、自分を責めてばかりです。 おばあちゃんは、今どう思っているのでしょうか。
父は透析に通っているのですが、最近水分制限がうまくいかず、勝手にたくさん飲んでいます。 水分をとりすぎると、心不全などが起こる可能性があると、お医者様から言われてもききません。 私が何をいっても、うるさい、勝手にさせろ、死んだ方がマシなど、聞いてくれません。 送り迎え等したりしてて、長生きしてほしいですが、あまりいいすぎるのもよくないのでしょうか… 苦しくなるのは父です。ほっといて好きな事をさせた方がいいのでしょうか。 私も色々、父にいってきつい言葉をいわれるのも限界になってきました。 命大事にしてほしいのに… 好きにさせたほうが、いいのでしょうか。ガミガミいうから聞かないのでしょうか…
孫である私はもちろんのこと、ひ孫である私の娘をどこまでも暖かく深く可愛がってくれました。 優しく、ちょっぴりお茶目で可愛らしい祖母が旅立ちました。 まだ49日を迎えていません。 持病が悪さをして突然逝ってしまいました。 私にとっては実母よりも無条件で甘えられた唯一の存在だったと思います。 一時期、祖父母と気難しい思春期の私と3人でたまに喧嘩しながらも和気藹々と楽しく生活してたこともあります。 お前さんはいっぱいいる孫の中でも、じゃじゃ馬で一番手のかかる世界一可愛い孫!そんな孫から生まれたひ孫ちゃんも世界一可愛いひ孫!とニッコリ笑って言ってくれる素敵な祖母でした。 晩年はできる限り会える時間を作ったり、2日に1回はテレビ電話、月に1回の娘の写真入りの工作をプレゼント訪問したりなど後悔のないように!と思ってやってきたつもりでしたが… こんなに愛してくれて、大切にしてくれて頭が上がらないほど感謝しているので、 もっとなにかできなかったのだろうか、もっとこうしてあげたかった、もう少し一緒に居たかった、など言ったら キリがないのは重々承知ですが そういった気持ちになり、仕事や家事、子育てをして紛らわせつつも、 夜一人になったときに思い出をひとつひとつ思い返しては涙が止まらないのです。 納骨するまでにできるだけ一緒に居たくて 実家に頻繁に帰っては、祖母のお骨の入った箱を抱き締めて話しかけ、一人で泣きじゃくってしまい… どうにか気持ちに整理をつけよう、と思っても難しいようです。 私のようにあまりにも想いすぎると故人が心配して旅立てないから、マイナスのイメージで想わない方がいいと、なにかの本で書いてあるのを見て、 さらに申し訳なく思い、少しでも前向きに…!と奮い立たせますが、その反動でまたしくしく泣いてしまったり… いずれはしなければいけないお別れ、と覚悟はしていたつもりですが… 気になることは、 私のせいで祖母の旅立ちの邪魔になっていないでしょうか? どうしてもまだ祖母の死を受け入れられず毎日泣いてしまっていて、それが祖母の迷惑になっていないでしょうか? またこの気持ちは持ち続けていいのでしょうか? よろしくお願い致します。
父が亡くなりました。まだ通夜も告別式も済んでいません。高齢で病気で入院していました。 何度も危ない、と言われ、覚悟をしていました。でも、亡くなったら、悲しくてつらくてさびしくてどうしようもありません。良い娘でなかったかもしれません。もっと色々自分にできることがあった気がします。 ごくごく内輪で葬儀をするつもりですが、泣かないで見送りたいです。 気を抜くと、泣いてしまいます。泣くのは仕方ないのかもしれませんが、泣きたくありません。 外出が大好きだったのに、出掛けられなくなって、辛かったと思います。身体もしんどかったと思います。そういう苦しみからは解放された、と思いたいです。 今後、どう生きたらいいですか。
初めまして。拙い文章をお許しください。 私は今医療の現場で働いている者なのですが、毎日医療現場にいると死に直面することが多くあり私自身死については受容できており何も怖くないと思っていました。 しかしふと家で1人でいる時に突然両親がもし亡くなったら私は生きていけるのだろうかと考えてしまい涙が止まらなくなる時があるのです。特に両親は今は健康でありこれといった病気を患っているわけではないのですが不安に押しつぶされそうになってしまいます。 私自身とても昔から両親が大好きでいつも甘えてばかりで私の目の前から居なくなるなんて事はありえないと思っていました。しかし医療現場で家族や身内の方が亡くなるのを目の当たりにして「自分もいつかは」と想像してしまいます。 両親がこの世から亡くなる辛さを感じるくらいなら先に自分が死んでしまいたいと考えてしまうこともあります。こんな事を考えたり言うのは絶対に間違っているのは百も承知ですが果たして私の考えは間違っているのでしょうか?ご教授頂けたら幸いです。何卒宜しくお願い致します。
こんばんは。 2年前に精神的病気を発症した父に関する相談です。 父が病気になり、2年間母がみてきました。 父は精神的な病気だけではなく、元々モラルハラスメントのような性格で昔から母を怒鳴ってきました。 日中は比較的大人しく、夜中になると母を怒鳴りちらす毎日です。 病院に相談してみましたがなかなか上手くいかず、母は毎日疲れ果てています。 私は夫の母と同居しているので一緒に住むことは出来ません。 他の兄弟も父との同居の話は断ったようです。 私が実家に通うのも父は気になるようで、週に2度ほど様子は見に行きますがなんと解決にもなっていません。 役場に行って相談したり、またこれから病院にも相談はする予定です。 夜中になると取り憑かれたように人が変わり異常な行動を取ったりするのでわたしも怖いです。 そんな時父の事が全く理解出来ず、対応にも困っています。 今まで育ててくれた父には感謝しています。けど、夜中になると汚い言葉で母を罵る父を全く理解てきず、どう対応したらいいのかアドバイスをお願いします。
母が今年8月に末期癌の宣告をされました。 大学病院に10日ほど入院し、自宅から化学療法で通いましたが、今は再入院して2週間です。 私の父と母、主人の四人暮らし。 弟夫婦が同じ市内に住んでいます。 私は2回目の入院時もできるだけ病院に足を運び、母の痛みや辛さに寄り添っているつもりです。 同居している父は週2、3回の仕事がありますが週の半分以上は休みで特にやることもなく家でだだらだらしています。 休日の時くらい、母の様子を見に行ってほしいのですが何かのついでに家を出た時くらいしか行くことはありません。 大学病院は車で片道一時間弱です。面倒なのでしょうか。 弟夫婦は子供が一人いますが土日に必ず来てくれるわけでもなく、お嫁さんは一応、私には母の様子がどうなのかラインで聞いてくるくらいです。 母はどんなときも家族を一番に気にして心配していたのに、母がこんな状態になっても普段と変わらない表情をしている自分の身内にすごく腹が立ちます。 痛みでご飯も食べれず、いずれ来る終わりの時を待っているだけのように見えて涙が出ます。 母がいなくなったら寄り添える家族は私にはいないような気がします。 こんな家族っているのでしょうか。
度々の質問を失礼致します。 最近、安楽死に関する映像を観ました。 今まで実際に安楽死される方を観たことがなかったので衝撃と同時に安楽死についてとても考えさせられる内容だと思いました。 実際に病気に苦しまれているご本人やご家族を拝見して苦しみながらも安楽死を選択する場面を観てやるせなさを感じると同時に苦しみから解放される場面を観て涙が止まりませんでした…。 安楽死に至るまではご本人、ご家族共に議論を重ねており、最終的には自分のことは自分で行え、自分の意思を伝える自由を持ち人間としての尊厳を持ったまま生きたいというご本人の気持ちが痛い程に伝わってきました。また、それを見送るご家族も本当に悲しかっただろうけれどもご本人の意思を尊重できる思いやりの深さも痛い程に伝わってきました。 それを観て病気で苦しむ本人が「どんな苦境でも生きたい」という意思がないのに治療を続けることや生を強いることはとても残酷なことではないかと思いました。 また、私は安楽死がもし許可されるようになったら本当に苦しんでいる人が救われるし、そうじゃないとしてもいつか生きることに疲れ切ってしまった時に尊厳をもって人生を終えることができる選択肢が存在するということは安心して生きていくことに繋がるのではないだろうかと感じました。 生きていれば確かにいつかは病が治るかもしれません。でも、そうならなかった場合苦しみを味わうのは病気になった本人です。今の日本はなぜ、苦しんでいる本人の意思を無視して無理やり生かそうとするのでしょうか…。そして、苦しんでいるのに死にたければ本人の尊厳を踏みにじるような残酷な方法で自殺する方法しかないのは何故なのでしょうか…。 生まれてくることは選べないのに死ぬことは許されないのは何故なのでしょうか…? 苦しみぬいてまで生きることは本当にそんなに価値のあることなのでしょうか…? 家族は確かに生きてくれた方が心の支えになって良いかもしれない、でも苦しみを味わう本人の意思を無視しても正しいことなのでしょうか? 笑顔で最後までご家族を労わりながらも亡くなっていく患者様ご本人を観て「生きる」とは何か本当に考えてしまいました。 安楽死について、どの様に考えるのかお坊様方の意見をお聞きしたいです、よろしくお願いいたします。