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「老病死」を含む問答(Q&A)一覧

頑張れない。

恋人を亡くしてから一人でいるのが怖いです。 今まで恋愛に重きをおく人間ではありませんでしたが、彼を亡くしてから一人でいるのが嫌で誰でもいいから頑張った、大丈夫と言って抱きしめて欲しくてしょうがありません。人の為に大丈夫って言って、頑張って支えることにつかれ果てています。彼が亡くなる前に私は強いから大丈夫的なことも言われましたが、全く大丈夫ではないしもう何も頑張れる気がしません。 悲しみも苦しみも日にちが解決すると言われます。でもいつまで我慢すればいいのかわからないのが苦しいです。頑張って耐えなければいけないのもわかりますし、別に私がこの世で一番不幸なわけでないのもちゃんと理解してます。 でも頑張れない…。 そして周りの人には、あんなに彼を支えるの頑張ったんだからこれからいいことあるよ、大丈夫といわれます。でも私が頑張ったことなんて、本当に一握りの人にしかわからないし、いいことを作るためには自分でまた努力しなければいけない。将来になんの保証もありません。 結婚が全てではないですが、年齢的に結婚を考えるなら早く努力しなければいけないのもわかっているんです。でももう頑張れないんです。 どうすればいいのでしょうか。苦しいです。

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母の死

先日母が心不全で急死し、後悔、罪悪感、寂しさでいっぱいです。 とても優しく献身的で尊敬すべき母でした。自らの祖母の介護、結婚後は両親を含む家族の面倒、子供達の世話、子供達が巣立ってからは母の介護と看取り、夫の半介護と、生涯にわたって温かく献身的に家族を支えて来ました。 なのに私は、自ら家庭を持つことで改めて母の偉大さを感じ取ってはいたものの、晩年、特に半要介護状態となったいわゆる昭和の亭主関白な男である父との関係など色々と悩みを抱えていたことを知りつつも親身になって支えてあげるでもなく、また長年の家族への献身で体も疲れ切っていた母の状態に気づきもせず、近々訪れるであろう父の看取りが終わったらいよいよ母にたくさん親孝行しよう、などとボーッとした考えで、同居していないとはいえ母が限界に至る前に手を打つことができませんでした。 寿命を伸ばすことが出来たかは、多分出来たはずだとの思いが強いですがはっきりとは分かりません。ただ、早めに何らか少しでも手を打っていれば、少なくとも晩年辛く寂しい思いをさせずに済んだと思うと、自分の無能さ、薄情さが悔やまれてなりません。太陽のように明るく活動的で優しかった母の息子とは思えないほどに、優しさ、状況をしっかり感じ取る能力と行動力に欠けていました。自分の生活を維持することばかりに目が向いてしまっていました。 母の無念さを思うと涙が止まりません。 私自身が今取り返しのつかない後悔を抱え悲しい思いをしていること自体は、自業自得であり、一生向き合っていこうと思っています。 せめて母は、死によって全ての苦痛から解放されたのだと、今は天国で安らかに眠っているのだと信じて、母の供養をひたすらにし続けたいと思います。 質問になっておらず恐縮です、今からでも何か母のためにできることがありましたら、ご助言いただけましたら大変幸いです。

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死んだ母に心安らかでいてほしいです

3/6、54歳の母を突然亡くしました。アルコール依存症で、それでも普通の生活を取り戻そうと頑張っていた母です。 両親が離婚していたため離れて暮らしていました。 酒を飲んだ母が嫌で、辛いことをわかろうともせず冷たい言葉も投げかけたことがあります。 母が亡くなった今となっては、なんでもっと優しくしてあげられなかったんだろう、つらさをわかってあげられなかったんだろう、孤独を埋めてあげなかったんだろうと後悔ばかりです。 泣く回数は減りました。 けれど辛かったであろう母の晩年を想うと涙が出ます。 母の魂は救われるでしょうか? 生きているうちは恐らく辛いことだらけで、私がそれを除くこともできず、沢山寂しい悲しい思いをしたであろう母。 せめてあの世、浄土、言い方はわかりませんがその先では安らかでいてほしいと、毎日母に語りかけ仏様にお願いしています。 棺の中には「優しくできなくて、わかってあげられなくてごめん、大好きだよ」いうことを綴った手紙を入れました。私の気持ちは母に届けられるでしょうか? 手を合わせれば、気持ちは届くでしょうか? 49日が過ぎても、母に出来事を話したい、伝えられずにいた気持ちを伝えたいです。

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母が54歳で亡くなりました、つらいです

3/6に母を亡くしました。酒を飲み吐いたものを詰まらせての窒息死、前日にはメールをして、亡くなる5日前には電話もしました。13日には会う約束もしていた突然のことに心が追いつきません。 母は仕事で遠方に行くことが多く共に過ごしたのは4歳まで、12歳までは2、3ヶ月置きに20日ほど、中学の3年間は共に過ごしましたが、15の頃事件に巻き込まれ両親は離婚、以降母とは別に暮らしていました。母には月に一回会いに行く生活でした。親子で過ごした時間はとても少ないと思います。 私が小さな頃に母は兄を自殺で、8年後父(私の祖父)を失っています。家事もして優しくて、けれど二人を失ってからは心のバランスを崩しがちでした。事件以来パニック障害とうつ病も持っていたことを、死後知りました。 私は酒を飲んでいる母が嫌で、つらいことがあるという事もわかろうとせず、冷たくしてしまうこともありました。 死後、家の整理をしていたところ母の履歴書がたくさん出てき、母が頑張ろうとしていた事も知りました。また母のメールから、母が男性に金銭面で援助してもらい、代わりに身体を差し出していた事、その中で暴力行為があった事も知りました。それが母の病状を悪化させたのではないか、知らなければよかったと苦しいです。 なぜ、もっと優しくしてあげなかったんだろうと後悔しています。 誰か一人、私だけでももっと優しくすれば、必要とされていることを母に伝えていれば、向き合って話を聞いていれば母は酒に溺れる事もなく、吐いたものを詰まらせて亡くなる事もなかったのかもと考えてしまいます。 母は依存症でしたが、私のことは常に愛してくれていました。毎月いつ来るかを聞く母は嬉しそうでした。残された沢山の私の写真、母の写真はほとんどありません。 ここ数年は一緒に写真も撮っていなかった、大切だと伝えていなかった、話をして共に出かけたかった、全てを後悔しています。 母の依存症で辛い想いはたくさんしました。普通の家庭がよかったと思う事もありました。 それでも母のことを愛しています。嫌いになったり割り切ったりできません。死後の世界でも、苦しみから解き放たれてほしいと思っています。 残されたものがくよくよしてはいつまでも然るべき世界に行けないと聞いたので前を向きたいです。けれどどうしたらいいかわかりません。 よろしければお言葉を下さい。

有り難し有り難し 35
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生きたい気持ちと生きる罪悪感の葛藤

皆様、よろしくお願いします。 膠原病という厄介な持病がある私が乳がんになってしまいました。 手術もして頂き、今、家にいます。手術したから終わりではなく、これからが大変なのだと思います。 でも良い気付きもあったんです。私が今、こうしていられるのも病院のスタッフさん達と主人の支え、すなわち私は本当に色んな方々に支えられていることを身に染みて知りました。(特に先生には本当にお世話になりました) でも持病を抱えながらのがん治療、私はこれから支えて下さった方々に尚負担をかけて生きていくのです。 それにもし今、私が死んだら、主人は暫く悲しむだろうけど、新しい恋をして人生やり直せるかもしれないのにと思うこともあるのです。 今、お世話になった方々への恩返しはどんな治療にも耐え元気になることが大切だと思います。でもその反面「いつまで生きることに執着してんねん!」という自責の気持ちで揺れています。 私がこう思っているなんて、周りの人は夢にも思っていないと思います。 本当に本当に本当に良くしてもらったというか、してもらってるんです。病院スタッフさんも主人もみんな優しいのです。 それなのに相反する気持ちで葛藤し、手術の傷跡の痛みも忘れるほど心が痛いのです。 私の心から「生きる罪悪感」に出ていってもらうためにはどうしたら良いですか?苦しいです。教えて下さい。お願いします。

有り難し有り難し 10
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息子の死

息子が自死で亡くなってもうすぐ四十九日。 ひとり息子でした。 明日は中学校の卒業式ですが、辛くて行けそうにありません。 昨日、眠れなくて息子の事を考えていた所 耳元で『ママ』って言う声がハッキリと聞こえました。 その声は、息子の小学生の頃の声にそっくりでした。 『○○、いるの?』『そこは辛く無い?大丈夫?』など言ってみても返事はありませんでした。 何か言いたい事でもあったのかなと思えば思うほど息子が今どこでなにを思っているのか、辛く無いのか心配で心配で胸が締めつけられ苦しくてたまりません。 お寺さんに息子の今を聞いてみたのですが、亡くなって直ぐに仏様になり浄土でニコニコして家族を見守っている事でしょう。と言っておられましたが、息子は自死しており迷っているのではと気が気ではなく心が張り裂けそうで どうにかなりそうです。 近くの方で高野山で修行をされた有名な方がいるのですが。その方に息子の声を聞いてもらいたいと考えていますが、息子の心の声や今の居場所や言いたい事を聞きたいからといって、こちらの考えでその様な行為を行っても大丈夫なものでしょうか? 息子の為にならないのでしょうか? 自死するほど心を痛めていたのに気付いてやれなっかった自分達の事を謝りたいのですが方法がありません。 どうか御助言して下さい。 宜しくお願いします。

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父が突然亡くなりました

心に大きな穴が開いたような心地です。 胸が痛いと救急車を呼んで、自分で乗り込み、救急車の中で母に見守られ心臓が止まりました。本人が生前望んだ通りのまさしくピンピンコロリと亡くなりました。 母や三人の弟妹や子供のことを思えば、目の前で大きな声で泣くわけにもいかず明後日の通夜と明々後日の告別式を思いながら一歩ずつ確実に準備を進めています。 私には小さな息子がいるため、病院での必死な蘇生場面に会えず母からの「お父さん、駄目だった…」という電話で死を知らされ、ご遺体として着替えた状態の父に会ったせいか再び起きて話してくれそうな気がしてなりません。このまま燃やしてしまうのが嫌で仕方ないのです。 父は子供が大好きで、離婚して実家のすぐ近くに帰ってからは毎週末息子と三人で近くのショッピングモールに出掛けたり、母も交えて大好きなうどんを食べに行ったり…この一年、「こんな幸せな老後が過ごせるなんて夢にも思わなかった」と言われていたせいか親戚などからは親孝行したねと言ってもらえるのですが、私個人としてはそんな夢のような日々がこの先も少なくとも息子が小学生になるくらいまでは続くものと思っていたんです。 冷静な笑顔で弔問客の対応をしながら、再び起きて欲しい!遺体として扱って手を合わせるのが嫌だ!燃やしてしまったら父が二度と目覚めなくなってしまう!と本当は一番子供のようなことを思っています。 父を天国に見送る為にこんな気持ちでは後悔が残ると分かっているのですが、どうしたら良いのか何かアドバイスを貰えたら嬉しいです。 死を脳が理解するのはどんな瞬間なんでしょうか。

有り難し有り難し 23
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自分の冷たさ

私は、母親の死によって自分自身の冷たさについて考えるようになりました。 母親が苦しんでいる時、私はとても冷たかったです。 例えば私は母親が病気で苦しんでいる時に初詣に行きました。 私は、その時トートバッグが欲しかった 初詣に行く前にトートバッグを買いました。 今思うと、私は母との時間よりも物欲・・を優先したんだろうと・・ もちろん、その時はタイムリミットが近づいてる事は 分かってはいなかったけれど、 あんなに苦しんでいた母より、私はそっちを選んだ 最初はどうして初詣を断れなかったんだろうと・・そう悔やんでいました でも、よく考えると私は断れなかったのもあるけれども、結局はトートバッグが欲しくてそっちを優先したんだろうと思います。 苦しんでいる母を横目に私は何か言葉をかけるでもなく パソコンやっていた事もありました 母が亡くなって気づきました パソコンとか物欲とか母との時間に比べたらどうでも いい事だったと・・ 母が自分の死をもって私の持ってる冷たさを教えてくれたのだろうか・・と考える時があります。 あんなに苦しんでいたのに、自分の物欲、自分の時間ばかりを優先して母の事を顧みようともしなかった 私はおかしいのではないだろうか・・ と今思い出しても自分の冷たさについてやるせなくなります 私はずっと、自分中心に生きてきた 自分の中にある冷たさ、冷酷さと、どう向き合ったらいいのでしょうか?

有り難し有り難し 29
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死ぬことを受け入れたい

度々いろんなお坊様のいろんなご意見を読んでは参考にさせていただいています。 一つ最初に私はあまり信心深くなく、こんな時だけお坊様や仏様の慈悲にすがる浅ましさをお許しください。 かれこれ15年、「死ぬのが怖い」発作に苦しんでいます。 きっかけは祖母の死でした。 当時中学生になりたての絶賛反抗期で、親ともうまくいかず、勉強もうまくできず、何をやってもむなしい、いいことも何もないし死にたいと思っている最中の出来事でした。 自分がいかに死を簡単に考えていたかを身に沁みて理解しました。 悲しみよりもずっと大きく、死んだらどうなるのかという恐怖と、自分が自分でなくなり消えていく恐怖が襲いました。 悲しみよりも我が身の可愛さが先に来た自分が情けなく思いましたが、その恐怖は今もなお私を苦しめます。 必死にその恐怖を押し込めて、忘れ去ろうとすることしかできません。 親には相談できませんでした。 当時の憔悴しきった様子から、自分が何か心配をかけるような真似はできないと思いました。反抗する回数も少し減ったと思います。 その時に適切に恐怖心を処理しなかった代償か、今もふとした瞬間に目の前が真っ暗になり、足元からさーっと冷気が這い上がるような恐怖で吐き気がすることがあります。 お風呂に入っているときが一番その発作が起こりやすく、全くお風呂が安らげる場ではなくなってしまいました。 かといって人間皆いずれは死ぬのに、怖がっていることが恥ずかしく、心療内科の先生(以前適応障害を患い通っていました)にもカウンセリングの先生にもうまく伝えることができませんでした。 とにかく自分が自分でなくなり、何もわからない世界に行ってしまうことが怖くてたまりません。 そして私がいなくなった後も永遠に時間が続き、地球が滅び、宇宙が滅んでいくと考えると、手足の先が氷のように冷たくなって正気を保てなくなります。 お坊様達のご意見が聞きたいです。 お坊様達の世界の捉え方、仏様の世界を知れば、この恐怖から解放され、無事に死んでいけるのでしょうか。 親(二人とも60前後でまだ元気ですが、)が死ぬことも最近は毎日のように頭をよぎり、人間が物言わぬモノになっていくことが悲しく苦しくてたまりません。 身勝手な相談で申し訳ありませんが、どうか少しでも死ぬまでに心やすらかに人生を送れるようなヒントを頂けますと幸いです。

有り難し有り難し 73
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