初めまして。 ご回答いただけると幸いです。 またもし可能でしたら、厳しいご意見でも、優しめにご回答いただけると幸いです。 ご相談させていただきたい内容は、 生きることが苦しい時、 心のもちようと、 生きることの意味について、 そして、生死の選択についてです。 私は、数年前離婚し、 結婚前までは健康でしたが、 離婚後より、次々と、 人には話しづらい完治の難しい体調不良や、その他の体調面での不良が起こるようになりました。 そして、今年に入ってからも更に次々と起こり、手術等もちらつき、 心がとても疲弊しており、 数年間その様な状況でおります。 そして、その事もあり、 この年齢で恥ずかしいことですが、 現在は単発のお仕事のみで、 数年間長く勤めることができていません。 今は、家族がいてくれるので、有難く、 就職活動をしながら、 今できる事を無心にしようとしています。 ただその一方で、一人っ子で、頼れる身内もいない為、 先にもし孤独なら、 情けないことかもしれませんが、 一人では寂しさで、生きていても、心が死んだようになってしまう事も経験から知っているので、 治療費の為に生き、もしも自分だけの人生の時、 生きることの意味が見い出せません。 そして、それなら、 信じれる家族と最期を迎えることも、幸せの形の一つなのではないかと感じるようになりました。 そして、どうしても生きることが苦しい時には、 安らかに死を選択できる事ができれば、 今を安心して生きられる事に繋がるようにも感じるようになりました。 人生は苦行と聞き、 それで自分を奮い立たせ、納得させようともしましたが、 人の心を傷つけても幸せに暮らす人がいる事を思うと、 その言葉は信じることが難しくなりました。 まとまりのない文で読みづらい部分があり、申し訳ありませんでしたが、 ご相談したい事は、 人生が苦しい時の心のもちようと、 生きる意味について、 そして、 苦しみから開放される方法が、例えば死以外にあれば、 ご教授いただきたいです。 よろしくお願い致します。
万物は生成発展する。万物が変化するという大きな掟には、どうしても抗することができない。われわれ人間の意志がどう働いても、防ぐことができない。 シワひとつ寄ったということは、きのうなかったものができたということで、それは発展の姿や。さらに発展すると死んでしまうということや。死もまた発展ということやね。 われわれに与えられておる個人の感情から見ると肉親が離れるとか、友人と離れるとかいうことは悲しいことかもしれん。しかし人間の感情じゃなく、ものの本当の論理からいくと、生あるものは死し、死は生成発展になっている。だから、ここで生成発展の一段階がすんだというわけや。めでたいことなんや、早く言えば。 これは万物流転の原則であって、進化の道程というわけや。 上述は松下幸之助の言葉です。どう思われますか。一言、お考えをお願いします。
自分は今病気で母にお世話してもらっています。鬱で障害者手帳を持っています。 老いた母に世話になって申し訳なく、有り難く思っています。早く元気になって働こうと思っていました。 最近、病状が悪化してきて母に嫌味を言われて、やはり病人、障害者は邪魔に思われているんだなあと思いました。息子にも殺したいくらい憎いと言われました。 息子のために、何も出来ずとも生きていた方が良いと思っていましたが必要がないのであればもう死んで楽なりたいです。 自分でも今正常ではないなあと分かっています。でも辛いです。 実は躁鬱病の治療で処方された薬で重症薬疹になり今ステロイド薬を飲んでいます。ステロイド薬を飲んでいる間は躁鬱の薬は処方されないのです。希死念慮が出ても我慢するしかないのです。 躁鬱の薬を飲んでいた時なら母に嫌味を言われるほど世話にならないだろうし、息子に死ねと言われても笑い飛ばしていられたでしょう。 お医者さんにも頼れず、重症薬疹が治るまでのたうちまわるしかありません。 自殺しない自信がないです。 助けを求める場所も間違っているかもしれません。 でも助けてほしいです。
街中で弱っているように見えた幼カラスを、自然の摂理に反し保護してしまいました。 今では愚かな判断だったと思います。 連れ帰り、詳しくも調べることをせず素人判断で餌を与えたら…そのまま亡くなってしまいました。 餌を口に入れてやってすぐ、目の前で苦しみ亡くなったのです。 鳥を飼った経験もない私が餌のやり方を把握できないばかりに幼いカラスの命を奪ったのです。 明らかに私の餌の与え方のミスです。 あの子は喉に詰まらせて、まだ少ししか生きてないのに私が殺したのです。 もしかしたら、あの子は保護しなければ自然に生きていたかもしれないのに、私がただのエゴで連れて帰り殺したのです。 私は、どうしたら奪った命の報いを受けれますか? 悪気はなかった、助けようと思った。 そんなのは何の言い訳にもなりません。 私が、あの子の生きるはずだった未来を奪ったのです。
3年半前、祖母は余命2~3ヶ月の末期癌と診断されました。 ですがよい病院に巡り会え、度々余命宣告されても、家での治療を続け元気な姿を見せてくれました。 その祖母も、春に余命2週間を宣告され、そのとおりに亡くなりました。 亡くなる数日前までは酸素も回復し、本人も「みんなでお花見しよう」「退院したら○○へ夕飯行こう」なんて楽しそうに話していて。 突然危篤状態になり、次の日にという流れでした。 私はこの3年間延命してる姿を見て「こんな笑ってる人が死ぬわけない」と思い込み、祖母に優しくできなかったことをとても後悔しています。 仕事を理由に何度も誘いを断り、私が口ベタなこともあり話のキャッチボールが少なかったり。 まともな思い出も去年秋の旅行と、亡くなる前の誕生日会くらいです。 亡くなって2ヶ月半経ちますが、かなりの頻度で夢に出てきます。 街中で同年代のお年寄りを見かけるだけで悲しくなります。祖母の願いであった私の結婚報告も、式の参列へも、叶えられなかったことを考え泣いてしまいます。 亡くなる数時間前、駆けつけた私を見て涙目で手を握ってくれました。 必死に抱きしめようとしてくれましたが、医療器具やベッドの柵が邪魔で出来なかった悲しみや、死の直前まで生きたいと願っていた祖母の姿が頭から抜けません。 死の悲しみは誰もが通る道だとは分かっていましたが、、 どうすれば前向きに生きられるでしょうか。
先週、最愛の祖父が亡くなりました。 支離滅裂な文章ですがどうかお付き合いください。 祖父は働き者で優しく、怒っているところや悪口、文句を言っているのを誰も見たことがありません。 苦労した人生だったようですが、その話を自らすることはほとんどありませんでした。 子供や孫のことには惜しみなくお金を出すのに、自分にはお金をかけず、ぼろぼろのものを大切に使い続けるような、本当に素敵な人でした。 私は子供のとき、学校が終われば親が迎えに来るまで祖父宅で過ごしていました。大学からは地元を離れてしまいましたが、帰省の度に必ず祖父宅に顔を出していました。祖父は初孫である私をとことん愛し、甘やかしてくれ、穏やかで幸せな時をたくさん過ごしました。 祖父は私が社会人になったころから体調を崩し、祖母や母が懸命に世話しておりましたが、入退院を繰り返しながら徐々に弱っていきました。 亡くなった日は、なんとか一時間前に間に合い、祖父の手を握りながら愛や感謝の言葉を伝えることができました。 ただ、離れていても祖父のことを思わない日はありませんでしたが、まさか祖父がこんなに早く逝ってしまうと思わず、闘病中ほとんど連絡をしませんでした。自分で稼いだお金で旅行に連れていってあげることもできず、楽しみにしてくれていた結婚やひ孫の知らせもできませんでした。 祖父の菩提寺は浄土宗です。 葬儀のとき「○○さん(祖父)は今後極楽浄土に行かれ、ずっとみなさんのことを見守っています。また会えます」ということを和尚様が教えてくださいました。 でも私は、本当に祖父が帰りたかったのは祖母がいる自宅だったのではないか、祖父は本当に極楽浄土なんか(失礼な表現で申し訳ありません)に行きたいのだろうか、などと、素直に信じられない気持ちでおります。 また、祖父ならば阿弥陀さまのお力を借りずとも大丈夫なのではないか、とも思ってしまいます。 葬儀屋さんには、祖父が迷いなく極楽浄土に行けるよう、早く遺品を整理しなければならないとも言われておりますので、極楽浄土は祖父が本当に行きたい世界なのか知りたいです。 祖父は今後どうなるのか、どこにいくのか、そして今どこにいて、どういう気持ちでいるのかを知りたくてたまりません。 どうか教えていただけましたら幸いです。 よろしくお願いいたします。
現代人は地獄行きが確定ということを中学生の時知りました。小さい命を潰しても、大人がお酒を飲んでも、それがすべて引っかかるとのことでした。果てしなく、痛い罰に恐怖でいっぱいです。そのため死後に恐怖や不安が積もっています。私はどうすればいいのでしょうか…
現在54歳で、致命的な持病を抱えているわけではありませんが、毎日飲酒をし脂肪肝です。人は、いつか死にます。いつか忍び寄る漠然とした死を考えると、死ぬことが怖いです。 理想を言えば、ある程度は長生き(80歳近く)して、肉体的に苦しまなくて死を迎えたいです。 最近トイレで、お尻から鮮血が出て、便器が血に染まったので、大腸ガンではと、恐くなり(3日程で治まりましたので、おそらく内痔核)不安を感じました。また深夜に目覚め、鼓動が速くなっている時もあり(落ち着けば治る)不安が募ります。 いつか母親が死に、私もいつか『死』を迎える。後悔なく死ねる人は余程の人格者で、少数とも思います。よく『今を一生懸命生きる』事が、死への恐怖感が薄まると言われますが、『今』をどのように懸命に生きたらよいのか、わかりません。 どのようなことを日頃、心掛ければよろしいでしょうか?
一緒に住んではいませんでしたが母が亡くなるまで短い時間でもほぼ1日1回は顔を合わせていました。 そんな母と、一緒に同じマンションで暮らせる(階はちがいますが)ようになり6日目、私が作った朝ゴハンのおにぎりを喉につまらせ急逝しました。 私が仕事で急いでいて寝ていた母を起こしボオッとしていた母に食べさせたのがいけないんです。 私は今まで母の通院にも必ず付き添い買い物も一緒に行ったり買い出ししてきたり周りから見たらいい娘だったかもしれません。 でも実際実家では、寝てばかりで何もしない(病気のせいでダルかったんだと思います)母を怒鳴り泣かせタッパーのような物で頭を叩いたり本当にひどい娘でした。 手も悪かった母はシッカリ歯磨きできないこともあり口が臭うことがあると臭い!と怒ったり、シートベルトが出来ずモタモタしているとベルト出来ないなら乗せないよ!と怒鳴ったり、転んで腰が痛いと言っていた母に寝てばかりいるから悪いと怒鳴ったり・・・しかし母は腰を圧迫骨折していて痛かったのだと後々わかりました。 圧迫骨折の影響で歩くのが困難になり始め腎臓も悪くなり透析の準備の手術もし施設か自分の家の近くに住んでもらうか悩んでいたところ私のマンションの1階が空いたので母に施設と私と同じマンションに住むのどっちがいい?と尋ねたらマンションと言ったので契約をしトントン拍子に物事が進んでいきました。 実家の荷物は遺品整理屋さんで生前整理として片してもらった矢先、母が亡くなりました。 母の物はほぼ無くなって本当の遺品整理になってしまい喪失感がひどいです。 母が大好きだったし優しくしたいと常々思ってはいたのですが仕事と家のストレス等で母にあたってしまい以前の母なら出来たはずなのにナゼ出来ないとの戸惑いもあり日々会うたびに怒ってばかり。 母は言葉が出づらかったので反論もせず私に怒鳴られ叩かれ泣き毎日辛かったと思います。 今は何で優しくしなかったのか、なんで急いでおにぎりを食べさせたか、何で詰まった時にゴボゴボ吐き出す母のお茶を取り上げてしまったか後悔の毎日です。 仕事が早く終わると母に買い物に行く?と電話をしていたのに電話しても出てくれる人もおらず今は母がいなくなった時間で何をしたらいいか・・・。 遺影に毎日お母さんゴメンねと語りかけ涙する毎日です。 この喪失感と悲しみと絶望と後悔はどうしたらいいのでしょうか
こんにちは。初めて投稿致します。 私は近いうちに死のうかと考えています。まだ死ぬ方法は決まってませんが色々調べて検討中です。 まだ学生という身分で言うのも烏滸がましい気もしますが、何だか生きる希望が持てなくなりました。 1年から3年までは真面目に大学に通い、サークル活動に励んでいましたが4年になって行く気が失せ最近はサボりがちです。スケジュール管理も最近はダメダメで周りに迷惑をかけまくっています。せめて迷惑をかけた人たちには謝ってから死ぬつもりです。 最近は自分が好きな趣味もあまり楽しめなくなってしまいました。 私は小中高で軽いいじめ(陰口を言われる、容姿を貶される、笑われる)を受けていました。気が弱くそれでいて空気が読めない私が目に余ったのかもしれません。大学に入って友達も出来、ようやく人生楽しくなってきたぞと思ったのですが、ふとした瞬間にいじめの事を思い出したり今の行動に大きく影響を与えていたりと中々逃げ切ることはできないのだなと悟りました。 気にするのをやめろ、そんなに囚われていて悔しくないのかと言われましたが正直悔しいです。ですがもう疲れ果ててしまいました。自分がいつしか先日起きた通り魔殺人の犯人のようになってしまうのではないかという恐れが募るばかりです。 レールから外れたものに厳しいこの世界にもう生きていたくないです。死ぬ事が最近はとても魅力的に思えますし、一度死ぬ事を決めたら心が軽くなりました。 でも結局こういう返信が来るツールに書き込んでいる時点でかまってちゃんなのだと思います。 でも死ぬ前に誰かに読んで欲しくて書き込みした。ありがとうございました。
はじめまして。 私は40代独身女性です。 去年乳がんが分かりました。 まだ初期のため手術をすればほぼ完治と言われています。 ですが、子供の頃から早く死にたいと思って生きてきたため手術をして生きる意味が分からず1年経ち徐々にですが進行してきましたが、未だに手術を決断できずにいます。 結婚しておらず子供もいないため、誰かのために生きると言うのもなく、 日本経済を圧迫している社会保険を使ってまで自分が生きたところで何の恩も社会に返せないので、自然の摂理に抗わずこのまま人生を終わりにしたいと思いますが、会社の人や友人には手術を勧められています。 せっかく生まれてきたので1度くらいは生きたいと思ってみたい!もし、そう思う事が出来たら手術をしようと思うのに進行しても一向に自分の気持ちが手術して生きたいと思えずにいます。 今のパートナーはとても優しくて私にはもったいないくらいの出来た人ですが、子供の頃から人に期待をしたり楽しみにしているとダメになることが多く今回病気になった事で、またか…と最後はいつもダメになるんだ…と思ってしまい余計凹みます。 生きたくても生きられない人もいて、手術をすれば治る可能性があるのに贅沢なのは百も承知です。 1度でいいので生きたいと思ってみたい。手術したいと心から思ってみたい。こんな私ですがいい知恵を授けて頂けないでしょうか?
聖職者の皆さんは、ご自分の死と死後(あるのかどうか分りませんが)については、どのように理解・納得されて日々を過ごしておられますか? 現代科学の教えるところは、死は肉体の消滅であるばかりでなく、意識の消滅でもあります(意識は脳が作り出しているもの)。 死によって生前の努力が全て消滅することを考えると、虚無(ニヒリズム)に陥ります。古来の哲学者の中には、このニヒリズムに陥ることが当然だ(そうでない方が人間らしくない)と教えてきた人達もいます。 こういう状況で、信仰に進む以外に救われるものはないのではないかと私は考えているのですが、聖職者はこの避けることのできない死の問題をどのように解決できているのでしょうか? 是非ご教示ください。
恩師が亡くなりました。学生時代に大変お世話になった先生でした。 結婚していらっしゃらないせいか、生徒を家族のように思われていたのではないかと思います。卒業後も、連絡をとってましたが、ある日を境に連絡が取れなくなりました。クラス会の幹事さんに連絡をとり働きかけてもらい結果、ご親族の方から連絡を頂き、入院されている事がわかりました。10年、間の空いたクラス会がやっと開かれましたが、先生は出席できませんでした。幹事はアルバムを送ると言っていましたが、結局、お送りしていませんでした。 お互いに人生の中で忙しい時期もあり、先生への思い入れも違うので、責める事は出来ないのですが、幹事が、しれっとしている態度に憤りを感じてしまいます。長らくクラス会を開けなかった事、先生が高齢で入院しているにも関わらず、アルバムをお送りしなかった事。また、私自身、幹事に連絡先を聞くのをためらってしまった事(個人的に親しかったのか勘ぐられたりするのが嫌、入院されている先生やご親族にご迷惑なのではと躊躇してしまった故)か憤りに繋がってしまっているのだと思います。 最後にお話しした時に、先生が「足が悪くなってきた」「皆はどうしているか」と話していた事が忘れられず、お元気な時に、恩返しできなかった事が申し訳なくて、故人を心から偲ぶ事が出来ずにいます。 自分の後悔を人のせいにしているだけなのでしょうか? ただただ、先生にすまない気持ちになってしまいます。 心のあり様を教えて下さい。 追記:お亡くなりになる前に、虫の知らせを感じました。 その時は、諦めの気持ちしかありませんでした。先生は最後に来てくれたのかもしれないのに、感謝の気持ちで身送る事ができず、「もう遅い、何も出来ない」と答えていました。
いつも拝見させて頂いてます。 健康診断で再検査になり、いろいろ検査した結果、手術が必要な病気が発覚しました。 『胸腺腫』という、珍しい病気で開胸手術になります。 手術は1週間後です。 今、とても心配で恐いです。 手術も初めてで、痛みに耐えれるか。全く想像がつかず、不安でたまりません。 あと4ヶ月前、私の父が入院中の院内感染が原因で亡くなっている事もあり、今度は自分が、と恐怖心があります。 抗がん剤などで長期間辛い治療をしてる方に比べれば、わたしはまだ楽なほうだ!前向きにならなきゃ!と思うのですが。 やはり、恐いです。 どうか、お坊様方。 応援して頂けませんか? 背中を押して頂きたいです。 よろしくお願いいたします。
お世話になります。 宜しくお願い致します。 先日、母の一周忌を終えました。 母が最後にメッセージとして残した言葉…自分の様に苦労苦労ばかりでなく幸せになって欲しい。と。頑張れば幸せになれる。と。私の心に重く残っている一言です。楽しかった、幸せでした。と言う言葉は書かれてませんでした。 父は優しい人ではありますが、今で言うとギャンブル依存症&アスペルガー的な感じですので、かなり苦労していました。私はケンカばかりする親を見たくなく、長い間実家を離れていました。数年前に実家に戻りましたが、私も母に甘えていた部分があり、弟もまた同じで、母に家族全員で甘えていたような気がします。いつも、自分の事より私達家族の事を考えてくれた母。強くて優しくて、尊敬していましたがありがとう。や、ごめんなさい。を言ったらお別れの言葉のような気がして最後まで言えませんでした。 最後の最後まで苦労や迷惑をかけ、自分が今生きてる事を申し訳なく思います。 ただ、もし私が毎日泣いて生きても、仕事もせず引きこもったとしても、私が自死をしても、母と会える事はできない。ならば、苦労して育ててくれたのだから頑張って生きようと少しづつ思えるようになり、心の中で母に話しかけております。 ただ、ふとした時に、本当は亡くなってしまったら無で生まれる前と同じで、母は傍にいない、見守ってくれてるなんてない…と思う自分がいます。 そう思うと虚しくなります。そしてまた自分が生きている後ろめたさを感じます。毎日がそのループです。 自分勝手な思いなのですが、 母は見てくれてると思いたい。 許してくれていると思いたい。 私は、実家を離れております。同居している彼とは宗派が違うので、何かを置く事は出来ないのですが少しでも何か出来ることはありますか? 宜しくお願い致します。
こんばんは 実は母親が末期がんです 毎日つらそうです まだ46歳なのに、孫の顔も見ていないのに、母親の気持ちを思うとつらいです 多分、もう長くないと思います 長生きしてほしいですが… 僕は個人的に浄土真宗の信仰を持っていますが、母親は無宗教です また会えるでしょうか これで永遠のお別れだと思うとつらいです 大好きな母親なので
母が亡くなって父は私の事を心配してか、フライパンを買ってくれたり・・色々気を使ってるんだろう・・と思います。 心配してるのは分かってても父への怒りを自分で止められませんでした。 父に当たってしまいました。 母に対して「申し訳なさ」を感じる時にどうしても父への怒りを同時に思い出してしまうんです。 例えば、父と一緒に母の見舞いに行った時に、その時は珍しく母は目があいてたんです。 でも、父はとてもイラな人なので待てれない、と思ってすぐ病室を出てしまったんです。 その時の母の顔を思い出すたびに辛くなってくるんです。 あの時、誰かにそばにいて欲しかったんじゃないだろうか、何か言いたかったのではないだろうか・・とか思ってしまって 父のイライラがしんどくて、そっちをとってしまったのは私なので 父へあたるのは違うのかも知れないと思いながらも自分の怒りを止めれませんでした 母への後悔を誰かにあたりたいだけなのかも・・ そう思いながらも自分でコントロールできなくなる事がよくあります。 父なりに私に気を使っているのかも知れないですけど、情緒不安定な時は怒りでいっぱいになってきて見えなくなってくるんです。
56歳で生死の境をさまよう難病に罹った母親を89歳で看取りました。最後の数年は軽い認知症も併発し子供のようにかわいいお母さんでした。ステロイドという強い薬の副作用で骨粗しょう症になり手足の神経も圧迫でマヒ状態でやっと歩いている状況でした。 私は60台前半ですが40歳前に母に手伝ってもらい内科医院を開業し,自宅では酸素吸入するほど重い病気の母親を診ていました 10年ほど前から神経や骨の痛みがひどく医院の経理は引退し、自宅で療養しながらデイサービスでリハビリを受けるようになっていました。 いつも前向きで明るく気力を振り絞って寝たきりにならないようにと頑張っていました。散々苦労かけたので毎週老親2人を連れて温泉に行ったりレストランに連れていったり楽しく3人の生活をしてきました。 昨年夏寝てばかりいるので庭で散歩をと強引に外の庭に出したらすぐに転倒、大腿頸部骨折で入院。手術し1月間で何とか退院。歩行がさらに不自由になった母を今まで通りあちこち連れまわしていました。友達のいない一人娘の私に止む無くついて行ってやるが、体がしんどいので本当は嫌だと繰り返し私にも周囲にも言っていましたが、運動しない母にリハビリになると思い連れまわしました。 今年に入って2回目の転倒で胸椎圧迫骨折を起こし2ヵ月入院。ほとんど食べなくなり毎日3回病院に通いおむつ交換食事介助と必死に看病しました。3月末にやっと自宅療養開始しまたぞろ温泉に連れていきましたが、息も絶え絶えに苦しい苦しいといって泣きました。 ゴールデンウィークどこも出かけず介護ばかりで息詰まる閉塞感から嫌がる89と92歳を連れて遠出し、宿泊先の宿で嫌がる朝風呂に入れて突然死させてしまいました。直前まで私を信頼しニコニコしていたのに。 毎日生前の優しい顔した母が笑ってくれるビデオを見て号泣しています。なんて人でなしな生きざまだ。世界で1番好きな母を殺してしまったと叫んでいます。従妹から可哀想な死にざまだ、虐待死だといわれてしまいました。生前の母にもお前は医者なのに患者の気持ちがわからないのかと泣かれました。人生最大の罪を背負い悲嘆に明け暮れています。
母は私が幼いころに癌を患い、その後治療を続けていたものの半年ほど前に再発しました。今すぐに命に関わるという病状ではないのですが、身近な人間の死に関わりうる病気を通して死というものを考えることが増え、もうどうしていいかわかりません。 私と母とは30ほど歳が離れています。つまり、一般的な寿命を迎えることができても、私はいつか母がいない時間を30年も過ごさなければいけない。そのことが私には耐えられないことに思えます。私には妹弟はおりませんので、私は家族の中で最も長く生きる可能性が高いわけですが、自分の大切な人が皆亡くなってもなお生きていかなくてはいけないのでしょうか。頭ではそんなことわかっているのです。死は避けられない、身近な人の死も受け入れなくてはいけないし、皆そうやって受け入れて乗り越えて生きていると思うのですが、わたしにはそのことができないように思えます。親不孝の極みですが、母が死ぬ前に死ねたら幸せだなとすら思ってしまいます。 私が中学3年の時に祖父が亡くなった時のことを未だに忘れることができません。少し前まで生きていた、人が、生きてはいないということが受け入れられず、その恐怖を忘れることができません。昔見たドラマで、大量殺人を犯した犯人が、人をモノにするのが好きなんだと言っているものがありました。祖父の葬式の時に感じた、人がモノになったということが、私の中に恐ろしい記憶として残っています。祖父の死以来、刑事ドラマも不愉快で見ることができません。人の死を面白がって作っているように思えてしまうのです。私はどうしたらいいのでしょうか。受験期に入り、ストレスや疲れもも溜まっているのか、死ぬこと、母のこと、いつか大切な人が皆亡くなってしまった時のことなどばかりかんがえてしまいます。
現在母(70歳)と二人暮らしです。 私は会社員、母もパートはしていますが、 経済的に余裕があるわけではなく、母が働けなくなったら?介護になったら?やっていけるのだろうか?と不安になります。 それ以上に、母を見送った後の事を考えると、寂しくて寂しくて。母はまだ元気なのでこんな事を考える必要はないと思うのですが。 また、独身で子どももいないので、自分が死ぬ時に、ちゃんと身仕舞いしていかなければ、と思うのですが、それも不安で。(今あるお墓の墓じまいや永代供養もお願いして、死んだら手続きして下さる方もお願いしなければ、そもそも施設に入れるのか、など色々考えてしまいます) 結婚していても相手が先に死んだら独りだし、 子どもが居ても面倒見てくれるとは限らないし、結局は独りなのだから同じだ、私が特別寂しいわけではないし、独りで亡くなっていく方はたくさんいるだろうし、と思うようにしているのですが…。 強くならなければ、きっと大丈夫、と思うように、自分に言い聞かせてはいるのですが、夜になると特に不安になってしまって泣いて眠れなくなってしまいます。 40半ばで、終活なんてまだ早いともいわれますが、どうしたらこの不安から脱け出せるのでしょうか?