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「老病死」を含む問答(Q&A)一覧

誰かにあたりたいだけかも・・

母が亡くなって父は私の事を心配してか、フライパンを買ってくれたり・・色々気を使ってるんだろう・・と思います。 心配してるのは分かってても父への怒りを自分で止められませんでした。 父に当たってしまいました。 母に対して「申し訳なさ」を感じる時にどうしても父への怒りを同時に思い出してしまうんです。 例えば、父と一緒に母の見舞いに行った時に、その時は珍しく母は目があいてたんです。 でも、父はとてもイラな人なので待てれない、と思ってすぐ病室を出てしまったんです。 その時の母の顔を思い出すたびに辛くなってくるんです。 あの時、誰かにそばにいて欲しかったんじゃないだろうか、何か言いたかったのではないだろうか・・とか思ってしまって 父のイライラがしんどくて、そっちをとってしまったのは私なので 父へあたるのは違うのかも知れないと思いながらも自分の怒りを止めれませんでした 母への後悔を誰かにあたりたいだけなのかも・・ そう思いながらも自分でコントロールできなくなる事がよくあります。 父なりに私に気を使っているのかも知れないですけど、情緒不安定な時は怒りでいっぱいになってきて見えなくなってくるんです。

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母を不本意な死に追いやった罪の意識で毎日が苦しい。

 56歳で生死の境をさまよう難病に罹った母親を89歳で看取りました。最後の数年は軽い認知症も併発し子供のようにかわいいお母さんでした。ステロイドという強い薬の副作用で骨粗しょう症になり手足の神経も圧迫でマヒ状態でやっと歩いている状況でした。  私は60台前半ですが40歳前に母に手伝ってもらい内科医院を開業し,自宅では酸素吸入するほど重い病気の母親を診ていました 10年ほど前から神経や骨の痛みがひどく医院の経理は引退し、自宅で療養しながらデイサービスでリハビリを受けるようになっていました。  いつも前向きで明るく気力を振り絞って寝たきりにならないようにと頑張っていました。散々苦労かけたので毎週老親2人を連れて温泉に行ったりレストランに連れていったり楽しく3人の生活をしてきました。  昨年夏寝てばかりいるので庭で散歩をと強引に外の庭に出したらすぐに転倒、大腿頸部骨折で入院。手術し1月間で何とか退院。歩行がさらに不自由になった母を今まで通りあちこち連れまわしていました。友達のいない一人娘の私に止む無くついて行ってやるが、体がしんどいので本当は嫌だと繰り返し私にも周囲にも言っていましたが、運動しない母にリハビリになると思い連れまわしました。  今年に入って2回目の転倒で胸椎圧迫骨折を起こし2ヵ月入院。ほとんど食べなくなり毎日3回病院に通いおむつ交換食事介助と必死に看病しました。3月末にやっと自宅療養開始しまたぞろ温泉に連れていきましたが、息も絶え絶えに苦しい苦しいといって泣きました。  ゴールデンウィークどこも出かけず介護ばかりで息詰まる閉塞感から嫌がる89と92歳を連れて遠出し、宿泊先の宿で嫌がる朝風呂に入れて突然死させてしまいました。直前まで私を信頼しニコニコしていたのに。  毎日生前の優しい顔した母が笑ってくれるビデオを見て号泣しています。なんて人でなしな生きざまだ。世界で1番好きな母を殺してしまったと叫んでいます。従妹から可哀想な死にざまだ、虐待死だといわれてしまいました。生前の母にもお前は医者なのに患者の気持ちがわからないのかと泣かれました。人生最大の罪を背負い悲嘆に明け暮れています。

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死への恐怖

母は私が幼いころに癌を患い、その後治療を続けていたものの半年ほど前に再発しました。今すぐに命に関わるという病状ではないのですが、身近な人間の死に関わりうる病気を通して死というものを考えることが増え、もうどうしていいかわかりません。 私と母とは30ほど歳が離れています。つまり、一般的な寿命を迎えることができても、私はいつか母がいない時間を30年も過ごさなければいけない。そのことが私には耐えられないことに思えます。私には妹弟はおりませんので、私は家族の中で最も長く生きる可能性が高いわけですが、自分の大切な人が皆亡くなってもなお生きていかなくてはいけないのでしょうか。頭ではそんなことわかっているのです。死は避けられない、身近な人の死も受け入れなくてはいけないし、皆そうやって受け入れて乗り越えて生きていると思うのですが、わたしにはそのことができないように思えます。親不孝の極みですが、母が死ぬ前に死ねたら幸せだなとすら思ってしまいます。 私が中学3年の時に祖父が亡くなった時のことを未だに忘れることができません。少し前まで生きていた、人が、生きてはいないということが受け入れられず、その恐怖を忘れることができません。昔見たドラマで、大量殺人を犯した犯人が、人をモノにするのが好きなんだと言っているものがありました。祖父の葬式の時に感じた、人がモノになったということが、私の中に恐ろしい記憶として残っています。祖父の死以来、刑事ドラマも不愉快で見ることができません。人の死を面白がって作っているように思えてしまうのです。私はどうしたらいいのでしょうか。受験期に入り、ストレスや疲れもも溜まっているのか、死ぬこと、母のこと、いつか大切な人が皆亡くなってしまった時のことなどばかりかんがえてしまいます。

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夜になると不安になります

現在母(70歳)と二人暮らしです。 私は会社員、母もパートはしていますが、 経済的に余裕があるわけではなく、母が働けなくなったら?介護になったら?やっていけるのだろうか?と不安になります。 それ以上に、母を見送った後の事を考えると、寂しくて寂しくて。母はまだ元気なのでこんな事を考える必要はないと思うのですが。 また、独身で子どももいないので、自分が死ぬ時に、ちゃんと身仕舞いしていかなければ、と思うのですが、それも不安で。(今あるお墓の墓じまいや永代供養もお願いして、死んだら手続きして下さる方もお願いしなければ、そもそも施設に入れるのか、など色々考えてしまいます) 結婚していても相手が先に死んだら独りだし、 子どもが居ても面倒見てくれるとは限らないし、結局は独りなのだから同じだ、私が特別寂しいわけではないし、独りで亡くなっていく方はたくさんいるだろうし、と思うようにしているのですが…。 強くならなければ、きっと大丈夫、と思うように、自分に言い聞かせてはいるのですが、夜になると特に不安になってしまって泣いて眠れなくなってしまいます。 40半ばで、終活なんてまだ早いともいわれますが、どうしたらこの不安から脱け出せるのでしょうか?

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日本、自然死を知らない医師

いろいろ、いろいろ、思うことがあって、思うことがあり過ぎて溢れて、うまく文章に出来ないです。 死とは何か…医者は自然死を知らない 「延命治療」蔓延する日本と「自然死」選ぶ欧米 夕刊◯ジの記事は、良くも悪くも、日本人の「自然死」に対する考え、気持ち、心について、考えるきっかけを与えてくれているように感じました。 良いとか悪いとかじゃなくてです。 いろんな意見があります。 どの方の意見も分かります。 そうだね、そうだよね、と思います。 ただ記事にすると、意見の押し付けや行き過ぎた言葉が並んでしまいがちで… でも、それも仕方がないことで… 何せ人間が書いた記事ですからね… 意見の押し売りさえなければ、それも良しとするしかありませんよね。 私も自然死賛成、いや、自然死なんて嫌だ、延命治療はしたくない、いや、延命治療だって必要だ… どれも、そうだよね、と思います。 医療者の側からすると、治療拒否→治療しない、とは出来ない事情もあります。 それも仕方がないこと。 最近、腎臓の病気を患う患者さんに対して、人工透析をせず死なせた!という事件(?)が世間を騒がせたけれど… じゃあ…ただ人工透析を続けるのみ、人工透析の拒否を受け入れない医師が、良い医師、正しい医師、と言えるのか… 私がよく経験した話になります。 タクシーに乗った時に「◯◯大学病院までお願いします」と言うと、私がまさか職員とは知らず、見舞い客か何かと思って、こんな話をされたりするのです… 「僕の兄貴も腎臓悪して、ずっと◯◯大学病院で透析うけとったんや。でもな、しんどうてしんどうて、もうええ、透析はやめる言うてな、ホンマにやめて、死んでんけどな、やめて良かったわ、医者は反対してたけどな、やめて良かった…」 だから、透析どうこうは、そんな単純な話ではないと私は思うのです。 じゃあ、ケースバイケースだ!という人が正しいかと言えば、そんなこともないし、それだって言ってしまえば綺麗事であり他人事のように聞こえます。 正しい答えなんて、ない。 じゃあ、どうしら…? お坊さまたちは、人が人としとある最後の姿、亡くなった姿をたくさん見ている貴重な方々です。 自然死、延命治療、その他いろいろ… お坊さまの意見…?というか…お坊さまの心の中にある想いをお聞かせ願えませんか?

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母親代わりの叔母が亡くなり辛すぎる

よろしくお願いいたします。 実の母はシングルマザーなので私が幼い頃から働きづめでした。なので、近所に住む子供がいない一人暮らしの叔母が料理をしてくれたり、ゆっくり話を聞いてくれたり、ほぼ母親のような存在で育ちました。本当に優しく温かい人でした。 ここ10年ほどは認知症がすすみ施設にいました。私は月1回面会に行っていました。 その叔母が先日亡くなりました。90歳でしたので自然な事だと思います。 が、最後が施設で寂しくなかったかなとか、色々な気持ちが入り交じり気力がわきません。 プロフィールに詳細を書いてありますが、今の私はいくらでも一人で時間があるので常に考えてしまい悲しみにどっぷり浸かってしまいます。喪失感が大きく、全てが嫌になるというか一人ぼっちになってしまったような。 また、葬儀の時に親戚に「お前はあれだけ世話になって月一しか面会行ってなかったのか?」という言葉も頭から離れません。その人は一度も行った事ないのに。というより私以外誰も行ってなかった。 そして始めは週1で行っていたら大部屋なので他の入居者が叔母に嫉妬のような嫌みを言うようになってきたので仕方なく間を開けていき結果月一になった流れです。が、説明する気にもなれず言われっぱなしでした。 だんだん自分は薄情だったのかなと後悔も出てきて、さらに辛いです。 49日までに自分が叔母にできる事はないか、こちらのサイトで調べて「なるべく肉を食べない・写経をする・お経を唱える」と見つけ、やってみようと思っているところですが、他に何かありますでしょうか? また、この悲しみや後悔や親戚の言葉への嫌悪?憎悪?をごちゃごちゃに抱えた汚い心で写経やお経をして叔母の応援になりますか? お知恵をいただけたらありがたいです。 乱文長文失礼いたしました。

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これからわたしはどうしたらいいのでしょうか

結婚を前提にお付き合いしていた彼が自死しました。 彼とは4月13日よりお付き合いをはじめ結婚を最初から考えていました。彼の住む家のリフォームも決まっておりどんなキッチンにするか他に間取りはどうしたいか教えてねっという話もしていました。そんな中4月30日に彼は突然会社を解雇されました。誰が聞いても不当です。5月1日に彼に会いました。社長に裏切られたという気持ちでいっぱいでと言っていましたが一緒にゆっくり良い会社を探そうって言っていました。最後に一緒にいたのは5月5日、6日。一緒に映画を観てスーパーで買い物をしてわたしの作った料理を美味しすぎるって言って食べてくれました。新しいキッチンができたら圧力鍋も買おうねって。5月8日に会う約束をしましたが彼の突然のキャンセル。5月9日はわたしの体調が悪く無理をすれば会えましたが会いたくないという気持ちが強く駅まで迎えに行こうか?と心配してくれた彼の電話にも出ず明日は迎えに行くねというラインも明日返せばいいやと無視してしまいました。 5月10日朝から全く連絡がとれませんでした。1日くらいで大袈裟と思いましたが5月11日に彼の自宅を訪ねました。彼は二世帯住宅で下にお母様彼は二階と全く関わりを持たない生活をしていました。ピンポンを押しても出てくれず少し待ってお母様が帰宅されたので事情を説明し見に行ってもらいました。そのあとわたしが見に行きましたがもう彼は亡くなっていました。 わたしを置いてどうしてという気持ちとなんで彼の電話にでなかったのか会わなかったのかという後悔ばかりです。彼はわたしに毎日会いたいというひとで会いに来てという日に行けないというとなんで?嫌なの?というひとでした。わたしは結婚するまでは同棲や毎日や突然会うのは困るという考えでしたので友達と予定があるからごめんねと彼を傷つけないよう断っていました。でも、彼の会いたいはさみしさであり何かの合図だったかもしれません。わたしが彼の優しさを裏切り助けることもできませんでした。もっと一緒にいたら生きてたんじゃないかと。彼に会いたいし抱きしめてもらいたい失ってから大好きだったと気づきました。彼が亡くなったあと彼は離婚をしていて子どもが二人いることをお母様から聞いて知りました。彼の口から聞けなかったことがショックでした。わたしはまだ未婚です。わたしはこの先どうしたらいいのでしょうか。

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叔父が亡くなりました

今月の7日に大好きだった叔父が亡くなりました。叔父は私の母の兄であり、片親の私にとっては父親のような存在でした。 生前、叔父は大病を患い奇跡的に回復し仕事を無理のない範囲で出来る程までになりました。亡くなる数ヶ月前から再び体調を悪くし入退院を繰り返していましたが、弱ったところを見せたくない心配させたくない、という叔父の思いから私と母やそれ以外の人にも内緒にしていました。叔父からの連絡がないので心配した母と私が叔父の元を訪ねて、体調が悪いことが発覚しました。 それからは心配で、定期的に叔父宅を訪ねていました。体調が悪い中でも、前向きに回復へ向かおうともがいていましたし私達もきっと良くなると思いながら叔父を見守っていました。 最後に会った時は、いつもより調子が良さそうで沢山お話ができて笑顔の時間もありました。それから1ヶ月経たないうちのお別れで後悔ばかり残っています。 私は祖母(叔父の母)と母の三人暮らしです。 祖母には叔父の病状を全く知らせていませんでした(叔父の意向もあって)。なので、久しぶりの対面がこんな形になってしまった事に後悔しています。祖母は滅多に泣かない人で、私は祖母の涙を一度も見たことはなかったのですが、斎場での最後のお別れの時間涙を流して悲しんでいました。母も突然の事でショックが大きく葬儀が終わるまで泣き続けていました。 時間が解決してくれるとは思いますが、2人の悲しみを少しでも和らげて支えてあげたいです。 私はどのように立ち振る舞い2人に声をかけてあげたらいいのでしょうか。 また、亡くなった叔父は私達のことも見守ってくれているのでしょうか。

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老いに対する恐怖

こんにちは。現在中学3年生の者です。 タイトル通り、自分は老いが怖いです。 よく、老いることと一緒に質問される「死」についてはあまり怖くありません。 もし生まれ変わりというものがあるならば、そのまま悪行を行わないようにして、また生まれ変わり、一方でもしないのであればそれを認識する術もないわけですから、特に恐怖というものは出てきません。 しかし、老いることだけはどうしても怖いんです。 僕は2004年生まれなので、もし80歳まで生きれるとしたら その時は2084年です。僕はその時、おそらくこの時代の中学生や高校生の「若さ」を羨望するでしょう。 一つ目の質問ですが、皆さんは10年前,20年前の自分、もしくはその年齢の人を「若さ」で羨むことはあるのでしょうか。 そして、二つ目の質問に関してですが、1年前、国語の授業で 「無常観」について習いました。 自然を対象とした無常観というのは、非常に美しく素晴らしい考え方だと思いました。しかし、人間関係や自分の老いに関する無常観は「儚い」という一言で表せると思ったのですが、 その「儚い」が怖いんです。 例えば、今は両親や祖父母が生きていますが、いずれ、どの順番かはわかりませんが、亡くなり、お別れが来ます。 また、今自分は「若い」という部類に入り、体力もある時期なので基本いろんなことができます。しかし、そんな自分もいつかは衰え、できることが少なくなると思うとどうしてもなんともいえない気持ちになります。 二つ目の質問なのですが、皆さんはこの「老い」についてどう思いますか、またはどう考えますか。そして、もし仏教にそれに関する教えがあるのでしたら、教えてくださると幸いです。  

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贅沢な願いでしょうか?

少し前に母がお酒の飲みすぎで、出先で倒れてしまい、その際に後頭部をぶつけて救急に運ばれました。 病院から連絡をもらって急いで向かってら、本人は横になってるものの意識もあって安心はしました。先生からは「後頭部の骨折と頭を打った衝撃で脳が前頭部にぶつかって少し出血してるから一週間は入院しましょう」と。 私の中では最初はとにかく(無事であるならそれだけでいい)と思ってたのでとてもほっとしたんですが、入院3日位過ぎたあたりから母が「匂いが全然しない」と。先生が言うにはもしかしたら嗅覚障害かもしれないから退院したら耳鼻科で調べてもらってください、と言われました。 まだ耳鼻科へは行ってないので、結果は分からないんですが、もし完全に戻らない状態だったらと思うと... 母は別に仕事で鼻を使ったりする訳では無いですが、匂いが分からないせいで味がイマイチ分からないようで、家にもどってから普段の生活に戻った時の事を思うと、正直心配でたまらず、絵馬とか願掛けとかばかりしてしまいます。 最初の時は(命が無事であるならそれだけでいい)とだけ願っていたのに、無事と分かってからは今度は(障害だけは回復して欲しい)という願いに変わってました。 実は以前父も脳の病気で入院した時に(命が助かるなら)ということだけだったのに、助かって後遺症が残ってからはずっと(麻痺が良くなってくれれば)とかそういう願いまで拡大してる自分がいたことを今回の事で思い出したんです。 その時も周りの人は口を揃えて「助かっただけでもいいじゃない」って言ってくれてました。 勿論、周りの人の言葉はその通りなんですけど、家族だからという理由だけなのかは分からないんですけど、やっぱりどんどん次を求めてしまう自分がいます。 父の時も、母の時も場合によっては死んでしまうこともある病気や怪我なので神様や仏様に(命だけは助けてください)と願ったくせに、助かったら今度は(後遺症だけでも回復して下さい)と図々しくお願いのレベルを引き上げてしまっている事に後ろめたさのような不安が出てきてしまいました。 こんな風にお願いするのは良くない事なのでしょうか? 長文、駄文読みにくくて大変申し訳ありませんが、何かお言葉を頂けると有難いです。お願いします。

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おばあちゃんとおかあさんとわたし

おかあさんは ずっとずっとずーっと 「わたしもあんなふうになりたい」 といってきた なぜなら おかあさんのおかあさんのおばあちゃんが わがままほうだい いいたいほうだい すきほうだい かってきままにいきているようにみえていたからで でもその 「わたしもあんなふうになりたい」 とおもっていたおかあさんのおかあさんのおばあちゃんが いっきにぼけて いじわるになって がんこになって びょうきになって たおれて きゅうきゅうしゃではこばれて にゅういんして いえにもかえれなくなって ゆいいつのたのしみだった しょくじもろくにとれなくなって といれにもいけなくなって おむつになって ・・・ そうしたら さいきん 「わたしはあんなふうになりたくない」 というようになった あんなに おかあさんのおかあさんにあこがれて うらやましくて うらやましくて 「わたしもあんなふうになりたい」 そういっていたのに さいきん ずっとずっとずーっと 「わたしはあんなふうになりたくない」 そういっている わたしのだーいすきなおばあちゃん こどもがえりしたおばあちゃん かわいいおばあちゃん おかあさんのおかあさんのおばあちゃんは おかあさんのあこがれであり おかあさんのもくひょうであり ついくらべてしまうあいてであり もっともおおきなそんざいなんだな そんなことを 「わたしはあんなふうになりたくない」 という さいきんのおかあさんのくちぐせから おもうようになった わたしはまだわかい おかあさんよりわかいし おばあちゃんよりわかい これから おかあさんのとしになっていき おばあちゃんのとしになっていく そのとき わたしはどうおもうのだろうか? 「わたしもあんなふうになりたい」 「わたしはあんなふうになりたくない」 いまのわたしには まだまだわからないけれど きっと どちらのきもちもけいけんするのだろう それが いきていくということであり おいていということであり だれにもとめられない ときのながれというものなんだろう そんなことを おかあさんと おかあさんのおかあさんのおばあちゃんから わたしはいま おしえてもらっている これがしぜんというもの?

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祖母が亡くなりました。

私は父母私の3人家族で私は現在32歳独身です。 8年前に父方の祖母と祖母の家で同居することになりました。 同居して少しした頃から祖母は認知症になり始めはデイサービスで通いで老人ホームに行っていたのですが、ここ何年かは泊まりでずっと施設にいてお正月お盆などそういったときに家に帰ってきていました。 私は祖母と暮らすことを楽しみにしていて、同居し始めた時は毎日お話をしてたまにどこか出かけたり仲良く過ごしていました。 しかし私の母とは嫁姑のよくあるいざこざがあり、特に祖母は素直に感謝することがあまりできないのでそれがだんだん母にとってストレスとなり同居が母の負担になっていました。 私は母をすごく大事に思っていて仲も良いので、母に攻撃する祖母がだんだん嫌になってきました。 認知症のせいか私にも嫌がることをしてきて、祖母に対してきつくあたったりもしてしまったこともありました。 一緒に暮らすのも窮屈になり、祖母がデイサービス 泊まりの施設利用をすることで家族のストレスが軽減したのが事実です。 内心ホッとしたのも事実ですが、老後に施設に預けられて祖母は生きていて幸せなのかと考えるようにもなりました。 私は心のどこかで今日までずっと罪悪感がありました。 あのときなんであんなにきつくあたってしまったのだろう、もうちょっと優しくできなかったのかな?と。 施設にもあまり会いに行かず、最近ではお正月に少し顔をみたくらいでほとんど会うこともなくなっておりました。 そんな祖母が今朝息を引き取りました。 数週間前から施設であまり喋らなくなり食欲もなくなっていて、介護ができる病院に移って割とすぐに他界してしまいました。 亡くなる前に私も病院へ行き意識がなく呼吸の荒い祖母に声をかけずっと手を握っていました。 手が冷たく血圧も低く、このまま目を開けることなく亡くなるのかもしれないと思うとだんだん悲しくなり涙が止まりませんでした。 今日の今日までこんな薄情な孫だったのに涙を流すなんて私に悲しむ資格があるのかと思いました。 過去の楽しかった出来事が込み上げてきてより悲しくなり、過去に私が祖母にきつく当たってしまったことを思い出し後悔し、私の心の中は悲しみと罪悪感でいっぱいです。 どう気持ちを整理すれば分からずここに質問させていただきました。 乱文ですみません。よろしくお願い申し上げます。

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彼氏に「がん」が見つかりました。

こんばんは。 またご相談させて下さい。 先日、半年ほど付き合った彼に「がん」だと明かされました。 旅行から帰ってきて2週間後に伝えられ、もう一緒にいない方が良いと言われました。 まだ結果が出る前だったのでステージなど詳細は聞いていません。 ですが、彼の気持ちを思うといたたまれませんでした。 離れることは私としては何か違うのではないかと思ったので、離れるつもりはないことを話しましたが、 彼は私に「いつまで治療がかかるか分からないこの今の暗い状況で一緒にいて、仮に治っても曰く付きの人間と生涯を共にするとかそんな人生は選ばない方が良い」と言っていました。 治療に専念したいし、病気の人と離れる事は他人が言うと差別になるから当事者の僕やからこそ言える事だと言いました。 私の将来を背負うのは遠慮しておくと。 どういった気持ちでこんなことを話してくれたのだろうと思うとつらくてたまりません。 私に何もできないことが本当に本当に悔しいです。 どうしたらいいのでしょうか。 彼はまだ30代半ばです。 私は病気は治ると信じているし、独りでいる事はとても辛いと思うから一緒に戦いたいです。 家族に反対されてもいいです。 私は将来時に妻になって全てを知って支えになりたいです。 私が何を言っても彼は拒むと思います。 でも強がりでそう言っているようにもみえています。 本当に優しい彼にいつも救われてきました。今度は私が助けたいと、彼と「がん」と共に歩むことを覚悟しています。 彼の優しさを察して身を引くべきなのでしょうか。 ここへ相談している時点で私には覚悟が足りないのでしょうか。 彼にとって私のしようとしている行動は迷惑な話なのでしょうか。

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