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「老病死」を含む問答(Q&A)一覧

これからわたしはどうしたらいいのでしょうか

結婚を前提にお付き合いしていた彼が自死しました。 彼とは4月13日よりお付き合いをはじめ結婚を最初から考えていました。彼の住む家のリフォームも決まっておりどんなキッチンにするか他に間取りはどうしたいか教えてねっという話もしていました。そんな中4月30日に彼は突然会社を解雇されました。誰が聞いても不当です。5月1日に彼に会いました。社長に裏切られたという気持ちでいっぱいでと言っていましたが一緒にゆっくり良い会社を探そうって言っていました。最後に一緒にいたのは5月5日、6日。一緒に映画を観てスーパーで買い物をしてわたしの作った料理を美味しすぎるって言って食べてくれました。新しいキッチンができたら圧力鍋も買おうねって。5月8日に会う約束をしましたが彼の突然のキャンセル。5月9日はわたしの体調が悪く無理をすれば会えましたが会いたくないという気持ちが強く駅まで迎えに行こうか?と心配してくれた彼の電話にも出ず明日は迎えに行くねというラインも明日返せばいいやと無視してしまいました。 5月10日朝から全く連絡がとれませんでした。1日くらいで大袈裟と思いましたが5月11日に彼の自宅を訪ねました。彼は二世帯住宅で下にお母様彼は二階と全く関わりを持たない生活をしていました。ピンポンを押しても出てくれず少し待ってお母様が帰宅されたので事情を説明し見に行ってもらいました。そのあとわたしが見に行きましたがもう彼は亡くなっていました。 わたしを置いてどうしてという気持ちとなんで彼の電話にでなかったのか会わなかったのかという後悔ばかりです。彼はわたしに毎日会いたいというひとで会いに来てという日に行けないというとなんで?嫌なの?というひとでした。わたしは結婚するまでは同棲や毎日や突然会うのは困るという考えでしたので友達と予定があるからごめんねと彼を傷つけないよう断っていました。でも、彼の会いたいはさみしさであり何かの合図だったかもしれません。わたしが彼の優しさを裏切り助けることもできませんでした。もっと一緒にいたら生きてたんじゃないかと。彼に会いたいし抱きしめてもらいたい失ってから大好きだったと気づきました。彼が亡くなったあと彼は離婚をしていて子どもが二人いることをお母様から聞いて知りました。彼の口から聞けなかったことがショックでした。わたしはまだ未婚です。わたしはこの先どうしたらいいのでしょうか。

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叔父が亡くなりました

今月の7日に大好きだった叔父が亡くなりました。叔父は私の母の兄であり、片親の私にとっては父親のような存在でした。 生前、叔父は大病を患い奇跡的に回復し仕事を無理のない範囲で出来る程までになりました。亡くなる数ヶ月前から再び体調を悪くし入退院を繰り返していましたが、弱ったところを見せたくない心配させたくない、という叔父の思いから私と母やそれ以外の人にも内緒にしていました。叔父からの連絡がないので心配した母と私が叔父の元を訪ねて、体調が悪いことが発覚しました。 それからは心配で、定期的に叔父宅を訪ねていました。体調が悪い中でも、前向きに回復へ向かおうともがいていましたし私達もきっと良くなると思いながら叔父を見守っていました。 最後に会った時は、いつもより調子が良さそうで沢山お話ができて笑顔の時間もありました。それから1ヶ月経たないうちのお別れで後悔ばかり残っています。 私は祖母(叔父の母)と母の三人暮らしです。 祖母には叔父の病状を全く知らせていませんでした(叔父の意向もあって)。なので、久しぶりの対面がこんな形になってしまった事に後悔しています。祖母は滅多に泣かない人で、私は祖母の涙を一度も見たことはなかったのですが、斎場での最後のお別れの時間涙を流して悲しんでいました。母も突然の事でショックが大きく葬儀が終わるまで泣き続けていました。 時間が解決してくれるとは思いますが、2人の悲しみを少しでも和らげて支えてあげたいです。 私はどのように立ち振る舞い2人に声をかけてあげたらいいのでしょうか。 また、亡くなった叔父は私達のことも見守ってくれているのでしょうか。

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老いに対する恐怖

こんにちは。現在中学3年生の者です。 タイトル通り、自分は老いが怖いです。 よく、老いることと一緒に質問される「死」についてはあまり怖くありません。 もし生まれ変わりというものがあるならば、そのまま悪行を行わないようにして、また生まれ変わり、一方でもしないのであればそれを認識する術もないわけですから、特に恐怖というものは出てきません。 しかし、老いることだけはどうしても怖いんです。 僕は2004年生まれなので、もし80歳まで生きれるとしたら その時は2084年です。僕はその時、おそらくこの時代の中学生や高校生の「若さ」を羨望するでしょう。 一つ目の質問ですが、皆さんは10年前,20年前の自分、もしくはその年齢の人を「若さ」で羨むことはあるのでしょうか。 そして、二つ目の質問に関してですが、1年前、国語の授業で 「無常観」について習いました。 自然を対象とした無常観というのは、非常に美しく素晴らしい考え方だと思いました。しかし、人間関係や自分の老いに関する無常観は「儚い」という一言で表せると思ったのですが、 その「儚い」が怖いんです。 例えば、今は両親や祖父母が生きていますが、いずれ、どの順番かはわかりませんが、亡くなり、お別れが来ます。 また、今自分は「若い」という部類に入り、体力もある時期なので基本いろんなことができます。しかし、そんな自分もいつかは衰え、できることが少なくなると思うとどうしてもなんともいえない気持ちになります。 二つ目の質問なのですが、皆さんはこの「老い」についてどう思いますか、またはどう考えますか。そして、もし仏教にそれに関する教えがあるのでしたら、教えてくださると幸いです。  

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贅沢な願いでしょうか?

少し前に母がお酒の飲みすぎで、出先で倒れてしまい、その際に後頭部をぶつけて救急に運ばれました。 病院から連絡をもらって急いで向かってら、本人は横になってるものの意識もあって安心はしました。先生からは「後頭部の骨折と頭を打った衝撃で脳が前頭部にぶつかって少し出血してるから一週間は入院しましょう」と。 私の中では最初はとにかく(無事であるならそれだけでいい)と思ってたのでとてもほっとしたんですが、入院3日位過ぎたあたりから母が「匂いが全然しない」と。先生が言うにはもしかしたら嗅覚障害かもしれないから退院したら耳鼻科で調べてもらってください、と言われました。 まだ耳鼻科へは行ってないので、結果は分からないんですが、もし完全に戻らない状態だったらと思うと... 母は別に仕事で鼻を使ったりする訳では無いですが、匂いが分からないせいで味がイマイチ分からないようで、家にもどってから普段の生活に戻った時の事を思うと、正直心配でたまらず、絵馬とか願掛けとかばかりしてしまいます。 最初の時は(命が無事であるならそれだけでいい)とだけ願っていたのに、無事と分かってからは今度は(障害だけは回復して欲しい)という願いに変わってました。 実は以前父も脳の病気で入院した時に(命が助かるなら)ということだけだったのに、助かって後遺症が残ってからはずっと(麻痺が良くなってくれれば)とかそういう願いまで拡大してる自分がいたことを今回の事で思い出したんです。 その時も周りの人は口を揃えて「助かっただけでもいいじゃない」って言ってくれてました。 勿論、周りの人の言葉はその通りなんですけど、家族だからという理由だけなのかは分からないんですけど、やっぱりどんどん次を求めてしまう自分がいます。 父の時も、母の時も場合によっては死んでしまうこともある病気や怪我なので神様や仏様に(命だけは助けてください)と願ったくせに、助かったら今度は(後遺症だけでも回復して下さい)と図々しくお願いのレベルを引き上げてしまっている事に後ろめたさのような不安が出てきてしまいました。 こんな風にお願いするのは良くない事なのでしょうか? 長文、駄文読みにくくて大変申し訳ありませんが、何かお言葉を頂けると有難いです。お願いします。

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おばあちゃんとおかあさんとわたし

おかあさんは ずっとずっとずーっと 「わたしもあんなふうになりたい」 といってきた なぜなら おかあさんのおかあさんのおばあちゃんが わがままほうだい いいたいほうだい すきほうだい かってきままにいきているようにみえていたからで でもその 「わたしもあんなふうになりたい」 とおもっていたおかあさんのおかあさんのおばあちゃんが いっきにぼけて いじわるになって がんこになって びょうきになって たおれて きゅうきゅうしゃではこばれて にゅういんして いえにもかえれなくなって ゆいいつのたのしみだった しょくじもろくにとれなくなって といれにもいけなくなって おむつになって ・・・ そうしたら さいきん 「わたしはあんなふうになりたくない」 というようになった あんなに おかあさんのおかあさんにあこがれて うらやましくて うらやましくて 「わたしもあんなふうになりたい」 そういっていたのに さいきん ずっとずっとずーっと 「わたしはあんなふうになりたくない」 そういっている わたしのだーいすきなおばあちゃん こどもがえりしたおばあちゃん かわいいおばあちゃん おかあさんのおかあさんのおばあちゃんは おかあさんのあこがれであり おかあさんのもくひょうであり ついくらべてしまうあいてであり もっともおおきなそんざいなんだな そんなことを 「わたしはあんなふうになりたくない」 という さいきんのおかあさんのくちぐせから おもうようになった わたしはまだわかい おかあさんよりわかいし おばあちゃんよりわかい これから おかあさんのとしになっていき おばあちゃんのとしになっていく そのとき わたしはどうおもうのだろうか? 「わたしもあんなふうになりたい」 「わたしはあんなふうになりたくない」 いまのわたしには まだまだわからないけれど きっと どちらのきもちもけいけんするのだろう それが いきていくということであり おいていということであり だれにもとめられない ときのながれというものなんだろう そんなことを おかあさんと おかあさんのおかあさんのおばあちゃんから わたしはいま おしえてもらっている これがしぜんというもの?

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祖母が亡くなりました。

私は父母私の3人家族で私は現在32歳独身です。 8年前に父方の祖母と祖母の家で同居することになりました。 同居して少しした頃から祖母は認知症になり始めはデイサービスで通いで老人ホームに行っていたのですが、ここ何年かは泊まりでずっと施設にいてお正月お盆などそういったときに家に帰ってきていました。 私は祖母と暮らすことを楽しみにしていて、同居し始めた時は毎日お話をしてたまにどこか出かけたり仲良く過ごしていました。 しかし私の母とは嫁姑のよくあるいざこざがあり、特に祖母は素直に感謝することがあまりできないのでそれがだんだん母にとってストレスとなり同居が母の負担になっていました。 私は母をすごく大事に思っていて仲も良いので、母に攻撃する祖母がだんだん嫌になってきました。 認知症のせいか私にも嫌がることをしてきて、祖母に対してきつくあたったりもしてしまったこともありました。 一緒に暮らすのも窮屈になり、祖母がデイサービス 泊まりの施設利用をすることで家族のストレスが軽減したのが事実です。 内心ホッとしたのも事実ですが、老後に施設に預けられて祖母は生きていて幸せなのかと考えるようにもなりました。 私は心のどこかで今日までずっと罪悪感がありました。 あのときなんであんなにきつくあたってしまったのだろう、もうちょっと優しくできなかったのかな?と。 施設にもあまり会いに行かず、最近ではお正月に少し顔をみたくらいでほとんど会うこともなくなっておりました。 そんな祖母が今朝息を引き取りました。 数週間前から施設であまり喋らなくなり食欲もなくなっていて、介護ができる病院に移って割とすぐに他界してしまいました。 亡くなる前に私も病院へ行き意識がなく呼吸の荒い祖母に声をかけずっと手を握っていました。 手が冷たく血圧も低く、このまま目を開けることなく亡くなるのかもしれないと思うとだんだん悲しくなり涙が止まりませんでした。 今日の今日までこんな薄情な孫だったのに涙を流すなんて私に悲しむ資格があるのかと思いました。 過去の楽しかった出来事が込み上げてきてより悲しくなり、過去に私が祖母にきつく当たってしまったことを思い出し後悔し、私の心の中は悲しみと罪悪感でいっぱいです。 どう気持ちを整理すれば分からずここに質問させていただきました。 乱文ですみません。よろしくお願い申し上げます。

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彼氏に「がん」が見つかりました。

こんばんは。 またご相談させて下さい。 先日、半年ほど付き合った彼に「がん」だと明かされました。 旅行から帰ってきて2週間後に伝えられ、もう一緒にいない方が良いと言われました。 まだ結果が出る前だったのでステージなど詳細は聞いていません。 ですが、彼の気持ちを思うといたたまれませんでした。 離れることは私としては何か違うのではないかと思ったので、離れるつもりはないことを話しましたが、 彼は私に「いつまで治療がかかるか分からないこの今の暗い状況で一緒にいて、仮に治っても曰く付きの人間と生涯を共にするとかそんな人生は選ばない方が良い」と言っていました。 治療に専念したいし、病気の人と離れる事は他人が言うと差別になるから当事者の僕やからこそ言える事だと言いました。 私の将来を背負うのは遠慮しておくと。 どういった気持ちでこんなことを話してくれたのだろうと思うとつらくてたまりません。 私に何もできないことが本当に本当に悔しいです。 どうしたらいいのでしょうか。 彼はまだ30代半ばです。 私は病気は治ると信じているし、独りでいる事はとても辛いと思うから一緒に戦いたいです。 家族に反対されてもいいです。 私は将来時に妻になって全てを知って支えになりたいです。 私が何を言っても彼は拒むと思います。 でも強がりでそう言っているようにもみえています。 本当に優しい彼にいつも救われてきました。今度は私が助けたいと、彼と「がん」と共に歩むことを覚悟しています。 彼の優しさを察して身を引くべきなのでしょうか。 ここへ相談している時点で私には覚悟が足りないのでしょうか。 彼にとって私のしようとしている行動は迷惑な話なのでしょうか。

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1歳9ヶ月の娘が亡くなりました

初めて質問させていただきます。 先日、大切な一人娘が、1歳9ヶ月で亡くなりました。 娘は持病も無く、予防接種も全て受けていて、亡くなる前日は家族でお花見をして走り回っていました。 お花見をした当日の夜に一度吐き、その後すぐ眠りにつきました。 鼻水も出ていた為、風邪だと思い次の日耳鼻科へ連れて行きました。 痰が絡み息苦しそうだった為、気管支を広げる貼付剤を頂き、そのお薬はお風呂の後に貼るもので、貼ってから5時間程で効いてくるとの事で、早めに軽くお風呂に入り、薬を貼りました。 しかしその後どんどん病態が悪くなり、何度も吐いてしまいましたが、私は薬が効いてきたら苦しさも楽になるだろうと思い込んでしまいました。 娘は夜中起きる度に小さな声で「ママ」と呼んでくれました。 その都度抱っこするとすぐに寝ていたので、私もいつの間にか隣で眠ってしまいました。 それからどれ位経ったか分かりませんが、娘の様子が気になり目を覚ますと、娘は息をしていませんでした。 必死で人工呼吸をし、救急車を呼びましたが、娘の呼吸は戻ることはありませんでした。 娘と先生方が頑張って下さったお陰で、心臓は辛うじて動きを取り戻しましたが、それも5日後には止まり、娘は天国へ行ってしまいました。 周りは私のせいではないから自分を責めないでと言ってくれますが、どうしても自分のせいで死なせてしまったとしか思えません。 連れて行った病院が耳鼻科という判断で本当に合っていたのか 何度も吐いて唇まで紫色になっていたのに何故救急に電話しなかったのか 無い力を振り絞って私に助けを求めてくれていたのに何故私は隣で寝てしまったのか 色々な事が毎日頭を回り、眠れません。 葬儀を担当してくださったご住職は、 「魂は因果関係の深い所にまた来るため、お母さんのところに必ずまたやってきます」 と言って下さいました。 しかし私は娘のSOSにも気付けない母親です。 そんな母親の所に本当にまた娘は来てくれるのでしょうか。 私はまた子供を育てる資格などあるのでしょうか。 私も毎日死んでしまいたい気持ちでいっぱいですが、自殺すると天国に行けないという話を聞いた事があるので、それでは娘に会えないから意味がないという理由だけで死ぬことを堪えている状態です。 これからどのように生きていけばいいのか、生きる意味はあるのか教えて下さい。

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夫の死ぬ死ぬ騒ぎに疲れました

味覚障害なので死ぬそうです。 警察、病院、医師などに相談したのですが、夫の自殺をとめるにはどうすればいいでしょうか? 警察にもお世話になりました。自殺すると飛び出していったので、警察に連絡して保護してもらいました。 なんどもお坊さんにも相談しましたが、「味覚障害で自殺」という心理が私には理解できないのです。 自分も子供のころ風邪をひいて味覚障害に1か月ぐらいなった記憶があります。 そのうち治るという言葉を信じていたらそのうち治りました。ケーキの味が苦くて悲しかった記憶はありますが、死にたいとは思わなかったです。 舌癌、さらなる癌、でも闘病がんばっている女優さんもいるのに、うちの夫は味覚障害で死ぬ死ぬと毎日うるさい。 何件も病院に行きましたが、お医者さんも「はいはいはい」という対応です。 きっと医者も困っているんですね。 上顎洞がんかもしれないので、医者に内視鏡で診ますからと言われても、内視鏡は痛いからやだ。 もしも癌でほかに移転したら、死ぬほど痛いんじゃないかと思うんですが。 それも耐えられないほどの痛みで血もでるんじゃないかと。 夫は仕事も辞めてしまいました。 ほとほと疲れました。 そんなに自分の母親のいるところに逝きたいのでしょうか? ほんとう姑に申し訳ないです。せっかく育ててた息子が自殺で命落とすとは、姑も成仏できないと思います。 そう正しても夫はわからないみたいです。 今日も、いつもの死ぬ死ぬ騒ぎ発動で(私が)医者に電話したり、早退して会社から戻ってきました。

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突然の自死、苦しく辛いです。

内縁の夫が自死しました。 20年余り夫婦の様に生活をしてきました。夫は既婚者でしたが、知り合った時は、別居中でした。 夫は経営していた会社の借金の為、自宅を抵当に入れていたので、奥様から抵当を抜かない限り、離婚はできなと言われ結局離婚出来ないままになりました。 その夫が、先月末に突然自死致しました。 理由が分からず、いつも明るく、優しい人で亡くなる4日前には私の母、娘家族(婿、子供2人)と自宅で夕食会をし、翌日は東京に行きました。(仕事の関係で月の半分は東京に行っていました)翌週の土曜日には花見行こうと約束をしていたのに。 突然朝方4時頃に夫から、お別れのメールが届いていました。 その日は東京に居てるはずでした。 私が気付いたのは朝の9時頃で、そのメールを見てすぐに電話、メールを送りましたが、返事は有りませんでした。 不安で仕方なく、地元の警察に連絡し事情を説明し、確認して頂く様にお願いしましたが、私達は戸籍上親族ではないので、先方(奥様)に確認して対応しますのと事でした。 全くの蚊帳の外で、私達には安否は教えられないとの事でした。 何とか、安否が知りたく、仕事関係や私の分かりうる全てに連絡し、 海に転落し亡くなったと分かりました。 警察では事故と処理されました。 私はメールが送られていたので、事故じゃなく自死だと思っています。 メールには私の事が気がかりだと、すまないと、詫びる言葉がありました。死を選ぶ程の夫の苦悩は何だったのか、呑気に甘え放題で夫の苦しみに気付く事も出来なく、私ってなんてバカなんだろう。 今は朝、目が覚めた時に、夫が居ない現実が一日始まると思うだけで、絶望で胸が張り裂けそうです。なんで私だけ生きているのだろう。 年老いた母にはこれ以上、悲しく辛い思いはさせる事は出来ません。 娘達にも、これ以上の苦しみを与える事は出来ません。 だから、夫の後を追う事は出来ませんが、生きる希望・目的が無く、ただただ一日をやり過ごす無意味な人生になりました。 夫に会いたいです。夫の魂を感じたい。 苦しく辛いです。助けて下さい。 自死の魂はいつまでも苦しむのでしょうか。 写経は徳を積めると聞き、写経の「為」に夫の名前を書いて納めています。少しでも夫の魂が安らかな場所に行ける供養をしたいので 教えてください。遺骨も何もありませんが。

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最愛の彼が他界して、気持ちがついていかないです

最愛の彼が他界しました。1月中旬に体調不良をうったえ、病院に行ったところ、そのまま入院となり、2か月間の闘病のすえ、残念ながら、3月末に亡くなりました。 17年ともに暮らし、亡くなる3日前には病室でプロポーズをしてもらいました。 彼は、いつもそばで支えてくれて、ともに笑い、涙し、一緒に夢を描いていました。 純粋で、穏やかで、優しくて、ユーモアがあって、強くて、とっても愛がある彼はたくさんの人に愛されて、可愛がれていました。 辛くて、不安で、こわい闘病中も、周りを気遣い、冗談を常に言い、病棟でも看護師さんたちの人気者でした。 入院中は家族のみの面会でしたが、特別に許可をもらい、毎日病院に通い、時間をともに過ごしました。わたしの訪問をいつも楽しみに待っていてくれました。遠方にお住まいのご家族はなかなか病院に来ることもできず、親友にも会うことができず、、、 最期の最期まで、絶対に復活することを信じて、辛くても、苦しくても「大丈夫、大丈夫」「OK、OK」「想定ない」と常に強気に言っていました。 一緒にこれからも生きることを描いて、一日、一日、必死に生きていました。病床では、退院したら、あれをしよう、これをしようといつも話していました。残念ながら、ひとつも叶えることができず、この世を去りました。 本当に死の直前まで、彼は生きることしか考えておらず、、、彼の想いを考えると、涙が溢れて、とまりません。 彼の仲間から、「たくさんの人に愛されて、趣味に生きて、最期は1番大切なあなたに看取ってもらえて、彼は『楽しい人生だった!』と絶対に言ってるよ」と言葉をかけてもらうのですが、彼はいまも悔しさでいっぱいなのでは?と思い、本当に苦しいです。 また友達から、「唯一の心残りは、あなたのことだから、ずっとそばにいて、見守っているよ」、とも言ってもらえるのですが、明後日はもう四十九日の法要です。彼はわたしのそばを離れていってしまうのでしょうか。 彼の人徳のおかげで、わたしの友達だけでなく、彼の友達もわたしを心配して、気にかけてくれて、いろいろ支えてくれています。 また坐禅を何度か試みたのですが、彼への想いが強くなり、涙がとめどとなく溢れてきます。 彼はいま何を想い、何をしたいのでしょうか。 どうやって2人の想いを整理して、前を向けばいいのでしょうか。 まとまりがなく、すみません。

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死は存在しない

もう10年以上も前になりますが、母の命日が近付くと、色々と考えます。 不治の病を宣告された母。いわゆる「手かざし系宗教」の信者である叔母(母の妹)から勧誘され、藁にもすがる思いで行った本山で「あなたには助からない相が出ている」などと訳知り顔で告げられた母。 同行した父親も勧誘されましたが、断ったとの事。 (父も母も、元々は徹底した無宗教、無神論の人でした) 母は闘病中も死の間際も、「私が死んだら○○を宜しく」 なんて言葉は一言も言いませんでした。 私は、人の思考は死を思う為には出来ていないと考えます。 脳はあくまで、身体を効率よく動かし合理的に生き延びる為に、進化の過程で生物が獲得した器官であり、「死」なんて抽象的な思考を弄ぶ為のものではないと思うんです。 死んで肉体の機能が停止すれば、感覚器官(眼や耳、肌など)も停止し、仮に死後が存在するにしても、想像を絶する世界を見て、感じるはずです。軽々と「死後の世界」なんて言えるはずが無いです。 生物の脳も身体も、ひたすら生きる為に作られています。死ぬためにつくられてる訳じゃないです。だからこの脳、この身体で死について考えること自体ナンセンスで、飛ぶ為に作られていない私の手で、鳥のように空を飛ぼうとするようなものです。 お釈迦さまが死後を無記とした真意は… 私は、死後が浄土であれ輪廻であれ、あるいは本当に恐ろしい事ですが正真正銘の「無」であっても、仏教の救いに変わりはないと言う事ではないかと考えます。 人は死なないです。死の間際でも、風邪をひいたように、一晩明ければケロリと治ってると心の奥底では信じて最後の日まで生き続けるのではないでしょうか。 母は死の間際まで死を考えませんでした。少なくとも、口には全く出しませんでした。何かを悟っていたのか、一片の悟りもなく生にしがみついていたのか今では分かりません。 ただ、母の姿を思うと私も生の続く限り全力で生きたいと思うばかりです。 「生きてる時は死んでいない、死んだら生は無い、だから死は存在しない。死を恐れず、生を全うせよ」と言ったギリシアの哲人に、私は賛成です。 こーゆー考えもまた、妄想でしょうか? 「これだけ問答を重ねて、君はまだ何も分かってない」とお叱りは覚悟の上です。 日々、人の死と向き合っているお坊様方の実感を聞かせて頂ければ嬉しいです。

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