慈悲とは人に強いるものですか?
数ヵ月も前の出来事なのですが、あれからずっと心に引っかかっていたので、僭越ながら質問させてください。
仕事で疲れ、一刻も早く休みたいと考えていました。明日は友人と久々に約束があったこともあり、余計に休みたいと思っていました。
自室で一息ついていると、私の父に会いに来た近所の子が、私に会いたいと呼びました。
私は一度顔を見せれば良かったのですが、その時は疲労から、感情的な、あまり余所の子供の前に出せないような気分だったので、無言でやり過ごそうとしてしまいました。
するとそれを父が怒り、私を咎めました。
「お前は子供の言うこと一つ聞かないで自分の部屋に閉じ籠るなんて!"慈悲"がない酷い奴だ。」と。
父は熱心な仏教徒なので、私は本当にいけないことをしてしまったと感じると共に、疲れているのだから本当に、本当に勘弁してほしいと泣きながら言い返してしまいました。
私は自分の家でもある空間に、他人が来て私物を弄られることに慣れていません。残念ながら好みもしません。
田舎は子供を近所の人達で育てることなど普通なのだから、慣れていなくてもそれが当たり前なのだと返されました。
その後は大喧嘩でした。
今は落ち着いていますが、なぜかあの時に言われた"慈悲"という言葉が気になっています。
慈悲とは何でしょうか。
人に強いるものなのでしょうか?
人は形振り構わずに慈悲に答えなければいけないのでしょうか?
また感情的になってしまったので、もしかしたら文章が乱れているかもしれません。
読みにくかったらすみません。
良ければ回答をよろしくお願いいたします。
有り難し 7
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