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「仏教」を含む問答(Q&A)一覧

2023/08/03

天部の神様と死について

こんにちは。表題の件について質問させて下さい。 忌中には、天部の神様を祀ってあるお寺に参ってはいけないという話を聞きました。 理由は「死は穢れで、特に聖天さんなんかは穢れを嫌うから」「天部の神様は人間に近いから、死を思い出させることで荒れ狂ってしまうから」「本当は神様はそんなこと気にしないんだけど、あなたが悲しいときに無理してお参りしなくていいよ、という意味だ」など、お坊さんによって様々なようです。 私も最近祖母を亡くしました。 祖母とは生前不仲でしたが、遺体を見ていると「生まれて生きて死ぬとは本当に大仕事で、この人はそれをやってのけたんだな。お疲れ様」と素直に見送る気持ちになれました。 死ぬのは怖いけど、それは死に際しての苦痛への恐怖が主であって、死自体はどんな生き物にも訪れるものですし、決して穢れではないと思うのです。 肉体が腐ることだって、微生物に分解され、本来なら動物や植物の糧になり、土に還るという尊い過程です。 何なら生きることより尊いと思うし、衛生管理のため仕方ないとはいえ、死んでまで化石燃料バンバン使って骨にして何の役にも立たない壺に収めて保管して、アホらし、とすら思いました。 そう考えると、「死は穢れだから」とか「天部の神様が死を恐れるから」という理由は、個人的にはあまりしっくり来ません。 人によって死への解釈や意見は違うものでしょうが、実際のところ、天部の神様にとって人間の死とはどういう扱いなのでしょうか? どうして忌中に参ってはいけないのでしょう? 現役のお坊さんの意見をお聞きしたいです。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 3
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2023/07/28

経典、宗派、教えから名付け

9月末に第二子を嫁が出産予定で長男の時は追々は一人娘の嫁の家系を継いで貰う為に嫁の家系の遠い先祖から一字を頂いて名付けしました。 第二子は私の家にちなんだ名付けをしたいと思い名付けを考えていたのですが 自分の家の家系図は祖父までしか追えず近くから名付けは代々受け継いでいるのと違い縁起が悪いと本やサイトで前に知っていたので嫌だという気持ちで 家系からの名前ではなくな私自身、色々な宗教の中から仏教を信じているので仏教の経典、教えや宗派を問わず宗祖、高僧の言葉から良い字を頂きたいと思い 自分の菩提寺が浄土宗なのでまずは浄土三部経の現代語訳を読み名付けを考え読み終えて良い言葉、字などありましたが素人が経典の真の意味や伝えたい事が飲み込めているかも不安ですし。 一応は菩提寺の浄土宗を信じていますが宗派問わず仏教全体を信じているので 名付けでも引き続き、法華経、大日経、金剛頂経などの現代語訳を読んで良い言葉や字、教え、本で宗祖のことばを調べ続けていきたいのですが 私自身、仏教系大学の知り合いがいなく菩提寺の住職が他県の住職になってしまいその息子さんが住職をしているので関係が薄く聞きに行きづらく それとここで宗派を問わず経典で一番大切にしている言葉や字、 大学や先代住職、師からの教えでその宗派で大切にしている仏の言葉、教典の言葉を色々とご教授頂けたらと思い質問をさせて頂きました。 お坊さんも十人十色などで同じ宗派でも違う言葉、教えを大切に思っていると思いますので色々と教えて頂きたいです。 宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 18
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2023/07/08

日蓮宗にとって阿弥陀如来とは?

初めての質問失礼します。 これまで神様も仏様も特に信じず生きてきましたが、この世で1番の味方であり大好きだった祖母が亡くなった事をキッカケに、日蓮宗に心惹かれるようになりました。 というのも、祖母が日蓮宗の信徒だったということを亡くなってから知ったのです。 子供の頃、祖母の家に遊びに行くと、祖母はよくお線香を上げてお仏壇に手を合わせていました。けれど、それがどのような意味をもっているのか、どこの宗派なのかを今まで知らなかったのです。 祖母が亡くなってからというもの、心にぽっかりあいた穴が日毎に大きく深くなっていくようで、毎日泣きながら祖母を想い、日蓮宗について調べるようになりました。 すると、どうしてなのか、行ったことのないお寺の写真に強く心を惹かれ、日蓮宗のYouTubeでお坊さんが日蓮大聖人の生涯をお話してくださる動画があるのですが、それを初めて聞いた時涙が溢れて止まらなくなったのです。 日蓮宗の教えは間違いなく私を救ってくださいました。 その感謝の気持ちをお伝えすべく、9月に身延山久遠寺へ2日間のお参りとお勤め体験に行く予定です。 さてここからが本題なのですが、今月末に背中にタトゥーを入れます。 祖母の誕生花と自分の誕生花、それと生まれ年である梵字を組み合わせたデザインです。 ただその梵字がキリークで、阿弥陀如来を表すものだと最近知りました。 まだ勉強中なのですが、日蓮宗は阿弥陀如来をご本尊として祀ってはいませんよね。別の宗派のご本尊だったはずです。 そうなると、これから先の人生で、日蓮宗の信徒として生きていく私の背中に 阿弥陀如来の梵字が掘られているのはおかしいでしょうか? 大々的に背中を見せて歩くわけではありませんが、日蓮宗の教えとして、阿弥陀如来はどのような立ち位置にあるのか分からないのです。 もしどこかの教えの中で、日蓮大聖人が阿弥陀如来を否定なさっているとしたら 私は背中に阿弥陀如来の梵字を背負う訳にはいきません。 どうしたらいいか教えていただけないでしょうか。 ちなみに、タトゥーを入れるのは決定しています。 祖母が亡くなった日に思いついた事で、痛みを伴う記録を肌に残すことで、祖母から貰った愛を忘れず、背負って生きていくと決めたので。 梵字のキリークを選んだのは、戌年の文字だからなのですが、日蓮宗の方からみてどうでしょうか?

有り難し有り難し 12
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2023/06/21

ダンマパダを学びたい!

 いつもお世話になっております。  私は、教会に通っております。他宗教の教えも勉強して みたくなった、また、正しい知識を身に着けて、カルト 宗教から自分や身近な人を守りたいと思ったからです。  教会に生きていらっしゃる皆様は、素敵な方ばかり です。私が見てきた、お寺に集う人たちとは大違い。 比べるのも失礼かと思うほどです。  牧師さんも大変博識で、聖書の内容を、いかに実生活に 活かせるか考えてお説教をされているご様子です。  私も、しっかり、自分の宗教の教えを勉強しようと思い ました。他宗教者の姿勢を見て襟を正したくなるなど、 皮肉なものですね。  ちょうど、自宅の本棚から、中村元先生の、 「真理のことば・感興のことば」という本が出てきました。  パラパラと読んでみると、素敵な事がたくさん書いて あります。仏教版聖書のようです。  そこで、私は、ダンマパダを勉強したい、身に着けたいと 思いました。  しかし、教会のように毎週お説教を開いているお寺は、 貴重です。開いていたとしても、他の宗派をけなしたり、 宗派の本尊以外の仏様を馬鹿にしたり、神秘主義に 走って、免罪符売りのようなことをしていたり… 信者も驕りに凝り固まっている人が多い印象です。  また、歴史上の偉人の名言などを、悪い言葉で言えば パクって話をしていて、教会のようにお経の解説をし、 お経の考えを実生活に生かすよう促しているようなお寺は、 皆無といった印象です。  ダンマパダは、とりあえず、「一組ずつ」、「汚れ」、 「怒り」、「はげみ」、「悪」、「心」から手を付ける つもりです。  しかし、一節一節の意味をこちらでお尋ねするのは、 こちらのシステム上、なんとなくはばかられます。 1週間も待てません。もどかしくて。  魔境状態に陥らずダンマパダを解釈するには、どうすれば よろしいでしょうか?  ご高見を賜りたく存じます。

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2023/06/16

般若心経(2)

 「舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減」   これが第二のキーフレーズです。  「諸法」について花山勝友先生は「この世の中のあらゆる存在や現象」と解釈されていますので「宇宙」と解釈するのが正しいと思います。  横道にそれますが、「空相」は「空の姿」ですから、それに対比する「実の姿」があっての「空相」です。  従って本来はその前に「是諸法実相 生滅 垢浄 増減」(諸行無常)があるべきです。  「如是我聞」は釈尊が弟子(比丘)に説教するのが大部分ですから、常識的な会話は無に近いです。だから重要な「輪廻転生」の話はほぼ皆無です。  ここでも「諸法実相」が省略されたのでしょう。  では「諸法空相」に戻って、ちっぽけな「色」(身体)の説明になぜ宇宙を持ち出さなければならないのか不思議です。ここがキーポイントです。  「空の姿」の宇宙は自然界で唯一「閉じた系」です。  「閉じた系」の有用性は、皆様も中学、高校時代に物理で教わったように、「エネルギー保存の法則」です。  同じ空相でも「閉じた系」でなければ、「不増不減」(一定量)とはなりません。だから「色空相」として説明できないから宇宙を持ち出したのです。 これで「空(空性)」が「エネルギー」であることが確定したのです。    「是故空中、無色、無受想行識 無眼耳鼻舌身意無色声香味触法 無眼界  乃至 無意識界、無無明 亦無無明尽 乃至、無老死、亦無老死尽、 無苦集滅道、 無智亦無得、以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃」  「是故空中」とあるので、諸法空相を受けて、宇宙全体をエネルギーと見做せば、総てが無になることを説明したに過ぎません。  以上が「色即是空 空即是色」に関する説明です。  明治時代以前迄は、釈尊が悟りを開いたとき「これは非常に高尚で誰も理解できないだろうと」と布教を諦め、「この喜びのうちに生涯を終えたい」と神通力を駆使して自殺をし、彼岸に渡って「梵天勧請」事件を経て、再び生き返り諸転法輪を回したほど、難解な内容でしたが、現代では教科書で学ぶほど、「般若心経」は科学的常識となったのです。

有り難し有り難し 4
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