2023/01/07運動に執着していいか
釈尊は自己の体は虚しいものだし生老病死は必ず来るものですし執着する価値がないといってるように解釈しております。
また私は今1日8時間程度用事を作ったりして意識的に体を動かすなどをしています。
釈尊がいっているように執着で運動したところでいつかは病気になるんだし無意味だとしても出来るだけ医学が推奨するように執着的な健康な行動(ウォーキングや食事、プログラム的に体を動かす)などをしていったほうが単純に得ではないでしょうか。
お坊様方のような清い心を持っていれば運動も食事も自然に健康的になるとおもいますが、今!人格的に未熟で運動ができないため、執着的な運動をしてでも奇病や早期的病気や腰痛足痛などを予防することを釈尊は実際どう仰っていますでしょうか。
人格が未熟で運動できないのが原因で病気になったとしても気にとめないということでしょうか。
ブッダの言葉(どこかの記事でブッダの言葉で体を動かすことにかまけないことと見たことがあります。)や一部動画ででてるような説法を聞いてもいまいち理解できていない状況です。
そもそもの私の解釈の違いなどがあればぜひともお教え頂ければと思います。よろしくお願い致します。
有り難し 7
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