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「仏教」を含む問答(Q&A)一覧

懐中仏の開眼について(お寺様とのご縁と義理)

たびたび神経質で奇妙な質問、申し訳ありません。 仏様と身近になりたくて、「懐中仏」をいただきました。 (また旅行先等での勤行を行なうため) お不動様と三面大黒天様です。 こちらにも開眼をしたいと思っております。 自宅の祭壇にお祀りしているお不動様は同じ町にあるお寺で開眼していただいたので、同じお寺にお願いしようと思っております。 ところが祭壇の大黒様は、(開眼済みの仏像を通販でいただいたため)非常に遠方のお寺で開眼をしていただきました。 お不動様をお願いしたお寺様では「うちでも大黒様の開眼はできます」と言っていただいているのですが、お願いしてしまっても良いのでしょうか? (ややこしいことに宗派も違います) それともやはり、祭壇にお祀りしている本命の大黒様を開眼していただいた遠方のお寺に、多少無理をしてでも行って、こちらで開眼すべきなのでしょうか? とある人の忠告では、「お寺とのご縁があるので、同じ仏様でも何から何まで同じに考えてはいけない。またお寺との義理もあるでしょう」とのことでした。 こうした場合、どうすべきでしょうか。 アドバイスいただけましたら幸いです。

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20年越し。執念ありすぎな宗教の勧誘が怖いです。

20年ぶりに勧誘されたことに動揺しています。 20年前に宗教に勧誘されました。 お札を置いて、毎日朝夕にお水を替えてあげて拝めば、 夫婦両家のご先祖様の供養が出来る。というもの。 確か、月に2000円程度の会費?みたいなものがありました。 先祖のお墓が遠方にあり、仏壇なども特にない私は、 家でご先祖や祖父母の供養ができるのならと受入れて拝んでいたのですが、 数日後、私にお札を進めた方が知らない人をつれて来訪し、 内容としては、私にも入信者?を増やせというもの。 そうするとご先祖の供養となり、負の因縁みたいなものが消えていくが、 そうしないと、子孫に代々その負の因縁が降りかかり不幸になると。 例としては、子供が病気になるだとか、非行に走るだとか。 私はそういう勧誘のしかたがあまり好きではなく、 その宗教?みたいなものにも魅力を全く感じなくなってしまい、 お札を返したいと伝えたのですが、聞き入れてはもらえず、  来訪しては数時間帰ってくれないという事が何度もありました。 強引に説得されるので、半ば喧嘩のようになりながらも、 どうしても諦めてもらえなかったので、 本部を探して電話にて問合せましたところ、 「会費を入金しなければ自動的に脱退になる」との事だったので、そのようにさせて頂き、 来訪されていた方々は以後、家に入れないという事で対処しました。 その後、何度か忘れた頃に来訪される事はあったのですが、 玄関先で断っていました。 それから20年が経って、突然その方たちが再度訪問をされました。 入信する気は全くありません。 が、20年も経って何故? という気持ちが沸いてきて、ざわつく気持ちに困っています。 何故私を思い出したのだろう。 嫌な予感でもしたのだろうか。 などです。 以前、私にとって一大事があった直後に来た事があり、「ほらね、そんな気がしたのよ」と言われました。 (言わなきゃいいのに誘導尋問に乗って教えました。当時は別に偶然でしょうと思っていましたが。) 今回の来訪では 「あなたの不幸を予言しました!」なんて事は言われていません。 勝手に不安な気持ちになってしまいます。 気持ちが悪いのです。 私はこの出来事をどう受け止め考えたらよいのでしょうか。 気持ちを強く持てる考え方はありませんでしょうか。 長くなりましたがよろしくお願いします。

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長期旅行等で勤行を休まざるを得ない時はどうすべきでしょう

たびたび神経質な質問をして申し訳ありません。 阿弥陀様、お不動様、三面大黒天様をお祀りしています。 勤行は原則、毎日行なうものと聞き、その通り実践しております。 しかし出張や里帰り、旅行等で家を数日あけざるを得ないことがあります。 あるいは病気になるかもしれません。 仏様は怒ったりはしない。 しかし天部の神様は、怒ったりはしないが、失礼にあたる。 と聞きました。 ある人(在家)は、理由をお話しして旅行に出れば、まったく問題ないと言います。 また別の人(’在家)からは、あらかじめ勤行を休むことが分っている場合、「拝み溜め」をした方が良いと聞きました。つまり2日休む時は、前の日に休むぶんを合わせ3回勤行するべきなそうです。そしてこれは外出前に前もって行うのが原則と聞きました。 可能な限り、私は「拝み溜め」をしています。 ただ「拝み溜め」の場合、1日2日の短期旅行の場合は良いのですが、1週間以上の長期旅行となると、少々大変です。 また急な出張等で時間が無い場合もあり得ます。 こうした場合、どうすべきなのでしょうか? よろしくお願い致します。

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仏様っている?

以前、何度か質問させていただきました。 私は信仰心が強く、仏様を信じています。 でも、祈って病気が治るならみんな死なない と言うようなご回答をいただきました。 ごもっともだと思い、見返りを求めていた 自分を反省しました!そして私は心配性です。 別の質問をしたとき、仏様を信じているから このままではいけないと、仏様がハスノハへ 導いてくださったのです。とご回答を いただきました。携帯を変えたので質問が 残っているかは確認してません。 このハスノハでたくさんのことを勉強 させていただきましたが、結局物事は なるようにしてなり、起こるべくして起こり、 現実をどう受け止めるか。なのかなと。 仏様を信仰しているのはただ人が仏様を 信仰することでいいことをした気分になり 救われるような気がするからで、 その後いいことや悪いことが怒っても 仏様の力でもなんでもなく、ただ起こるべく して起こっただけなのかなと思うようになりました。私は祖母に小さい時から仏様に 手を合わせなさい、朝起きたら朝日に向かって 手を合わせ世の中の人の平和を祈りなさい、 そうすると心が穏やかになるんよと 言われて、できるときはそうしてきました。 小学生でひいおばあちゃんが亡くなり、 ショックで落ち込んでいると般若心経を 覚えなさいと言われ、毎日写経しました。 何年か経ち、私が祖母の部屋でなんとなく 写経していると、もう1人のひいおばあちゃんが 亡くなったと連絡がきました。 私が写経している間に眠るように亡くなった そうで、祖母が、ひ孫のお経で逝ったんやね と言っていました。他にも亡くなった人や 仏様との結びつきを強く感じることが 小さいころからたくさんありました。 その度に私は感謝し、手を合わせました。 つらいことが怒っても仏様なんかいない! とは思ったことはなく、どう乗り越えるか 私が強くなるための試練を与えて下さってる と信じて超えてきました。 でもハスノハで仏教のことを いろいろ教えていただきましたが、 現実を見せられた気持ちになりました。 仏様なんか!とかではありません。 私が信じてきた仏様はいないのですか? 人が勝手に仏様と結びつけているだけで。 そう思うと、手を合わせる意味がわからなくなってしまいました。仏様なんか!とかそうではなく、純粋に混乱しています笑 複数ご回答いただけると嬉しいです!

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阿弥陀様以外の仏様を拝むと極楽往生できなくなるのでしょうか?

私は浄土宗の檀家です。 お仏壇も阿弥陀様を主役におまつりし、毎日「阿弥陀経」を読誦し、発願文を読み、お念仏を100回唱えております。 しかしお不動様と大黒様も大好きで、阿弥陀様とは別に個人的な持念仏として、毎日勤行しております。 浄土宗のお寺にもお不動様をお祀りしている寺院もあること、個人的に尊敬している祐天上人がお不動さんと縁のある方であったこと。 またお不動さんを開眼してくださった密教系のお寺でも「阿弥陀様と共に信仰しても構わない」とアドバイスをいただいたことから、問題無いと考えていたのですが・・・ しかし法然上人のご著書を読んだところ、専修念仏では雑修(お念仏以外の仏道修行)は行わない方が良いと書かれていました。 阿弥陀様以外の仏様に浮気をする雑修は、往生の妨げになると。 (真宗では特に厳しく、阿弥陀様以外の仏様は、原則祀らないと聞いております) しかし家の菩提寺の浄土宗のお寺では、お地蔵様や聖観音様、馬頭明王様も祀られています。 (菩提寺とは遠方に住んでおり、ご住職とはほとんどお話しできません) 浄土宗は、本当のところ、雑修をどう考えておられるのでしょうか? ご意見をいただけましたら、幸いです。

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越三摩耶戒罪(おつさんまやざい)が気になります

密教をご存知のお坊様に、質問をさせてください。 3つ質問があります。 「越三摩耶戒罪(おつさんまやざい)」が非常に気になっております。 密教には、在家の人間がやってはいけないことがあると聞きました。 在家の人間が、阿闍梨の許可なく、勝手に真言を唱えたり、伝授なしに梵字を書いたり手印を結んだりするのはいけないと聞きました。 これを破ると越三摩耶戒罪、越法罪という宗教上の罪になる。 何の功徳も、ご利益もなく、徒労に終わる。 「大叫喚地獄に落ちる」とか「無間地獄に堕ちて出ることができなくなる」という恐ろしげな記述もありました。 1つ目の質問です。 何人かの先輩の信徒(在家)から色々と聞いて、自分なりに考えをまとめました。 ・真言なら唱えても良いし、功徳もご利益もある。 ・手印を結んだり、梵字を書くのはやめたほうが良い。 ・阿字観はお坊さんの指導のもとやること。独学は駄目。 ・本格的な祈祷の真似事をやるのは絶対に駄目。 ・「地獄に堕ちる」は、師僧の指導に従わない・修行のルールを守らない修行僧を戒める方便。でも原則として守らなければならない。 これでよろしいのでしょうか?  2つ目の質問なのですが。 私は信仰を持つ前から、仏教に強い興味がありました。 多くの本を集めて読んでいたのですが、愚かな素人の悲しさ、当時は越三摩耶戒罪のことは知らず、手印や梵字の書き方の本、さらに儀軌や口訣書を含めた専門書もかなりの数、蔵書として所有しております。 また密教美術にも惹かれ、曼荼羅の色紙も購入してしまいました。 しかし阿闍梨の許可なく、曼荼羅を建立したり、儀軌や口訣書などの専門書を読むのも越三摩耶罪に当たると聞きました。 ・小さな仏壇の上に、両界曼荼羅の色紙を額に入れて飾っているのですが、これを気にするのはやはり神経質すぎるでしょうか? ・密教の専門書を読むことを気にするのも、神経質すぎるでしょうか? 3つ目の最後の質問なのですが、先輩の信徒(在家)から、 ・「そもそも貴方は結縁灌頂を受けておらず、正式に三摩耶戒を授かっていないので、越三摩耶罪は成立しない。だから気にする必要はない。しかし灌頂を受けると越三摩耶罪が成立してしまうので、注意しなさい」と聞きました。 この解釈は正しいのでしょうか? 長文かつ生意気な質問で、申し訳ありませんが、ご意見を伺えましたら幸いです。

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お墓にご先祖様はいるんですか?

こんにちは。いつも楽しく・癒されながら拝読しています。 先日、お彼岸という事で、久しぶりに祖父と祖母のお骨があるお墓にお墓参りに行ってきました。 祖父母のことは大好きで、亡くなって7年くらいたつ今でも家族団欒の席で祖父母の話が持ち上がります。 仕事が忙しくてなかなかお墓参りに行く機会は作れないのですが、お墓の前で手を合わせれば、「おじいちゃん、おばあちゃん、家ではこんなことがあったんだよ」とか、たまには「お母さんがお父さんの所為で滅茶苦茶ふてくされているのでどうにかしてください」とか願ってみたりします。なかなか無茶ぶりをしているかなと自分で思ったりもします(笑) さて、そんなお墓参りですが、このサイトや他のサイトを見ていて、ふと疑問が浮かびました。 宗派によっても異なるのかもしれませんが、亡くなってすぐ、(少なくとも祖父母の場合の7年より前には)ご先祖様は生まれ変わってしまって、もう元々の家族のことは忘れて違う人生を歩んでいるものだという考え方があるのを知りました。 それでは、お墓にいって何かを報告しても、報告しているつもりの相手はそこにいないのでは?と思うのですが、当然一方通行なのでしょうか? それに、私はお盆やお彼岸の機会でもお墓にお参りに行けない時は、せめて仏壇に手を合わせるのですが、その場合仏さまは仏壇とお墓を生きている人が手を合わせる都合に合わせて瞬間移動しなくてはならないのでは…!? 是非その仕組みがどうなっているか教えてください!

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