今日市川一家殺害の犯人に死刑執行が行われたという報道がありました。 私は今年で二十歳になるのですが、恥ずかしながら市川一家殺害事件のことを何も知らなかったので詳しく調べてみました。 関連して過去に日本で起きた様々な凶悪事件の記事(女子高生コンクリート詰め殺人事件など)も見ました。 そして考えられないような凄惨な行為が行われ、むごたらしい殺され方をしたことを知りました。 さらに女子高生コンクリート詰め殺害事件に関しては犯人たちは出所し、再犯まで犯しているそうです。 このことから私はこの世に「自業自得なんてない」「神も仏もない(嘘?)」という考えに至りました。 「神も仏もない」ということに関しては こちらのサイトに似たような質問がされているページ↓に行き着き閲覧しました。 https://hasunoha.jp/questions/6483 回答の中で 「助かるチャンスはどこかにあった」、「善行を積み自分の身は自分で守りなさい」といった言葉がありました。 なるほどと納得する反面、「では被害者たちは防げたか?生きるチャンスすらなかったんじゃないか」と疑問を持ってしまい、さらに悩みが深まってしまいました。 そこで質問なのですが、「神や仏などの存在は本当にあるのか」また「自業自得(勧善懲悪?)」 についてお考えをお聞かせ頂けたら幸いです。
六斎日に八斎戒を守る、というのを実践してみたいのですが、六斎日が正確にいつなのか、わかりません。 ある人は8日、14日、15日、23日、29日、30日だと言っていて、別の人は新月・満月・上弦・下弦の月の日なので、毎月変わると言っていました。どちらが正しいのでしょうか? また、正午以降の断食ですが、それは深夜まででしょうか、それとも次の日の日の出までですか?固形物を口にしない、ということですが、具なしの味噌汁、牛乳、栄養ドリンク、ウィダーゼリー、お粥などはセーフですか? ご回答お待ちしております。 ちなみに、私の宗派は真言宗です。
私は仏教徒ではないかなと思い始めて、でも宗派はわかりません。 私は酉年の生まれで不動明王が私の化身ではないかと思えるほど厚く信仰したい対象です。 身近なお経は般若心経。小3から絵心経を持って、ときどき唱えてます。 そして、大学の先生から「宗教戦争を起こしてないのは仏教だけ」と聞いたので、世界平和を祈る私にとって一番ベターな宗教ではないかと思うのですが、どの宗派が合うのでしょうか、教えていただければ幸いです。
日本では誰かが亡くなってしまうとお葬式が行われますよね?お葬式をすると仏様の弟子になるんですよね?仏様の弟子は地獄に落ちないのにどうして日本人は大体の人が地獄に落ちると言われているのですか?まず地獄に落ちる人はいないのでは?
実家の宗派と違う宗派を信仰することは可能なのでしょうか? 仏教に興味を持ちいろいろ勉強していく中で、家の宗派とは違う宗派の教えに惹かれ共感するようになりました。家族の中で自分だけが別の宗派になることは許されるのでしょうか? その場合は、自分だけ別のお墓に入るのでしょうか? あと、檀家寺の許可などは必要ですか? よろしくお願いいたします。
僕は、この世で悪いことをしたら、この世で罰されるのに、なぜあの世でも罰されるのですか?
ここで、アドバイスを頂き、自分でもネットで仏教の講座を調べたのですが、ひとつ近くで開催されていると、参加しようと思ったところ、別の視点で検索してみたら、どうも、そこはカルト教団ではとの書き込みもあり。 ネット等よりは、お寺に直接、お電話して聞いた方がいいでしょうか。 また、カルト教団と、純粋なというのでしょうか、 見分け方は、どうしたらいいでしょうか。
西洋的な思想には、サタン、悪魔がありますが、 仏教には、そういう存在はいないのでしょうか? いない場合はなぜいないのかの考察もいただけると有難いです。
僕はどんな人が地獄に行くかを知りたいです。それを知り、悪いことをせずに僕は天国へ行きたいです。 南無阿弥陀仏ととなえると天国へいけますか?邪淫、盗み、殺生をすると衆合地獄に落ちるとネットに書いてあり、僕はこの全ての罪を犯してしまいましたとても怖いです助けてください(´;ω;`)僕はこのことについて後悔しました
キリスト教であれば、プロテスタント、カトリック、どの宗派にしても教会に行くと毎週、聖書講座はあり、また信者、洗礼を受けていない私には分かりにくいですが、ミサや礼拝に参加し、教えて貰うことはできます。 仏教を学びたい場合は、どのように門戸を開いたらいいのでしょうか。
いただいた野菜を部屋で放置してしまったところ、アブラムシのような小さな虫がたくさん発生して部屋中にいます。 掃除機ですってもいいものか、どうすれば分からずにいます。 殺したくないけど、一匹ずつ潰さないようにつかまえるのもとても時間もかかりそいです。 野菜とその袋についた虫は、ゴミ袋にいれてしまいました。 よろしくおねがいします。
悩み相談というより、学問的な質問になってしまいますが、ふと気になったのでお坊さんにお聞きしたいなと思いました。 深刻なお悩みをお持ちの方が他にたくさんいらっしゃると思いますので、この質問には息抜きのような気持ちで教えていただければと思います。 ーーー タイトルの通り、付喪神は六道のうちどれにあてはまるのだろうと疑問に思いました。 そもそも仏教と神道(?)のようなタイプの違う思想を混ぜてしまっているので、おかしな質問かもしれません... 付喪神という100年たって魂が宿るようなものは、衆生に入るのか。 そもそも輪廻もなにもないので、六道から外れているものなのか。 お坊さんはどう思っていらっしゃるのか、教えていただければなと思います。
題名そのままです。お釈迦さまのお母様、マーヤー夫人は仏様ですか?マーヤー夫人に祈っても大丈夫ですか?
南無阿弥陀仏は全て唱えないと阿弥陀仏様は迎えに来てくれませんか?それとも南無阿弥陀仏と唱えるだけでいいのでしょうか?
僕は死後天国へ行きたいと思っています。天国に行くにはどうすればいいですか?逆に地獄に落ちないためにはどうすればいいですか?あとお葬式をしないと地獄に落ちてしまうのですか?
僕は仏様のような優しくて広い心になりたいです。それにはどのようなことをすれば良いでしょうか?それをしていれば天国へ行けますか?
自慰をすると地獄に落ちると言いますが、自慰とは何ですか?自慰をすると地獄に落ちるのですか?そもそも地獄はあるのですか?
はじまして。 仏教思想にある『過去を考えるな』という思想から見ると、歴史学の『過去を分析して、未来の不安を取り除く』という思想は、やはり仏教としては受け入れ難い物になるのでしょうか? 仏教思想として、過去を考える事は一切許されない事になるのか気になります。
みなさんは地獄はあると思いますか?
死後の世界については生まれ変わるとか、天国に行くとか地獄に落ちるとか、さまざまな考え方がありますが、私は死んだ後の世界は死ぬまで分からないので、その時に考えようと思っていました。 ですが、今年に入って長年共に過ごしてきた愛猫を亡くし、その子に天国から見守っていてほしい、自分が逝った時は天国で待っていて欲しい、迎えに来て欲しいと思うようになりました。とても自分勝手な理由ではありますが、天国(亡くなった生き物が行く世界)が存在していて欲しいと今は思っています。 数日前に縁あってこちらのサイトに辿り着き、死後についてのさまざまな質問・回答を興味深く読ませていただきました。 私なりの解釈ですが、仏教で言う天国とは極楽浄土のことだと認識しております。 極楽浄土へ行きたいと願い、念仏を唱える事で、阿弥陀様が極楽浄土へ往生させてくださる。そこで成仏するための修行を行う。 成仏するとは、「煩悩を手放して真理を悟り、仏になる事」という認識でよいでしょうか。 それでは、仏になった後は?という疑問が生まれました。 極楽浄土から、娑婆世界を生きる自分の家族や親しい者を見守るのでしょうか。それとも先に成仏した親しい者たちと、共に極楽浄土で穏やかに過ごすのでしょうか。自分より後に極楽浄土へ来た者たちが成仏するお手伝いをするのでしょうか。 極楽浄土で永遠に過ごすのではなく、娑婆世界を生きる者を救うため、気付きを与えるために、姿を変えてまた娑婆世界に生まれるのでしょうか。 私は極楽浄土で穏やかに愛猫と過ごしたいと願いますが、それも執着、煩悩になりますよね。この煩悩は生きている間は手放せそうにないのですが、極楽浄土で修業し成仏できたら、また愛猫との関係も変わってくるのかもしれません。 成仏したその後の事までは考えず、阿弥陀様におまかせすれば良いようにしてくださるのかもしれませんが、ふと疑問に思ったので質問させていただきました。 過去の質問から、「お釈迦様は死後の世界については、説かれなかった」という回答もありましたので、確かな答えはないと思いますが、どのような解釈をされているか、教えていただけると幸いです。