いつもありがとうございます。 お坊様の皆様にはいつも心強いお言葉をかけていただき勇気づけられています。 今回は子供の病気についてです。 私は目が悪く眼病の気があります。また発症していませんがじきに緑内障が発生すること。網膜が破れそうなほど薄い事なので、医者から注意を受けています。 それが理由で前職は眼鏡屋をしていました。それなりに眼についての知識はあるつもりです。 本題ですが、私には7歳の、子供がいるのですが、その子に強めの近視が出てしまいました。 まだ7歳なのに、小学校中学年ほどの同数です。 コロナ渦で家に籠りっぱなしだったせいか、たった数カ月で、驚くほど数値が上がってしまいました。 病院ではレンズをかければ視力が出るので病気ではないと言われましたが、酷く落ち込んでしまっています。 近視が強くなると失明のリスクが上がります。私でさえメガネをかけたのは10歳だったのに、7歳でメガネになってしまって。 これから成長期で度が上がると思うと、とても将来私以上に眼病にかかかりやすくなるので、不安になってしまいます。 先生からは遺伝要素があるのである程度は仕方のないといわれましたが、コロナで一日中家にいたのが子供の目を悪くした可能性もあるんじゃないかと思っています。 視力が遺伝することが、わかっていたのにコロナで子供の目の健康を気にかけてあげられなかったこと。 これから、この子はいずれ眼病で失明してしまうんじゃないかと思うと悲しくて怖くてたまらなくなります。 目を悪くさせたくない。私と同じように眼病にびくついてほしくない。 なのに、こんな結果が出てしまって、子供に申し訳ないのです。 もしかして、もっと見えてるんじゃないのか。 希望が捨てきれず、小児眼科に行きセカンドオピニオンを受けるつもりでいます。 小児近視治療も受けるつもりです。 コロナ渦の生活を改め、外に行き、テレビを減らし、運動量を増やすつもりです。 それでも、でも近視の進行がとまらなくて、私以上に目が悪くなってしまったとしたら。 そう思うと怖くてたまらなくなってしまいます。 子供にテレビを見ないで、本を離してみ見て。外で遊んで。 色々言ってしまい子供を萎縮させてしまいそうです。 まとまらない文章ですみません。ご助言をお願いします。
以前、超高齢の両親の面倒と、夫の癌のことでお世話になりました。 あれから、夫は闘病を頑張っておりましたが、続けていた抗がん剤が効かなくなって癌が大きくなり、今回は、3日間4種類の抗がん剤を点滴し続けるという強い治療を受けました。 わずかでも希望があるならと、本人も家族も力を合わせて頑張ってまいりましたが、今回の治療は心身に厳しく、昨晩夫と二人で話し合って、この治療をやめることを決心いたしました。 もう骨と皮に痩せているのですが、抗がん剤が追い打ちをかけ、抗がん剤のメリットをデメリットが上回っていると判断しました。 ほとんど食べられず、歩くことさえ困難になっています。ここまで心身を苦しめる意味を見出せません。 この治療を受ける前は、一緒に散歩したりもできました。単なる延命でなく、なるべく生活の質を落とさずにやっていくことを二人とも希望しておりました。 先生にお話しして、別の道を選択し、最後まで、在宅医療と在宅介護でやりたいことも相談いたします。 これは諦めではなく、新しい選択で新しい道を精一杯歩いていくつもりです。 しかし、しっかりと死を見つめ、覚悟しながらやっていくことは、とてつもなく辛いです。涙が止まりません。 どうか、この覚悟を少しでも支えていただけるようなお言葉をお願いできますでしょうか。 いつも本当にありがとうございます。
私は心疾患の他に持病がいくつかあります。医療のサポートで生かされていますが、歳を重ね年々体が辛くなってきました。 特に今年のコロナ禍のストレスと猛暑は、体に大きなダメージを与え、寝込む日が多くなりました。 調子の悪い日は、音や光や全ての刺激が苦痛で、薄暗い部屋でじっと耐えるしかありません。 そんな時、私はどのように弱り,どのように死んでゆくのだろうと考えてしまいます。悲しくて怖くなります。 長生きしたいとは思いませんが、せめて死ぬ前に一日でいいから、何でも出来る元気な時間が欲しいと願ったりします。 体力の衰えに耐えながら人生の終盤を生きていくことは、修行のように思えてなりません。 残された人生を、少しでも心穏やかに過ごせるよう教えてください。
前にも一度母の事で相談させて頂きました。末期癌で余命がほとんど無いと宣告され、母の希望で在宅ケアにして1週間経とうとしてます。在宅の医者にも看護士にも今月もっていい方で、とか言われて戸惑ってます。お盆の一時帰宅には自分で歩いて少しですが私達家族と食事も出来ました。なのに数日で容態が急変し、寝たきりになり食事もしなくなりました。母の希望通り帰宅して良かったですが、実家は両親二人だけ住んでいて、私も弟も別に住んでいます。それぞれ1時間程で通える所に住んでます。 私は主人を置いて今は実家に泊まってますが、いつ母が急変するかわからないので離れる事も出来ず、でも家に戻って少しは家事と自分の気分転換もしたいのです。父には申し訳なく贅沢な事だと思いますが、ずっと不安でストレスもたまり、しんどいです。でもそれは高齢の父も同じだと思うし、父は他に行くところがないので、私だけ自分の家に戻るのも気が引けます。そんな思いで毎日モヤモヤします。弟は働いてるのでなかなか実家に来れません。母は帰宅したら少し元気になるかもと期待してたようで、こんな事になってかわいそうでありません。だから少しでも一緒にいようと思うのですが、それとは別の気持ちで少しだけ離れたいのもあります。わがままですよね。1人残る父の今後の事を考えても不安になります。私も母がいなくなるとどうなるか、気がおかしくなりそうです。弟はとにかく夜しか時間がないのであまり助けにはならないです。このモヤモヤな気持ち、どうしたらスッキリするでしょうか。母の事もかわいそうでほんとに苦しいです。こんな心が弱い私に何かアドバイス頂けないでしょうか。宜しくお願い致します。
老いた父(母と死別、最近愛犬も看取りました)が、昼間からお酒を飲んでいます。どうしたらいいかわかりません。 父は気性が荒く人の言うことを聞くタイプではありません。。。 父(74才無職)、私(46才会社員) 兄がいますが父とあわず別居していますし、ケンカになるので関わらないと思います。 父方の親戚は全員自己中心的で私の母が他界してから絶縁してます。 様子のおかしい父をもてあましながらも、手放す事ができず苦しんでいます。 私自身もペットロスに苦しんでいます。 父より年上だった母の年齢を越えて生き、酒を飲んで、戸締まりができなかったり、家の前の通行人につっかかったり、感情のコントロールもできず、いきなり私にキレてきたりします。 なぜ、天女のように優しかった母が先にいき、天使で宝物だった愛犬がいってしまい、私を苦しめる存在が残っているのでしょうか?私はよほどいけない事をしたのでしょうか?つらいです。
こんにちは。以前自分のことで質問し、お言葉をいただきありがとうございました。 そんな中、肺癌ステージ4で入院している父の容態が昨日の朝急変。急ぎ駆けつけ、その後しばらくは少し回復し話せたりもしたのですが、今朝また急変しずっと意識がない状態です。 病院の個室で、大きな機械で酸素をおくらて、体に管をさして色々な薬を投入されている父を、母、妹、私でただ見つめて数時間経ちます。 今後どうなるかは予想がつかず、回復の可能性もあるが最悪は明日にでも、という中、医療と機械で生かされているが意識のない父をただただ見つめているのは辛く、気持ちがぼんやりしてきてしまいます。 いつまでどう続くかわからないこの状態に対して、私はどんな気持ちでいたらいいのでしょうか。少しでも気を緩めると涙が止まらなくなりそうです。
はじめまして。 母のことを書きます。 母は3年、ガンと戦っています。 昨日、緩和ケアドクターからもって今週でしょう。と言われました。 昨日までご飯を少し食べれたのですが、今日は意識がもうろうとしています。 私は看病するなかで、ポテトサラダを作ろうと思いながらも、寝不足で頭痛がして後回しにしてきました。 今日のお昼にようやく、私は力が出てきて、サラダを作ったのですが、食べてもらえません。 サイドテーブルに置きました。 どうして、早く作らなかったのかと後悔しています。 ポテトサラダは母の得意料理。親戚が盆、正月に集うとき大量に作っていました。私も家族も親戚も大好きで、他の料理は余るのにポテトサラダは完売です。 母は今朝から呼吸が不安定になり、旅立の準備をしています。
私は母と母方の祖父母の4人で暮らしています。 (父は幼いときに亡くなりました) 祖母は私に学歴や性格の理想を押し付けてくるタイプの人で、「あなたには反抗期なんてないからね」「色つきリップなんて不良になったの!!」と言ってきたり、高校受験の時には毎晩のように「あなたなら学校の先生の話さえちゃんと聞いて真面目にしていれば◯◯高校(偏差値70越えの進学校)には行けるからね」と言い続けるなど本当にプレッシャーで大嫌いでした。進学校へは進みませんでした。 そんな祖母が去年ごろから認知症が進み、暴言を吐くようになりました。 主に介護をしているのは祖父なので、暴言も祖父に対してなのですが、一日中「死ね!キチガイ!!消えろ!」といった罵声とベッドの柵を殴る音が聞こえるのが耐えられません。 病気だから仕方ないとは分かっていますが本当に割り切ることができません。 祖母は腎臓も悪くしており現在寝たきりなので、徘徊の心配がないので一般的な認知症介護よりも遥かに楽だということは分かっています。 祖父に介護を任せきりなのも罪悪感があります。初めの方は私も食事などを手伝っていたのですが、ストレスから顔中に蕁麻疹ができてしまいました。それでやめてしまった私がいけないのは分かっています。 母は言い方が悪いかも知れませんが父を亡くしてから心が弱く、祖母の暴れる姿を見るとパニックと過呼吸を起こしてしまい、現在仕事をやめ家で休んでいます。 今介護をしている祖父も高齢で、いつどこが悪くなるか分かりません。そうなったら私が大嫌いな祖母に罵声を浴びせられながら介護をしなくてはいけなくなるのか、と考えるととても不安です。 介護施設にいくことは本人が拒んでいるため、最悪は進学を諦めて介護をすることになるのかもしれないと思うと腹立たしくてなりません。そもそも祖母が大嫌いなので介護をしたくない、と思ってしまいます。 祖父も母も優しく気を遣ってくれる恵まれた家庭であるのにこんなにも不満をもつのは強欲であると自分でも思います。もっと苦しい立場の人がたくさんいるのは分かっています。 でもなかなか割り切って生きていけません。どうすればよいでしょうか。
少し遠くに住んでいる祖母が、昨日急に危篤になりました。腰の手術のために入院していたところ、病院食を喉につまらせて窒息、一時心肺停止、その後心臓は動きましたが、自発呼吸ができない状態が続き、現在人工呼吸器をつけてICUにいます。意識は戻っていません。 もともと元気な人で、腰の手術のために入院していたので、家族全員「まさか」という気持ちです。お医者さんの話では、このまま意識が戻らず、心臓が再び止まってしまうかもしれないとのことでした。もちろん、徐々に回復する可能性もありますが、年齢的に覚悟も必要だろうと言われました。 今は祖母の回復を信じて待っていますが、祖母が頑張っているときに、普通に日常生活を送っていることも焦燥感に駆られてしまいます。昨日病院に駆けつけた時に、人工呼吸器につながれている祖母も見ました。反応はなくとも声もかけました。でもどこか心の中で実感がありません。「わかっているのに、わかっていない」状態です。でもすごく別れが怖いです。 大好きで大切な人がこの世からいなくなってしまうのではないか、と考えた時に、私はどうしたらよいのでしょうか。祖母は私を本当に大切に想ってくれました。私は宝物だとよく言ってくれました。私に会いたがっていることも電話で伝わってきましたし、時間を見つけて会いに行っていました。でもまだまだ、これからも会いたかったです。まだ、祖母は頑張っています。 そんな祖母に、私にできることはあるのでしょうか?また、どのような心でいればよいのでしょうか? お忙しいところ申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願い致します。
コロナで会えなかった末期癌の母ですが、先月30日に病院から危篤との連絡がありました。幸いその場は持ち直してくれましたが、その日から心停止、呼吸停止、呼吸困難をくり返しています。 夕方から明け方までに悪くなる事が多いようなので、その日から夜間だけ泊まらせていただいています。 毎日、毎時間、母がちょっとずつ弱っていく姿をみることが辛くて、母の呼吸がいつ止まってしまうかと不安でたまらない日々です。 母がきつくて苦しいなか頑張ってくれているのはわかっています。でも、「もういいよ」とはどうしても言えません。 この状態でも、母の命を諦めきれないんです。母に生きていてほしい。 覚悟なんてできないんです。 もっと穏やかに母さんを見送れるようにならないといけないのに。 母には私しかいないんだから、しっかりしないといけないのに。 どうしたら、気持ちの整理がついて穏やかに母の最期をみまもれるようになりますか?
こんにちは。私の方が先に、20年前に双極性障害になりました。小さい子ども達がいるのに大量服薬、自傷行為で30〜40代のうちに精神科に20回ほど入院しました。ここ数年は通院服薬しながら穏やかにくらしています。 ところが実家の母が2年位前から周期的に寝込むようになり、内科医院にかかっていたのですが、去年の9月、内科は所詮内科、ということで、紹介状を書いていただいて、私と同じ総合病院の精神科それも同じドクターにかかることになりました、で、うつ状態がひどく、今年の1月から入院しています。入院して穏やかな日々を過ごして3月末には何回か自宅へ外泊をかさねてから退院、という段取りになっていました。それが、4月からコロナ禍で面会禁止。外泊を繰り返して、という計画は頓挫。 そのうちに母が怖いもの無し状態になり、双極性障害の躁状態と診断が変わり、薬もガラリと変更。 まだ77歳の母、父とは険悪な状態がもう2年続いています。私も双極性障害。これから両親に介護が必要になっても、もし私の状態が悪化したら、面倒みる自信がありません。私の夫は、夫婦間のことは夫婦間でかたづけれ、私が口を挟むことはない、と言い、母の話しを聞くことはない、と最近不機嫌そうです。 もう、どうしたらいいかわかりません。
目を留めていただいたことに感謝します。 身近な人が病気になることがとても怖いです。 特に、家族に何かあったらどうしようと思って、不安ばかりがつのります。 自分については、今の瞬間を生きていることに集中し、それが有り難いことだと気づくよう心がけています。 でも、家族に対しては、変わらずに元気でいてくれることに執着してしまい、 同じように考えることが難しいです。 どのようにとらえたら、心を落ち着けることが出来るでしょうか。 この状態を脱して、本当に家族に支えが必要になった時に、十分な働きが出来るようにありたいです。 大切な人への心のあり方をお教え願えると幸いです。
先日、母の事で質問させていただき、とても身にしみるお答えを頂戴いたしました。 母は、年末より下痢下血を繰り返し、点滴をしても貧血が治らず、先日内視鏡をしたものの大腸の入口より狭窄しており、大腸の中まで調べる事が出来ませんでした。 生検で大腸がんとなりました。(ステージは3か4ぐらいだと思います。まだ確定はしていません) 来週より検査入院です。 その結果次第でこの先どうするか… 私は一人っ子で、親戚は遠方&超高齢者が5人のみです。 主人は母が86歳と高齢なので、手術はしない方がいいと言っています。 母は認知症があり、今自分がどんな状態か理解出来ません。 身体の不調もわからないのか、あそこが痛い、ここが痛いとも言えません。 全部私が背負ってます。 ここまで何もできなかった事を後悔し、あと半年生きられるかなと悲しくなる一方、自分で何もわからないんだし、自業自得よと思う自分もいます。 一年後、母は間違いなくこの世にはいません。 夜も殆ど眠れません。 あれこれ考えて、なかなか受け入れる事が出来ず、心身共にボロボロです。 どうすればよろしいでしょうか?
私は今30歳です。が、見た目は20歳くらいに見えているらしく、こちらから言わなければ実年齢は分からないようです。実年齢を伝えても信じてもらえませんが。 今まで、そういう事は気にしていませんでした。年齢をいくつに見られるだとか、実年齢との差だとか。 ただ容姿に関してはコンプレックスが強く、昔から何とかして理想に近づきたいと躍起になってきました。周りからは、容姿に恵まれていると言われてきましたが自分ではそれが分からず、そんな事で悩んでいるうちに30歳になっていました。 ふと、最近好きなアーティストの方が18歳の男の子だと知った時、いきなり自分の年齢を突きつけられたような気持ちになりました。 今までは、この人の声が好きだとか世界感が好きだと思ってそこを追求していましたが、ああそうか、自分が好きなジャンルを作っているのは自分よりもずっと年下の人達なんだと思いました。 そうすると、ここまで容姿だけにこだわってそこばかり見てきた自分には何も無いと感じました。実際特に何かを積み上げてきた経験もないです。若さもなくなり、これからもっと老いて沢山の若い才能に触れたら私は耐えられないかもしれない。そう思ったところから死を望んでしまい、食欲は全くなくなりました。自分の価値を容姿や若さにしか見出せなかった結果、手元には何も残りませんでした。これから自分としてどう生きていけばいいのか、そもそも自分としては生きたくない、30歳で自殺したとしても若いのに…とは言ってもらえない。などということをぐるぐる関する考えてしまい、目の前の現実を生きられないでいます。 何もしてこなかった自分を呪い、無駄に若さを使った事を悔み、 若さに嫉妬して、発狂しそうです。いっそ発狂でもして何にも分からなくなりたいです。 私はどうしていくべきなのでしょうか。
父が肺がんで抗がん剤治療しています。 どの薬もあまり効果はなく、来週効果判定の検査結果を聞くのですが、今回もダメだと思います。 薬の選択肢もなくなり、緩和ケアの話も出ています。 私は父が大好きでずっと母より父でした。 父がいない毎日なんて考えられません。 お別れなんて嫌です。 父の肺がんを放置した医者を許せません。 ずっと恨んでいます。 主治医ももう、歳だからもう死んでもいいんじゃない?と言いました。 大嫌いです。 父が死んだらついていこうと思っています。 一緒にいられますか?
いつも親身に聴いて下さりありがとうございます。 私の忘れられない患者さんについて、相談させてください。長文になります、申し訳ありません。 私がまだ新人の看護師一年目の時の話です。 婦人科系のガンを患い、一通り治療をしましたが、状態が悪くもう抗がん剤は使えないといった終末期の方でした。 医師より、 これ以上の積極的な治療はかえって寿命を縮めるため勧められない。との説明がありましたが、 ・本人は状態が回復したらまた抗がん剤をやりたい。自身が終末期だとは思ってもいなかったような感じでした。 ・家族は『今後の余命については本人に知らせないでください』 とのことでした。 日々状態は悪化し、全身に回ったガンの痛みと闘う日々となっていきました。もう余命1ヶ月もつかどうかといったところでした。 最初は内服だった鎮痛剤も注射薬になり、それでも痛みが取れず医療麻薬の貼付剤から麻薬の注射に変わっていきました。 最期に使う麻薬の薬は鎮静剤もはいっているので打ち始めると眠たくなって、眠ったまま逝くような形になります。 ある日先生から本人に『痛みがだいぶ辛いところまで来ていると思うのですこし眠くして痛みを和らげる薬をしますね』と告げられる日がありました。先生の話の後部屋で足浴をしながら2人きりになった時、その方は苦しそうな表情で 『私は...もうすぐ死ぬの?』 と問いかけられました。私は答えに詰まってしまい、何も答えられませんでした。 その後鎮静が始まりそのまま起きることもなく1週間ほどでお亡くなりになりました。 『私はもうすぐ死ぬの?』 の問いにどうかえせば良かったのだろう。 本人もわかっていたと思うんです。日々重くなる体、正常に作動しない思考、象の足のように浮腫んだ足、パンパンにたまった腹水でうまく呼吸ができなくなる、おしっこが出なくなる、ごはんが食べられなくなる、本人が1番自身が死に向かっていることをわかっていた気がするのです。なら私はなんて言葉を返したら良かったんだろう。 余命も分からず、状態が良くなるのかもわからず、でも自分の体は朽ちていくのは怖かったんだろうなと色々思い馳せてはあれこれと考えてしまいます。 今でもあの方の 『私はもうすぐ死ぬの?』 の問いに答えが返せません。 僧侶の皆様はどのように返しますか?ご助言よろしくお願い致します。
母一人子一人の生活で、終末期の病状となり仕事を離職してほぼ付きっきりで介護をしてまいりましたが、いよいよ別れが近づいてきた今 。いまだ恥ずかしながら、親離れ子離れできていない現状での母とのむきあいかたでちぢに心がみだれております。どのように覚悟をきめたら良いのか御教示をたまわれば嬉しく思います。
最近70過ぎの母が、左手を骨折しました。2週間の入院が必要だったのですが、 手術してギプスはめて帰ってきて、仕事をしています。父も出張ばかり行って母がかわいそうです。私は実家を離れてしまったので、どうすることもできません。どうしたら良いのでしょうか?
ここ2年ほど寝たきりの大病でした。 食べることもできず、皮膚病で身体は臭くなり、起き上がるのも一苦労で、 病気の苦しさや不快さをビデオを見て、気を紛らわして生きてました。 新薬が開発されて、それを使うことで、 ここ1年ほどでずいぶん良くなり、仕事もできるようになりました。 さて、当時を思い出し、今でも怒りが沸いてくるのが妹です。 彼女は子供が2歳の時に離婚して実家に帰ってきました。 子供はいま18歳で、16年間同居してます。 彼女なりに努力しましたが、経済的に自立できず、 自営業の私を手伝うことで生計を立てています。 よそで働けば、年収300万を切るでしょう。 私は気の毒と思い、600万から700万近い給与を出しています。 子育てにもそれなりに手伝ってきました。 彼女が困ったときには助けたのだから、 私が困ったときは当然助けてもらえるものと思っていたのですが、 寝たきりの私に極めて厳しい態度を取りました。 ろくに仕事をしない、家事もできない、身体が臭くて迷惑だ、 自分の部屋の掃除くらい自分でやれ、と、 動けるならやってます。 現に動けるようになった今、誰よりも掃除も仕事もしています。 当時は動けなかったのです。 夫婦なら離婚、友達なら縁切り、 立場が対等な姉妹なら疎遠にするところですが、 食えない親子二人を切ずらいです。 かなり元気になって稼げるようになった今、 病気の時の態度とは違い、にこにこしてすり寄ってきました。 信用できない嫌な奴です。 多分、親子二人生きていくために、私は利用されているんだと思います。 こういった妹に対する気の持ちようをアドバイスください。 宜しくお願い致します。
以前、超高齢の両親の世話の悩みでお世話になったものです。その節はありがとうございました。 夫は、8年くらい前にすい臓がんを患い、その後前立腺癌(これは低リスクなのでそのままにしてあります)、胆石摘出の際見つかった胆のうがん、そして今回、すい臓がんの再発か胆のうがんのリンパ腫の可能性があります。 夫は「よく食べ、よく眠り、良く運動する」人で、タバコもとうにやめたし、お酒は体質上飲めません。ほとんど疲れたとかどこか痛いとかもない人で、性格もおおらかで優しく、どうしてこういう人がこんなに癌になるのかと悲しいです。 今回、ある病院での検査結果が悪いのがわかったのが、私との旅行の前日でした。がんセンターでの検査の日が先でしたので、夫は旅行に行こうと言ってくれて行ってまいりました。私が以前から行きたがってた(夢の一つだった)カンボジアのアンコールワットです。 しかし、帰国後体調を崩し、予約日を待たずにがんセンターへ入院いたしました。 私は、旅行へ行って疲れたのが悪かったのだと思い、自分を責めて辛いです。 どうして癌になったのかと考えるのも意味がないと思いますし、一生懸命誠実に生きてきたつもりですが、この先どうやって生きていこうかとなかなか気力が湧きません。 今までは前向きにやってきましたが、私も年のせいか、うつ病を患ったあとのせいか、なかなか気力が湧かないのです。 しかし、娘が一生懸命助けてくれるので、なんとか頑張っていこうと思っています。友人たちも妹も励ましてくれています。とても人に恵まれていてありがたいです。 超高齢の両親の世話は、妹が時々来てくれて助かっています。 お坊様、どうか前を向いて頑張って歩いていけるように、どんなお言葉でも構いません、くださいますようお願い申し上げます。