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「老い・介護・看病・病気」を含む問答(Q&A)一覧

母が認知症になってしまい辛いです

私の母は60代なのですが、3年ほど前から認知症を患っています。 ちょうど症状が出始めた頃に結婚が決まり、私はそれまで暮らしていた実家を出ました。 今は父と母の二人暮らしですが、母は家のことが出来ないので、実家は私の知っているよく手入れされた居心地の良い場所ではなくなってしまいました。 父が掃除や料理など頑張ってくれていますが、やはりどうしても今までとは違います。 結婚生活や子育てで疲れた時、ふと実家に甘えに行きたくなってしまいます。 数年前までの、実家の自分の部屋でゴロゴロ休んでいられた頃が懐かしくなってしまうのです。 ただ、その空間は今はもう私の記憶の中にしかありません。 里帰り出産や子育てで母親を頼ったり等も一切できません。 もし母が元気だったら…と考えてしまいますが、考えても仕方のないことです。 誰かと比べても意味がないとは思いますが、周りの友達が里帰り出産をしたり、産後もいろいろサポートしてもらっているのを見たり聞いたりすると羨ましく、そう出来ない自分の状況が悲しくなってしまいます。 病気になってしまった本人の方が辛いとは思うのですが、辛いです。 母のことは今後も父や親戚と協力してケアして行かなければいけないし、出来ることは子供として出来る限りしていきたいと思っています。 ただ、自分のこの悲しい苦しい思いをどう処理したら良いかわかりません。 事あるごとに、元気だった頃の母を思い出したり、今も元気であったならと考えてしまったりします。 母は一応認知症とは言われていますが、物忘れだけでなく人格も変わってしまったというか、普通の会話がほとんど出来ず、知能も落ちてしまったように感じます。 今の状況をどう捉え、どのような心構えで過ごしていけば良いでしょうか。 文章がなかなかまとまらずすみません。

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生きることの意味について

初めまして。 ご回答いただけると幸いです。 またもし可能でしたら、厳しいご意見でも、優しめにご回答いただけると幸いです。 ご相談させていただきたい内容は、 生きることが苦しい時、 心のもちようと、 生きることの意味について、 そして、生死の選択についてです。 私は、数年前離婚し、 結婚前までは健康でしたが、 離婚後より、次々と、 人には話しづらい完治の難しい体調不良や、その他の体調面での不良が起こるようになりました。 そして、今年に入ってからも更に次々と起こり、手術等もちらつき、 心がとても疲弊しており、 数年間その様な状況でおります。 そして、その事もあり、 この年齢で恥ずかしいことですが、 現在は単発のお仕事のみで、 数年間長く勤めることができていません。 今は、家族がいてくれるので、有難く、 就職活動をしながら、 今できる事を無心にしようとしています。 ただその一方で、一人っ子で、頼れる身内もいない為、 先にもし孤独なら、 情けないことかもしれませんが、 一人では寂しさで、生きていても、心が死んだようになってしまう事も経験から知っているので、 治療費の為に生き、もしも自分だけの人生の時、 生きることの意味が見い出せません。 そして、それなら、 信じれる家族と最期を迎えることも、幸せの形の一つなのではないかと感じるようになりました。 そして、どうしても生きることが苦しい時には、 安らかに死を選択できる事ができれば、 今を安心して生きられる事に繋がるようにも感じるようになりました。 人生は苦行と聞き、 それで自分を奮い立たせ、納得させようともしましたが、 人の心を傷つけても幸せに暮らす人がいる事を思うと、 その言葉は信じることが難しくなりました。 まとまりのない文で読みづらい部分があり、申し訳ありませんでしたが、 ご相談したい事は、 人生が苦しい時の心のもちようと、 生きる意味について、 そして、 苦しみから開放される方法が、例えば死以外にあれば、 ご教授いただきたいです。 よろしくお願い致します。

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母を不本意な死に追いやった罪の意識で毎日が苦しい。

 56歳で生死の境をさまよう難病に罹った母親を89歳で看取りました。最後の数年は軽い認知症も併発し子供のようにかわいいお母さんでした。ステロイドという強い薬の副作用で骨粗しょう症になり手足の神経も圧迫でマヒ状態でやっと歩いている状況でした。  私は60台前半ですが40歳前に母に手伝ってもらい内科医院を開業し,自宅では酸素吸入するほど重い病気の母親を診ていました 10年ほど前から神経や骨の痛みがひどく医院の経理は引退し、自宅で療養しながらデイサービスでリハビリを受けるようになっていました。  いつも前向きで明るく気力を振り絞って寝たきりにならないようにと頑張っていました。散々苦労かけたので毎週老親2人を連れて温泉に行ったりレストランに連れていったり楽しく3人の生活をしてきました。  昨年夏寝てばかりいるので庭で散歩をと強引に外の庭に出したらすぐに転倒、大腿頸部骨折で入院。手術し1月間で何とか退院。歩行がさらに不自由になった母を今まで通りあちこち連れまわしていました。友達のいない一人娘の私に止む無くついて行ってやるが、体がしんどいので本当は嫌だと繰り返し私にも周囲にも言っていましたが、運動しない母にリハビリになると思い連れまわしました。  今年に入って2回目の転倒で胸椎圧迫骨折を起こし2ヵ月入院。ほとんど食べなくなり毎日3回病院に通いおむつ交換食事介助と必死に看病しました。3月末にやっと自宅療養開始しまたぞろ温泉に連れていきましたが、息も絶え絶えに苦しい苦しいといって泣きました。  ゴールデンウィークどこも出かけず介護ばかりで息詰まる閉塞感から嫌がる89と92歳を連れて遠出し、宿泊先の宿で嫌がる朝風呂に入れて突然死させてしまいました。直前まで私を信頼しニコニコしていたのに。  毎日生前の優しい顔した母が笑ってくれるビデオを見て号泣しています。なんて人でなしな生きざまだ。世界で1番好きな母を殺してしまったと叫んでいます。従妹から可哀想な死にざまだ、虐待死だといわれてしまいました。生前の母にもお前は医者なのに患者の気持ちがわからないのかと泣かれました。人生最大の罪を背負い悲嘆に明け暮れています。

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夜になると不安になります

現在母(70歳)と二人暮らしです。 私は会社員、母もパートはしていますが、 経済的に余裕があるわけではなく、母が働けなくなったら?介護になったら?やっていけるのだろうか?と不安になります。 それ以上に、母を見送った後の事を考えると、寂しくて寂しくて。母はまだ元気なのでこんな事を考える必要はないと思うのですが。 また、独身で子どももいないので、自分が死ぬ時に、ちゃんと身仕舞いしていかなければ、と思うのですが、それも不安で。(今あるお墓の墓じまいや永代供養もお願いして、死んだら手続きして下さる方もお願いしなければ、そもそも施設に入れるのか、など色々考えてしまいます) 結婚していても相手が先に死んだら独りだし、 子どもが居ても面倒見てくれるとは限らないし、結局は独りなのだから同じだ、私が特別寂しいわけではないし、独りで亡くなっていく方はたくさんいるだろうし、と思うようにしているのですが…。 強くならなければ、きっと大丈夫、と思うように、自分に言い聞かせてはいるのですが、夜になると特に不安になってしまって泣いて眠れなくなってしまいます。 40半ばで、終活なんてまだ早いともいわれますが、どうしたらこの不安から脱け出せるのでしょうか?

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老いに対する恐怖

こんにちは。現在中学3年生の者です。 タイトル通り、自分は老いが怖いです。 よく、老いることと一緒に質問される「死」についてはあまり怖くありません。 もし生まれ変わりというものがあるならば、そのまま悪行を行わないようにして、また生まれ変わり、一方でもしないのであればそれを認識する術もないわけですから、特に恐怖というものは出てきません。 しかし、老いることだけはどうしても怖いんです。 僕は2004年生まれなので、もし80歳まで生きれるとしたら その時は2084年です。僕はその時、おそらくこの時代の中学生や高校生の「若さ」を羨望するでしょう。 一つ目の質問ですが、皆さんは10年前,20年前の自分、もしくはその年齢の人を「若さ」で羨むことはあるのでしょうか。 そして、二つ目の質問に関してですが、1年前、国語の授業で 「無常観」について習いました。 自然を対象とした無常観というのは、非常に美しく素晴らしい考え方だと思いました。しかし、人間関係や自分の老いに関する無常観は「儚い」という一言で表せると思ったのですが、 その「儚い」が怖いんです。 例えば、今は両親や祖父母が生きていますが、いずれ、どの順番かはわかりませんが、亡くなり、お別れが来ます。 また、今自分は「若い」という部類に入り、体力もある時期なので基本いろんなことができます。しかし、そんな自分もいつかは衰え、できることが少なくなると思うとどうしてもなんともいえない気持ちになります。 二つ目の質問なのですが、皆さんはこの「老い」についてどう思いますか、またはどう考えますか。そして、もし仏教にそれに関する教えがあるのでしたら、教えてくださると幸いです。  

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贅沢な願いでしょうか?

少し前に母がお酒の飲みすぎで、出先で倒れてしまい、その際に後頭部をぶつけて救急に運ばれました。 病院から連絡をもらって急いで向かってら、本人は横になってるものの意識もあって安心はしました。先生からは「後頭部の骨折と頭を打った衝撃で脳が前頭部にぶつかって少し出血してるから一週間は入院しましょう」と。 私の中では最初はとにかく(無事であるならそれだけでいい)と思ってたのでとてもほっとしたんですが、入院3日位過ぎたあたりから母が「匂いが全然しない」と。先生が言うにはもしかしたら嗅覚障害かもしれないから退院したら耳鼻科で調べてもらってください、と言われました。 まだ耳鼻科へは行ってないので、結果は分からないんですが、もし完全に戻らない状態だったらと思うと... 母は別に仕事で鼻を使ったりする訳では無いですが、匂いが分からないせいで味がイマイチ分からないようで、家にもどってから普段の生活に戻った時の事を思うと、正直心配でたまらず、絵馬とか願掛けとかばかりしてしまいます。 最初の時は(命が無事であるならそれだけでいい)とだけ願っていたのに、無事と分かってからは今度は(障害だけは回復して欲しい)という願いに変わってました。 実は以前父も脳の病気で入院した時に(命が助かるなら)ということだけだったのに、助かって後遺症が残ってからはずっと(麻痺が良くなってくれれば)とかそういう願いまで拡大してる自分がいたことを今回の事で思い出したんです。 その時も周りの人は口を揃えて「助かっただけでもいいじゃない」って言ってくれてました。 勿論、周りの人の言葉はその通りなんですけど、家族だからという理由だけなのかは分からないんですけど、やっぱりどんどん次を求めてしまう自分がいます。 父の時も、母の時も場合によっては死んでしまうこともある病気や怪我なので神様や仏様に(命だけは助けてください)と願ったくせに、助かったら今度は(後遺症だけでも回復して下さい)と図々しくお願いのレベルを引き上げてしまっている事に後ろめたさのような不安が出てきてしまいました。 こんな風にお願いするのは良くない事なのでしょうか? 長文、駄文読みにくくて大変申し訳ありませんが、何かお言葉を頂けると有難いです。お願いします。

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おばあちゃんとおかあさんとわたし

おかあさんは ずっとずっとずーっと 「わたしもあんなふうになりたい」 といってきた なぜなら おかあさんのおかあさんのおばあちゃんが わがままほうだい いいたいほうだい すきほうだい かってきままにいきているようにみえていたからで でもその 「わたしもあんなふうになりたい」 とおもっていたおかあさんのおかあさんのおばあちゃんが いっきにぼけて いじわるになって がんこになって びょうきになって たおれて きゅうきゅうしゃではこばれて にゅういんして いえにもかえれなくなって ゆいいつのたのしみだった しょくじもろくにとれなくなって といれにもいけなくなって おむつになって ・・・ そうしたら さいきん 「わたしはあんなふうになりたくない」 というようになった あんなに おかあさんのおかあさんにあこがれて うらやましくて うらやましくて 「わたしもあんなふうになりたい」 そういっていたのに さいきん ずっとずっとずーっと 「わたしはあんなふうになりたくない」 そういっている わたしのだーいすきなおばあちゃん こどもがえりしたおばあちゃん かわいいおばあちゃん おかあさんのおかあさんのおばあちゃんは おかあさんのあこがれであり おかあさんのもくひょうであり ついくらべてしまうあいてであり もっともおおきなそんざいなんだな そんなことを 「わたしはあんなふうになりたくない」 という さいきんのおかあさんのくちぐせから おもうようになった わたしはまだわかい おかあさんよりわかいし おばあちゃんよりわかい これから おかあさんのとしになっていき おばあちゃんのとしになっていく そのとき わたしはどうおもうのだろうか? 「わたしもあんなふうになりたい」 「わたしはあんなふうになりたくない」 いまのわたしには まだまだわからないけれど きっと どちらのきもちもけいけんするのだろう それが いきていくということであり おいていということであり だれにもとめられない ときのながれというものなんだろう そんなことを おかあさんと おかあさんのおかあさんのおばあちゃんから わたしはいま おしえてもらっている これがしぜんというもの?

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彼氏に「がん」が見つかりました。

こんばんは。 またご相談させて下さい。 先日、半年ほど付き合った彼に「がん」だと明かされました。 旅行から帰ってきて2週間後に伝えられ、もう一緒にいない方が良いと言われました。 まだ結果が出る前だったのでステージなど詳細は聞いていません。 ですが、彼の気持ちを思うといたたまれませんでした。 離れることは私としては何か違うのではないかと思ったので、離れるつもりはないことを話しましたが、 彼は私に「いつまで治療がかかるか分からないこの今の暗い状況で一緒にいて、仮に治っても曰く付きの人間と生涯を共にするとかそんな人生は選ばない方が良い」と言っていました。 治療に専念したいし、病気の人と離れる事は他人が言うと差別になるから当事者の僕やからこそ言える事だと言いました。 私の将来を背負うのは遠慮しておくと。 どういった気持ちでこんなことを話してくれたのだろうと思うとつらくてたまりません。 私に何もできないことが本当に本当に悔しいです。 どうしたらいいのでしょうか。 彼はまだ30代半ばです。 私は病気は治ると信じているし、独りでいる事はとても辛いと思うから一緒に戦いたいです。 家族に反対されてもいいです。 私は将来時に妻になって全てを知って支えになりたいです。 私が何を言っても彼は拒むと思います。 でも強がりでそう言っているようにもみえています。 本当に優しい彼にいつも救われてきました。今度は私が助けたいと、彼と「がん」と共に歩むことを覚悟しています。 彼の優しさを察して身を引くべきなのでしょうか。 ここへ相談している時点で私には覚悟が足りないのでしょうか。 彼にとって私のしようとしている行動は迷惑な話なのでしょうか。

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夫の死ぬ死ぬ騒ぎに疲れました

味覚障害なので死ぬそうです。 警察、病院、医師などに相談したのですが、夫の自殺をとめるにはどうすればいいでしょうか? 警察にもお世話になりました。自殺すると飛び出していったので、警察に連絡して保護してもらいました。 なんどもお坊さんにも相談しましたが、「味覚障害で自殺」という心理が私には理解できないのです。 自分も子供のころ風邪をひいて味覚障害に1か月ぐらいなった記憶があります。 そのうち治るという言葉を信じていたらそのうち治りました。ケーキの味が苦くて悲しかった記憶はありますが、死にたいとは思わなかったです。 舌癌、さらなる癌、でも闘病がんばっている女優さんもいるのに、うちの夫は味覚障害で死ぬ死ぬと毎日うるさい。 何件も病院に行きましたが、お医者さんも「はいはいはい」という対応です。 きっと医者も困っているんですね。 上顎洞がんかもしれないので、医者に内視鏡で診ますからと言われても、内視鏡は痛いからやだ。 もしも癌でほかに移転したら、死ぬほど痛いんじゃないかと思うんですが。 それも耐えられないほどの痛みで血もでるんじゃないかと。 夫は仕事も辞めてしまいました。 ほとほと疲れました。 そんなに自分の母親のいるところに逝きたいのでしょうか? ほんとう姑に申し訳ないです。せっかく育ててた息子が自殺で命落とすとは、姑も成仏できないと思います。 そう正しても夫はわからないみたいです。 今日も、いつもの死ぬ死ぬ騒ぎ発動で(私が)医者に電話したり、早退して会社から戻ってきました。

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祖母の人生と私の人生についてです。

私は、幼い頃から母子家庭で 共に歩んできた母をも中学生の時に自殺で無くしました。その後、祖母と伯父に育ててもらい20歳になりました。母が私に託してくれた遺産で母と約束したとおりに留学をして大学へと進学しました。伯父への恩返しとして、伯父が務めている塾で講師としてのアルバイトもしています。 長年、共にしてきた祖母なのですが近頃は体調が優れないことも多く少し心配です。そんな祖母も83歳になりました。祖母は曾孫を見るまで生きるんだ、長生きするんだと言ってくれています。 ここで、相談なんですが私は家族の生活のためにしているアルバイトと大学の兼ね合いで平日は外に出ているため祖母を家に1人にしています。ふとした時に、寂しいなあと祖母が言っているのを聞いて、私は自分が何をしたらいいのか分からなくなってきました。祖母は、毎日近くのスーパーへ買い物に行き昼寝をして食事を作ってテレビを見て愛猫と戯れるの繰り返しで寂しいのかな、私が家にいないせいかなと自分をどうしても責めてしまいます。 もう、そんなに先が長くないというのも分かってるんですが、この先私が就職をして結婚をしたらもっと祖母が寂しくなるのではと思ったら何だか自分の人生に前向きになれません。どうか、何かアドバイスなどありましたら教えてください。

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単なる「8050問題」ではない

こちらhasunohaには何度か書かせていただいた通り 私はここにいないことになっています また両親は私=精神障害者という現実を受け入れられないまま隠し続けています 両親は団塊世代であり 私は団塊ジュニア世代 まさに今社会問題となっている「8050問題」に差し掛かりつつある状態です では「8050問題」とは何なのか? 簡潔に言えば80の老いた年金生活の親と50の引きこもりの無職の子が同居し生活苦の中でさらに孤立を深めていくという社会問題 で 私と言えば精神疾患は長く患っているけれども 精神障害者認定を受けて障害者年金を受給し始めて只今3年目になります そうせざるを得ないと思ったのはやはり年金生活を送る両親の負担軽減の為 で 私が今思っていることは 私は単なる「引きこもり」じゃない!ということ 障害者年金の中から税金や生活費を支払いながら病気と闘っている最中である!ということ 私は決して隠れているのではなく 引きこもりたくて引きこもっているのではなく 両親が私の存在を隠したがるから仕方なく息を潜めて生きているだけのこと だから私は「引きこもり」じゃない! 「うちは深刻な8050問題に直面している!」という両親の考え方は筋違いというもの 自分たちが娘を「引きこもらせている」という事実を忘れてしまっているのではないか?と思うのです 「現実逃避」「障害者偏見」がたまたま「8050問題」とシンクロしてしまった状態が今の私の真の家族の問題ではないでしょうか? 中高年の引きこもりは確かに大きな社会問題となっていることでしょう それは分かります 何とかしなければならない問題だと私も思います でも私の家族の問題とは少し違うのではないでしょうか? 私は家族親族の冠婚葬祭に参加したこともありません たった1人の兄の結婚式にも参列できませんでしたし 祖父母や親戚のお葬式にも参列できませんでした 精神障害者の私を近親者には会わせたくない 恥ずかしい みっともない 世間体が保てない 自分たちは完璧で理想的な家族と思われたい 「8050問題」のニュースや新聞記事を視ながら嘆く親の姿を見ていると 何だか問題が摩り替えられているような気がしてしまうのですが… それでも私は「8050問題」の「引きこもり」だと思われますか?

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父の終わりが近づいてきたようです

父ですが、 心臓の調子が悪く、ペースメーカーを付ける手術を受けたのですが、 どうも、悪いところに悪いものが出来ており、装着できずに、 このまま心臓が止まるのを待つ…という 絶望的な状態になっています。 父は、ちょっと気になるのでもう一度検査をする、 という話になっていて、冷静だそうです。 しかし母は事情を聞いたので、大変に狼狽しています。 「元気になって帰宅する」と思い込んでいる父を どうしても見れないようです。 母は、無駄に広い実家に、一人で暮らすことに不安があると 以前から言っていましたので、 突然来たこんな事態に、冷静ではいられないはずです。 私と弟は遠方に住んでいて、 日ごろは親の世話どころか電話すらしないです。 娘が同居して親の面倒を見るはずでは…と母にチクチク言われ、 心苦しく思っていました。 こんな時だから、すぐに駆け付けて励ますべきなのですが、 私も激しく狼狽しており、励ますなんて力が出せる気がしません。 母よりも激しくパニック起こすような気がします。 4月から私は職業訓練に通うことになったのですが、 その手続きや、娘の高校の説明会など…  ちょくちょく代えがきかない用事があり、 ゆっくり親を世話できない心もとなさも辛いです。 また、娘の私立の高校進学で、 貯金はゼロ、我が家は大赤字になっています。 用事のたびに自宅に戻りまた実家に…… とてつもなく金銭的に無理です。 行かなきゃいけないけど、 行けないというダメな要素しか思いつかず、 どうしたらいいのかと、不安と恐怖で震えが止まりません。 母にどういう言葉をかけたらいいのでしょうか。 お金なんて気にしないで、借金をしてでも行くべきでしょうか。 私の心を落ち着かせるにはどうしたらいいのでしょうか。 誰かにアドバイスをもらわないと、何も思いつきません。 まったく動けません。 いい年をして恥ずかしいですが…助けが欲しいです…。

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