タイトルの通り、自分がいつか死ぬことを考えると恐ろしくて、パニック状態になってしまいます。朝起きた瞬間から寝るときまで、常に「死」の恐ろしさ、得体の知れなさが頭から離れず、最近は趣味も楽しいと思えません。 いつか死ぬからこそ今を一生懸命生きることが大切だとか、いまのわたしにはきれいごとにしか思えないのです。 べつに、近しい人の死がトラウマになってるとか、そういう事実もありません。ただ、死が途方もなく恐ろしいことに思えて仕方ないのです。 これほどまでに重度の死の恐怖を克服すること、あるいは克服せずとも上手く折り合いをつけて生きていくことは可能なのですか? また、仏教に帰依することは、死の恐怖を克服する手助けになりますか? お忙しいところ恐縮ですが、ほんとうに、どなたか助けてください。このままでは発狂しそうです。
転生などしたくありません。他者に苦痛を与え、自らもそれに悩む毎日です。 仕事をすれば余計な仕事を増やしてしまいますし、会話も成り立たないので失敗や怒らせてばかりです。 記憶も断片的になりがちなので、せっかくの救いの言葉もちゃんと心に残せないのではと不安です。 私の目指す先は命も意識も感覚も一切ない、無です。快楽など本当に必要ありません。 私が恐れるのは、死後も意識があるのではということです。死後のことがよく語られるのなら意識があるのでしょうね。 私が死後、どのような裁きが下りるかはわかりませんが、転生したくないです。本当を言えば抹消させてほしいのです。 そのような願いは邪でしょうか。
私は統合失調症で、下半身まひの障害者なのですが、過去に大量の殺生をしてしまいました。 そこで仏教について調べ始めたのですが、今度は不殺生の戒に囚われてしまいました。 病院にはちゃんとかかっていますし、薬もちゃんと飲んでいます。 しかし不殺生を守ろうとした結果、病院にも、法要にも、とにかく外出することができなくなってしまいました。 それどころか、車椅子の私には、後方も足元もよく見えず、タイヤの足回りなどは完全に見えないのです。これではいつ虫達を殺してしまうかわかりません。今では、外出はもちろんのこと、部屋で身動きすることすら困難な状態です。 完全な不殺生などありはしないと、承知の上での質問ですが、せめて無意味な殺生を最小限におさえたいのです。しかし、この「最小限」というのは、どの程度まで努力すべきなのでしょうか。 僧侶の皆様は、どのくらいまで気を付けていらっしゃいますか? 外出をしない雨季とは、いつぐらいまででしょうか。雨後も虫達は多いですよね? 車と歩道を行くのとでは、どちらを選ばれますか? お弁当の配達を頼んで、もしその配達員の方が殺生してしまったら、それは私の責任になるのでしょうか? また、薬の陰には実験動物の犠牲がありますが、薬を飲むのは不善行ですか? 夜間、電気をつけると虫達が集まってしまいそうで、電気をつけるのが怖いのです。 統失ゆえに極端な考えをしてしまっているかもしれません。 しかし本当に苦しんでいるのです。 どうかアドバイスをよろしくお願い致します。
先日健康診断を受けたのですが肝臓が悪い模様。 はじめてなのでとても怖いです。 仏様はわちを気に入って命をとろうとしてるのでしょうか? まだ現世でやりたいことがたくさんあるのに。 まだ死にたくないです。
私は子供の頃から、虫達を苦しめ、残虐に殺してきました。 短大時代には、バルサンなどでゴキブリを大量に。 (おそらく数百~千以上?) その後も、ドライブで無数の殺生をしてしまいました。 現在は心から懺悔し、不殺生、自然保護団体への寄付、 毎晩、虫達への謝罪と祈りを自分なりにしていますが、 果たして、こんなことに、意味などあるのでしょうか? ほかに何か、できることがあるでしょうか? 正直、地獄が恐ろしくて、とても明るくなど 生きていられません。 こんな私に、救いはあるのでしょうか? 本当に苦しんでいます。 きびしいご意見でも構いません。 なにとぞよろしくお願いいたします。
初めて質問させていただきます。 私は死にたいと思いながら25年経ってしまいました。 毎日目が覚める度に『死にたい』と思い、幸せな時期は『幸せなうちに死にたい』、辛い時期は『辛い。もうヤダ死にたい』と考えてしまいます。 子供の頃からのことなので最早これが当たり前ですし、子供の頃や二十代前半の頃は何度か行動に起こした事もありましたが、いつも失敗してしまいます。 そうこうしているうちに無気力な大人になってしまったので、惰性で様々なものに依存しながらただ時間を過ごしています。 こんな事を言うのは不謹慎極まりないのは自覚してるので言葉にするのは初めてですが、自分で死ぬより、事故や事件、病気で死を迎えるのを待つ毎日です。 最近、死にたいと毎日思うことは異常だと認識しました。 僧侶の皆さんは死にたいと思うことはありますか?また、もし思うような時にはどうやってその思いを断ち切りますか?
看護師をしています 『もう死にたい 死ねる薬ないか 』と 治療にせっせと通われる患者さんが 多くいます。それなら薬も飲まず治療に来なければいいのに。医療費がもったいないと常々思います。笑顔で点滴やお話しを伺ってはいますが、心の中では もう早く死んじゃえ と酷いことを思ってしまいます。患者さんの言葉は本心でなく生に執着してることの裏返しだとは思うのですが、死んでしまえ と思う自分の腹黒さと傲慢さを 治したいのです。方法はありますか?
初めまして。優子と申します。 私は幼い頃から『人は死んだらどうなるんだろ。死んだあと残された家族が悲しんでいる姿を見るのは怖いな…』等良く考えていたのですが、数年前に頭の手術をしてからその思いが強くなりました。 月に数回なのですが、たまたま息苦しさを感じたり頭痛感じたり些細なことで 『寝ている間に死んでしまうのでは…』 と、ほぼありえないのはわかっているのですが不安になり考え込んでしまう事があります。 家族に相談しても『考えすぎ』と言われて終わりです。 このような気持ちになったときどうやって気持ちを切り替えれば良いのか教えて頂ければ幸いです。
高校3年生の男子です。 私は最近、将来、特に5年や10年後などの先についてかなり不安を感じています。特に私は、小さい頃から死に対してかなりの不安を抱いていて、思春期の不安と元々の死への不安が化学反応を起こして、本当に苦しいです。 一度、この苦しさを取り除くために、先を考えるよりも今を精一杯生きようと思おうとしたのですが逆効果です。 一番には、どうすれば死に対してある程度柔らかい考えができるのかを教えて欲しいです。
ついこの間、飼っていた猫が急死しました。 まだ8年くらいで病気もなく元気だったのに、突然、本当にあっけなく逝ってしまいました。 いつかそんな日が来るという事は頭ではわかっていましたが、それでもあと10年近くは先の事だろうと思っていたので心の準備が全く出来ていなくて、夫と2人、3日間泣き続けました。 あまりにも悲しくて、もう立ち直れないんじゃないかと思うくらい悲しくててどうしたらいいのかわからず、この悲しみから少しでも抜け出すにはどうしたらいいのかとすがるような思いでhasunohaの中の沢山の質問とお坊さんの回答を見ては、夫と2人『こうやって考えなきゃいけないんだね』と泣きながら沢山話し合いました。 ところが、4日目くらいからピタッと涙が止まってしまったのです。 その代わりに溜息ばかりやたらと出るようになりました。 でも、ため息は出ても涙は出ないのです。 なぜか夫も、私と全く同じでした。 全く泣かないわけではありませんが、あの土砂降りの雨のように泣き続けていた日々が嘘のように、ピタッと止まったのです。 確かにお坊さん方の言う通り、悲しむだけじゃなくて感謝しようとか、きっと猫ちゃんもそれを望んでるとか、そう思うようにはしました。 御線香をあげて、夫と2人1日に何回も大好きだよ、ありがとね、と声をかけています。 でもそれだけで、こんなに早く立ち直れるものでしょうか? 大好きな大切なペットを失ったのに、私達はたった数日で立ち直ってしまったのでしょうか? こんな短い期間で立ち直ってしまった自分が、とても薄情に思えて悲しいです。 猫ちゃんにも申し訳ない感じがします。 溜息ばかりで涙の出ない自分達が理解出来ず、夫に『私達なんでこんなに普通なんだろう?』と言うと、夫は『きっと〇〇(猫の名前)が近くに居てくれてるからだよ』と言ってくれますが、それでハイそうですかとすんなり納得は出来ません。 私達は心を痛めてないのでしょうか?
私は死に対して恐怖を感じてます。 自分が死んだ後どうなるのか魂はとか 色々考えてしまいます。 死後の世界はあるなんて、みなさん言いますが、私にはそれが分かりません。 死に対しての恐怖を取り除く事は 出来るのでしょうか? よろしくお願いします。
初めまして。 最近、死後の世界について調べてしまいます。 地獄は本当にある、毎日沢山の針で刺される、拷問される、など書かれていて、私は死ぬことが怖くてたまりません。 一回死んでまた生き返った人や、生死をさまよっていた方が、本当に地獄があった、とても恐ろしいものだったと話しておられて、信じてしまいます。 地獄はあるのでしょうか? 拷問などされるのでしょうか? 地獄があるのならば、私は地獄行きでしょうか… また、あの世では、もう亡くなられた自分の身内や友だちには会えるのでしょうか? もし私が子どもと一緒に死んだ場合、あの世で子どもに会えるのでしょうか? 私は死にたくはありませんが、もし事故や自然災害などで死んでしまったら、どうなるんだろう…と考えて辛くなります。
先月、膠原病だと言うことが分かりました。 治らない病気ですが、昔と違い、生存率も高くなったことは勉強済です。 ただ間質性肺炎と言うのも併発していて、いつ重篤になりかねるか分からないらしく、もしかしたら明日かも、明後日かもしれません。 ただ体重が10キロ強落ちた以外は見た目は元気で病院で筋トレに励んだり、いっぱい食べてます。(筋肉をつけて肺を守るため) 重篤になるかもしれないことを聞いた主人は強かった人なのに、今にも泣きそうになったので、私は彼の前では弱い部分を見せられません。 そして私は今、入院中ですが、夜病室で一人になった時は気が狂いそうになります。 「今を(今日) 幸せに懸命に生きる」しかないのも頭では分かってます。でもつらい。 世界には私より大変な思いをしてる方がいらっしゃること。私はそれでも生きさせて頂いてるという現実も頭では分かってるつもりなんです。 質問は死の恐怖に押し潰されそうになったとき、どうしたら良いか教えて下さい。 それまでは今を大切に生きて、お坊様のお返事待ってます。
私はまだ20歳の女子なのですがこの歳でもう死後の事を考えています 気にしたらキリがないのに 死後の世界が怖くて死にたくもありません。 その上虫や飲酒をするだけで 地獄行きという事も知り余計に怖くて仕方ないです。 どうすればこのような考えにならないかアドバイスが切実に欲しいです 両親にそのことを話したら考えすぎと言われました。 確かに神経質過ぎたなとは思っています ですが怖くて仕方ないのです どうにか考えなくなるようにしたいです お願いします
初めまして。悩みすぎておかしくなりそうな私に母が教えてくれました。 今、私はすごく死が怖いです。 家族、親戚、友達がいなくなると考えるといてもたってもいられません。 自分もいつか無になると、死んでいなくなってしまうと思うと言いようのない不安にかられます。 今を生きなくてはいけないことも分かっていますが、考えだすと生きている意味までわからなくなり、仕事も何も手につかないのです。
数日前、7年間一緒に暮らしていたペットを亡くしました。 ペットというよりは家族のように思っていて、私に一番なついてくれていて、とても頭が良いうさぎでした 火葬もしてもらい、お骨は家に置いてあります。 あの子がまだ生きている時は、あの子が死んでしまったら私はどうやって生きていけばいいのだろう。あの子がいなくなった時には後を追ってしまいたい。と思っていたのですが、今はそういった気持ちはなく、あの子は姿が見えなくて、撫でてあげることが出来ないけれど、ここに”居る”と思っているんです。 そう思ってはいるのですが、1人になったときや夜になると心臓がスカスカになった気分で、とても虚しいんです 死んでしまってもそばにいる。と考えていていて、いいのでしょうか…?それともだだ、私はあの子の死を認められなくて現実逃避をしているだけなのでしょうか?
二年前、子供を出産しました。そのときの、自分の意思とは関係なく来る痛み(陣痛)と、子供の自ら産まれてこようとする生命力を感じてから、死についても考えるようになりました。 “生”と“死”。どんなに思っても、どんなに願っても容赦なく迫ってくる物… 震災が近くで起きました。だからかもしれません。死が怖いです。何か信仰したら楽になれるのではないかと思いこのサイトに登録しました。 毎日ため息が出るような憂鬱さや、寂しさも感じます。どうしたら楽になれるでしょうか?
以前もこちらで、相談しましたが、大変感銘を受けました。今日は、同じような質問ですが、やはり私は、死が怖く気が重いのです。1日中考えていますし、自分なりに答えを出そうとするのですが、悩みは尽きません。自分の死もこわいし、家族の死も怖いのです。何でそんなことを始終考えているのか、謎ですが、何かしら答えが欲しいのです。明日の運命もわからないなか、恐れなく生きて行くにはどうしたらいいのでしょうか?このように気が重く、憂鬱な気分を、どうにか軽くできないでしょうか?
死後人間の意識はどこいあるんでしょうか
少年時代の友人が、「死ぬってどういう事とか考える?」と聞いてきました。 それに対して、私はドラマで聞いた言葉として、「死ぬのは老人の役目。」と答えた事がありました。 それから何年も何年も立って。 「死にたいなんて言う意味がわからない。」と言う人もいれば 「死にたい。」という人も。 たくさんの理由があり、死を言葉にせず「消えてしまいたい。」と言った人。 そして何も語らず死ぬ人。何も語らず死にはせず、生きてはいる人。何も選ばない人。 たくさんの方たちがあり、しかし、生きづらいからこそ、「死にたい。」「消えたい。」「選ばない。」に「生きたい。」が隠れているような気がします。 それぞれの方の境遇を、何とできるはずもなく、話ができても、心うちの全てを理解できるはずもない。 私もこういった方たちと同じ輪にいつ入るとも知れませんし、さほど距離もないようにも感じます。 こんな時、一体何を考え、何を成すすべきか、また為さざるべきか。 俯瞰できているような、そこにそのまま立っているような。 漠然とした私の思考に、幾つかの道筋を立てて頂きたいのです。お解り戴けるでしょうか。