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「供養」を含む問答(Q&A)一覧

お祈り(供養)と座禅(瞑想)の作法について

先週も質問させて頂いたPalmです。その節はありがとうございました。 早速、近所のお寺さん(無宗派・単立)で、お祈りと瞑想をさせて頂きました。 そこで、疑問がいくつか湧き上がって参りました。 正しい作法かどうか、教えて頂けませんでしょうか? (1)友人の供養 若くして亡くなった友人はさぞ悔しい思いをしているだろう、 残されたご家族も悲しく不安だろう、と勝手に想像して、 「友人の魂が成仏しますように」、 「ご家族を見守ってくれますように」と祈るとともに、 お寺に設けられている護摩木にも書かせて頂いているのですが、 そういう祈り方で大丈夫でしょうか? また、そのお寺では、護摩供養を来週行うようなのですが、 参列しても問題ないでしょうか? (間違ったことをして、かえって変な事態を招かないだろうかと 不安になりました。) (2)座禅・瞑想について そのお寺さんでは、週末にお堂を開放されていて 自由に瞑想してもよいとのことで、使わせて頂いたのですが、 特に作法の指導はなかったので、 自由にお祈りをしたり、深呼吸をしたりして過ごしました。 そういう作法で問題ないでしょうか? あるいは、きちんと座禅の指導も受けてみた方がよいでしょうか? お忙しい中、読んで頂きありがとうございます。 よろしくご指導をお願いします。

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亡き親友の供養がしたい

初めてご相談させていただきます。 7ケ月前、兄のように慕うかけがえのない大親友を亡くしました。病室に可能な限り日参し付き添っていました。転院の為の3日間の自宅での待機の間に転倒が原因であまりにも早く突然逝ってしまい無念な思いが消えません。あまり気遣いのない家族と感じていた私の心配が現実になってしまいました。 親族の意向で身内だけでの葬儀でしたが、他人は私只ひとり参列させてもらいました。 時折墓参ができると思っていましたが、49日を過ぎて自宅にお参りさせていただいた際、お仏壇は閉じたまま、そして奥さんの考えが当初と変わったのか?費用等を口にされ、墓石は建てず遺骨は数百キロ離れた他府県の教会(奥さんが数年前にクリスチャンと知りました)の納骨場にと聞かされまた。 墓地は親友が生前準備しており、資産も預金も十分遺されてる事を知っているだけに釈然とせず、少し口論、夫婦仲も少し問題があったようです。元々私は親友の家族との付き合いはなく、それ以降コンタクトを断っていません。 信仰の違う奥さんの意向がそうであっても子供達が反対し、墓石は・・・と望みを持っていましたが、結果は望みは断ち切られたと分かりました。 それぞれの考え方があって然るべきだと思いますが、親友をないがしろにされているように思われ、寡黙で温かく、精一杯頑張ってきた友人を想うと腹立たしく悔しく思っています。 懇意になってわずか2年ですが、お互い何でも話せ分かり合えた友、唯一心を開いた親友でした。 私にとって家族同様の友人、私なりにずっと供養をしたい気持ちを抑えられず、自分の部屋に写真を飾り、遺品と花とお水を供えて毎日手を合わていますが、御位牌がある訳でもなし、これで供養になるのか?自身どこか物足りなさを感じています。 墓参が叶わず、戒名もわかりません。月命日には特別何か供養ができないだろうか? 他人の私がどのような事ができるのかアレコレ考えるばかりです。 どうかアドバイスお聞かせ願いたく、よろしくお願い致します。

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元旦が四十九日

49日が元旦の場合に、その日は厳かに1日1人ですごすべきですか? 私の家には彼のお骨も位牌もお仏壇もありません。私がまだ知らなかった頃の昔の写真や、彼が亡くなってから彼の家から持ち帰ったへその緒、名刺入れやネクタイと、使っていたであろう眼鏡を置いている所にお水を置いて、ご飯を炊いた日はご飯など置いていました。 49日まではこちらに居て、そしてあっちに行くって聞きます。私は49日が過ぎれば居なくなってしまうからイヤでした。でも私ももうあの人を裏切りました。それに、あんなに愛してたのに、いえ今でも本気で愛してるのに、何も言ってくれずあんなに早く逝ってしまったのと、亡くなってから前妻が物を言わない彼や周りに対し、奥さん面したり都合が悪くなれば友人面したりで、私は自分の気持ちだけを信じよう彼を信じよう、誰に何をされても気にしてはダメだと泣きながらふんばってました。でもダメでした。薄情で弱すぎる。 彼と仲良くなるまでズルズルと一緒にずっと居てくれた元彼に連絡をして会っています。彼の事も話しました友達としてでもいいから、たまにそばに一緒に居て欲しいと言いました。元彼は痩せた私に話してくれてありがとう、大丈夫、大丈夫って言ってくれました。今年まで何年もそうだったように、多分このお正月休みは一緒に居てくれると思います。 バカです。アホです。寂しくて情けなくて腹がたって1人ではいられなかった。 彼はそんな私を見ていてもう私の側になんか居てくれてないだろうと思ってます。 それでも呆れられるかもしれないけど、愛してるから49日にお別れなんかしたくない。何をどうやってももう会えないならこの辛さごと全部忘れてしまいたいけど、そんなことは多分できそうにありません。生きて行かないといけない私に元彼に精神的にたよってしまう事をどうか許して欲しい。 話がまとまらず、読んでくださった方に申し訳ないです。

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納骨、供養について

この度46歳の若さで実姉が他界しました。葬儀は東本願寺の系列のお坊さまにお願いし、お経と、法名をいただきました。私の住む近くに系列のお寺さんがある事を教えていただきそちらに納骨、ご供養お願いするつもりでした。ところが母が学会員という事で、三重県のとても不便な学会員専用の納骨堂に納める、法名は処分すると言い出し、今母と姉の遺骨の件で分裂しています。宗派不問の永大供養のお寺さんもあるようですのでそちらも当たってみようと話しましたが、聞く耳を持ちません。現在遺骨は母の家に安置してあり、私の家族、友人姉の恋人みんな近い方がいつでも行けるし、お母さんもいつでも会いにいけますよ、三重は遠すぎますよ、と、説得してくれましたが、五万円で永久に見てくれるし、私はもう嫁に行ったのだから、母と姉の問題だと譲りません。母が入る時にその三重に姉の遺骨も一緒に安置できるようにするから、それまでは近くでいつでも行ってあげたい、と言っても全く耳を貸しません。分骨も拒否されました。遺骨がなくてもお寺さんはご供養してくださいますか?また、法名も新しく、黒のお位牌に掘っていただかないといけないのですが、それを処分するなんて私には考えられません。学会員は母だけで、私たち姉妹は学校を出てからは無宗派です。

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今後の供養、御寺様との付き合い方について

長文失礼致します。 3週間前、実家の母が亡くなりました。末期癌で、あっという間の事でした。 祖父母の法事等でお世話になっている菩提寺の和尚様に葬儀のお願いをすべきだったのですが、生前より葬式はしないでほしいと繰り返しておりました為、葬儀社の方にご紹介いただいた御寺様にお経のみあげていただく形で私と2人の妹、父で送りました。 母は生前、祖父母や私の伯母達に散々苛められ大変辛い思いをし、家を出て伯母や祖母との関わりを一切断っておりました。祖母の葬儀、年忌法要も参加しておりません。 しかし、父(長男)は家を出た母を追い、後日同居をした為、祖父母の仏壇は家にありました。お盆等は和尚様がお経をあげに来てくださり、母も応対していたようです。 ただ、今回菩提寺にお願いすると、よく菩提寺に行く伯母達に母の亡くなった話が伝わり、また悪口を叩かれるであろうと懸念したのです。伯母達は今でも嫌味を言い続け、貶しておるような状態ですので、とにかく関わりたくないのです。 菩提寺の和尚様には何の不満も無いのですが、ただただ伯母達との関わりを避けたかったのです。亡くなってまで陰口を叩かれるのは可哀想でなりません。 ところが、四十九日を前に、父親が法要と納骨(墓は菩提寺内にはありません)を菩提寺にお願いすると言い始め、先日お願いに行ったようなのです。 当然ながら和尚様はとても驚かれたようで最終的に、母に戒名をくださった御寺様にお願いされた方がいいと思いますよ、と仰ったようです。父は、上記のような家族間の問題は伝えておりません。 和尚様には何の問題も無いのに、不義理をしてしまい大変申し訳ない気持ちでおります。 母の法要は、戒名をくださった御寺様が行ってくださると聞いておりますが、先祖墓に納骨すべきかどうかも悩んでおり、今後祖父母の法要、後々父親が亡くなった場合に菩提寺の和尚様とどうお話させていただいたら良いのかがわかりません。 私が物心ついてから、母が幸せであった事は無かったように思います。父親の放蕩で金銭的に亡くなるまで困窮し、祖父母、伯母達との事で苦しみ、贅沢も旅行も病院に行く事さえも我慢した母に、もっと何か出来たはずなのにと今となっては後悔ばかりです。 せめて亡くなってしまった後、母が心から安らげるよう、母の思いに沿える供養がしたいのです。どうしたら良いのでしょうか。

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悔しい想いをして亡くなった人の気持ちはどうなりますか

大事な彼が亡くなり今日で19日が経ちました。 毎日が後悔でやり切れません。 彼は肝硬変がかなり進んだ状態だと医者には言われ、復水を抜く治療が見つかると思い4ヶ月を過ごしてきました。 2度の検査入院をし、担当医のはっきりしない態度に不安を持ちながら過ごしていました。 時々逢う私には治る病気ではない。どうせ永く生きられない。もうすぐ死ぬ人間にそんな事しなくて良いなんて事も言いだしました。 私は彼の病気に無知でした。もっと力になりたかったと悔まれます。 彼と私は26年間一緒でした。ただ彼は私と知り合う数年前に昔の彼女と結婚していました。彼女には自分の子供だと言われていたようですがそうは思っていませんでした。 彼女には精神疾患があり時々理解しがたい行動をとっていましたが病気の人間を放り出すような事は出来ない。私には悪い。と言っていました。 病気になった時、そんな彼に家族は冷たい態度でした。 最後になってしまった日、私に話した事が忘れません。 俺の集大成がこんなものか。人の家族を背負いこんで。食べたい物も惜しまれる。顔も見たくない。声も聞きたくない。 実のお兄さんにも奥さんにもお金の事では利用された事を悔しがっていました。 その時私はどうする事も出来ず、ただ話しを聞いていただけでした。 三日後、最後の電話になってしまった時、私に逢った時のお礼を言って、もうえらいから横になる。と言った言葉が最後になってしましました。 彼はいつも別れ際、私にありがとうと言ってくれました。 最後にこんな思いをして逝ってしまった彼は今はどう思っているのでしょうか心配です。 人が亡くなると四十九日間はまだこの世をさまよっていると聞きました。 彼の遺骨は私の手元のにはありません。 憎しみしかないと言っていた家族の元にしかありません。そんな状態でも彼は成仏できるのでしょうか。 亡くなった人の節目になる五七日と四十九日にお寺でお経をあげたいと思っています。 家族でない私がする事は亡くなった本人の為に良くないのでしょか。 また、私たちのような繋がりでもまた彼に逢う事は出来るのでしょうか。私のすべてだった彼にまた逢いたいです。彼を感じる事はどうしたらできるのでしょうか。 取りとめもなく長々と申し訳ありません。

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動物の供養

私の知り合いにたくさんヴェジタリアンがいますが、私は菜食とは言えない部類です。 インドをはじめ世界の菜食主義者は、もちろん宗教上の理由からくるひとがほとんどだと思いますし、まわりもそうなんですが、 菜食主義者の方に “肉というのはやっぱり血なんだ、牛でも豚でも、屠殺場というのは、それはそれは悲壮な声が響き渡っていて、 殺されるときに生き物は、涙を流しながらものすごく負のエネルギーを発する。 そうした肉を体内に入れるということは、そうした負のエネルギーをも取り込むことになるのだ。それに加え現在の牛、豚、鶏の飼育状態というのはおぞましいものがあり、せまい家畜小屋に押し込まれて、ただ肉となるために生まれ、そして死んで(殺されて)いくのだ” ということを聞いて以来、私の生活の糧になる為に殺されたんだと、なんとも言えない哀しい気分になってしまいます。 やはり、動物が殺されるときは、負のエネルギーを発し、食することでその負のエネルギーを取り込むということは本当にあるんでしょうか? お坊さんの中には、四つ脚の動物は食さない方もたくさんいらっしゃると聞いた事があるんですが、お肉は食されますか? また、人間の生活の糧になる為に殺されていく動物への感謝や供養の仕方はどうすればいいのでしょうか。 お忙しいと思いますがご回答いただければ幸いです。よろしくお願い致します。

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亡くなった母に対する思い

私の母は、3年前に癌で他界しました。 話せばとても長くなるので、ここでは書けませんが母は父に捨てられたりとても辛い人生だったと思います。 なくなる2年前に母は56才で若年性アルツハイマーになりました。 父とは離婚していましたし、私には姉もいるのですがアルツハイマーで話がめちゃくちゃな母と話をするのも嫌だと近寄りませんでしたので、母子家庭だった私が母のすべてを受け入れ一緒に暮らし介護してきました。 母子家庭という責任もあるなかの介護だったので、私もかなりのストレスでした。 徘徊する母を何度迎えに行ったかわかりません… 元気な頃は母子家庭だった私を助けてくれた大切な母だったので日頃はストレスを感じながらも笑顔で接していましたが、2年たつころからイライラが酷くなり私も鬱になっていまい、母に怒り散らすようになってしまいました。 いろんなものを勝手に持ち出したり隠したりされる度、言ってもなにもわからないことはわかってはいながらも、怒りを抑えきれず怒鳴り恥ずかしながら最後は手まで出してしまいました。 これではいけないと、行政に相談し施設で生活するようにさせてもらいました。 母はその後約一年で癌になりすぐに亡くなりました。 亡くなる前のまだ話せるころは、母は姉や父が顔を見せても知らない人だと言いましたが、最後の最後まで私と私の娘の名前は覚えていて、顔をみると名前を呼び、一緒に帰りたいから連れていってと言いました。 どんな事情があったにしろ、今でも母に手を出してしまったことを深く後悔し反省して胸が苦しくなります。アザのある母がそれでも私の名前を呼びニコニコしていた姿が今でもハッキリ頭に残っていて忘れることができません。 思い出すたびに涙がとまりません。 いくらお墓参りに行っても心が晴れません。 この気持ちは母には届いているでしょうか…母に許してもらうことはできるでしょうか… とても苦しいです 反省し、母に気持ちを伝えたい反面心の奥で『私も大変だったから』という気持ちがどこかにあるせいでこのような自分を守るような書き方になってしまっている…ということもわかってはいます。 そんな気持ちになってしまう自分も許せません… 混乱して長文になり申し訳ありません

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遺骨を持ち帰って供養したい

前回質問させていただいた後、お寺さんや親戚と話し合いをしました。 その際、私たちの気持ちの整理がつくまで父の遺骨を自分たちの元へ持ち帰ってもいいか相談しました。私たちが住んでいる場所から父の実家、納骨場所は遠く、なるべく自分たちのそばに置きたいと思ったからです。しかし持って行く先に仏壇も仏像も無いのならダメと言われました。仏壇や墓なんてまだまだ考えていません。とりあえず納骨はまだ考えておらず、実家に遺骨を置きっぱなしにするぐらいなら持って行きたいのですが…新盆もその後の法事も自分たち主体でやっていきたいんですが、ダメなんでしょうか。 宗派は浄土真宗です。仏壇と過去帳が父の実家にあり、仏となった父はその仏壇にいると。(祖父もいます。)だから法事は実家で。どうしてもというなら喉仏を分骨して持って行きなさいということでした。私たちの生活圏内に知り合いの寺があるからなんなら紹介するとまで言われました。 将来的にも父実家方面へ赴くのは大変で、できれば近くに遺骨を持ってきてゆっくり今後のことを考えたいんですが、それはわがままなんですか。住職の言う通り仏壇が無いといけないんでしょうか。過去帳は自分で買い求めて自由い記入することができると、本で見ました。自宅にて遺骨と写真と線香、お花、自分で用意した過去帳で供養じゃだめですか? 距離の問題もあるし、そもそも気持ちの面で整理がつかず相談をしているのに、そこには一切寄り添ってもらえず、許可を得ないといけないような感じなので心がもやもやしています。 そんなものなんでしょうか?住職がなんと言おうと自分たちの気持ち、やりたいことを貫いたらわだかまりが残ってしまうでしょうか。実家には祖母や親戚がいるので、しばらくは喉仏を持ち帰りお骨はこちら(実家で祖母にということです)で供養してもらえばいいんじゃないですか、と言われてしまいました。 はっきりこうしたいと住職さんにお伝えしていいものでしょうか。

有り難し有り難し 20
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