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「お坊さん」を含む問答(Q&A)一覧

費用のこと

今年で19歳になります。 今秋、臨済宗のとあるお寺のスタッフになる予定です。気になることは一通り住み込み先のお寺の住職さんに聞くつもりですが、こちらのサイトを見つけたので先にいくつか質問させてもらうことにしました。 修行僧として修行をするのにかかるお金についてです。 僕はあくまでもスタッフなので、修行僧らしい服装や物の用意は特別必要とされていません。 しかし、僧堂での修行を望む場合は、僧衣などの僧侶の持ち物が必要になることと思います。修行僧の方々は、それらをどのように入手しているのでしょうか。 まとめます。 ①僧侶としてお寺や僧堂で修行をする際に必要になる物品にはどのようなものがあるか。 ②また、それらの入手について。自力で購入、支給でもらうなど。 ③そのほか、出費。(漠然としていて申し訳ないです。) 今回、臨済宗のお寺へスタッフとして住み込む志願をしたのは、仏教や僧侶についてより深く知りたいと思ったからです。今は想像がつきませんが、これをきっかけに仏道を志すということあると思います。 しかし望んだとしても自分の身一つ、無一文でそれが可能とは到底思えません。実際、どうなのでしょうか。

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「師匠無しは外道です。仏教は世界を救うためにあります」

坐禅会で副住さんと二人きりだった。 気候に依るか、今日は二人だけという縁に依るものであったのか、僕がムカつく顔をしていたのか…なるようにして、そうなったのでしょうが…。 会話量は僕が2、お坊様が8くらいでした。法話聞きに行ってるので。 風の吹き方一つで虫の居所も変わるでしょうし…なるようになったのか? 「山には色んな入口と登り方があり、諸宗教も同じですよ。」 僕「山なんて本来無いのでは?」 「貴方と話してるとウンザリするんですよ…こう言うのも面倒くさいんです(半笑い)」 「えっ」 突然だったので驚きました。これは何らかの方便なのでしょうか? 縁が整った故の個人的な考えですが、神様には個々人の内に誕生日があって、各々が見聞していく中で神々の造形や威光が深められていき、その信徒が己の生み考えた偶像にひれ伏すようになっていく。そういった一切は縁起に依り、各々が思うように仕立て上げていると気付くために坐禅等の諸行によって三昧、思い込みの縄を解き、無自性=縁起に気付き、よくよく見極めていく。 「自覚」縁起の教えが仏教。そこが諸宗教と一線を画する所では? と考えています。 そう思える縁が整っただけですが…。 上記のような屁理屈だって蹴倒れる程に悲しい。 因縁仮和合云々並び立てても殴られりゃ痛いし、彼の軽蔑は悲しい。 それで心相続していって変遷していく。 またその場の気分も風の吹き方一つで変わるので、次はお寺に行くかもしれないし、行かないかもしれない。嵐か地震が来るかもしれないし、実際は考えに依ってくれないし。 世界を救うって何を…? 僕「師がいなくて外道なら、在家信者は外道ですか?」 「師ならそこらじゅうのお寺にいるでしょう。 解釈に囚われているから、そういった考えになるんです」 僕「はい」 「ウチは檀家100件を超えておりますが、法事をして救いもして、救いもしない事が救いになる事もありますよ」 「師について学ばないとオウムと変わりませんよ。空だから〇してもいいっていう」 僕「え?(なんで突然オウム?そもそも誰かを〇すなんて)」 彼が気に入るだろう答案を提出できる縁に僕は恵まれなかった。 痛い位に今日の彼から伝わってきたのはもう僕に二度と会いたくないってこと。 僕が出来るのって出来る限り接する人に親切にしていこうと願う事位。 世界を救うって何?彼の真意は何でしょう?

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お寺にて。私ばかり叱られるのはなぜ?

いつもお世話になっております。 きょう、(ドクターストップを 破って)祈願寺へ行きました。 やけにペコペコ挨拶してくる お婆ちゃんがいたのですが、 礼儀として、挨拶を返しました。 法要が終わった後、 「あなたはいつもいい声を 聞かせてくれる!ありがとう」 などと言われた後、私の持って いるヘルプマークを指差して、 「あなたも何か持ってるわね」 と言ってきたので、 「持病がございまして」 とお答えして、その場では 別れました。 帰り道、外の参道に出た所で 「まってー!」と呼び止められ ました。無視することもできた のですが、こういう方は、 しっかり断らないと後が面倒 なので、「なんでしょうか!」 と低い声で対峙しました。 「参道を出た所のカフェーで お茶をしよう」と言われ、 「皆さんお断りしております、 申し訳ございません」 と最敬礼して別れました。 運良く、その場は引き下がって くれました。 この人はお寺の御詠歌グループ のメンバーなので、私はお寺に 引き返して、お坊さんに逐一 状況をお伝えしました。 自分自身も興奮していたと 思います。ドクターストップ が出るくらいなので。 「そういう人はどこにでも います。気にしなくていい。 うちは警察じゃありませんから」 と突き放されました。私は 言い返せませんでした。 受付の女性が、悲しげに目を 伏せていたのが印象的です。 「宗教法人の、信徒の教化育成 義務」に当てはまるので正当な 行為だとは思います。 ですが、お花の件もそう。 なぜ、私だけこんなにもきつく 指導されるんでしょうか? 年齢差でしょうか?先の 先達さんも仰るような、親心? まあ、ドクターストップに従わ なかった私も悪いのですが。 次に参拝した折に、お坊さん に謝って、事情を伝えようか とも思っています。 「会う人みんな、悪い人や 怖い人に見えるんです」と。

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ご挨拶ですが… お返事は大丈夫です!

はじめまして!私は少し前、hasunoha に登録をしていないときから色々読ませていただいてました。 相談ではなく、申し訳ないのですが、このhasunoha や相談に答えてくださる僧侶様には、登録をしていないときから、とてもありがたい存在だと思っておりました。 私は人にいいところを見せたいということで相談できないような人です。 それを克服しようと現在は少しずつカウンセラーさんや保健室の先生に相談をしています。 現在、そのおかげでしょうか以前より、少しですが人を見下したい!という感情や馬鹿にしてしまうことが少なくなってきました。まだまだですが。 私は相談をして、もし解決できなかったとしても、誰かに相談に親身にのってもらったり、応援してもらえるということは自分を無理に責めず、煩悩に苦しむ自分を受け入れられることに繋がると思います。 私の場合ですけど、相談出来たんだ!っと自信にもなります。なによりも、自分の力で人生を歩めるという感覚もつきます。 困った時に受け入れてもらえて背中を押してくれる人がいる、どうしようもないときは大丈夫だよって受け入れてくれる それが、不幸の傷を慰めている、相手に依存している訳じゃなく、希望を持って前に進める力になることを、特定の誰かに相談することで知りました。 だから、hasunoha や僧侶様にはとてもありがたい気持ちでいっぱいです。僧侶様が親身になって相談してくださることを、読んでいるだけですでに感じられました。 私は相談したのに、私の悩みをおかしいとか、変な考えをやめなさい!と、しか言われたことがあり、そのときとても悲しかったです。 どんなダメダメだーという悩みでも考えを改めるように、たとえ、解決の糸口にはならなかったとしても、親身になってくださる僧侶様に感謝しており、過去に人をいじめた経験がある私にもこの場がある希望がある。このサイトのような場は現代社会になくてはならないのではと思います。 また、もし僧侶様も同様に苦しみを持っておられるのであれば、共に頑張りたいという気持ちも湧いてきます。 大変長くなりまして、失礼いたしました。hasunoha では直接ではまだできない、ネットだから相談できることを相談させていただき、前に進みたいです。 ここまで読んでくださりありがとうございました。これからどうぞよろしくお願いいたします。

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お寺さんとの関係の築き方

はじめまして。 今回はお寺さんとの関係の築き方についてご相談です。 以前、臨済宗のお寺さんに観光目的でお邪魔した時に、住職さんが「お庭だけ見て帰られる方が多くて残念です。お寺に来たからには、仏様に手を合わせ、そこの住職たちとお茶でも飲みながらお話でもするのがお寺本来の在り方ではないかと思います」と話しておられました。当方と宗派は違いますが、そのお話に非常に共感しました。私自身、高齢の父母がいるので、そろそろ葬儀などについても普段からご相談できる方がいればいいなとも思っております。 しかし実際問題として檀家制度が薄くなりつつある現在、お寺さんと在家の若い人たちとの間にはハードルができてしまっている気がします。縁もゆかりもないのにいきなり飛び込んでいってご迷惑をかけないか、また法事などの特別な用事もないのにお電話をしてアポを取ってお邪魔してもよいものか…そこにいらっしゃるご住職やお坊さんたちもとてもお忙しいでしょうし…とまあこんな具合に悩んでいます。 ちなみに昔は父方の家系が村にあるお寺さんにお世話になっていました(もしかしたら元々は檀家だったのかもしれません)。 しかし村を出た父の代から疎遠になり、祖父が亡くなった現在、私はご挨拶へ伺えていません。また、自分の意志でそちらのお寺さんへ伺おうにも、新幹線の駅から車で一時間以上はかかるところで、なかなかご挨拶へ伺いにくいです。父へ真剣に仲介をお願いしてもはぐらかされてばかりで。私ひとりで伺ったところで相手してもらえるかと思うと気後れしてしまいます。 問題をまとめると ①新しく今住んでいるところの身近なお寺さんとのご縁を築く ②それとも祖父の代からのご縁を何とか復活させる どちらにするか悩んでいます。そして、どちらにせよその方法論もわからないので更に悩んでいます。 長々とすみません。上記の三点について、どうかご助言お願いできないでしょうか。

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禅の心

以前、代々ご家族の血縁でお寺をされている長男のお坊さんとお付き合いさせて頂いておりました。 私は、小さい頃からずっと日本の文化が 好きです。行動や意味、全てに想いが詰まっていると思うからです。禅もそうだと思います。宗派や教えは違いますが、修行する意味、教えの意味、そこにある想いは一緒だと思うのです。 彼は継ぐ決心が出来ず、実家のお寺を離れて大学生をしている時に出会いました。彼のお父様にお会いした時、すごく違和感を覚えました。言葉では表しにくいのですが、冷たい…ドライな感覚です。彼もお坊さんになる決心をして、修行に行くまでの期間、その違和感に似たものが私の中でどんどん大きくなっていきました。偏見の言葉や、権力には敵わないなどの発言も多くなっていきました。お父様そっくりでした。 お別れした後、周りの方からは「私達には分からない世界だからそれは仕方ない」「私達には分からない重圧があるのだろう」と。 それが私には納得がいきません。生きていくだけで辛い事、苦しい事が沢山あります。それはお坊さん一般人関係なく平等にあるものだと思います。 お寺の世界とは、一般の世界とは違うものなのですか?今まで自分が信じてきたものが分からなくなる時があります。

有り難し有り難し 24
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