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「お坊さん」を含む問答(Q&A)一覧

悲しみは成仏の妨げ?

死者のことをずっと考えていたり、 悲しんでいたりすると、死者が成仏できない。 前向きな姿を。 と、よく聞きますが、自殺者の場合もそうなのでしょうか。 自分のいない世界で、家族が、平気な顔をしていたら、 「やっぱり自分なんかいなくても良かったんだ」 と余計悲しくならないのかしら。 悲しんでもらえないことが、故人には余計に寂しく感じられるのではないでしょうか。 たった一年でこんな当たり前に過ごしてしまっていたら、寂しいと思うのです。 当たり前じゃないのに。 お葬式のあと、お茶碗を割った。 その行為が、もう帰ってきても一緒に食事を囲めないから帰ってこないようにね。なんて意味だなんて知らなかった。 そんな意味ならやりたくなかった。 その気持ちが成仏の妨げになっているのでしょうか。 それとも、本人が悲しくても寂しくても、「自分なんかいなくてよかったんだ。」とマイナスな解釈だとしても、現世に未練を残さない方が本人のためになるのでしょうか。 出来ることなら、家族にもみんなにも愛されていた。と納得して成仏してほしいと思うのです。 そんなマイナスの解釈で成仏するのが幸せなのでしょうか。 寂しい気持ちにさせてしまうことにならないのですか。 私は 私だったら、それはとても寂しいです。 生きていてほしかった。と、現世と無理矢理関係をたつなんてしないでほしかったと思ってばかりです。

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自分の進むべき道

長文失礼致します。 ここ1~2ヶ月の間、あることを切っ掛けに特定の宗派のお寺に伺うことが増えました。 その中で、あるお寺のお弟子さんとお話しさせていただいた時に「お坊さんにならないのか」と問われ、その事についてモヤモヤとしています。 何故言われたのかはなんとなく理解できています。 それというのも、縁があり菩提寺とは別の宗派のお坊さんと知り合いになり、そのお坊さんに娘のように可愛がっていただいていました。 そのお坊さんに本当に色々なことを経験させていただき、そのお坊さんがいなければ今の自分は居ないと思うほどです。 亡くなってしまったため今は直接会う事は叶いませんが不思議と淋しいという感情はありません。 このようなことをお弟子さんにお話ししたところ上記のような発言となったのです。 恐らく「経験」の内容が水行等、修行に関することが多かったからなのでしょう。 さらには「そのお坊さんは貴女をお坊さんにしようとしていたのでは」ともお弟子さんに言われました。 しかし上述のとおり、懇意にしていたお坊さんは亡くなってしまったため真相はわかりません。 でもなんとなく私に色々な経験をさせてくれたのは自分で自分を守るためなのではないかと思っています。 いずれにしろ真相は分からないのですが… ここまでであれば私の性格上「こんなこと言われたな」程度で終わるのですが 先に書いたとおり特定の宗派(懇意にしていたお坊さんと同じ宗派)のお寺に伺う機会が増えたと同時に そのそれぞれのお寺でお経が始まる確率がすごく多く 必ずと言って良いほど伺ったお寺でお経を耳にするようになりました。 ちょうど御開帳が始まったり、こんなタイミングあるのか?と不思議に思うほどです。 そして何故かずっと開経偈が頭から離れないのです。 特に今の生活を変えたいとか思ったことはありません。 ただお坊さんになりたくないとも思いません。 行く先にその選択肢があるのなら選ぶ確率はゼロではないと思います。 最後になりましたが ・お坊さんにならないのか聞かれたこと ・お経を耳にすることが急激に増えたこと ・開経偈が頭から離れないこと これらの事は何かを意味しているのでしょうか。 またこれらのことから今私自身がすべき事はなにかありますか。 ご教授いただければ幸いです。 よろしくお願いいたします。

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誤った仏教の解釈と、仏を拝む行為について

私は「仏を拝む」という行為を、独自の解釈で行ってしまっています。(確かそれを指す仏教用語があったと思いますが失念しました) 信心自体は強いのですが、ただ、その強い信心が間違ったものに 基づいているのでは、いつか間違いを起こすのではと、心の中で引っかかり続けています。 私の解釈では、 大日如来=真理、森羅万象、宇宙の一切。 他の仏や菩薩や如来=大日如来の化身、大日如来の内心。 であれば、 大日如来=森羅万象、宇宙の一切=自分自身も含む であって、 他の仏や菩薩や如来=既に自分の中に存在している。 つまり、例えば「不動明王」を拝むのであれば、 どこか宇宙の果てか極楽か、とにかく超自然的な場所にいる 不動明王という存在に対し助力を願うのではなく、 自分自身の中にいる不動明王に働きかけ、自分自信が不動明王となる。 という解釈で信仰しているのですが、他の仏教徒の方のブログ等を拝見しても、「日本昔ばなし」的な不動明王が登場する話を見聞きしても、どうも自分の解釈が違っているようだと日々感じており、自分自身だけの謎信仰として心にしまっております。 私の解釈は、本来の仏教の世界観からどれくらいかけ離れてしまってるでしょうか。また、正しく仏教を学ぶ場合、何か良い手段はありますでしょうか。

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『お坊さんとは一体なんなのでしょうか?』

こんにちは(=゚ω゚=) 長年漠然と解決しないものがあり、単刀直入に質問をさせて頂きますm(__)m 『お坊さんとは一体なんなのでしょうか?』 職業としてあるが、お医者さんとは違い体に触れて治療はしない。 話によると事業者の税金は非課税。国民でない? いろいろ人生の相談にのってくれるが、近所の年長者とも違う。 悪い行いをしては善くないと諭すが、もちろん警察ではない。 いろいろ知っているが、哲学者などとも異なる。 誰にでも分け隔てなく門戸を開いている。 毎日毎日、修行やお経を上げているが、相撲のように、儀式や観戦のようにお客を湧かすわけでもない。 法律にある、『個人の思想の自由』を良い形で具現化し続けているもの? となると要は『宗教』なんでしょうが、究極の自己満足の生き方?それとも、やはり修行を死ぬ(一般的な意味で100歳の肉体)までやりたいマゾヒスト? もし、ある一定の地域(日本として)の全員が仏教をしたならば、そこの人々は桃源郷になるのでしょうか?ロボットを創る人も、パイロットも、芸能人も、ウェイトレスもいなくなるので、生活が戦国時代ぐらいになるイメージですが。 でも、そうなると、助ける人がいなくなると、お坊さんはすることがなくなる? 思い付くままに箇条書きにしていますので、僕の偏見や間違いもあるかと思います。すみません。m(__)m 大変失礼と思いましたが、ずっともやもやしていたので知りたいです(。-人-。) よろしくお願い致します(^-^)

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【続】僧職を続けるかどうかについて

いつもお世話になっております。 先の質問ではご回答頂き誠にありがとうございます。 「僧職を続けるかどうか」という問いに対して 「現状の‟会社員”と‟僧職”の両立が難しいのであれば、本職としている会社員を優先するのが望ましいのでは」という 的確なアドバイスを頂き、少し心が軽くなりました。 そこで、度々の質問で大変恐縮なのですが 更に1点気になる事があり再度投稿させて頂きました。 回答頂いた文面に、 >もしも義父があなたに後を継いでほしいと思っているのなら話しが変わってきます。 という一文があり、これを拝読した際に「どきっ」としました。 義父は直接口にはしないのですが、 「確実に跡継ぎとして考えているのだろう」と推察できる点が 多々あるのです。 ・前の質問で記載した「正月の会」で檀家様一同の前で  「これが娘婿で弟子の(私)です!」と大々的に紹介する。 ・「僧職は一生の仕事で定年が無い」「時間にゆとりがある」など  僧職の素晴らしさを常に語る。 ・勝手に仕事を受けてきて、そこの場で同僚の住職の方々に  義父「私の弟子です」と紹介  住職方「方丈さんにも跡継ぎができて安泰ですね!」と返答  義父「(満足げ)」 …というやりとりが毎回ある。 確かに「跡を継いでもらう」と明言されていないので 無視すれば良いのですが、日本人の美徳である 「察しと思いやり」に投げかけてきているように邪推され、 居心地の悪さを感じます(苦笑) また、私自身も欲深い話だとは思いますが 可能であれば「会社員」と「僧職」を両立させ、 更には跡継ぎになれるように「僧」としてのステップアップも したいという思いもあります。 更に本音を言えば、私自身が「自分は何者で、何を成すべきか?」 という疑問を常に心に持っており、日々「根無し草」のような 拠り所のない気持ちで過ごしております。 そこで僧職の中に「何か答えがあるかも」という 淡い期待を寄せている浅慮な自分がいる事も確かです。 纏まりの無い愚痴のような質問になってしまい申し訳ございません。 皆様には、 「悩み続けて時間が解決するのを待つ」 「僧はそんなに甘くないから、会社員に専念すべし」 「僧の仕事との兼業は、このような方法もあるよ」など 忌憚のないご意見や感想・所見を頂ければ幸いでございます。 何卒宜しくお願い致します。

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僧職を続けるかどうかについて

お世話になっております。 私は30代の会社員男性なのですが、 僧職を続けるべきかどうか悩んでおります。 元々仏道に御縁を頂いたのも 義父が地方の小さな寺院の住職を務めており 「棚経とか、休みをつかってやれば謝礼を出すから、得度しませんか?」と 副業感覚でお誘い頂いたので、深く考えず了承したという お恥ずかしい限りのものでございます。 (特に髪の毛に拘りも無かったもので(笑)) その後、棚経だけのつもりが… ・正月の会で、お経と儀式をやらされる(会前日の晩にやる事を聞く) ・本寺の副住職の「住職襲名の式」での役を勝手に受けてくる。  (その役が大変重要な役で、袈裟を3回しか着た事がない上、  お経を知らない者が出来るようなものでないものだった) ・「住職襲名の式」での内容に関しても、式の内容と問答が  書かれた本のコピーを頂くのみだった。  (その後、副住職のお寺での打ち合わせで、作法や動きの面で  知らないことが多い事が発覚、急遽義父に改めてお寺での  練習を依頼する) ・「襲名の式」当日にも知らなかった「やるべき事」がある事が  発覚。youtube等で検索して何とか乗り切る。 ・また私への確認無しに仕事を受けてくる。  (これに関しては「会社の仕事の都合があるから容易に受諾  出来ない」として保留にしています) というような事があり、会社の仕事もある中で 時間・体力の面と、何より義父の『報連相』の無さに 「これは続けるのは無理だ!」と考えているのが現状でございます。 その内、義父が勝手に「住職の修業の予約を入れてきた」などと言ってきそうで恐ろしいです… また、家内も家を空ける事に不満があるようで (お寺が地方の為、大体の場合は日帰りは不可能) 「やらないで欲しい」と言っております。 反面、文化的・歴史的な事が好きで、僧の儀式等に嫌な思いはありません。 「襲名の式」でお世話になった新命和尚様や 同年代の先輩の僧の方々には、大変感謝しており 他所者兼「にわか坊主」の私を仲間として受け入れてくれ、 大きな気持ちで導いて下さった事への恩も感じております。 (本来であれば師匠である義父が行う役割ですが(苦笑)) 「御恩や興味」と「現実」の間でどうするべきか悩んでおります。 また、厳しいご意見でも有難いので、ご助言頂ければ幸いでございます。

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